#10:第7日 (3) 羽根と宝石

 どこかで小さな音が鳴っている。ブザーのようだが、恐らく携帯端末ガジェットのヴァイブレーションだろう。ソファーの方を見遣ると、ダーニャが携帯端末ガジェットをさわっている。薄明かりに照らされる顔が女神のごとく美しい。ただし、表情は冴えない。

 電話ではなく、メッセージのようだが、ため息を吐いてから携帯端末ガジェットをしまい込んだ。総督からの返事が来たが、カールトン氏らの行方は判らなかったのだろう。

 そしてまた振動音。今度はアリシアか。これはもしかしたら何かあるな。薄明かりに照らされる顔がギリシャ彫刻のごとく美しい。携帯端末ガジェットを見ながら身を起こした。

 気配を察してダーニャもアリシアの方に顔を向ける。アリシアは携帯端末ガジェットを食い入るように見ていたが、やがて顔を上げると、部屋の中を見回した。

 こんなにも色々と部屋の中が見えるのは、カーテンの隙間から月明かりが漏れてくるからで、そういえば今夜は満月だとダーニャが言っていた気がする。

 アリシアはソファーに座り直して俺の方を見ていたが、そのまま動こうとしない。俺が起きているのに気付いていないようだ。しかし、叩き起こしてでも話を訊かせようとしないということは、重要な情報じゃなかったのかもしれない。

「どうしましたか?」

 ダーニャが声をかけると、アリシアははっとした様子でそちらを振り向いた。軍人としてはちょっと無防備だな。

「邸内の警備員から情報をもらったのですが、合衆国海軍がこの国の周囲の海上に、戦力を配備中だと……」

 何だよ、そりゃ。誰の差し金だ? ダーニャはしばしの間考えていたが、「アーティーに訊いてみましょう」と言って立ち上がった。知らねえっての。二人がベッドに近付く前に起き上がり、ベッド・サイド・ランプを点ける。

「起こしてしまいましたか?」

「考えごとをしていたから、寝てないんだよ」

 仮眠しようと俺の方から提案しておきながら行動が伴っていないが、彼女たちはきっと気付かないだろう。

「では、先ほどのアリシアの話は聞こえていたのですね?」

「聞こえたよ。だが、俺に心当たりはないね」

 何しろ俺は通信手段を持ってないからな。でも、合衆国の大使館にでも知らせてみろと言ってたのはイライザだぜ。彼女が何か知ってるんじゃないのか。通信手段も持ってるだろうし。

 俺の視線の意味が通じたのか、ダーニャとアリシアがイライザの方を見た。リクライニングにしたソファーの上で、安眠しているように見える。ダーニャがそばまで行き、「熟睡しているようです」と言いながらイライザの身体を揺り動かす。

「何ですか?」

 眠そうな声が返ってきた。ダーニャが海軍のことを話す。イライザは目を開けているのかどうかすらよく判らないが、「存じません」と答えた後、「もう夜が明けましたか?」と訊いてきた。

 まだです、とダーニャが言うと「では、もうしばらく寝かせて下さいな」と言って動かなくなった。すぐ寝られる特技を持っているようだ。神経が太いね。見習いたいよ。

 そもそも彼女は昨日の朝、早起きしてるんだから、眠いのは当たり前だろう。俺とダーニャだって同じなのに、寝られない俺たちの方がおかしい。

 それはともかく、合衆国海軍が味方に付いたとして、俺たちに何かできるだろうか。

「歓迎するために星条旗でも掲げるか」

「海から見えるでしょうか?」

 冗談のつもりだったんだが、アリシアが真剣な顔でダーニャに訊いている。

「見えるでしょう。ここは高台ですから、2階より上なら窓から海が見えるのです。であれば、海からも見えるはずです」

 なるほど、それで、高さが何フィートだったら何マイル先まで見えるんだっけ。

「建物は見えるかもしれんが、国旗となるとな。相当大きなのを掲げないと見えないだろう」

 1814年のボルティモアの戦いで、マクヘンリー砦に掲げられたのは、高さ30フィート、幅42フィートもあるでかい星条旗グレート・ギャリソン・フラッグだったから、沖の船にいたフランシス・スコット・キーにも見えたんだ。それに感動したキーが、国歌の元になる詩を作ったんだぜ。

「大きな星条旗はありませんが、我が国の大きな国旗ならあります。高さが6メートル、幅が8メートルもある大きなものです。独立記念の式典に使うのです」

 あるのかよ。でもまあ、星条旗をこんなところに掲げたら、まるで合衆国が公邸を占領したように見えて、よくないよな。冗談のはずが、ダーニャまでずいぶんと乗り気に見える。

「よし、そいつを掲げよう。掲揚台は庭か?」

「庭にもありますが、屋上にもあります。そちらなら、海からでも確実に見えるでしょう」

 やるなら早い方がいいな。フランシス・スコット・キーがでかい星条旗グレート・ギャリソン・フラッグを見たのも明け方だ。今から揚げれば、曙の朝まだき光にバイ・ドーンズ・アーリー・ライトたなびく国旗が見えて、残留派の国民もさぞや勇気づけられるだろうぜ。もっとも、国旗にどれほどの思い入れがある国なのかは知らないけどな。

 アリシアも手伝ってくれると言うので、ダーニャに国旗を持って来てもらうことにして、一足先に屋上へ行く。

 まだ夜明けの気配すらなく、空には星が瞬き、満月が西の空の低いところに浮いている。屋上の真ん中にはヘリポートのマーク、そして掲揚ポールは正面側の縁に立っていた。高さは40フィートくらいだろうか。これなら高さ20フィートの旗でも揚げられるだろう。いい感じに風も吹いてるし。

 しばらくしたらダーニャが来た。男を一人連れていて、そいつが木箱を両手で抱えている。その箱の中に巨大国旗が入っているのだろう。男は見たことがあると思っていたら、飛行機でここへ到着した時、最初に声をかけてきた警備員だった。彼が警備主任であるらしい。

 それはともかく、木箱から国旗を取り出して広げ、ポールのロープに紐で結び付ける。あまりにも大きすぎてデザインの全貌がよく判らないが、左上部カントンはユニオン・ジャックになっているようだ。

 オーストラリアやニュージーランドなどの、英連邦に加盟している国の国旗はよくこうなってるよな。まあ、カナダは違うしバハマも違ったと思うけど。

 結び付けるとロープをたぐり、旗を揚げる。ダーニャも手伝おうとしたが、風ではためいた時にロープが勢いよく引っ張られると、手を切るかもしれないので、やめておけと言って下がらせた。

 案の定、時折ロープが引っ張られて、俺とアリシアと警備主任の3人がかりでも身体が持って行かれそうになるほどだった。

 苦労して旗を一番上まで揚げ、ロープを留め具に巻き付ける。それにしても大きな旗で、もし強風が吹いたら、はためく力でポールが曲がってしまうんじゃないかと思うほどだ。しかし、月明かりだけではデザインがよく見えない。

「ライト・アップもしますか?」

 警備主任が訊いてきた。そうだな、夜が明けるまでは、ライト・アップしておくのがいいかもしれない。主任に頼むと、建物の中へ戻って行き、すぐにライトが点いた。

 屋上の柵に取り付けられた2基の強力なライトで下から照らす。旗が大きすぎて左上部カントンのあたりしか照らされていないので、ライトの角度を調節して全体に光が当たるようにする。

 うむ、立派なものだ。全体の地色はユニオン・ジャックの濃青、右側にはクロスした2枚のエメラルド色の羽毛、その下に四つのエメラルド色の菱形……いやいやいや、ちょっと、待て待て待て! もしかしてこれが、“羽根と宝石ザ・フェザーズ・アンド・ジェムズ”!?

「アーティー、そんなにこの国旗が気になりますか?」

「旗が風にはためくのを見ているのは面白い」

 あまりに長い間、俺が国旗に見入っているので、ダーニャが声をかけてきた。

「一度として同じ形になることはない。焚き火と同じだな。しかもこの旗はいいデザインだ。羽根は……ケツァルコアトル?」

「はい。そして四つの菱形は翡翠を表しています。両方ともマヤの威信財マーク・オヴ・プレスティージです」

「そうか。民族の歴史を大事にするのはいいことだ」

「ありがとうございます。気に入ってくれて何よりです」

 ああ、本当にいい旗だよ。間違いなくこれがターゲットだな。しかし、それでは困るんだよ。残留派の国民のために掲げた旗を、どうして盗むことができる?

 たとえ今日中に離脱派との争いが終わっても、平和が戻った象徴としてしばらくの間ここに掲げたままにしておく方がいいんだ。いくら俺が泥棒をしなきゃならなくても、これを盗むなんて、たとえ盗んでいい理由があったってできるもんか。

「ああ、そうだ、国旗で思い出しましたよ。真夜中に、ミスター・カールトンとドクター・キャンベルが、特別任務で出動される時のことですがね」

 屋上から降りるとき、出口のドアに錠を掛けながら、警備主任が言った。

「ポールを見て、国旗はもう降ろしたのかと訊かれました。毎日、夜明けと共に揚げて、日暮れと共に降ろしますと答えたんですよ」

 警備主任はカールトン氏のことを話すのがとても嬉しそうだ。サッカー界のスーパー・スターと話ができたからだろう。きっと、サインオートグラフもねだったに違いない。

「それで、降ろした国旗はどこにあるのかと訊かれたので、倉庫の専用の保管棚にしまっていると答えました。そうしたら、それを持って来てくれ、と。任務に使うからとおっしゃって、持って行かれたんですよ。もちろん、予備があるので、今夜中に戻って来なくても、朝、掲揚するのに、特に支障はないのですがね」

 むむ、そうすると、カールトン氏はその国旗がターゲットだと思ったんだな。しかし、きっと外れだろう。そんな小さな旗じゃない。あの巨大国旗のように、もっと価値のあるものでなくては。すると彼は、ここへ戻ってくるかもしれないな。

 とにかく、部屋に戻ってもう一度仮眠を取ることにする。夜明けまであと1時間ほどだが。ダーニャもアリシアも自分のソファーに戻って……って、どうしてダーニャは自分の部屋に戻らないんだろう。まあ、いいか。

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