#10:第7日 (10) 女神の涙
しばらくしたらダーニャが来た。カールトン氏が戻ってきたので、総督と一緒に彼の申し開きを聞いたらしい。それを話してくれたが、ほとんど俺の想像どおりだった。
洞窟を調べているうちに、地底湖を発見した。アンジェラが小型のエアー・タンクを持っていたので、潜って大量の宝箱を発見した。その時の装備だけでは運び出せなかったが、地底湖が水路で他とつながっているようだったので、それを使うことを考えた。
地図を確認すると、地底湖は儀式の泉とつながっているらしいことが判った。“財団”を利用して情報をさらに集め、儀式の泉は北の泉とつながっているということも判った。
そこでメキシコへ飛んで機材と人員を集め、戻って来て宝箱を運び出した。それがあの泉のシーン。ところが、土壇場になってアンジェラはカールトン氏に言った。
「この国に財宝を置いておくと、またトラブルの元になるわ。だから、これは私の財団で預かって、保管しておくことが最善の方策なのよ」
やれやれ、トレジャー・ハンターってのはどうしてこうも自己中心的なのかねえ。自分は世界で最も優秀な人間の一人であって、自分の判断は全て最善かつ公正かつ正義であるっていう思い込みがあるんだろうな。そういうのは映画か小説の中だけにしてくれっての。
「とりあえず、キャンベル財団にはクレームを入れなきゃな」
「既に父から首相と外務長官に連絡しています」
「カールトン氏は?」
「先ほど退出しました。姉を助けてもらったことについては、改めて礼を述べました」
「ダン・ブラッドショー氏は?」
「え? ああ、下の姉を助けた……彼は昼過ぎに姉をここまで送ってきましたが、すぐに退出したそうです。とても急いでいたらしく、お茶の招待も断って、お礼を充分に述べる暇もないくらいでした」
そうか、それはまずいな。彼らがターゲットに気付いたら、先に獲られてしまうかもしれない。むしろ、ブラッドショー氏はターゲットが何か判ってたから、すぐに辞去したのかもしれないぞ。俺も急いだ方がいいな。
ただ、ここをすぐに辞去する理由が見つからない。ダーニャは絶対引き留めようとするに違いないからな。そういうのを無碍に断れないから、俺は甘いんだよ。
「アーティー、あなたにお願いがあります」
早速引き留めに来たか。
「我が国に、しばらく滞在してくれませんか。私はあなたのことがもっと知りたいし、あなたには私のことをもっと知って欲しいのです。もちろん、これは私個人としての希望です。総督の娘としてでない、私としての」
俺はこの数日間で、ダーニャの二つの面を見た。王家の子孫の名に恥じぬ、威厳と気品と知謀に満ちた少女の姿。そして時として自分の無力さを知り、周りの大人の力にすがる平凡な少女の姿だ。
どちらが彼女の本当の姿に近いかといえば、前者なのだろうと思う。そんな少女が、俺に何を求めているのか?
彼女は、俺に騎士の風格があり、信頼に値する人物だと言った。言い替えればそれは、王女あるいは女王を守り助ける男としての価値を認めたということだ。少なくとも、あの時点で彼女は俺をそう見た。
女に頼られるのは名誉なことだし、頼ってくる女に力を貸すのは男としてあるべき姿なのだが、こちらが常に頼られ、力を貸すという関係になるのは喜ばしくない。それは主従の関係であって、男女の関係は対等であるのが望ましい。
では、彼女は俺に何をしてくれるのか? 例えばメグのように、俺に献身的に尽くしてくれたりするのか?
もちろん、尽くすだけがパートナーとしての理想の姿とは思わないが、俺は彼女のどんな一面を知ることができるのか? それを知りたいとは思うけれども、もはや時間がなさ過ぎる。
そしてそれは、俺の最初からの意図でもある。仮想世界の女とは、深い関係にはなりたくない。だから俺は、彼女を拒絶しなければならない。できれば無碍に、だが。
「残念だが、俺は今日中にこの国を出る。君の希望に添うことはできない」
「なぜです?」
そうしないと失格だからさ。
「そうしないと恋人との約束が守れないからさ」
この場合の恋人ってのはビッティーのことだがね。
「あなたに恋人はいないと思っていました」
「恋人だけに親切にするのは、他の女性に対して失礼だからね」
「それが騎士としての心構えですか」
「紳士としてだよ」
「あなたがその恋人をどれくらい思っているかは知りませんが、私のことをもっとよく知ってもらえば、あなたの気持ちも変わると思うのです」
大した自信だ。さすが王家の血筋を引く少女。そこが俺には重すぎるところだな。
「君のことをよく知るのは難しそうだな。何しろ俺は、君に触れると感電するからね」
ダーニャの表情が少し堅くなった。もちろん、感電のことは彼女も気付いていたはずだ。
「あなたが……私の、敵だということですか? でも、私はあなたに助けられた記憶しかありません。あなたは私の味方のはずです」
「君の家族や仲のいい友だちで、感電した人がいるのか?」
「探せばいるはずです」
「それより、儀式で君のことを助けてくれたボーイ・フレンドを大切にした方がいいな。彼も王家の血筋なんだろう?」
「人を好きになるのに血筋は関係ありません」
ああ言えばこう言う、だな。しかし、どうにかして王家の血筋から逃れようとしている、という気がする。特定の家系と結婚することが推奨されているのだろうか。それが嫌で、他の男に憧れているだけじゃないのかな。財産が目的で好きになるよりはましだが。
「俺のことが本当に好きなら、家族に黙って付いてくるくらいじゃなきゃあな」
「それは……」
国のために危険を冒してバハマまで行こうとしたくらいなのに、たかが男のために家族を捨てるなんて、彼女には到底できないだろう。その辺りの責任感が、俺みたいな軽薄な泥棒風情との違いなんだよ。
彼女は王女の肩書きは持っていないけれども、事実上の役割は王女なんだ。そしてその
「……1年間、待っていてくれませんか」
「いや、4週間以内に結婚する予定だ」
この場合の相手はメグのことだがね。
「悲しいです……」
俯いた。泣くのを堪えているのかもしれない。いや、泣き始めた。恐らくは、俺のことを、軛から解き放ってくれる存在として期待していたのだろう。俺はこの仮想世界を作っている奴に言いたい。もっと非情な人間を
「……お恥ずかしい姿を見せてしまいました」
ダーニャは顔を上げた、しかし涙は隠しようもない。
「気にするな。一時的な気の迷いだよ」
「そうかもしれません……」
涙を拭いてからダーニャは言った。
「夕食までは滞在してくれますか?」
「6時に始めてくれるならね」
「そうするように頼んでみます」
それから立ち上がり、部屋を出ようとして、ドアの前で振り返った。
「アーティー、最後に一つ教えて下さい」
「何でもどうぞ」
「もし私が、ミス・ヘップバーンやフォイト上等兵のように
その質問は2回目だな。この前は答えなかったんだっけ?
「好きになるにはそれだけじゃなくて、もっと色々な要素があるのさ」
「そうですか。私には足りないものが、まだたくさんあるのですね……」
足りないものもあれば、多すぎるものもある。相手があまりにも高貴だと、こっちが臆してしまうんだよ。
ダーニャは無理に笑顔を作ってから、部屋を出て行った。すぐさまドアにノックがあり、
「
外で待ってたのか。ダーニャの泣き顔を見てるだろうから、どう思うかな。
「やあ、ありがとう」
テーブルの上に地図を広げる。島全体の形は、思っていたとおりのフットボール型だ。ニュー・プロヴィデンス島の形に本当によく似ている。というか、仮想世界の中にこの島を作る時に、参考にしたんじゃないかと思うほどだ。
ただ、ニュー・プロヴィデンス島は真っ平らだったが、この島は中央辺りに二段になった台地がある。これはどこの島を参考にしたのかがよく判らない。が、そんなことはとりあえずどうでもいい。公邸の位置がここで、東の飛行場がここか。
次に市街地図だが、島の南西にあり、市街地その物が非常に狭いというのがよく判る。そしてそこ以外に、ろくに集落もない。狭いおかげで、主要な建物の名前まで書き込まれている。国会議事堂がここで、保守党の本部がここで……
「どうした、上等兵」
退出したと思っていたアリシアが、まだテーブルの横に立っていた。俺が声をかけると、はっとした表情になる。いや、何を見てたんだって。
「失礼しました。まだ何かご指示があるかと思いまして」
「そうか、済まなかったな、何も言わなくて。軍のやり方は、知らないんでね」
「いえ、私の方から指示を聞くべきでした」
「夕食の後にここを退出するから、そのつもりで。警備員の車を借りるわけにはいかないから、代わりの車を調達してくれ」
「イエス・サー」
「それから、ピーチ上等兵には、俺は明日退出するから、合衆国への搬送は必要ない、引き上げていいと言っておいてくれ」
「イエス・サー!」
やけに元気がいいな。
「以上だ」
と言ってやったのに、アリシアはまだ退出しない。しかもこの複雑な表情は何だろう。美人が褒められてはにかんでいる時のようにも見えるが、違うかもしれない。
「失礼ながら、質問をよろしいでしょうか」
「何でもどうぞ」
「あ、いえ、その前に、謝罪しなければならないことがあります」
「何?」
まだるっこしいな。
「先ほど、地図を持って来た時に、あなたとレディー・ダーニャがお話し中だと判って、部屋の前で待機していたのですが、その時に、会話を一部聞いてしまいました。あの、決して、盗み聞きするつもりではなかったのです」
「もちろん、君がそんなことをするはずがないというのは信じているよ」
「あ……ありがとうございます! それで、その、あなたが、その……4週間後に、結婚されるというのを聞いたのですが……」
「言ったよ」
もし次のヴァケイションで、メグに会えれば、だけどね。
「それはその……
「
そんなことまで気にするなんて、本当に催眠術が効きすぎたんだな。
「そうすると、あなたと私で極秘任務を遂行するのは、今夜だけということになるのでしょうか」
「そういうことだ」
「
いや、何を了解したんだよ。しかも、その意味ありげな笑顔は何なんだよ。しかし、アリシアは何も言わず部屋を出て行った。それにしても綺麗な形のヒップだな。それをわざと揺らしているようにも見えたが。
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