#9:第5日 (9) 大勝ちの基準

 3時になってから、カティーのルーレット・テーブルへ行く。一度は来てくれと言われたので、見ているだけではなくて、プレイした方がいいだろう。例によって$100チップを$5チップに替えてもらい、赤黒でランダムに賭ける。あまり当たらない。カティーとは相性が悪いのかもしれない。

 しかし、30分ほどしてから精算すると、5ドルだけ勝っていた。どうやら勝率5割程度だと負けているように感じてしまうらしい。感覚が麻痺したかな。勝ち越しの5ドルはカティーにチップとしてあげてしまい、警備詰所へ戻る。論文をコピーしようとしたのだが、コピー機はないと言われてしまった。セキュリティーの関係らしい。

「事業部のオフィスならあるのでは……」

 と警備員の一人に言われたのだが、あいにく事業部にはコレットしか知り合いがいないし、オフィスがどこにあるかも判らない。とりあえず、彼女にメッセージを入れる。「興味があるので、私にも1部頂けるのなら」という条件付きでコピーしてもらえることになった。

 秘書に来てもらって論文を手渡し、3部コピーしてもらって、2部だけ受け取る。事業部のオフィスはどこか判らないままだ。どこでも行ける、と言われていながら、賭場と警備部とレストランとキャバレーしか行っていないように思う。

 賭場へ行ってマーゴに論文を渡そうとしたが、ちょうど詰所に戻ってきたブロンダン主任に呼び止められた。カウンティング・チームのことを調べたので、聞いて欲しいことがあると言う。15分ほどということだったが、念のためマーゴに、帰り際に論文を渡すから待っていて欲しいとメッセージを入れる。すぐに返事が来たかと思ったら、カティーからだった。

「今日も一緒に夕食をどう?」

 さて、どうするかな。この誘いは、二人きりなのか、それともまた他のディーラーたちと一緒に行くのか。しかしこの後、5時頃にはジャンヌが来ることになっている。きっと彼女からも食事に誘われたりするだろう。

 どちらを選ぶかだが、カティーも他のディーラーたちも――マーゴも含めてだが――俺のことに興味を持ち過ぎているのが困る。俺が彼女たちからターゲットに関するヒントを聞き出さないといけないのに、逆に彼女たちから訊かれるばっかりで、やりにくくて仕方ない。

 その点、ジャンヌの方がまだやりやすい。彼女は、自分の話を聞いて欲しがっているからな。ブロンダン主任に待ってもらって、カティーにメッセージを返す。

「今日は警備部と一緒にカウンティング・チームの調査をやる。残念ながら食事に行けない」

 一応、嘘ではない。前段と後段の間に「その後、別の約束があって」という一言が省略されているだけだ。

 詰所の椅子に座り、ブロンダン主任が「昨日のカウンティング・チームの映像を改めて確認したのですが」と話し始める。

「やはりカメラを持ち込んでいるのではないかと思われる例を、いくつか発見しました。胸ポケットに挿したペンを何度か触っている、テーブルに飲み物の缶や水筒を持ち込んでいる、テーブルに菓子か何かの箱を置いているなどです。これらが全てカメラとは限りませんが、可能性はあるでしょう」

「そうすると、その映像を誰がどこで見ているのかというのも、考えないといけないな」

「しかし、無線ネットワークでつながっているとなると、カジノの外にいるのかもしれない。そうなると探しようがありません。あなたのお考えは?」

「どうしてそんなに判りやすく手の内をさらしたのか、ということかなあ。わざわざ、カウンティングをしているのを気付かせて、しかもカメラを持ち込んでいることまで気付かせるようにするなんて、おかしいよ」

「ふむ、確かにそうだ。カメラのテストなら、カウンティングをするメンバーと別でやれば我々に気付かれなかったはずなのに、ということですな?」

 ブロンダン主任に頷いて見せる。彼は一応俺のことを信用し始めたらしい。どの程度かは知らない。

「そうなると彼らはやはり囮ですか。そうか、新しいタイプのゴリラかもしれませんな。カウンティングをしていると見せかけてディーラーや我々の注意を惹き、その間に別のメンバーが偶然を装って儲ける。カメラも単なる見せかけかもしれない。どうです、この手は?」

「カメラは本物であってもいいはずだ。カメラを通してカウンティングしている奴が、別のメンバーにヒットかスタンドを伝えて儲けさせるということも考えられる」

「なるほど、儲けるメンバーはカウンティングができなくてもいいから、MITやCALTECHカルテックの卒業生でなくったっていい。極端なことを言えば、カジノへ遊びに来た無関係な客を雇ってもいいわけだ! 学生名簿すら役に立たない。どうやって見張るんです?」

 ブロンダン主任が呆れたように言う。もちろん、俺への質問というわけではないだろう。もし彼の考えが当たっていれば、本当に見張りようがないからな。

「儲けた時点で注意するしかないな」

「しかし、儲けているからといって、片っ端から注意するわけにもいきませんよ」

「いくら儲けたら注意するとかいう基準でもあるのかね」

「あります。テーブル・リミットによっても違いますが。ただし、注意するのはカウンティングをしていると確認できた場合だけです。偶然で大勝ちする例は、年に何度かありますからな。スロット・マシンのジャックポットと同じです」

 大勝ちの金額の基準がよく判らないが、俺の場合を話してみる。するとブロンダン主任は、百数十ドル勝った程度で注意するなんてあり得ないと言う。

「もちろん、あなたが間違いで注意されたというのは聞いていました。しかし、まさかその程度で……そうかと思うと、カウンティングをしていた連中には、誰一人として注意していない。ローランのやっていることは全く解らん」

 ブロンダン主任は苦い表情をしながら、大きなため息を吐いた。確かに、ローラン主任のやっていることは筋が通らない。彼女は実はカウンティング・チームの協力者なのか、それとも誰かに騙されているのか。

「ところで、今日はカウンティング・チームは?」

「来ていないようです。勝っているお客様のうち、いくつかを映像でチェックさせましたが、カウンティングのパターンは当てはまりませんでした」

 やはり今日は来ていないのか。しかし、カウボーイ・ハットとの関係をここで言うべきかな。言ったとしても、またサーヴェイランス・チームが協力的でなかったら確認できないだろうし、夜のディーラーたちに俺が直接確認してからにするか。

「今日は何か別のことをやってるのかも」

「そうかもしれませんが、テーブルで何かしてくれなければ、我々にはどうしようもない。特定の人物なら、テーブル外での行動を見張ることもできますがね」

 まあ、そうだろうな。それをカヴァーするために俺が雇われたんだろうし。彼らと違う立場で見張りをして、何かのヒントを掴むしかないか。しかし、こんなことばかりやってたら、ターゲットの方の調査はどうすればいいのかねえ。

「もう少し観察してみよう。ディーラーたちにも話を聞いてみる」

「ディーラーには警備部からも聞いているんですが、何か新しいことがありますか」

「話の中から、つながりそうにないことを無理矢理つなげてみるだけさ。それに、あまり言いたくないが……」

「何です?」

 本当に、言いたくないんだけど。

「ローラン主任が握りつぶしてる情報があるんじゃない?」

 ブロンダン主任は何も答えず、渋い顔をするだけだった。彼も同じようなことを考えていたようだ。

 4時を少し回ってから別館の4階へ行く。賭場から戻ってきた何人かのディーラーに会い、久々に彼女たちとベクをするが、マーゴはいなかった。しばらく待っていると、更衣室からディーラーたちが次々に出てきて帰っていく。もちろん、ベクをしてさよならの挨拶をする。カティーが声をかけてきた。

「アーティー、私のテーブルに遊びに来て下さってありがとう。でも、あまり勝てなかったようですね。残念ですわ」

「いつも勝てるわけじゃないさ。それに、負けなかったよ。ところで、カウンティング・チームは今日は本当に来てなかった?」

「ええ、普段よりも注意していましたけれど、そういうお客様は全然。色目を使ってくる男のお客様もおられませんでしたし。あら、そういえば、今日は全体的に女性のお客様が多かったような気がしますわ」

 俺が賭場を回っている時には気付かなかったが、彼女のテーブルにだけ女が偏ることはないだろうから、きっと彼女の観察が正しいのだろう。それから彼女はもう一度食事に誘ってきたが、丁寧に断ると、「明日は必ず!」と言って帰って行った。昨日までの隠れ痴女ぶりが嘘のような淡泊さだ。時間によって変わるのかもしれない。

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