#9:第2日 (7) カウボーイ・ハットの男

「ところで、カウボーイ・ハットの男は有名なギャンブラーなんだって?」

「そうよ、でも、私、その男のことより、あなたの仕事のことを訊いてみたいんだけど」

 あれ、エヴィーが俺のことに興味を持ってくれているとは思わなかったぞ。これはやっぱり、彼女がキー・パーソンってことなんだろうな。

「俺も君のことをもっと知りたいよ。仕事も私生活も含めてね。カウボーイのことを知ってるだけ話してくれれば、すぐにそっちの話に移ろう」

「名前は、ハロルドだったと思うわ。ハロルド・ザ・何とかブラー・ブラーだったけど、忘れちゃった。有名なギャンブラーっていっても、数年前はよく聞いたけど、最近は聞かないわ」

「数年前というと、君がディーラーを始めた頃?」

「そうね。でも、名前を聞いたのは、もっと前よ。TV番組で紹介してたと思うわ」

 なるほど、そうすると彼女の年齢は25歳前後と。見た目どおりだな。

「プロのギャンブラー?」

「たぶんね。でも、ギャンブルで生活ができるほど勝てるとは思えないんだけど」

「それはディーラーとしての経験からかな」

「ええ、そうよ。それに、昔、父さんに聞いたことがあるわ。プロのギャンブラーっていっても、ほとんどは借金の天才のことだって。今に勝つ、大儲けするって言いながら、他人からお金を借り続ける才能があれば、“ギャンブルで暮らせる”ってことなのよ。詐欺師みたいなものね」

 前菜が運ばれてきた。シックが、どうせまだチップはくれないんでしょ、と“ふてくされたふり”をする。ロメーヌ・レタスの芯のグリル。

「君の父さんの教えは、君がこの仕事を選んだことと関係してる?」

「関係ないんじゃないかしら。私、子供の頃はマジシャンになりたかったのよ。特に、カード・マジックの、あの手さばきに憧れたわ。だから、カードを綺麗に開いたり、素早く配る練習ばかりしてたの。あなたはそんなことなかった?」

「手先は器用で、カードのシャッフルはうまかったと思うけど、配るディールのはどうだったかなあ」

「ちょっと手を見せて。あら、大きな手ね。指も長いし、これなら確かに器用で何でも上手そうだわ」

 言いながらエヴィーは俺の手を裏返したり指を開いたり閉じたりと、べたべた触りまくっている。その彼女の手は、女性としては大きめだと思うが、指が長くて細くて綺麗だ。もちろん、褒めておいた。

「手が大きくなったのは大学に入ってからだよ。それまでは指が長かったけど、全体的に細かった」

「判ったわ、これはスポーツをしてる人の手ね! 何の競技かしら、アメリカン・フットボール?」

「当たった。やっぱり君は観察力が鋭いな」

「あら、そうでもないわよ。合衆国で人気があるスポーツだから言ってみただけ。カナダにはカナディアン・フットボールがあるけど、知ってる?」

「もちろん。フィールドに出る人数とか、フィールドの大きさとか、少しだけ違ってるけど、ルールはおおむね似たようなものなんだろ」

「モントリオールにはアルエッツっていうプロ・チームがあるわよ」

「ああ、聞いたことがある」

「あなたはプロだったのかしら?」

「いいや、大学までだ。プロになれるものなら、なりたかったけどね」

 ステージ開始時にNFLプレイヤーの肩書きを選んでりゃあ、ここでプロだと言えたってことだ。もっともその場合、彼女とこうして話をするというシナリオがあったかどうかは判らないんだよな。

「今はどういう仕事をしてるの?」

 うむ、それを訊かれるのが一番困るな。どう答えたらいいか、ビッティーに訊いておいた方がいいかもしれない。

「簡単に言うと、人間の行動をモデル化して、数式化して、ある状態から先の行動を予測しようってところかな。個人じゃなくて、集団としての平均的な行動の予測くらいしかできないのが弱みだけどね」

「カード・カウンティング・チームの行動って、予測できるのかしら?」

「どうかな。そういう行動を見たことすらないんで、難しいと思うよ。正直、コレットの期待する成果は挙げられそうにないと思うけどね」

「あら、正直なのね。でも、コレットの依頼は私にはどうでもいいことだわ。もちろん、あなたへの協力は惜しまないけど」

 メイン・ディッシュが運ばれてきた。ツナのステーキ。こういうのはカロリーが低くて助かる。シックがしつこく目で訴えてくるので、1ドル硬貨をテーブルの端に置いてやった。彼女はそれを取っていったんポケットに入れたが、すぐに取り出してきて、テーブルの上に置き直した。これで賭けの代金を払ったつもりらしい。エヴィーがまた大笑いしている。

「今日のブラックジャックの賭け方は、数理心理学に基づくものなの?」

「いいや、ただの気まぐれさ。ギャンブルの心理は研究したこともないよ」

「そもそも、ここへは何をしに来たの?」

 これも訊かれると困る質問の一つだな。

休暇ヴァケイション

「それなのに、ホテルは予約して来なかったの?」

「いつも行き当たりばったりハップハザードで行動してるんだよ」

「それでも研究者なのかしら」

「自分の行動は研究したくないんだ。予想するとすぐに外れるからね」

 エヴィーがやけに受けている。こういうつまらないジョークが好きらしい。

「君はブラックジャックの他に、何のゲームのテーブルを担当するんだ?」

「バカラとポーカーとルーレット。1時間ごとに、色々なテーブルを回ることになってるわ」

「明日も君のいるテーブルに遊びに行くことにしたいな」

「嬉しいわ。ぜひ、来てね。でも、明後日はいないの、休みだから」

「恋人とデート?」

「残念ながら、別れたばっかりなの。この仕事、3交代で、3日働いて2日休みっていうのが基本パターンなのよ。それで、ちゅうきんの次は明勤あけきん、その次は夜勤でしょ。普通に働いてる人と、休みの日が全然合わないのよね。私自身も、曜日の感覚がもう変になっちゃってるし」

「そうか、大変なんだな」

「ううん、でも、この仕事って、楽しいことが意外にたくさんあるのよ。一番楽しいのは、そうね、あなたみたいな特殊な職業の人に会えることかしら。有名人もたくさん来るし。プロ・スポーツ・プレイヤーとか。カナダや合衆国だけじゃなくて、世界中から来るわ。そうそう、今週末はF1カナダ・グランプリがあるから、そのドライヴァーたちや関係者も来ると思うわ。スポーツだけじゃなくて、映画俳優とか、ファッション・モデルとかの超有名人が来ることもあるの。そういう人たちが勝って大はしゃぎしたり、負けてシュンとなったりするのを見るのは楽しいし、運が良ければチップをもらったり食事に誘ってもらって話を聞けたりするって、他の職業ではできないと思うのよ」

 ずいぶんと前向きな考え方だな。それもこういう健全なカジノだからできることだろう。

「俺をそんな有名人たちの末席に加えてもらって光栄だよ。ところで、明後日とその翌日を休んだら、次は明勤になるのか? 時間は真夜中から朝の8時まで?」

「ええ、そう。一番大変なシフトなのよ。忙しいのは3時頃までなんだけど、その後は、前の日に十分寝ていても眠くなっちゃうし、それでディールを間違えると怒られちゃうし。だからって、眠気覚ましにコーヒーを飲むこともできないし」

「なるほど。他に大変なことは?」

「他には、そうね、お客様の方も眠くて気が立ってくるらしくて、喧嘩が起こることがあるわ。そういう時は警備員を呼べばたいてい何とかなるんだけど、その後のテーブルの雰囲気が悪くなっちゃうから、また盛り上げるのが大変で」

 ああ、深夜マーケットの状況とよく似てるんで、俺にも解るよ。本当は研究者なんかじゃなくて、そういうところでパート・タイマーとして働いてるってのは、言うに言えないけどね。

「休みの日は何をしてる?」

「平日に休みのことが多いから、買い物くらいかしら。夕方から友人と食事に行くこともあるわ。1日目は出歩くことも多いけど、2日目は次の日のシフトに備えて体調を整えるために、家でじっとしてることがほとんどね。特に、明勤に入るときだと、夕方に寝なきゃいけないし」

「なるほど、それは休みをあまり有効に使えないな」

「でしょう? 前の恋人は、そういうことも理解してくれなくって」

 解決するには、休みがいつでも取れる自由業の男と付き合うしかないんじゃないのかね。何となく、俺に期待してるように見えるのは気のせいだと思うけど。デザートが来た。フルーツ・パヴロヴァ。あれ、オーストラリアで食べたような気がするけど、どこの国のデザートなんだ?

「この後、時間があれば、カジノの中を案内して欲しいんだが」

「いいわよ、まだ6時だし。賭場だけじゃなくて、ディーラーの控え室なんかも案内してあげる。ただし、更衣室は案内できないけど」

「そういう所を案内して欲しいって、顔に出てた?」

「あら、ただのジョークのつもりだったのに。でも、控え室も、入る前に声をかけて、片付けておいてもらわないといけないかも。知ってるかもしれないけど、女子寮みたいに、すっごく取っ散らかってるのよ。そのままじゃ、きっと見せられないわ」

 いや、そういう所に無理して案内してもらう必要はないんだけどね。デザートを食べ終えて、支払いをしようとしたら、シックが“カジノ内での食事代を全てタダにするように言われた”と言う。事業部長の指示らしい。エヴィーの食事代は別かと思ったら、それも込みとのこと。まあ、チップは別に払わないといけないと思うので、シックに20ドル渡しておいた。次の出勤日はいつかと訊いたら、金曜日だと言う。つまり、週末には会えるわけで、もう1回くらいは夕食に来た方がいいだろうな。

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