#11:第6日 (12) 料理の名前

「何か良さそうなのを教えてくれないか」

 相変わらずメニューが読めないので、マルーシャに尋ねる。英語併記のメニューはないのか。

「ヒョットカーケ」

「判らんな」

 カーケってケーキのことじゃなかったか。

「大きめの平たいミートボール」

「OK、それにしよう」

 ウェイターかウェイトレスを呼ぼうとしたら、モードがやって来た。こんなところまで俺たちの世話をするらしい。ひょっとして、マルーシャの注文は全て彼女が聞いたのだろうか。

 何品注文したか訊いてみたいところだが、やめておいて、ヒョットカーケに前菜と食後のコーヒー付き、デザート抜きを頼む。飲み物はオレンジ・ジュース。

 マルーシャはア・ラ・カルトでヒョットカーケを注文した。モードが動揺しているから、やはり大量に食べているのだろう。

 さて、彼女の前に座ってはみたものの、“仕事の話を抜き”にしたら、何を話せばいいのだろう。

「ここではマルーシャの名前を使ってないのか」

 まずはこれを訊く。

「ええ、ハンナ・イヴァンチェンコ」

「それは本名か」

「そのうち判るわ」

 他にも偽名を持っているのだろうか。しかし、そのうちっていつなんだよ。さて、他に訊くことは。

「ノルウェイ料理は君の好みに合うかい?」

 やっぱり料理の話かなあ。それしか思い浮かばない。

「そうね、魚料理は好きだし、ヘラジカやトナカイのような珍しい肉が食べられるから」

 珍しくなくても、何でも食うんだろ。俺はトナカイを食べたが、ヘラジカは食べてないな。どこで食えるんだろう。ここか?

「登山用の行動食や非常食は? 塩味がきつくて他の味が消し飛んでるんで、俺は正直、口に合わなかった」

「そういうものだと思って食べるから、気にならないわ」

 そうかもな。山を歩くのは食事が目当てじゃないから。普段よりまずいコーヒーを、山の頂上で飲んで喜んでる奴もいるくらいだし。

「君はどういう味の食べ物が好きなんだ」

「何でもいいわ。栄養が満たされるのなら」

 そんなこと言って、いつもは余分に栄養取ってるじゃないか。何人前食べたら満たされるんだよ。前菜が出てきた。魚の……たぶん、ニシンのマリネだな。

「君は本当にウクライナ出身なのか」

「ええ」

「君が好きなウクライナ料理にはどんなのがあるんだ」

「ボルシチ」

「聞いたことがある。赤い……野菜のスープじゃなかったか。何の野菜?」

「レッド・ビート」

「野菜売り場で見かけることすらないな」

「ヴァレーニキ」

「それも料理?」

「ええ、小麦粉で作った皮に、野菜や肉の具を入れて茹でたもの」

「ああ、それは想像できる。似た料理はいろんな国にありそうだ」

「コトレータ。カットレットと同じ。鶏のコトレータはチキン・キエフとも呼ばれる」

「それも想像できる」

 ホルプツィ、肉のキャベツ巻き煮込み。ヴァヌーシュ、とうもろこしの粉を煮てチーズをかけたもの。チェブレキ、羊の挽肉を薄く伸ばした生地に詰めて揚げたもの。

 メイン・ディッシュのヒョットカーケが出てきた。

「これと同じような料理はある?」

「フリカデルカ」

 ウハー、白身魚と野菜のスープ。オクロシュカ、細切れにしたハムや野菜を入れた冷たいスープ。ソリャンカ、キュウリの塩漬けの汁を使った酸味のあるスープ。ペチェニャ、ロースト・ビーフ。コウバサ、ソーセージ。

 ウクライナ料理の説明を聞きながらノルウェイ料理を食べるなんてのは、珍妙この上ない体験だ。ただ、今食べているものの味がわからなくなってきた。

 サーロ、豚肉の脂身の塩漬け。ムリンツィ、詰め物をしたパンケーキ。デザートにもなる。シルニキ、白チーズを使ったパンケーキ。デルニー、ポテトのパンケーキ。カーシャ、穀物や豆の粥。

 彼女は料理の名前をずっと列挙しているのに、俺より早く食べ終わった。

「デザートは?」

「シルニキとデルニー。ヴァレーニキも甘いものを詰めたらデザートになるわ」

「そうじゃなくて、君はここで何のデザートを頼んだ?」

「クルムカーケ」

 円錐状に丸められたクレープのようなものが出てきた。中にクリームを詰めてあるようだ。彼女はそれとコーヒーを頼んでいた。見た目はうまそうだが、とてもじゃないがもう腹に入らない。夕方5時のケーキが祟った。もっとも、彼女はケーキを俺の7倍食べたのだが、この有様だ。

「もっとうまそうに食べればいいのに」

「おいしいと思って食べているわ。コックには後でお礼を言いに行くから」

「その時には笑顔で?」

「ええ」

「俺には笑顔を見せられないのか」

 他人が同席したときの笑顔は見たことがあるが、二人きりの時の笑顔はまだない。

「そのうちに見せることもあるでしょう」

 今はまだ見せられないのか、それとも見せる理由がないという意味か。たぶん、笑顔を見せてもらえるほど親しくなることはないだろう。

 共にコーヒーを飲み終わったが、彼女は席を立たない。まだデザートが出てくるのか、それとも俺が立つのを待っているのか。話すことはもうないし、部屋に戻るか。もっとも、途中から俺は相槌を打つだけになっていたけどな。

「料理のことを色々教えてくれてありがとう。なかなか興味深い時間だった」

「こちらこそ」

 俺が立つと、彼女も立った。モードが寄ってきて、「お食事はいかがでしたか?」と笑顔で訊く。

「ああ、うまかったよ。ところで、彼女はコックのところへ礼を言いに行くらしいから、厨房へ連れてってやってくれ。俺は用があるのでこれで失礼する」

 そう言って不思議そうな顔のモードと無表情のマルーシャを残し、レストランを出る。わざわざコックのところに付いて行って、マルーシャの笑顔を見る必要もないだろう。

 部屋に戻り、神話の本の、黄金の林檎のところをまた熟読する。ついでに他のところも少し読む。北方神話は色々な映画や小説やゲームのモチーフになっているので、知っている言葉や神の名前がたびたび出てきて興味深い。

 面白がって読んでいる間に9時半が近付いてきたので、またレストランへ行く。まだたくさん人が残っている。その一角に、女4人が集まっているテーブルがあって、ミス・セルベルグがいた。何か打ち合わせ中のようだ。

 少し離れたテーブルに座り、ウェイトレスを呼んで、オレンジ・ジュースを頼む。モードの姿は見えなかった。

 9時35分になって、ようやく打ち合わせが終わったらしく、3人がミス・セルベルグに挨拶をしてレストランを出て行った。

 ミス・セルベルグはきょろきょろと辺りを見回していたが、俺を見つけると爽やかな笑顔を見せて歩いてきた。

「やあ、遅くなって済まない。明日の打ち合わせをしていたんだが、意見に少し食い違いがあってね。なに、たいしたことじゃないんで、どちらかが少し譲歩すればいいだけだったんだ」

「ここに来てるのは3ヶ国だそうだが、どうして4人いたんだ?」

 ミス・セルベルグが少し驚いた表情をしている。少しだが、女らしい表情が垣間見えた。

「どうしてそれを知ってるんだ? ああ、ブルンたちに聞いたのか。ノルウェイはホスト国だから、指導役が二人いるんだよ。それだけだ」

「カーヤというのは?」

 さっき、4人の会話を聞くともなしに聞いていたら、誰かがミス・セルベルグに向かってそう言っていたのが聞こえた。ミス・セルベルグの驚きの表情が大きくなった。目が大きくなると、女らしさが増す。

「それは、私のニックネームだ。だが、親しい友人だけが使うものなんだ」

「そうだろうな。別に、俺もそう呼びたいと言ってるわけじゃない。ただ、カタリナのニックネームは他にカーリとかキティーとかも聞いたから、いろいろあるなと感心しただけさ」

「ああ、他にもあるが……いや、待て、こんな話をしている場合じゃない。時間がないんだ。空き時間にお前の論文についていくつか調べたんだが、それを説明して欲しいと思って……」

 ミス・セルベルグ改めカーヤがタブレット端末を持ち出してきた。『不適合プレイヤーによる行動攪乱効果及びパラメーターどうしの演算による不適合度の推定について』というタイトルが見えた。レイルヴァスブでアネルセン支配人に説明したのと同じだ。ノルウェイの女性というのはこれに興味を持つらしい。カナダ人とだいぶ違う。

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