#9:第3日 (5) 正しい負け方

 レストランを出て、階段へ行く。5階と6階の間の踊り場だと誰も来ないので、ゆっくり話ができるだろう。改めて彼女から自己紹介があった。

 フル・ネームはベルト・ジャンヌ・リシュリュー。23歳、F1デビュー1年目。「ジャンヌと呼んでいいわ」といきなり馴れ馴れしくなった。

 開幕戦は何とか完走できたが、12位でポイントは獲れず。しかし、その次のレースから、不運なリタイアが4レース続いた。もう少しで完走、入賞という展開が多かったにもかかわらず、原因不明のエンジン・ブローとか、トランスミッションの不具合とかで、残念なレースばかりが続いたそうだ。

 彼女は階段に座り、俺は踊り場に立って壁にもたれながら聞く。愚痴から始まったのに、わりあい楽しそうな話しぶりだ。

「先々週はモナコでレースだったんだけど、チームの雰囲気があまり良くなくて。それで、チームのもう一人のドライヴァーが、気分を変えるためにって、みんなを誘って、カジノへ行ったの。ここで当たらない方が運が向いて来るよって言う人がいて、ルーレットでも当たらないところに賭けたり、カードでもわざと負けるようなことをして遊んだわ。もちろん、スロット・マシンも外ればかり。最低金額が2、3回当たったくらい? 全部で1000ユーロくらい使っちゃったかしら」

 ユーロという通貨のレートがわからないが、ドルと同じくらいだとしても豪気な散財だな。F1ドライヴァーは高給取りなんだろう。ジャンヌは楽しそうに続ける。

「それで気分は確かに変わったけど、予選の成績は後ろから3番目。やっぱりカジノでの運なんて関係ないわって思ってたの。なのに、日曜日の決勝レースで、運も味方して、10位に入ったの! 念願の1ポイントを獲ったのよ。もう一人も9位に入ったわ。9位-10位フィニッシュなんて、そんなに威張れた成績じゃないんだけど、チームは大いに盛り上がったの。それで、先週モントリオールに帰ってきてから、そういえばノートル・ダム島にもカジノがあるって思い出して。全く忘れてたのよ」

「チームの連中と一緒に来ても良かったが、君はここでは有名人だ。見つかったらきっと大騒ぎになる。だから独りでこっそり来てみた」

「そういうこと。でも、やっぱり人目を気にしながらだと少しずつしか賭けられないし、今回は当たったらどうしようなんていう気にもなるから、うまく行かないわね」

「それでも、今回も運を貯めることができたら、あるいは、と思ってる?」

 俺の問いかけに、ジャンヌはすぐには答えなかった。さっきから話をしているうちに、表情がころころ変わっている。最初は楽しそうにしていたが、途中で自嘲気味になったり、今は俺に対して挑戦的な目をしている。もっと当てずっぽうで当ててご覧なさい、という感じに見える。

「カジノでそんなにうまく負ける方法ってあるのかしら?」

「カジノは基本的に客が負けるようになってるんだぜ。何とかして勝つ方法を知りたがってる奴ばかりだ」

「それは確かにそうだけど」

「もしどうしても負けたいのなら、運が強い奴の逆に張る、という方法があるぞ」

「そんなに運が強い人がいたら紹介して欲しいわ」

「じゃあ、ちょっと行ってみるか」

「えっ!?」

「昨日から120ドルくらい勝ってるんだ。俺が賭ける方の逆に張ったら、負けられるかもしれない」

「あなたの?」

 驚くジャンヌを尻目に、階段を降りる。もちろん、彼女も後から付いてくる。

「でも、あなた、調査員なんでしょ」

「賭けてはいけないとは言われてないよ。賭けながら他の客の様子を見るのも調査のうちさ。それに、勝ちすぎたらチップを返せばいいだけのことだよ」

 そういうものなのかしら、と呟くジャンヌを引き連れて、別館へ行く。ルーレットのテーブルを見て回っていると、ちょうどマーゴが交代で入ってきたテーブルを見つけた。彼女に見られないように、ジャンヌと打ち合わせをする。

「これから赤黒ばかり賭けるが、君は俺の逆に賭けてくれ。俺のチップはたかだか$5だが、君はもっと高額でもいい。賭けるチップの数やタイミングは、適当に変えてくれ。時々、君の方が当たるかもしれないが、不自然でない程度にちゃんと喜んでくれ」

「解ったわ」

 もちろん、テーブルでも彼女とは離れて立つ。マーゴは俺に気付いてにっこりと微笑む。本当にいい笑顔だと思う。$100チップの両替を頼み、プレイス・ユア・ベットの合図で黒に$5を賭ける。マーゴが笑顔で回転盤ホイールを回し、ボールを投入する。胸が揺れる。

 ジャンヌはノー・モア・ベットの合図の直前に赤に賭けた。緑を2枚、$50。俺の10倍だ。ボールが回転盤ホイールに落ちて、黒の13で止まった。マーゴが黒の13にマーカーを置き、チップの配当と回収をする。俺のチップが1枚上積みされ、マーゴの胸が揺れ、ジャンヌのチップが回収された。

 配当と回収が終わるとマーゴがマークを外し、次のゲームが始まる。俺はチップをそのままにしておいた。マーゴがボールを投入してから、ジャンヌがチップを2枚、赤に置く。ノー・モア・ベットの後、ボールが落ちる。黒の24。俺のチップが増え、マーゴの胸が揺れ、ジャンヌのチップがなくなる。

 次のゲームも俺はチップをそのままにしておき、ジャンヌは赤に3枚賭けた。ボールが落ちたのは黒の10。俺のチップは8枚になった。マーゴが俺を見て嬉しそうにしている。うん、やっぱり俺と彼女の相性はぴったりだな。

 が、いったんここで手元にチップを戻し、次は赤に1枚だけ賭ける。ジャンヌはもちろん黒。が、ボールが落ちた先は00だった。これはディーラーの総取り。マーゴは申し訳なさそう。俺は引き続き赤に1枚賭け、ジャンヌは黒に2枚。今度は00の隣、赤の1にボールが落ちた。マーゴが笑顔に変わる。

 その後、20ゲーム以上やってみたが、俺が負けたのは5回に1回ほどで、結局200ドルくらい勝った。ジャンヌは4、5回は勝ったようだが、それは彼女も俺も1枚ずつしか賭けていないときだった!

 周りの客の中には俺がよく勝っていることに気付いて、俺と同じ賭け方をしている奴もいたが、そういう連中はなぜだか4、5回もすると俺の逆に賭けて負けたり、俺が1枚しか賭けていないときに大量に賭けて負けたりしていた。

 マーゴに50ドルのチップを渡し、「ありがとうございます!」の言葉ととびきりの笑顔をもらってからテーブルを離れた。ジャンヌはその後も2、3回賭けて――たぶん、カモフラージュのつもりだろうが――、しばらくしてから俺の所にやって来た。いささか興奮の面持ちだ。

「あなた、すごいわ! どうしたらあんなに勝てるのかしら?」

 小声だが、心底感心しているという感じだった。

「俺にも解らんね。何も考えずに賭けてるだけなのにさ」

「本当に?」

「本当だよ。ところで、君は思う存分負けられたかね」

「ええ、2000ドルくらいは」

「もっと負けさせてやりたいところだが、今日はこれ以上やると俺も負けそうな気がするから、やめておこうと思ってるんだけど、構わないか」

「え? ああ、ええ、もちろん……考えてみれば、誰かに頼って運を貯めようとするなんて、おかしな話よね。後は、自分で運を掴むように頑張ってみるわ。ありがとう」

「ところで、俺の方からも相談が一つあるんだが」

「何?」

「このカジノでは、勝ってもチップを現金に替えてくれないって、知ってるかね」

「えっ、そうなの? 知らなかったわ」

「そりゃそうか。勝ってないもんな」

 俺が言うとジャンヌは「ぶふっ!」と吹き出したが、慌てて口元を押さえている。どうも彼女はごくごく単純なジョークで笑う傾向があるな。

「それで相談なんだが、俺のカジノ・チップを買い取ってくれないか。勝つとディーラーに現金でチップをあげるんで、財布の中の現金が少なくなって困ってるんだ」

「ええ、いいわよ、もちろん」

 俺の手元には400ドル以上のカジノ・チップがあるが、そのうち300ドル分を買い取ってもらった。彼女は「ちょっと待ってて」と言い残してどこかへ行ってしまったが、30分も経たないうちに笑顔で戻って来た。

「さっきのチップ、バカラで使ってきたわ。まだ“負け運”が残ってたみたいで、あっという間になくなっちゃった」

「そうか。しかし、これ以上負けると、今度はその流れにはまるかもしれないから、そろそろやめておいた方がいいな」

「ええ、そうね。あなたの忠告って、とっても当たりそうな気がするから、従うことにするわ。それじゃ、私、そろそろ、ピットへ戻ることに……そうだわ、あなたもピットに来ない? 今日のお礼に、紅茶でもごちそうしてあげる」

「ピット? サーキットの?」

「ええ、そうよ。私、昨日からピットに泊まってるの。自分のキャンパーの中だけど」

 なるほど、昨日、あそこへ見に行ったときにキャンパーが1台やって来たが、あれがジャンヌだったのか。しかし、レーサーがレース・ウィーク中はサーキットに寝泊まりしてるとは知らなかったな。

「俺はサーキットに入っちゃダメなんじゃなかったっけ」

「ああ、私が付いてるから、大丈夫よ。今朝はあなたのこと、よく知らなかったから」

「今だってそれほど俺のこと知ってるわけじゃないと思うけど」

「そうね。だから、紅茶を飲みながらあなたのこと色々聞かせてくれると嬉しいわ。ね、いいでしょ?」

 こうやって、キー・パーソンというのはすぐに俺に好意を持ちたがるから困る。しかし、断る理由もないので彼女に付いて行くことにする。カジノの調査は、しばらくサボっても大丈夫だろう。

 建物を出たが、正面のエントランスの方へは行かず、東側にある芝生の中の、湾曲した小道を歩く。突き当たりにサーキットとの間を仕切る金網があるが、そこだけちょっとした隙間があって、コースに出ることができた。彼女がカジノに来たときも、ここを通ったのだろう。コースから入ってきた瞬間を誰かに見つかったら、レースの関係者であることがバレバレなのではないかと思うのだが、考慮してるのかな。

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