#9:第4日 (4) 次の質問は?

 2本目の論文の解説が終わったところで1時間ほど経ったので、休憩しようかと提案したが、二人とも「全然疲れてません! もっと聞きたいです!」と元気に騒ぐ。本当は俺の口が疲れてるんだよ。仕方がないので、バーに連絡して飲み物を持って来てもらうことにして、3本目に入る。『ゲーム進行の時間制約と最適戦略選択確率の変化について』で、マーゴにも聞かせたものだ。

 要旨アブストラクトを読むとマーゴに説明したとおりだったので安心した。飲み物はすぐに運ばれてきた。俺はオレンジ・ジュース、ミレーヌはソーダ・ポップ、カロリーヌはコーヒー。

 先ほどの二つの論文でのプレイヤーの行動傾向は、十分思慮が働く状態のものを想定しているが、この論文はいわゆる焦っているときの行動傾向を調べるもので、と前置きしてから解説を始める。マーゴにはこの論文はグラフが面白いと言っただけで終わったが、要旨アブストラクトに選択肢の収束という言葉があったので、それを頼りに説明を付け加える。

 つまり、何度もシミュレーションを繰り返すときに、前回の選択の成否を学習させてやると、無数にあるはずの選択肢がごく少数に収束していくのだが、それらは“成功率は高いが利得が小さい”グループと、“成功率は低いが利得が大きい”グループに完全に分かれてしまう。しかもその収束は、試行回数に比例した滑らかなものではなく、ある回数を重ねた時点で突然発生する。

 もちろん、1、2回の間に起こるのではなく数十回という単位の中で発生するのだが、グラフに描くと曲線がある時点で突然折れたかのように見えるのだ。つまり、これがマーゴに説明した“不連続”というわけだ。我ながら辻褄合わせがなかなかうまい。

「プレイヤーの性格を表すパラメーターが変わっても、選択肢の収束は必ず発生するんですか?」

 ミレーヌの質問。なぜか、彼女の方が先に質問する。

「そう、どんなに“破綻した”性格にしてやっても、必ず最初の選択肢の数の10分の1以下に収束する。極端なものになると、二者択一とか三者択一になる。偏執狂的プレイヤーだな」

「分岐のパターンというか、選択肢の収束する傾向が、数式で表せるんですか?」

 そしてこちらがカロリーヌの質問。

「もちろん、シミュレーションの中ではね。だが、それを実際の人間に当てはめられるかというと、難しいだろう。人間はそう何度も同じシテュエーションには巡り会わないからな。ただ、カジノでは参考になるかもしれない。何しろ、その数式の名前は“ギャンブラーズ・フォーメーション”だから」

 二人が楽しそうに笑う。マーゴもこんな風に笑わせたかった。だが、あの時は彼女が要旨アブストラクトを読んでいるのに俺が読んでいなくて、迂闊なことが言えない状況だったからな。彼女には明日もっと詳しく説明しなければならないが、それには論文を入手する必要がある。どうするかな。とりあえず、後で考えるか。

 質問が終わると11時になった。二人にとっては昼夜が逆転しているわけで、つまりそろそろ寝る時間なのだが、終わりにしようかと提案するとミレーヌが言う。

「心配ありません。私、家に帰らずに宿泊室で寝ますから! 12時から7時間、たっぷり寝るつもりです。あ、もしその間にあなたが宿泊室に用がある場合でも、遠慮なく入ってきて下さい。私、熟睡してると何があっても起きませんから!」

 余計なこと言うんじゃない。そしてカロリーヌ。

「私は明日から休みなので、副主スー・シェ、いえ、あなたのお時間が許す限り、何時まででも……家に帰っても軽く昼寝をしてすぐ起きて、昼勤用のリズムに戻すつもりなので、時間のことは気にしていただかなくて結構です」

「ああっ、ずるい! アーティーを独り占めする気? 二人でお話を聞くって約束したのに!」

「そういう意味じゃなくて、私も12時までお話を聞いても大丈夫って言うつもりで……」

「本当に? 私が寝た後で、二人でこっそり会ってたりしたら、許さないんだから!」

 待て待て待て、何か話がおかしいぞ。今日のこの講義の目的は何なんだ? デートの代わりか? それにしちゃあ、二人とも俺の話す内容を理解しているようだし、質問もたくさんするんで遊びで聞いてるんじゃないとは思うが。

「じゃあ、11時半までにするとして、あと1本にしよう。どれがいい?」

「はい、では、これをお願いします!」

 ミレーヌがリストの一番下の方を指し示す。『競合対象における男女比率に対するプレイヤーの虚勢ブラフ使用率の変化及びその成功率について』。何だ、こりゃあ。こんなもの研究対象にするかね。まあ、しかし、ある意味で確かにこれは心理学的研究だなあ。俺も詳しく読んでみたいよ。もっとも俺の場合、男女比ではなくて、相手が俺の好みの美人かどうかで虚勢ブラフ使用率が決まる気がするね。成功率はどうせ変わらないだろうけどさ。

「あー、これはモデルの説明が少し難しいんだが……」

 言いかけて、二人を見て、いささかたじろぐ。目が今までになく真剣だ。君ら、これを仕事以外のことに応用するつもりなんじゃ?

 説明の後、質問に次ぐ質問に答え続け、予定を20分以上オーヴァーして、12時直前にようやく“講義”が終わった。「明日も聞きたい」と二人は言っていたが、本来はこの時間帯は賭場の見回りをすることになっていて、今日だけは特別、ということで納得してもらった。

 しかし、カロリーヌは「明日、会いに来てもいいですか?」と言うし、ミレーヌは「二人きりで会うなんてずるい!」と言うので、8時半から30分だけ、今度は二人の仕事内容を話してもらう、ということにしておいた。この二人は俺をいったい何だと思っているのだろう。

 カロリーヌが帰るのを見送り、ミレーヌが宿泊室に行くのを見送り、その後で賭場を一回り。主にマーゴが誰かに監視されていないかを確認して――俺がじっくり監視してしまった気がするが――、1時過ぎに昼食へ。ランスタンに入り、窓際の席に座ってスパゲティ・ボロネーゼにマッシュルームとオニオン・スライスをトッピングしたものを頼む。

 ふと見ると、二つ向こうの席にフェイトン教授がいる。ハンバーガーを食べ、コークを飲みながら、何か読んでいるようだ。こっちに気付かないで欲しいな、と思っていたのだが、教授はひょいと顔を上げると俺に気付き、人なつこい笑顔を見せたかと思うと、ハンバーガーとコークのグラスを持って俺の席にやって来た。向こうから来たのでは逃げるわけにもいかない。

「ハイ、アーティー、見回りの仕事はどうだい?」

「やあ、ディック、まだ今日はほとんどしていないんだ。別の仕事……熱心な生徒たちに講義をしていたんでね」

「ほう、講義というと?」

 カロリーヌとミレーヌに論文の概略を説明していたことを話す。要旨アブストラクトしかなくて大変だったと言っておく。

「ははは、それならそこに僕も混ぜてもらえばよかったなあ。実は君の論文を入手したんで、二つ三つ訊きたいことがあってここへ来たんだがね」

 論文を入手する方法があるとは聞いていたが、まさか教授がそれを入手しようとするとはね。彼はいったい何者だろう。有名人だから競争者コンテスタンツの一人じゃないかと思ってはいるのだが、カジノにあまり関わろうとしていないからヴァケイション中かもしれないし、そういう競争者コンテスタントなら論文が入手できてもおかしくはない。彼自身ではなく、有能な“世話係”が入手すればいいからだ。

「そいつはご足労をかけて申し訳ない。朝から俺のことを探してらしたんで?」

「いや、ついさっき来たばかりだ。今朝はモン・ロワイヤル公園に行っててね。初日にも行ったんだが、あそこからの眺めは素晴らしいよ。今日は空気が澄んでいたので特に眺めがよかった。君はあの公園へ行ったことは?」

「ありませんな。俺はどうも、この島から出られないようでね」

 彼がもし競争者コンテスタントならこの一言で解るだろうし、そうでないなら何のことかと訊いてくるはずだ。

「この島から? ふうん!」

 教授は笑顔を絶やすことなく、楽しげにハミングして、指先で机を叩きながら言った。

「なるほど、君の場合はそういう状況に置かれているわけだ。しかし、彼女は……まあ、それは置いておこう。そうすると、君はどこに泊まっているんだい?」

「カジノの警備員用の宿泊室を借りて。あなたはどちらに?」

「リッツ・カールトン。高級ホテルは性に合わないんだが、今回ばかりは仕方なくね。ただ、便利なこともある」

「有能な世話係かコンシエルジュがいて、論文を入手してくれるとか?」

「まあ、そんなところだ。ところで」

 ようやくスパゲティが運ばれてきた。思っていたよりも量が多い。

「最初の話に戻るが、君の論文について質問があるんだが、食事が終わるまで待った方がいいかね?」

「待ってくれなくてもいいが、ソースが飛んで紙が汚れるかも」

「なに、汚れても中身は変わらんから問題ないさ。これだ。『ゲーム進行の時間制約と最適戦略選択確率の変化について』」

 どうしてみんなこの論文に興味を持つんだろう。まあ、タイトルからして俺も興味はあるのだが、他に良さそうな論文はないのかね?

「人気はあるが、論理展開が穴だらけのやつですな」

「ふうん、そうとも思わないけどね。ただ、モデル化のところでいくつか解らないところがある。まず、残り時間の仮想化についてだが」

「そいつを読ませてくれませんか。論理展開をほとんど忘れかけてまして」

「ああ、もちろん」

 そう言って教授は俺に論文を手渡した。薄いな。20ページくらいしかない。思っていたよりも図が少ないからか。

「5、6分かかりますよ」

「なあに、構わんさ」

 言ってから教授はウェイトレスを呼び、コークのお代わりを注文した。そしてハンバーガーの残りを猛然と食べ始める。俺の方はスパゲティをできる限り口の中に詰め、咀嚼している間に論文を読む。食べていると、なぜだか理解しやすい。

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