#10:第4日 (8) 命綱

「俺もダーニャと話したいんだが、いいか?」

 俺の言葉に、ホリーがむっとした顔をしながらマイクを突き出す。徹底的に嫌われてるな。

「ヘイ、ダーニャ、銀貨を君が持てそうな重さだけリュックサックに詰めて、それをロープで下ろすことはできるかい?」

「はい、できます。私も今、それを思い付きました」

 嘘だ、絶対もっと前から思い付いてたはずだぜ。しかしそれを言うと、特にホリーを刺激するからな。総督の名代を務めたりするだけあって、人の心に配慮する癖が付いてるよ。

「それでいいか?」

 会話を聞いていたはずのサブリナとホリーに問いかける。ホリーは意図を理解したに違いないが、拗ねた顔のままだ。サブリナは頭を捻って考えている。

「あ、そうか、リュックサックが降りて来たら、中身をあたしたちが回収して、またミス・ダーニャがリュックサックを持ち上げて、それを繰り返せばいいのね」

「そういうこと」

 言っている間に、上からリュックサックがゆっくりと降りて来た。サブリナが慌てて布袋を用意する。リュックサックが手元まで来たら、中身をその布袋にぶちまける。

 リュックサックが上がって行く間に、ホリーが布袋の中の銀貨をつかみ出し、ライトで照らして観察する。

「8レアル銀貨だわ。19世紀にメキシコで造られたスペイン・ダラーじゃないかしら。ヘイ、イライザ……ああ、そうか、今は船じゃなかったのね。いいわ、後で調べましょ」

「ヘイ、ホリー、これってどれくらいの価値があるの?」

 落ち着いているホリーに対して、サブリナは明らかに興奮しまくっている。

「それをイライザに調べてもらおうと思ったけど、船にいないから後なの!」

「あ、そうか。ヘイ、アーティー! 見てよ、私たちの見つけた銀貨よ、ほら! 一掴みくらいならあげてもいいわよ?」

 浮かれてるな。でも、庶民的でいいよ。ホリーのように、無理に冷静になろうとしてるのが不自然だね。イライザはきっと上で「結構なことでしたわ」なんて自然に思ってるかもしれないけどさ。

「そんなこと言ったら後悔するぜ。俺の手は大きいからな」

「じゃあ、一枚だけ。はい、どうぞヒア・ユー・アー!」

「後で後で。まだ全部終わってないぞ」

 というか、撤収準備くらいしろよ。片付けるもの、いっぱいあるだろ。それとも、ここへ置いていく気か?

 結局、リュックサックは全部で5往復した。サブリナは「重くて、袋を持ってるのが大変だわ」と言いつつ、顔がすっかり緩んでいる。

「箱も降ろしますか?」

 ダーニャが冷静に訊いてきた。撤収準備中のホリーが、仏頂面で答える。

「箱はいらないわ。そのままにしておいて」

「いいえ、持ち主を同定する証拠になり得ますから、回収して下さいな。空っぽなら、軽くなって下ろせるのでしょう?」

 イライザの声が聞こえた。さすがに落ち着いている。上から木の箱が降りて来た。蓋が半円筒セミシリンドリカルになった宝箱トレジャー・チェストを想像していたが、手提げ金庫のような直方体だった。持ち運びにはこの方が便利だからな。

 さて、後はダーニャが降りるだけ、と思っていたら、持っていたロープが突然軽くなった。どうした、と思って見上げると、縄梯子の長さが半分くらいになっていた。亀裂まで届いていない。

「アーティー、あなたが投げ入れた石に作ったロープの輪が、切れたようです」

 上からダーニャが冷静に伝えてくる、いや、冷静すぎるだろ。その輪は、ロープを引くたびにこすられたり、かなりの荷重がかかったりしたから、切れるのも仕方ないな。

 それはともかく、見上げる天井にまだ張り渡されているロープは、縦穴がからつながっているダーニャの命綱だ。輪が切れたので、亀裂の側で固定するものがなくなって、ロープの一番垂れたところまで縄梯子の端がずり落ちたんだ。

 とにかく、このままではダーニャが縦穴へ戻れない。命綱は付いてるが、飛び降りたら空中ブランコスウィングのように揺れて、洞窟の壁に激突だ。命綱を切って飛び降りる? 30フィートというと、アパートメントの4階の窓くらいか。地底湖は浅いから、クッションとしては不十分だろう。

 浮かれていたサブリナもさすがに呆然として、口を開けて上を見ている。ホリーがしかめっ面なのは、別に心配しているわけではないだろう。どうしてそう思ってしまうのかは、これまでの経緯があるからだが。

 ホリーのところへ行って、マイクを奪い取るようにしてダーニャに話しかける。さすがにこのときばかりは、ホリーも嫌な顔をしなかった。

「ヘイ、ダーニャ、落ち着いて聞けよ」

「私は落ち着いてますよ。アーティー。何ですか?」

「石にロープを結んで、もう一度輪を作れるか」

「作れると思いますが、どうするのです?」

「輪を作ったら、君の腰の命綱をいったん外して、輪に通して、もう一度腰に巻くんだ」

「ああ、解りました。私がそれにぶら下がって、外で命綱を緩めてもらえば、ゆっくり降りられるということですね」

「そうだ。イライザ、今の方法をシェーラに伝えてくれるか」

「もちろんですわ」

 ややあってから、またイライザの声がした。その間に、ダーニャは輪や命綱の準備をしているだろうと期待する。

「ミス・シェーラは、彼女の女主人ミストレスのためなら、ロープで手が引き裂かれてもいいと言っています」

 いや、君も手伝ってやれよ。イライザに言って向こうもスピーカー・モードにしてもらい、シェーラに直接指示を出す。

 命綱は丈夫な樹の幹にかけて、彼女の全体重を使って引張れるようにすること。シェーラの方がダーニャより重いから、力で引くより体重を使うのが一番有効。樹を使うのは、摩擦でロープが突然緩むのを避けるため。

 それから、ロープを持つ手にタオルを巻くこと。そうすれば痛みは緩められるはず。

「全力を尽くします!」

 シェーラの声が切迫している。そんなに思い詰めるような事態でもない。ほんの30フィートの距離だ。自然落下さえ避けられれば十分。それに下には水もある。

「準備ができましたよ」

 それに比べてダーニャの声の冷静なこと。バンジー・ジャンプをやれと言っても怖がらないんじゃないか。

「OK、ダーニャ、ゆっくりとぶら下がって。念のため、自分でも命綱を持っておくんだぞ」

「輪の反対側のですね。解ります」

 一気に荷重がかかると、石が外れたりまた輪が切れたりするかもしれないから。揺れる灯りに照らされて、ダーニャの身体が裂け目の下にぶら下がったのが見えた。ロープのが戻るのか、ゆっくりと回転している。

「シェーラ、少しずつロープを緩めて」

 ダーニャの身体がゆっくりと降りてくる。俺の役割は、まるで工事現場でクレーンの運転士に指示する監督のようだな。さっきからずっと見上げてるので、首が痛くなってきた。

 4分の1降りて、半分まで降りて、あと10フィート、7フィート……受け止めてやるべく、ダーニャの真下へ行く。水面まであと5フィート。俺の身体はへその上まで水に沈んでいるので、まだ手が届かない。しかし、突然ダーニャがマイクに向かって言った。

「シェーラ、もうロープを離してもいいですよ」

 おい、こら、待て! まだ5フィートも残ってるのに! ダーニャの身体が自然落下を始めたので、慌てて受け止める。突然荷重がかかったのと、静電気のビリビリで、よろけて頭まで水に沈み、尻もちをついてしまった。ダーニャが力強く抱き付いてくる。嬉しそうだな、おい! こいつ、これがやりたくて、わざとシェーラにロープを放せと言ったな。いつまでも抱きかかえていられないので、水の中で立たせてやる。

「アーティー、受けて止めてくれてありがとうございました」

「とにかく、無事に降りられてよかった」

 言いながら、腰の命綱をほどいてやる。ロープと縄梯子を回収するよう、サブリナに言う。もちろん、上のイライザに伝えてもらうため。サブリナはまだ呆然としていたが、ホリーは撤収準備を始めていた。でも、ライトとスタンドの回収くらいかな。サブリナが、急に気が付いたかのように呟く。

「縄梯子を使えば、楽に出られたんじゃないの?」

 いや、それができるのはダーニャだけだから。君らは無理すれば出られるかもしれないけど、俺は絶対不可能だし。

「そういえば、外の撤収は? アーティーが行ってあげないと、イライザとミス・シェーラだけじゃ、浜へ戻れないんじゃないかしら」

 うん、それはある。どうしようか。海底洞窟の入り口まで戻って、そこから崖を登って、ってするしかないかな。さっきよりもっと潮位が上がってるだろうから、意外に簡単に崖の道へ上がれるかもしれない。サブリナに尻を押してもらうか。

 サブリナに、海底洞窟の入り口まで送ってくれるように頼むと、ダーニャが「私も先に外へ出ては行けませんか?」と言う。いや、それだと勢力均衡が崩れるから、たぶんホリーが許してくれないよな。思ったとおり「ミス・ダーニャは撤収の手伝いを」とホリーに言われてしまった。サブリナがうきうきした顔で、洞窟を歩き出す。

「まさか現実にお宝プレシャスを見つけちゃうなんて! ねえ、アーティーは本当に分け前はいらないの? あたし個人としては、100枚くらいあげちゃってもいいと思ってるんだけど」

 いらねえよ。だって、ターゲットに絶対関係ないもんな。しかし、本当に「いらない」と言うと、サブリナの場合「じゃあ、身体で」などと言ったりする可能性があるのが怖い。

「まだ終わってないぞ。最悪のシナリオとして、外に泊めてある船が海賊に乗っ取られて、『返して欲しければ宝を全部よこせ』なんて言われるかもしれない」

「あら、それは大変だわ。今は見張りを置いてないものね。でも、あなたに何かあげないとあたしの気が済まないから、これだけでも受け取って」

 分岐点のところで急に立ち止まり、抱き付いて、キスしてきた! それ、礼のつもりかよ。君自身がやりたかっただけじゃないのか? いいや、もう。後を引かないように、十分もらっておくか。

 満足した顔のサブリナと共に坂を下り、海に入る。小型タンクを咥え、目をつぶり、手を引いてもらって、海底洞窟の外へ出た。波は洞窟をほぼ全部隠してしまい、陽は西にだいぶ傾いていた。もう6時前じゃないか。早く行かないと、山の中が暗くなるぞ。

 崖に這い上がり、足元を滑らせながら隠れた道を伝って、頂上まで登る。浜へ降りるより、こちらの方が早いだろうという判断だ。頂上から振り返って船を見たが、乗っ取られた様子はなかった。

 山を下りて、縦の洞窟へ。大きめの樹木が生い茂っているので、既に薄暗くなっている。裸足なので、足が結構痛い。段差を飛び降りてたどり着くと、シェーラが所在なげに座り込んでいる。でも、さっきはダーニャのためによくやったよ。そしてイライザはというと、ライトを点けて、本を読んでいた。そんなのを持って来ていたのか。俺が来たのに気付くと、顔を上げて優雅に微笑み、本を閉じた。

「まだ下は撤収中ですわ。でも、私たちは先に船へ戻った方がよさそうですね」

「船を誰かに乗っ取られるかもしれないからな。まあ、これはサブリナにも言ったジョークだけど」

「私もそれを心配したので、さっきミス・シェーラに頼んで、山の上から見てきてもらいました」

 そうなのか。いや、ここから山の上へ出る道が判ってるのなら、二人で東の浜へでも降りればよかったのに。どうせ荷物は俺が回収するからさ。

 とにかく、撤収。器材を持ち、段差のところでは二人に梯子を昇らせ、その梯子も回収して、山を下りた。恐らくこの後、ナッソーへ行くことになるだろうから、根城の洞窟の荷物も船へ運び入れておいた方がいいな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る