#9:第4日 (10) オペラ・ショー・タイム

 7時頃に食事と論文解説を切り上げ、レストラン近くの観光情報センターからカジノへ行くシャトル・バスに乗った。カティーが素直に俺を解放してくれて本当に良かった。ディーラーたちとの別れ際にはやはりベクをしたが、ロキサーヌがいつもより積極的に抱きついてきたのが印象に残った。

 それはそれとして、このままカジノへ戻らずに、モントリオールの街中の可動範囲を調べるという選択肢もあった。しかし、カウンティング・チームの同行も気になるため、やはり戻ることにする。この調査を疎かにしたら、ターゲットに関する情報が手に入らない気がするからな。バスはもう1ヶ所の乗り場に寄り道して、25分くらいでカジノに着いた。

 携帯端末ガジェットのメッセージを確認したが、特になし。やはり警備部門は俺に情報を流してくれないようだ。詰所へ行くと、既にミレーヌが来ていて、俺の姿を見るとすっ飛んできた。

こんばんはボン・ソワール、アーティー! どちらかへお出掛けでしたか?」

「ああ、昼間にカウンティング・チームが来たらしくて、ディーラーからその情報をもらうついでに、食事へね。俺のことを探してたのか?」

「はい、主任に頼まれて。今夜から夜勤の主任が替わりますので、昼勤との引き継ぎの前に挨拶がしたいと。すぐに呼びます」

 そう言ってミレーヌが携帯端末ガジェットでメッセージを送信する。既に出勤しているのなら詰所にいればいいものを、どこへ行ったのやら。しかし待つほどもなく、濃い金髪をオールバックにした、見かけのかなり若いハンサムな男が詰所に入ってきた。そして俺のことを値踏みするような目で見た後で、ゆっくりと近付いてきて、「ドクター・アーティー・ナイト?」と訊いてきた。

「そうだ。ただし、呼ぶときはドクターは使わないでもらいたい」

「はっはあ、了解です。自己紹介いたします。主任のダミアン・マレーです。どうぞよろしく」

 言いながら右手を差し出す。不思議な感じの男で、態度やしゃべり方はかなり軽薄に感じるものの、手の握り方はしっかりしている。

「財団の研究者だそうで」

「そうだ」

「ミレーヌ・リードがあなたから特別講義を受けたと伺いました」

「そう、朝にね」

「タイトルは僕も非常に興味がありましたので、時間さえ合えば一度お話を伺えればと思います」

「ああ、時間があればね」

「昼間にカウンティングをしているお客様が何人かおられたとのことですが、報告を受けてますか?」

「うん、ディーラーたちから詳しい話も聞いたよ」

「結構です。ああ、失礼」

 ローラン主任が詰所に入ってきたのを見て、マレー主任が話を打ち切った。彼はローラン主任に軽く敬礼すると、俺の方に向き直り、「では、これでジュ・ヴ・ラッセ」と言いながら敬礼した。そしてローラン主任の方へ行きかけたが、思い直したように戻って来て、小声で言った。

「これから引き継ぎなんですが、外へ出ていただいた方がいいかと思いますよ。長引きそうなんでね」

 そして気障っぽい笑みを浮かべる。この表情はどうも好きになれないが、気分を害するほどではない。たぶん、ローラン主任の無愛想の方がもっと気に入らないからだろう。「では、副主任スー・シェフ、こちらへ」とミレーヌが俺を控え室から出るよう促す。さっきはアーティーと呼んでいたはずだが、副主任スー・シェフに変わった。今から仕事モードということだろうか。部屋を出ると、ミレーヌも一緒に出てきた。

「始業前の打ち合わせはしないのか?」

「今日はありません。事前に連絡が来ていましたので。あの、副主任スー・シェフ

 ミレーヌがいつになく小さい声を出す。雰囲気を感じ取って、少し屈んで彼女に耳を近付け、“内緒話”を聞く。

「カウンティング・チームが来たので、マレー主任はグルドン部長ディレクトールに呼ばれて、警備を厳しくするよう、きつく言われたそうです。彼はああ見えても非常に真面目で、警備員たちからも信頼されているんですが、部長や他の主任たちからはなぜか見くびられることが多くて。だから、今日はとても神経質になっていると思うんです」

 なるほど。見くびられる理由は彼の頼りなさげな優男ぶりにあると思うけど、君も「ああ見えても」ってのは言い過ぎだろうよ。しかしまあ、彼の言葉遣いやら何やらが、俺の気に障らなかった理由が解った。同類なのを感じ取ったんだな、容姿は別として。

「そう思うなら、君も彼のために頑張って仕事してくれ」

「はい、それはもちろん。ですが、私はマレー主任よりもアーティー副主任スー・シェフのような男性が好みです!」

 そんなの、元気な声で言うことか。俺を見る目が妖しく輝いてるし、彼女ももしかしたら痴女なんじゃないだろうか。

「ところで、これからどうされますか? 賭場の見回りなら、私も一緒に参りますが」

「それも大事なんだが、実はフェイトン教授と約束があってね。オペラ・ショーを少しだけ見ることにしている。それほど興味もないんで、最初の30分くらいにして、その後、賭場へ行くよ」

「オペラ・ショーですか。今日から3日間開催されるステージですね」

「君、そういうことも知ってるのか」

「はい、キャバレーの演目や時間をお客様に訊かれることもありますので。ウクライナの歌姫、マルーシャのショーです。今週、急に決まったらしくて、一昨日辺りからバンケット部門に問い合わせが殺到しているそうです」

 待て待て待て、マルーシャだと! 慌ててキャバレーへすっ飛んで行く。が、まだ開場前だった。狭いエレヴェーター・ホールが、客でごった返している。うろうろしていたら、不意に声をかけられた。口髭を生やした痩せぎすの、知らない男だが、フロア・マネージャーと名乗った。ディーラーや警備員でなくても、カジノのスタッフは俺の顔を知っているらしい。フェイトン教授と彼の友人と共に、俺の席を用意していると言う。

「それより、マルーシャは俺の友人なんだが、楽屋に入れるか訊いてきてくれないか?」

「開演前は誰も入れてはならぬと彼女から言いつかっております。終演後でしたら可能かと存じますので、後でご都合を伺ってきましょう」

 まあ、それはそうか。フットボールでも、ゲーム前は集中力を高めるために、チーム関係者以外はロッカー・ルームに入れない場合がほとんどだもんな。昨日のミス・グッドバンズはそうじゃなかったけれども。

 しかし、マルーシャはどうして今頃になって姿を現したんだ? 今まで、どこで何をしていたんだ? 今回は彼女に近付いても大丈夫なのか? 解らないことだらけだが、とにかく彼女の存在を一目だけでも確認しないと気が済まない。

 混雑が激しくなってきて、早めに開場された。さすがにこういうところに来る客は我先にと中へ押し入ることもなく、おや、いつの間にやら開いているぞ、という感じで悠揚としている。どうせ指定席だからな。

 穏やかに客の波が捌けていって、しばらく経った頃に教授がやって来た。美人を一人伴っている。教授の服装はいつもながらドレス・コードぎりぎりのカジュアルぶりだが、美人はローブ・デコルテ風のワイン・レッドのロング・ドレスで着飾っていた。

 ただし、普段こういうのを着慣れていないというのがありありと判る着こなし方だ。ハイヒールの足下もぎこちない。ついでに笑顔までぎこちない。

「やあ、アーティー、もう来てたのかい。パートナーはいないのか?」

「こんばんは、ディック。パートナーは探すのが間に合わなかった。それに、別用があって、途中で抜けなきゃならないんでね」

「そうか、それは残念だ。こちらの淑女を紹介するよ。ミス・ジョアナ・モンセルフ。写真家で、北極探検家だ。ケベック・シティーを観光していたときに知り合ったんだが、偶然昨日から彼女がモントリオールに来ていてね。それで誘ったんだ」

 それからジョアナと挨拶を交わす。もちろん、ベク。しかし、北極探検家とはすごい職業が出てきたものだ。さすが仮想世界。

「大聖堂の近くを歩いていたら、教授……ディックをお見かけして、ご挨拶しただけなんです。モントリオールへは本の出版の打ち合わせでたまたま来ていたのに、ショーへ誘っていただいて……急なことだったので、このドレスもモントリオールに住んでいる友人から借りたものなんです」

 なるほど、もしディックがヴァケイション中の競争者コンテスタントなら、彼女はちょうどオーストラリアの時の、あの未亡人のような役割なんだろうな。恐らくこの後、彼女の周りで何か事件が発生して、それがターゲットにつながってきたりするのだろう。そうすると、俺は彼女のことも調査する方がいいのだが、他にもたくさんキー・パーソンがいるようだし、どうするかな。

 北極探検のことなどを訊いているうちに、フロア・マネージャーがやって来て、席に案内すると言う。舞台に向かって左側の、2階のボックス席ロジェだった。飲み物を頼み、雑談をしながら開演を待つ。こういう時でも教授はコーク、俺はオレンジ・ジュースなので、ジョアナから自分も清涼飲料ビヴァレッジにした方がいいのかと訊かれてしまった。

「私、風景写真ばかり撮っていますから、建物は風景の一部として外から撮るだけなんです。このカジノはとても興味深い形をしているので存じていましたけど、中に入るのは初めてですし、もちろんオペラのコンサートを聴くのも初めてですわ」

 教授はバレエを見に行ったことはあるがオペラは初めてだと言う。俺はマルーシャが唄っているところを見たことがあるが、それは言わないでおく。しかもあれはポップス・コンサートだったもんな。

 だが、俺が気にしているのは、舞台ステージに現れるのが本当にあのマルーシャなのかということだ。彼女がオペラ歌手であることは疑いないが、この仮想世界ステージでは同名の別人が登場するということだって考えられる。“ウクライナの歌姫”の称号だって、マルーシャのためだけにあるわけじゃないだろう。

 しかし、本当に彼女だった場合、ターゲット探しを急がなければならないし、色んなことに警戒しなければならない。早く彼女かどうかを確かめたくて、そわそわしっぱなしなのだが、教授が雑談の名手だけに、二人に俺の焦燥を気付かれずに済んでいるのが幸いだ。

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