#10:第7日 (11) 極秘任務
夕食はダーニャの部屋で摂った。テーブルを囲んだのはダーニャとシェーラと俺の3人だけ。ダーニャは終始笑顔で、フロリダのことや、フットボールのことを知りたがった。少しでも、俺のことを知っておこうと思ったのだろう。
ただ、英国風が災いして、食後に紅茶を飲んでも1時間で終わった。俺が退出すると言うと、二人でエントランスまで見送りに来てくれた。
「近いうちに、必ずあなたに会いに行きます。フォート・ローダーデイルですね?」
月光の下で初めて見た時と同じくらい、神々しいダーニャの笑顔だった。
「
「判りません。ですが、総督名代として、あなたに感謝の意を表しに行くことになる可能性が、一番高いと思います。もちろん、今回の件で」
「じゃあ、会うのは一日だけだ」
「いいえ、その後、静養のためにしばらく滞在する、ということにしようかと」
それが彼女の使うことができる、数少ない“権力”なんだろうな。それくらいなら、似合いだろう。
「待っているよ。シェーラ、君も元気で」
「ありがとうございます。ミスター・ナイト。差し出がましいことですが、私から一つお願いがあります。末永く、
「シェーラ、それをあなたが言う必要はありません。私から言わねばならないのです」
ダーニャがシェーラの言葉を制する。それもまた、いつか見た威厳のある態度だった。本来の姿を取り戻したようだ。シェーラが畏れ入って言葉を止めた。
「……失礼しました。では、ミスター・ナイト、お元気で……」
英国式に握手をして、手を振って別れた。車に乗り込んだが、それがレンタカーで、運転手がアリシアであることに気付いた様子はなかった。
そのアリシアの運転で、市街地を南へ下る。まだ8時過ぎだが、人通りは少ない。日曜日である上に、観光客がほとんどいないからだろう。
国会議事堂の前を過ぎ、保守党本部の前を過ぎ、新しいホテルのような建物の前を過ぎた辺りで横道に入り、車を停めてもらう。アリシアと共に車を降りる。もちろん、ここが目的地だ。
大通りに輪をかけて、この横道は
「ヘイ、上等兵、これから俺は非合法なことをやろうとしているんだが、見逃してくれるかい?」
東の空に昇った月が薄く照らす路地で、アリシアに問いかける。ダーニャを
「軍人としては、見逃すことはできません」
それなのに、アリシアは麗しく微笑んでいる。
「じゃあ、何か口を塞ぐ方法はあるのかな」
「あなたが、私を軍人として扱わなければよろしいのです」
「と言うと?」
「一人の女として扱って下されば」
「もっと具体的に言って欲しいが」
「アリシアと呼んで下さいませんか?」
どうしてこれほどセクシーな表情ができるかなあ、軍人なのに。ともあれ、この後は東の飛行場まで送ってもらわないといけないので、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。
そういう意味では、弱みを握られているとも言える。俺が、恋人に会うために今日中に帰らねばならないと言ったので、もし彼女の意に反したことをすると、俺が帰るのを阻止しようとするかもしれない。つまり、ステージから退出時間に間に合わなくなる可能性がある。
それを避けるには彼女の言うことを聞かねばならない。たぶん、少々無茶なことでも。
「そして君は俺をアーティーと呼ぶ」
「もちろん」
「OK、アリシア、俺は今からこのドアの錠をピッキングする。君には見張りをして欲しい」
どんな錠かは判らないが、二つもあるのでそれなりに時間がかかる。
「人に見られた時にごまかせればいいのなら、もっといい方法がありますわ」
「どんな?」
アリシアがドアを背にして立ち、俺の首の後ろに両手を回す。
「暗がりで、恋人どうしがキスをしていれば、誰も不審には思わないでしょう?」
またかよ。どうして催眠術が効きすぎた女は、キスを求めてくるんだ? それが仕様なのか?
しかし、ごねている暇はない。アリシアをドアに押しつけ、唇を塞いで、その間にピック――さっき車の中で靴から取り出しておいた――で鍵穴を掻き回す。見えないからってやりにくいわけじゃないが、キスをしながらってのはさすがに初めてだ。
えーと、これはディスクタンブラー錠? しかもサイド・ピン付きだよ。うお、ものすごい濃厚な吸い方。これも初めてだな。
こら、背中に手を回してさするな、くすぐったい、手がぶれる。せっかく合わせたディスクがずれる。やり直しだ。
サイド・ピンは、1、2、3、4、って、いくつあるんだ。道端でこんなに長くキスしてる恋人がいるのかよ。しかもどんどん濃厚になってくるぞ。これじゃブリティッシュじゃなくてフレンチだ。
ようやく一つ開いた。もう一つの鍵穴は? 手探りで探せってのかよ。あった。何だ、こっちは安っぽいピンタンブラー、こら、そんなに強く抱きしめるな、手が動かないって。いや、開いた、開いた、開いたんだけど、まだキスをやめてくれないのかよ!
「素敵だったわ、アーティー。キスがお上手なのね」
いや、君がずっとリードしてただろ。とりあえず、中に入るからドアの前からどけって。
「何を探すの、アーティー?」
しゃべり方も一人の女になったな。
「それは聞かずに付いて来てくれると嬉しいね」
「もちろん、どこへでも付いて行くわ、アーティー」
次のステージまでは付いて来てくれるなよ。防犯装置を心配したが、内部は完全に電源が落ちているようだ。ペン・ライトで辺りを照らす。
1階はロビーと応接室だけ。階段を探す。目的の物は恐らく一番上の階にあるが、とりあえず全ての階を見ていく。6階建てだったかな。
どの階も、全ての部屋のドアが開けっ放しだ。警察が捜索に入ったのだろう。部屋を覗いてみたが、書棚も空っぽでデスクの抽斗は開けっ放し。書類一枚落ちていない。
「何もないわね、アーティー」
耳元でアリシアが囁く。さっきから、俺の後ろにぴったりとくっついている。それだけでなく、腰に手を回している。そして肩甲骨の下辺りに、柔らかい物が押しつけられている。
「ここがどういう建物だか知ってる?」
「ええ、もちろん。この国の野党である、独立民主党の本部。言い替えれば、離脱派の
正解。さすがに軍人だけあって、俺が“極秘任務”の協力を要請した時点で、下調べをしていたようだ。
「でも、この様子では、警察が全てを押収したように見えるわ。何を探そうとしているの、アーティー?」
「当ててみてくれ。来年のスーパー・ボウルに招待するよ」
マイアミ・ドルフィンズが出場するとは限らないけどな。
「判らないわ。どこかに隠し部屋でもあるのかしら、アーティー?」
言葉の最後にいちいち“アーティー”って付けるなよ。そんなに俺の名前が気に入ったのか?
「そいつはいいな。宝探しには隠し部屋が付き物だからな」
「あら、これは宝探しなの、アーティー?」
「宝探しと言うよりは、アドヴェンチャー・ゲームだな。『ミステリー・ハウス』ってのを知ってるかい」
いつのゲームだっけ。20世紀だったとは思うけど。
「いいえ、知らないわ、アーティー」
「屋敷の中に8人の客がいて、隠された宝石を探すんだが、そのうちの一人が
「あら、怖いわ、この建物中に
背中に胸を押しつけるな!
全部の部屋を見ていくのは面倒だ。とりあえず一番上の階へ行こう。階段を登り、一番広い部屋を探す。もちろん、ドアは開けっ放し。デスクとソファーと観葉植物と空っぽの本棚以外、何もない。壁には絵が掛かっていた跡があるだけ。
本当に何もない。ここにあってもいいと思ってたんだがな。それも予想の範囲ではあるのだが。
「ここに隠し部屋があるの、アーティー?」
襲撃された時に隠れる部屋くらいあってもいいけど、廊下を歩測した限りはそんな物はなさそうだなあ。
「あったら、君ならそこに何を隠しておく?」
「恋人を隠しておいて、毎日密会したいわ、アーティー」
それが軍人の考えることかよ! 何なんだろうな、軍なら周りは男ばかりだろうから、欲求不満になっているはずはないだろうに、それとも恋人が本国にいて滅多に会えないとか? それはともかく、ここにないとしたら、やはりあそこだな。
「あら、屋上に出るの、アーティー?」
階段を一番上まで登り、ドアを開ける。ここも無施錠かよ。建物の正面の柵のところに、掲揚ポールが1本。そこに月明かりを浴びて旗が翻っている。降ろす暇がなかったかな。
旗の地模様は、縦に三つに分かれていて、両脇が淡青、中央が白。そしてその白地の部分に、クロスした2枚の羽毛と、四つの菱形。国旗の模様にそっくりだが、羽毛は多色で塗られており、菱形は立体に見えるよう影が付いている。
ロープを留め具から外し、旗を降ろす。汚れもなく、まっさらに見えるから、作ったばかりの新品かもしれない。勝利を祈念して初めて掲揚したが、それっきりになったというわけだ。
「それが証拠の品なの、アーティー?」
もはや後ろから抱かれている状態になっている。
「そうだ」
「どういうことかしら、アーティー?」
「つまり、今のデザインからユニオン・ジャックを抜いて、中米連合の国旗をベースに作り替えようとしたわけさ」
国名を変え、公用語を変え、そして国旗も変えようとしたというわけだ。ダーニャと話しているうちに、そして島を観光しているうちに思い付いたのだが、間に合ってよかった。
「でもそれが、ギャング団がバックにいるという明白な証拠なの、アーティー?」
「ここから先は、CIAかMI6にでも調べてもらうさ」
オーストラリアの情報機関は何というのか知らんがね。
「あら、あなたはCIAのエージェントだったの、アーティー?」
「違うよ。君だってMI6のエージェントじゃないだろう?」
「さあ、どうかしら?」
最後に“アーティー”を付けないと思ったら、いきなり唇を塞がれた。痴女だ、痴女! 軍人なのに! 人選を間違えた! この後、飛行場まで送ってもらうつもりだが、先が思いやられる。何しろ、俺が女と二人で車に乗った時は、最後にものすごく疲れさせられたという記憶しかないんだ!
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