#11:第6日 (11) 二つのノルウェイ語

 さて、他に調べる方法といえば。

 この山小屋にもコンピューターが置いてあるだろうから、それを使って検索するくらいだが、レイルヴァスブでグリーグの曲を調べたときの結果から推し量ると、たぶんうまくいかないだろう。たとえ検索できたって、膨大すぎてどれがヒントか判らないに決まってる。

 それを絞り込むにはキー・パーソンだよ。そいつが持っている情報を掛け合わせるしかないんだ。で、誰がキー・パーソンなんだ?

 メッテ支配人、その娘のモード、それからミス・セルベルグ? 他は……まさか、キティーとレネ? あいつら、この前は結局キー・パーソンじゃなかったからな。しかし、必要以上に声をかけるなとミス・セルベルグに釘を刺されてるし、そもそも俺はああいう若い女どもが苦手だ。

 となると、声をかけやすそうな順番は、モード、メッテ支配人、そしてミス・セルベルグ、かな。

 この3人に数学のことを訊いても答えは返ってこないだろうが、“黄金の林檎”のことならどうか。

 山小屋の本棚には数学の教科書はなくても、北方神話の本ならある確率は高い。早速、探しに行こう。モードに協力してもらった方がいいな。

 待てよ、マルーシャかエルラン教授が先に見つけてしまっている可能性が……いやいや、あの二人なら、俺よりも頭がいいんだから、既にターゲットのことを調べ終えているだろう。俺が調べられないように本を隠す、というのもないだろう。

 エルラン教授はあの性格だし、マルーシャは俺が不利になるようなことはしないと言っていたし。ただ、彼女の場合、その言がどれだけ信用できるのか判らないけど。

 とにかく、受付に電話して、モードに北方神話の本が本棚にあるか探してくれるように頼み、頃合いを見計らって受付へ行く。モードは、ハンサムな男のスタッフと一緒にコンピューター端末で何かしている。

「まあ、ドクトル・ナイト! 申し訳ありません、まだ本を集めているところなんです。早急にご入り用だったのですか?」

「そういうわけでもない。本を探してもらうだけでなくて、君と少し話をしたかったものだから」

「あら、そうでしたか! あなたとお話ができるなんて、とても嬉しいです。ただ、仕事中なるので、長い時間は困りますが……ホーコン、これを探してきて」

 モードはそう言うと、傍らのハンサム・ガイに携帯端末ガジェットを渡した。ハンサム・ガイはそれを持ってどこかへと去って行く。邪魔者がいなくなった……というわけでもないが、モードに、俺のことをアーティーと呼ぶように言う。

「まあ! ファースト・ネームでお呼びしていいんですか?」

「肩書きで呼ばれるのは嫌いなんだよ」

「判りました。親しいお友達になれたみたいで、嬉しいです! ところで、神話の本ですが、3冊ありました。2冊を確保して、今、もう1冊を探しに行ってます。それと、電子ブックがありますので、デヴァイスをお貸しします。本はニーノシュクですが、電子ブックの翻訳機能を使っていただければ英訳できます」

 ニーノシュク……何と、ノルウェイ語が2種類あるのか。ニーノシュクとブークモールで、ほどんどの人が使ってるのがブークモール? 英訳できるのなら元がどっちだって構わないのだが。

「探しに行っている本は後でお部屋にお届けしますので、この2冊と電子ブックを先にお持ちいただいても結構ですよ」

「ありがとう。ところで、君に訊きたいことがあるんだが」

「はい、何なりと!」

 ずいぶん嬉しそうな笑顔だな。君、将来、メグみたいな優秀なコンシエルジュになれるぜ。山小屋じゃなくて、ホテルに就職した方がいいんじゃないか。

「神話の黄金の林檎について知ってるか?」

「黄金の林檎ですか。イドゥンの若返りの林檎フォリンゲンデ・エプレルのことですね」

 そしてモードが話してくれた内容は、イングリから聞いたのとほとんど同じだった。新しい情報は、黄金の林檎はトネリコアシュで作った箱の中に入っていること、スィアチの宮殿はスリュムヘイムと名付けられていること、の二つ。

 本ではここに書いてあります、などとモードから聞いている間に、ハンサム・ガイが戻ってきた。本は見つからなかったらしい。

「ところで、アーティー、紹介しておきます。彼はホーコン、私の双子の弟です」

 やっぱり双子だったのか。顔があまり似ていないが、二卵性フラターナルかな。握手をして自己紹介する。もう1冊の本を探しに行っていたが、本棚に見当たらなかったそうだ。本と電子ブック端末デヴァイスを受け取る。

「もう一度探して、見つかったらお部屋に届けますから!」

 モードが笑顔で言う。そこまでしてくれる必要はないと思ったが、その本に決定的なことが書かれているかもしれないので、頼んでおく。

 部屋に戻ろうとすると、またミス・セルベルグに会った。彼女も右往左往してるな。

「ああ、ドクトル、これから集会で、その後夕食だ。9時半のこと、憶えておいてくれよ。それじゃ」

 それを聞いたのは30分ほど前だぜ。君の記憶力の方が気になるよ。

 せかせかとした足取りで立ち去るミス・セルベルグを見送ってから、部屋に戻り、本を読む。電子ブックをカメラ・モードにして本にかざせば英訳してくれるのだが、この時代にもあるんだな。レイルヴァスブでもこれがあるのか、訊けばよかった。結局は英訳の必要なんて全くなかったのだが。

 さて、黄金の林檎のエピソードは、『散文のエッダ』の第二部『詩語法』に書かれているらしいのだが、借りた本ではそれを物語風に編集してあった。

 さほど長くないので、比較的じっくりと読んでみたが、モードから教えてもらった内容に、どうでもいいような細かい情報を何点か付け加えることができただけだった。

 イドゥンが林檎を仕舞っている箱はエスキということ、ロキがイドゥンを騙す元になったスィアチとの争いの内容、ロキがイドゥンをたぶらかしたときの言葉、ロキがイズンを奪回したときにその姿をナッツに変えて運んだこと、そしてスィアチの殺され方の詳細。

 おそらく、ターゲットの“黄金の林檎”がある場所へ行ったときに、それを探すときのヒントになるのだろうと思う。メモを取りつつ、何度も読んで内容を頭にたたき込む。学生の時の試験を思い出す。

 7時になったので、夕食へ行く。モードに電話して席が取れるか訊いてみたが、「予約はできません、いつでもお越し下さい」と言われてしまった。やはりここは山小屋だった。

 レストランへ行くと、何となくざわついている。こういうところは賑やかなのが普通だし、それで構わないのだが、普通でない雰囲気が感じ取れた。さりげなく辺りを見回す。みんなの視線がレストランの中央辺りに集まっているようだ。

 もちろん、お構いなしに自分たちの話に興じている者もいるが――エルラン教授とメッテ支配人だ。ずいぶんと仲がいい――、多くの視線が集まる先を見てみると、周囲を制圧するような美貌のオーラを放っている女がいた。もちろん、マルーシャだ。澄まして料理を食べているだけでこれだから。

 ただ、いくら彼女が美人でも、ここまで注目が集まるはずがない。何か他の理由があるだろう。

 幸い、彼女の前の席が空いている。遠慮なく近付いていって、机を軽くノックする。彼女が顔を上げて、無表情に俺を見る。声すら出さない。

「何人相席を断った?」

「4人」

 一人でこんなところに来ているのは俺たち競争者コンテスタンツくらいだろう。二人組を2組断ったとか、そういうことかな。

「俺は5人目になりそう?」

「いいえ、どうぞ座って。ただし、仕事の話を抜きにしてくれるのなら」

 仕事ってのは研究じゃなくて、ターゲットやヒントのことだよな。ここは人目がありすぎるから? 何にせよ、断られずに済んだ。

 向かいの席に座る。周囲のざわめきが大きくなったような気がする。俺が彼女の前に座ったのが、そんなにすごいことなのか。彼女といえば“相席お断り”のイメージがあるが、俺が断られたのはオックスフォードの時だけだ。ただ、あの時の印象は強烈だったからな。言葉とともに、視線と雰囲気で断られたから。

 彼女の皿の料理が、なくなりかけている。何だろう、サーモンのソテーか。きっと増量してあったに違いない。

「もうメイン・ディッシュは食べ終わった? 君がデザートを食べ終わるまでは席にいて欲しいが」

「いいえ、もう一皿頼もうと思っていたところよ」

 2時間前にケーキをあれだけ食ったのに、まだ食うのか。いやいや、待てよ。

 俺がこの席に着く前に、彼女はそのサーモン・ソテーだけじゃなくて、もっと食べていたのに違いない。この周囲のざわめきは、きっとそのせいだ。彼女が次から次に料理を平らげるのを見て、感心するやら呆れるやらしていたんだろう。

 実に彼女らしい。きっと昨日から、粗食で腹が減ってたんだ。まったく、いろんなことで人を驚かせる女だなあ。

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