#9:第5日 (2) 2度目の警告

 ランスタンに入り、昨日妙な警告を受け取ったので、人目に付きにくい奥の席を取る。そして昨日と同じメニューを注文する。考えている時間が惜しい。マーゴも同じだったようだ。ウェイトレスが行ってしまうと、さっそく話し始める。

「今日は俺の論文のことを説明するはずだったが、その前に、昨日の君の仕事について訊いてもいいか? カジノにとってとても重要なことなんだ」

「ええ、もちろん! 何でもお尋ね下さい」

 昨日のカウンティング・チームのことを訊く。マーゴの顔と服装を見て浮かれているはずなのに、よく思い出せたものだ。マーゴはいつになく真剣な顔つきで聞いているが、その表情すら美しい。表情だけでなく、両手を膝の上に揃えている様から、その時の腕の角度、そして首の微妙な傾げ方まで、全てが美しい。美の集合体という気がする。

 マーゴは初老の男と若い男のことは憶えていたが、彼らがカウンティングをしているのは気付かなかったと言う。コンピューターでの計算上、最初はカウンティングをしていたはずだが、途中でやめたように見える、と伝えると、大きな目をさらに大きくして驚いている。その驚いた顔ももちろん美しい。

「まあ、そんなことがあったなんて! ええ、もちろん、カウンティング・チームが来ていたというのは、後で伺いました。でも、私のテーブルにいらしていた、あのお二人が……」

「その二人の行動や癖について、何か憶えていることはないか? ああ、容姿については思い出す必要はないよ」

「はい、できる限り思い出してみます。まず、初老の男性ですが、お座りになった時に、私を見て、少し不機嫌な顔をされました。男性の年代によっては、若い女性のディーラーを好まない方がいらっしゃることを存じておりますので、その方もそのようなタイプではないか、というくらいにしか思いませんでした」

 彼女を見て不機嫌な顔をするとは、なんと失礼な奴。しかし、憤慨している場合ではない。

「プレイ中は一言もおしゃべりされませんでしたが、ヒット・オア・スタンドのジェスチャーが時々遅れることがありました。ですので、初心の方ではないかとも思ったのですが、そうすると女性のディーラーを好まないという印象と食い違うので、少し戸惑いました。ディーラーに対する好悪があるのは、カジノに慣れてらっしゃる方が多いので……」

「君のことはどれくらい見ていた?」

「ほとんど目を合わせませんでした。もちろん、私が他のお客様の方を見ていた時に見られていても、気付きませんが……」

「勝った時や負けた時の挙動は?」

「勝った時にはため息を吐いて、負けた時には表情が厳しくなってらしたように思います」

 おかしい、カティーの観察と少し違っている。カティーは、彼は勝った時には満足そうにしていたと言っていた。それがマーゴの時にはため息を吐いていたということは、予想どおりの勝ちではなかったということか。まさか、安心のため息ではあるまい。

「戦略を間違えたことは?」

「何度もあります。カウンティングをしていたら、ここではヒットするはずなのに、あるいはスタンドするはずなのに、と考えながらディールしていましたもの。だから、カウンティングをしてらっしゃらないと思ったんです」

「彼の眼鏡について何か気付いたことは?」

「さあ、特に……そういえば、何度か眼鏡を拭いてらっしゃったかもしれません」

「じゃあ、若い男の方は?」

「とてもハンサムな方でした。お座りになる前から、私に気さくに声をかけて下さいました。名前を訊かれて、勝ったら食事に誘っていいかとおっしゃってました。ああ、いいえ、もちろん、丁寧にお断りしましたが……」

 マーゴは最後の方を、慌てたような表情になって付け加えた。どうしたんだろう、俺がむっとしたような表情でもしたのだろうか。

「私や、彼の後ろに立ってらしたご友人や、隣のお客様に盛んに話しかけておられました。カードのことはほとんど気にしていないかのようで、15以下ならたいていの場合ヒットしてらっしゃったと思います」

 うん、こっちはカティーの観察とだいたい一致してるか。しかし、カティーの観察が少なかったから、もうちょっと訊いておいた方がいいな。

「他に何か、癖のような仕草は?」

「他に? さあ、特には……何度か、喉が渇いたとおっしゃってましたが、よくおしゃべりされてましたから、当然かしらと思ったくらいで……」

 その程度か。君に必要以上に色目を使ってなかったかとか、そういうことも訊きたいのだが、やめておくことにする。

「ところで、F1ドライヴァーも君のテーブルにいたと思うが」

「ええ、いらっしゃいました。彼からも、食事に誘われました。それから、チケットを用意してあげるからレースを見に来ないかとも言われました。もちろん、丁寧にお断りしました」

 彼女はこのカジノだけで今日までに何人の男から食事に誘われたのだろう。もちろん、その中に俺自身が入ってしまっているので、他の男のことは責められない。

「それ以外に、彼について何か気になることは?」

「さあ、カウンティングはしてらっしゃいませんでしたし、ヒット・オア・スタンドも、全て勘に頼ってらっしゃったようで……チップの額が他のお客様よりも大きかったくらいでしょうか。時々、テーブル・リミットを超える額を賭けようとされたので、注意しました」

「カウンティング・チームの二人と連携していた様子は?」

「若い男性は何度も話しかけてらっしゃいましたから、もしかしたらその中に何らかの符丁ジャーゴンが含まれていたのかもしれませんが、そこまでは私には……」

 まあ、そうだろうな。この場はこんなところか。

「解った。色々思い出してくれてありがとう。今日もカウンティング・チームが来るかもしれないが、メンバーが替わっているかもしれないし、とにかく気を付けてみてくれ」

「心得ました。何か発見したら、必ずあなたに連絡します」

 そう言ってマーゴがにっこりと微笑む。彼女を食事に誘った幾多の男でも見せてもらえなかったであろう、心からの笑顔をもらって、とても気分がいい。いや、そんなことで浮かれている場合ではない。

 次は俺の論文の説明だ。論文を入手したので持って来た、と言うと彼女も嬉しがっている。そしてその論文を見せながら説明を始めたのだが。

「あの……私の方に論文を向けていただけるのはありがたいのですが、あなたは逆さまで見づらいでしょうから、私がそちらに……あなたの横に座りたいのですが、構いませんか?」

 逆さまでも文字が読めるのは俺の特技の一つなのだが、彼女の方から隣に座りたいと言うのなら、断る理由がない。むしろ大歓迎なのだが……え、いや、そんなに近くに座るのか? カティーよりも近いじゃないか。腕とか膝とか触れ合ってるし、美しい顔も深い胸の谷間もすぐ横に見えてるし。

「それで、この残り時間の仮想化についてなんだが……」

 俺の説明に耳を傾ける真剣な表情に加えて、時折見せる賞賛の笑み。おまけに、彼女の身体から立ち上る、何とも言えない魅惑的な香り。これは朝からちょっと刺激がきつすぎる。

「……という仮定に基づいて式を構成してるんだが、もうこんな時間か。続きは明日にしよう」

「ありがとうございます! 思っていたとおり、とても興味深い内容です。できることなら、今日は仕事を休んで、あなたのご説明をずっと伺っていたいくらいです」

「俺も君にずっと聞いていて欲しいくらいだが、仕事は仕事だからね」

「残念です。あの、わがままを申しますが、その論文をコピーしていただけませんか? 空き時間に、少しでも読みたいと思って」

「判った。警備詰所にコピー機くらいあるだろうから、訊いてみるよ」

 これは教授のものなので、彼女の分と、俺自身の分をコピーした方が良さそうだ。そして彼女は今日もサンドウィッチに手を付けなかった。昨日と同じように、ドギー・バッグにしてもらう。バッグを持って来たウェイトレスに注意したが、怪しい動きはない。それなのに、今日もメッセージの書かれた紙が出てきた。


  "Second warning to Knight! Stay away from her!"

  (ナイトへ2度目の警告! 彼女から離れろ!)


「心配するな。君には危害が及ばないように注意するよ」

「でも、あなたの方が心配ですわ。もしものことがあったら……」

 彼女をこんなに心配させる悪い奴を、どうにかして探し出したいのだが、朝食後のこの時しか警告してこないのはなぜだろう。

「昨日は賭場で君の周りに怪しい奴はいなかったように思うんだが、君はどう感じた?」

「お昼過ぎにあなたがいらっしゃった時までは、特に変なことはありませんでした。でも、その後で時々視線を感じることが……1時に休憩に入るまでです。でも、戻ってからは何も」

「カウンティング・チームが君のことを調べてるんだろうか?」

「そうかもしれません。私がくみしやすいと思われているのかも……」

 それはあるかしれない。彼女のことをエクスパートと気付かず、新人と勘違いしているとか、あるいは誘惑に弱いかどうかを調べているとか。もしそういうことなら、危害が及ぶことはないから、と彼女を宥めながら、更衣室の前まで送る。

「おはよう、アーティー。昨夜の食事会はとても楽しかったわね。今夜もいかが?」

 カティーが出勤してきた。袖なしスリーヴレスで胸元の大きく開いた黒いニット・シャツに、ベージュのフレア・スカートだ。夕食に行くためのデート用の服を着てきた、という感じだな。気のせいかもしれないが、今日はカジュアルではなくインフォーマル系の服を着てきたディーラーが多い気がする。君ら、何を期待してるんだ。ベクの嵐になる前に、フロアを出た。

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