#10:第5日 (2) 未明の密談
身体を揺り動かされて、目が覚めた。おかしい、さっきも同じようなことがあった気が。ああ、そうか、さっきは0時に起きて見張り、今は4時に起きてダーニャのことを相談するんだった。
俺を起こしたのは、またイライザだった。下のキャビンで相談するのかと思ったら、見張りをしていたサブリナとホリーが降りていく。サブリナはあくびをしながら「お休み」と言った。あいつ、本当にちゃんと見張りをしていたのかな。俺も他人のことは言えないけど。
ソファーに起き上がる。いつの間にか、ダーニャもいた。シェーラの姿はなかった。
「彼女には、後で私から言います」
そうだな。シェーラは意見を言う立場にはなくて、ダーニャの指示に従うだけだろうし。イライザが、デッキのライトを点けた。暗かったが、すぐに目が慣れて二人の顔が見えてきた。
「さて、まずレディー・ダーニャとミス・シェーラが、どうやって高等弁務官事務所へ行くかについてです」
イライザが仕切るが、たぶん彼女は意見を言うつもりはないだろう。俺とダーニャで考えるが、それが実行可能かという立場で意見をくれるだけに違いない。
「まず入国だ。どうやって バハマの入国審査を受けるか」
船で着いた場合、ニュー・プロヴィデンス島北部のフェリー・ターミナルにある入国管理事務所で審査してもらう。
ただあいにく、彼女たちはパスポートも
大事な身分証明を、電話一本で済ませるわけにはいかない。入国管理官が同席のうえ、必ず面接が必要だ。もちろん、事務所に連絡することは可能。ただし、その後で問題がある。やってくる人物が、本物の高等弁務官、あるいは事務所職員であるかが、どうやって保証されるか?
要するに、来る途中で離脱派に誘拐されて、その手先と入れ替わる、ということが考えられる。敵はそういう偽の身分証明書を作る技術を持っているに違いないからだ。ここに“身分証明”の難しさがある。身分証の写真と、それを持つ人物の顔が一致していても、身分証自体が偽物であれば、何の証明にもならない。
というか、そもそもここにいるダーニャが、本当にバーミージャ総督の娘であるかを、俺たちはまだ確認できていない! もちろん、俺は信じている。イライザはどうか知らないけど、偽者であると証明されるまでは信じるつもりだろう、と思う。
とにかく最も確実なのは、入国審査をすっ飛ばして、ダーニャを直接、高等弁務官事務所へ連れて行くことだ。それは間違いない。
すると問題は、どうやって上陸するかということになる。主要な
では、警察か海軍へ、高等弁務官事務所から人を派遣してもらうか? それはさっき“不可”という結論になったばかりだ。だから取れる唯一の方法は、「見つからないように上陸すること」しかない。
「そんなことできるような場所はあるのかね」
もちろん、イライザへの質問。彼女がどの程度、ニュー・プロヴィデンス島の地理に通暁しているかは、いささか心許ないが、他に訊くべき相手がいない。
「船が着けられるところには、たいてい見張りがいるのではないかしら。実際に見てみないと判りませんけれど」
「船が着けられなくてもいいなら?」
「泳いで上陸するのですか? それなら、どこだってできそうですわね。人がたくさん泳いでいるビーチに上陸すれば、逆に目立たないでしょう。今はまだそんな季節ではありませんけれど」
そうなのか。バハマって、1月でも泳げるのかと思ってたぜ。マイアミでも何年かに一度、1月に泳ぎたくなるほど暑くなる日があるくらいだし、バハマはもっと南だから。
「夜なら見つからないかもな」
「着いてから、夜になるまで待つのですか? 事務所が閉まってしまいますわ」
総督の娘のためなら、夜中だって対応してくれると思うけどねえ。でもこうなると、朝にナッソーへ着いてもいいというのは、いささか考えが甘かったな。
それはともかく、人目に付かないところへ上陸するとしようか。そこへ行く船は、イライザが何とかしてくれるだろう。ダイヴィング用具も貸してくれるだろう。陸側に、迎えが必要だな。ダイヴィング・スーツとか水着のまま夜の道路を歩いているところを見つかったら、怪しまれるから。すると、サブリナたちの協力が必要になる。要するに、車を出してもらわないといけない。俺は車を運転できないし、タクシーを使うわけにはいかないし。
「私はそれでも構いませんよ」
ダーニャは澄ました顔で言うが、サブリナたちの行動にも気を付けなければいけない。何しろ先日、リンディーを助けたことで、離脱派に目を付けられている可能性もある。不自然な行動は取らせられない。
「リンディーを助けた時はどうしたんだ?」
「普通に、マリーナの沖から病院へ連絡して、救急車で連れて行ってもらいましたわ」
「その時には私たちが国を出たことを、高等弁務官しか知りませんでしたし、すんなりと身分証明ができたのでしょう」
ダーニャのその予想はもっともだろう。今は同じ手を使えないか。身分証明が難しいのはさっきと同じだ。となると、陽動を使うしかないな。さっき見張りをしながら考えていた作戦を、二人に言ってみた。あまりいい反応はもらえなかった。
「その後はあなたが目立つようになって、いろいろと困りませんか?」
「逆に離脱派は、俺の動きを陽動だと見て、注意を払わなくなるかと思って」
陽動は最初の1回だけ通用するというのを、逆手に取ったつもりなんだけどね。フットボールではよくあるやり方なんだよ。
「他にいいアイデアがないなら、それを採用するしかありませんね。さほど無理な作戦ではないと思いますわ。後はレディー・ダーニャ次第です」
「アーティーの言うとおりにしようと思いますが、実行前に、事務所の周りの様子を偵察してきてもらえますか。その警戒度次第で、最終的に判断します」
「ところで、事務所はどこでしたかしら?」
「クイーン・ストリート沿いにあります。合衆国大使館のすぐ近くです」
「憶えがありませんわ。そんな建物があったかしら?」
「英連邦の合同事務所です。中米とカリブ海諸国の高等弁務官や職員が、交代で任に当たっています。特定の国名は掲げていませんから、目立たないのです」
「後で地図を確認しておきますわ」
「で、上陸できたとして、事務所への行き方だが」
警戒度はどうあれ、離脱派に見張られているのは間違いなくて、事務所の前に車を付けてすんなり入る、ということはできなさそうに思える。
そもそも、高等弁務官事務所だの大使館だのは、行きずりにふらりと入ることなんかできなくて、事前に連絡しておかなければならないはずだ。その連絡で事務所の雰囲気が変わると、離脱派が警戒を強めてしまう。
「事務所じゃなくて、高等弁務官本人に連絡する方法は?」
「あります。ただ、事務所内に住んでいますので、外へ出る機会はなかなかありませんから、彼女にミス・ヒギンズの家へ来てもらうのは難しいでしょう」
高等弁務官は女か。まあ、珍しくもないか。とにかく、出てきてもらうにしても、自然な場所でないといけない。ダーニャが行方不明になってる状況では、週末にパーティーやゴルフというわけにもいかないだろうからな。
ああ、そうか、今なら1ヶ所だけあるな。自発的に行くのに、自然な場所が。
「事務所が開館しているのは何時から何時まで?」
イライザに調べてもらった。曜日によって時間が違うのだが、今日金曜日は8時から3時まで、ということが判った。
「じゃあ、時間は4時がいいだろう」
「場所はどこですか?」
考えを披露すると、今度こそ感心してくれた。
夜明けが近付いてきた。今、どこにいるのだろう。イライザに海図を見せてもらうと、アンドロス島の
「ここからニュー・プロヴィデンス島へ行く間に、臨検があると思いましたので」
あと1時間ほどの間か。とりあえず、キャビンに降りてミッド・バースへ入る。さっきまで、ここでダーニャとシェーラが寝ていた。シェーラは起きて、ベッドに座っていた。ダーニャが使っていたベッドに並んで座り、イライザに尋ねる。
「キャビンに立ち入られたらどんな言い訳をしたらいいと思う?」
「正直に、遭難者であると言うしかありませんわね。面倒は避けたいので立ち入りは拒否しようと思いますけれど」
銀貨のこともあるし、調べられたら困るのはイライザたちも一緒ということか。サブリナとホリーも起こし、灯りを点けてリヴィング・スペースのソファーに座っていてもらうことにした。ハッチを開けたらまずそこが目に入るので、彼女たちがいた方が臨検の目をごまかしやすい、と思う。
イライザだけが、デッキに戻る。もちろん、操舵するため。船はゆっくりと動き始めた。通信機をサブリナに貸してもらい、スピーカー・モードにして音量を最小にする。臨検があれば、イライザの声くらいは聞こえてくるはず。
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