#11:第6日 (4) 二人のヴァイオリニスト
弓なりに曲がった緑の回廊を抜けると、意外にも立派な家が見えてきた。木造で、山小屋風ではあるのだが、壁は綺麗な赤、窓枠は白、そして黒い屋根に煙突。それだけはなく、大きな
場違いという気がしないでもないが、いくら親切にされてもぼろい家に連れ込まれるよりは全然いい。
テラスに案内され、木のテーブルの前に座る。マリットが家の中に向かって「イングリ! サンドラ!」と呼びかける。すぐさま、若い女が二人、皿を持って出てきた。一人はオープン・サンドウィッチの皿、もう一人はクリーム・スープの皿とコーヒー・カップ。
サンドウィッチの大きさにも驚くが、二人の女にももっと驚く。顔がそっくり。双子だ。もちろん、マリットによく似ていて美人。マリットの妹……違うな、20歳くらいだろう。娘……いや、マリットってこんな娘を産むような歳なのか。15歳で産んだとかでないと、計算が合わないんじゃないか。
「ヘル・ナイト、娘のイングリとサンドラです。朝食を用意したのも彼女たちですわ。二人とも、ご挨拶なさいな」
今、娘って言った? じゃあ、マリットって30代後半で、もしかしたら40歳超えてるとか? あり得ないんだけど。ここって時空が歪んでるのかな。
とにかく、二人と挨拶を交わす。髪はマリットと同じ色合いのライト・ブロンドで、長さは脇の下に届くくらい。二人とも同じような髪型だが、分け方が左右で違う。
イングリは澄ました表情だが、サンドラはむずがゆいのを我慢しているときのような曖昧な笑顔だ。
身長はマリットより少し高いくらい。白いブラウスの胸はマリットと同じように大きい。それがすぐ横に立っているものだから、迫力で圧倒されてしまう。
「朝食を振る舞ってもらえるのは嬉しいが、ずいぶんと用意がいいな」
「あなたがお越しになるのが判ってから用意させましたから」
電話でも架けたか。いつだ? そんな様子は見なかったはず。それともやっぱり、山小屋に監視カメラとマイクでも仕掛けてあったのか。だとしたら、昨夜は
「そうか、とにかく、ありがとう。ところで、ずっとそこに立っていてくれなくてもいいんだが」
ちょうど目の高さに胸があるから、困るんだよ。しかも、二人とも身体の線がぴったり浮き出るような服を着てさ。それも朝食サーヴィスのうちなのか。
「お一人でのご朝食はお寂しいでしょうから、二人にお話の相手をさせますわ。それとも、音楽でも奏でさせましょうか?」
音楽って、
とりあえず、二人には座ってもらう。角を挟んでイングリ、その隣がサンドラ。マリットまで向かい側に座っている。なぜだ。
さて、次に行く場所は一応判ったと思うから、ターゲットについて訊いてみるか? しかし、黄金の林檎だぜ。どうやって切り出すんだよ。
「この家には、他に誰が?」
「私の
二人に訊いたつもりが、マリットが答えてしまった。サンドラが口を尖らせるが、イングリは澄ましたままだ。
「君たち、学生かな。それとも働いてる?」
「働いてる」
イングリが機械的な口調で答えた。愛想がないのに、受け答えはするんだ。
「何の仕事?」
「
これはまた意外な職業。ああ、さっきマリットが音楽でも奏でさせるって言ったのは、それだからか。やっぱりここであの曲のヒントがもらえることになってたのか?
「どこかの楽団に所属してるのか」
「オスロ・フィル」
プロか。たいしたものだ。しかし、ここからオスロに通えるわけがないんだが、どういうことかな。
「今日はどうしてここに」
「休みで、たまたま」
「昨日の夜に帰ってきたんですわ。オッタの駅まで迎えに行ってたんです」
マリットが笑顔で補足する。サンドラはにやにや笑ってるだけで、まだ何もしゃべらない。
「そうか。なら、せっかくの休みを邪魔して申し訳なかった」
「別に。いろんな人と話をするのは、人生の教訓になるから」
義務感だけでこの席に来てるんだ。それだけでも偉いものだが。
しかし、そうなるとこちらも何か教訓になるようなことを話さないといけないのか。俺は彼女たちから話を聞こうとしてるんだが、どうすべきなんだろうな。
「ヴァイオリンは子供の頃から習ってるのか」
「4才から」
「フォルベルゴムにいい先生がいて、そこへ通ってたんだよ」
サンドラが初めてしゃべった。なるほど、イングリは口下手だから、彼女に話をする練習をさせようという魂胆なんだな。
「この子たちは小さい頃から音楽を聴くのも好きだし、言葉を憶える前から歌を唄う真似をしたりしてたので、何か音楽のことを習わせようと思ったんですわ」
マリットが補足する。
「それでヴァイオリニストになれたんなら、よかったじゃないか」
「まあ、そうかも……」とイングリは相変わらずの無愛想。
「年は?」
「
オスロ・フィルがどれくらいのレヴェルなのかは知らないが、20歳でその楽団員というのはかなりの才能だと思うぞ。
それにしても、イングリはどうにも元気がない。しかも、隣のサンドラはしゃべりたくてうずうずしてるんじゃないか。目を合わせたらきっと何か言ってくるぜ。意図的に合わせないけど。
「海外公演に行ったことは」
「ある」
「合衆国は」
「ある」
「フォート・ローダーデイルってどこにあるか知ってるか」
「知らない」
短い答えの連続で、しゃべるのが苦痛だというようにしか聞こえない。逆にサンドラはうずうずが抑えきれないというような顔をしている。
「そろそろ私がしゃべってもいいかなあ?」
やっぱり。イングリは黙って頷く。サンドラは身体をこちらに向け、身を乗り出してきた。目がキラキラと輝いてる。
「じゃあ、まず、ヘル・ナイトがどこから来たのか教えてよ。合衆国の、フォート・ローダーデイルなの? それってどこにあるの?」
訊き方がまるっきり子供だな。美人のくせに、好奇心の塊のような顔をしている。きっと、イングリの分の好奇心まで奪って生まれてきたんだ。
フロリダ半島の位置とマイアミはかろうじて知っていたので、その20“キロメートル”ほど北だと教えてやる。どうしてそんなことをいちいち頭の中で計算してから話さないといけないのか。
「すごく南なんだね。暖かそうだなあ。暖かいんでしょう? 年中、海で泳げるのかなあ。私もそんなところに住んでみたいなあ。私たちは今、オスロに住んでるんだけどね。海からちょっと離れてて、
さて、例の肩書きを言ったものかどうか。他に選択肢がないし、それに合わせてシナリオが作られてるだろうから、言うべきだろうな。
「財団の研究員だ」
「えっ、本当!? 財団の研究員なの? あの財団!?」
サンドラは歓喜の表情で、興奮したのかテーブルに両手をついて立ち上がってしまった。椅子が後ろに景気よく倒れたが、お構いなしだ。
対してイングリは驚愕の表情。怯えているかのようにも見えるのはなぜだろう。そしてマリットはさっきからずっと変わらぬ安らかな表情。見ているとこっちまでほのぼのした気持ちになってくる。
「私たち、6年か7年くらい前に、財団のオスロ研究所へ行って、音楽に関する研究の協力をしたことがあるんだよ! ヴァイオリン奏者と聴衆の脳波の同調っていうのだったと思うけど、論文に私たちの名前が載ったことがあるの! 母さん、あの論文探してきて! だから、財団のこと、とってもよく知ってるんだよ。ドクトル・ナイトは何の研究してるの?」
無茶なシナリオを用意するなあ。こんなの、偶然では絶対あり得ないよ。それとも、財団ってのはかなり有名な組織だから、それに関係したことのある人間とステージ内で出会うのは、それなりの確率ってことにでもなるのか。他のステージではそんなことなかったじゃないか。
「数理心理学という分野だ」
「数理心理学!? それってどんなの!?」
いつもの説明をする。そのうちに、サンドラは相槌を打ちながら、上半身がどんどん前に倒れてくる。隣に座っているイングリを押しのけそうな勢いだ。
シミュレイションの具体例を話している間に、マリットが俺の前にリーフレットを置いた。論文を探してきたらしい。『複数のヴァイオリン奏者の間における脳波の同調、および聴衆の脳波の同調と遅れについて』。英語だが、著者の名前は、確かにノルウェイ人っぽい。
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