ステージ#10:第5日

#10:第5日 (1) 夜の訪問者

  第5日-2049年3月19日(金)


 身体を揺り動かされて、目が覚めた。視界には満天の星空。その一部を、黒い人影が隠している。「グッド・モーニング、アーティー」の声は、イライザのものだった。ゆっくりと身を起こす。ソファーにイライザが座っていた。ただし、顔はほとんど見えない。

おはようモーニン、イライザ。交替の時間?」

「ええ、0時を過ぎたところです。もうケイ・サル・バンクは抜けて、西経79度20分の辺りを航行中です。あら、ケイ・サル・バンクのことはご存じなかったかしら?」

 知らないけど、それより西経79度20分の方が実感できないや。マイアミよりずっと東だな。操舵席コックピットのディスプレイで海図を見せてもらった。ケイ・サル・バンクはフロリダ半島マイアミのずっと南、キューバとの間にある三角形の巨大な環礁で、俺たちのいた島は西端のケイ・プルーマ。現在地はそことバハマのアンドロス島とのちょうど中間辺り。

「それで、見張りってのは何をすればいい?」

「他の船が近付いてきそうなら、教えてください」

「ダーニャたちが見つかったら困るから?」

「そうですが、あなたも今見つかるのは、あまりよろしくないでしょう」

 パスポートに出国記録がないからか。いや、マイアミ・ドルフィンズQBクォーターバックが遭難していたと、世間に知られることがよくないんだよな。呼び出すときは、操舵席コックピットのボタンの一つを押せばいいらしい。それでイライザが寝るV寝台バースのアラームが鳴ると。

「2時間ほどで交替しますから」

「もっと仮眠すればいいのに」

「いいえ、2時間後にはサブリナと替わってもらいます。あなたはもう一度寝てください。またソファーですけど」

 ああ、キャビンに降りるつもりはないから安心してくれ。俺が操舵席コックピットに座ると、イライザはキャビンへ降りていった。改めて、周りを見る。視界に入るのは月と星空と真っ黒な海。距離感がなく、船がどれくらいのスピードで走っているのかも判らない。いや、明るくても周りに何もなければ、判らないかも。

 ただ俺はバイク乗りライダーなので、風圧でおおよその速度を感じ取ることができる。操舵席コックピットでは風が当たらないから、フォア・デッキへ出れば判るだろうな。出る前に海へ落ちると情けないので、しないけど。

 それから、ディスプレイ。自動航行オート・クルーズの表示が出ていて、マニュアル操舵はロックされているようだ。解除にはパス・ナンバーの入力が必要かな。俺が勝手に触らないための用心だろう。触らないけどね。唯一可能な操作は、緊急停止だけのようだ。

 おとなしく前を見て座っていたが、景色や星空が目に見えて動くわけでもなく、退屈だ。目を開けていても眠くなってくる。イライザはこんな状態で3時間もよく耐えられたな。いや、本を読んでいたのかも。それでは見張りにならないか?

 30分ほど、目を半分開けながらじっと前を睨んでいたら、キャビンとの間のハッチが開く音がした。何だ、誰が出てきたんだ。考えられるのは二人だが……サブリナだった。暗くても、胸の大きさで判った。

「グッド・モーニング、アーティー」

「君との交替時間には、まだ1時間半もあるはずだけど」

「解ってるわ。でも、目が覚めちゃったのよ。昨日、たくさん寝たからじゃないかしら」

 本当かね。俺はここ数日寝過ぎたけど、3時間睡眠の後はやっぱり眠いよ。サブリナは「座ってもいい?」と訊いてくる。どこに。俺の膝の上? 冗談はやめろノー・キディング

「座ってたら寝られるかも」

 もう座ってるだろうが。いや、抱き付いてくるなよ、胸に顔を埋めてくるなよ! 素手に素足! 一体どんな格好をしているんだ。

「あなたがいなかったら、銀貨は手に入らなかったわ。だから感謝してるのよ」

 俺が何をしたって? 力仕事と、石を投げただけだろ。難しい錠を開けたんなら得意にもなるけどさ。

「一番の功労者はダーニャだろ。彼女が天井の亀裂へ登れたから」

「彼女がいなかったら、私がやってたと思うわ。他には、ほら、泉の上方アバヴ・ザ・スプリングっていうヒントをくれたこととか」

「あれを読み取ったのはシェーラだよ」

「縦の洞窟を見つけてくれたこととか」

「地底湖につながってると思って見つけたわけじゃないよ」

「とにかく感謝してるのよ」

 いや、絶対違う。イライザとホリーの目を盗んで、抱き付きに来ただけだ。夕食の時から、ずっと俺に近付きたそうにしてたのは、気付いてるんだよ。

「まだナッソーへ着いてないよ。無事に帰り着くまでが探検だろ」

「ナッソーへ行ったら、何をして遊びたい?」

 遊ぶつもりはないって。

「それよりもダーニャたちのことを心配してやらなきゃ」

「優しいのね。でも、彼女たちは、ええと……何とかっていう事務所フー・バーズ・オフィスへ送り届けてあげればいいだけでしょ」

 高等弁務官事務所ハイ・コミッショナーズ・オフィスだよ。しかし、そう単純じゃないはずなんだよな。上陸前に、相談することになってるけど。

「とにかく、そっちが優先だ。君らは見つけた銀貨の価値を調べてもらってくれ」

「ホリーがやってくれるわ」

 またハッチが開いた。遠慮なく大きな足音を立てて、誰か近付いてきた。考えられるのは一人だな。

「ヘイ、ブリー! 何やってんの、こんなところで! ちゃんと寝てなさいよ」

 声こそ小さいが、ホリーが不機嫌そうに言ってサブリナの手を引っ張った。サブリナが弾かれたように立ち上がる。

「アハハ、ちょっと目が覚めたので、星を見に来ただけなのよ。そのついでに、アーティーにお礼を。そうよね、アーティー?」

「ああ、そうだな」

 ホリーは睨んでいるだろうが、暗いので表情は見えない。そのまま無言でサブリナの手を引いて、キャビンへ降りていった。「お休みグッド・ナイト、アーティー!」とサブリナが挨拶を残す。やれやれ、とんだ茶番ファースだった。おかげで目が冴えたけど。

 しかし30分もしたら、また眠気が襲ってきた。景色が単調すぎるんだよ。本当に周りに何もない。月や星すら動いていないように見える。海図上の現在地は着実に東へ移動してるけど、本当にそこにいるという実感がない。宇宙船に乗ってたらこんな感じかねえ。これほど揺れることはないだろうけど。

 またハッチの開く音がした。今度は誰だ。いや、きっともう一人の方だよな。少し小さめの影が、俺の前に立つ。やっぱり、ダーニャだった。

「見張りをしていたのですか、アーティー。何か変わったことはありましたか?」

「何もないね。君を探している人もいそうにないから、安心してくれていいよ」

「それは良かったです。座っていいですか?」

 どこに。まさか膝の上? 君も冗談が好きだな。ダーニャは俺の許可を得る前に座ってきた。片方の膝の上で、しかも俺に寄りかかってきたりせず、背筋を伸ばして。それでもやっぱり静電気が走るなあ。

「ナッソーに着いても、しばらく私と一緒にいてくれますか? 高等弁務官事務所へ行く手助けをして欲しいのです」

「もちろん、協力するよ」

「ありがとうございます。面倒なことを押し付けてしまって申し訳ありません」

「気にするな。王女は黙って騎士ナイトに守られてりゃいいのさ」

「私は王女ではありませんよ」

「俺が王女と認めたから、それでいいんだよ」

「あの月夜の時のことを言っているのですか?」

「そうだ」

 このステージに来て3日目の、未明のことだな。心配してやってるのに、黙って抜け出すってところがやっぱり王女の資質だよ。

「あの後、夜が明けてから、島の山頂で私が言ったことを憶えていますか?」

「何だっけ」

「あなたといると安心しますが、愛情を感じているわけではない、と言いました」

 そういうのをここで持ち出してきたということは、今は違うってことか。どうしたらその先を言わせないで済むだろう。

「王女と騎士はそういう関係でいいんだよ」

「私は、そういう関係では我慢できなくなりそうなのです」

 遠回しだが、やっぱり違う感情を持ち始めてるってことだよな。しかし、声だけではよく解らない。

「それを考えるのは、君の境遇がもう少し改善されてからでいいんじゃないかな。要するに、君がバーミージャへ無事帰ってからで」

「そうですね。私も、国を捨てるつもりはありません。ただ、その時まで私と一緒にいて欲しいのです。こういうお願いを、あなたにしてもいいものでしょうか?」

「いいも何も、俺は最初からそのつもりだよ。君をバーミージャ行きの飛行機に乗せたら、それで終わり、とは思ってないね」

「なぜそこまでしてくれるのですか?」

 星明かりで、ダーニャの顔がうっすらと見える。美しいが、嬉しそうにはしていなかった。島で見せていた神々しさが、失われているように思われる。

「君を見たときに、天啓が下ったんだよ。他に理由はない」

 それが仮想世界のシナリオってやつさ。俺は従わざるを得ないんだ。

「解りました。ではもうしばらく、騎士としてのあなたの忠義に守られることに期待しましょう。このまま、ここで一眠りしてもいいでしょうか? 前にも言いましたが、あなたに守られていると、安心して寝られるのです」

「さあ、それは甘えすぎじゃないかな。騎士は王女の寝室の前でドアを見張るけど、中には入らないよ」

「それもそうですね。では、私はキャビンに戻ります。お休みの挨拶をしてくれますか」

 立ち上がってダーニャが差し出した手の甲に、軽くキスをした。すぐに行くのかと思ったら「4時からミス・ヒギンズと打ち合わせするのを認識していますか?」と訊いてきた。

「聞いてないね。臨検のこと?」

「いえ、私をどうやって高等弁務官事務所に送り届けてもらうかです。今、相談しても仕方ありませんから、4時に」

 言い残して、ダーニャは降りていった。今夜はこれ以上、訪問者がないこと期待する。


 その後、ちゃんと目を開けて見張りをしていたつもりなのだが、2時にサブリナに起こされた。後ろにホリーが控えていた。ホリーが見張りをするとは聞いていなかったが、もしかしたらために起きて来たのかな。だとしたら、俺は4時まで邪魔されずに安眠できるわけだ。

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