#9:第2日 (4) カード・カウンティング

 カード・カウンティング? ああ、場に出現したカードの数字と枚数を憶えておいて、自分が有利になる確率を計算するテクニックのことだな。それで勝つ確率が上がるってのは理解するし、やってみたくもあるけど、どのカードを持っている時にどういう戦略を採るかの“テーブル”を頭に入れておかなきゃいけないはずなんで、面倒なんだよ。どうしても憶えろと言われれば憶えるかもしれないけど、ギャンブルで稼ぐ気なんてないんで、やる気が起こらんね。

 ん? ということは、俺が気まぐれにやってた賭け方が、たまたまカード・カウンティングの賭け方に一致していたということか? そんなわけあるか、確率が低すぎる。

「間違いというのは?」

「あのテーブルを調査していた担当者の計算方法に間違いがあったのです。別の担当者が再度計算しなおしたところ、カウンティングをしている時のパターンとは一致しませんでした」

「間違った担当者は何と言っている?」

「それが……」

 女の言葉が止まった。ほう、なぜ答えられないのかな。察するに、さっきからその担当者の姿が見えないとか、そんなところだろう。そうなると、俺は誰かに陥れられたって気がするなあ。カウボーイ・ハットの男が怪しいんだが、偏見かも。ところで、さっきから入口の所に立っている美人ディーラーは、何をしに来たんだろうか。

「まだそちらで経緯を調査中というのなら、調査が終わった段階で聞かせて欲しいが? 念のためにもう一度言っておくが、俺は事実が知りたいだけだ。訴訟を起こすつもりもないし、誰かの処分を求めるつもりもない」

「……解りました。明日の今頃までには調査結果をまとめておきます」

「どうやって俺に報せてくれる? 明日またこの部屋に来ればいいのか、それとも……」

「私は普段は賭場に出ていませんで、彼女に……ディーラーの、エヴィーに声をかけて下さい。あなたがブラックジャックをプレイしていたときのディーラーですから、顔はご存じと思います。時間は、3時以降でお願いします。その時間に彼女が今日と同じテーブルに着くようにシフトを組ませます」

 おやおや、美人ディーラーに余計な仕事を作ってしまったようだ。彼女も驚いているに違いない。しかし、俺にとっては悪い話じゃないぞ。これでキー・パーソンを一人見つけたのかもしれないからな。

「解った。彼女と少し話をしてもいい?」

「どうぞ。4時までならこの部屋をお使い頂いて結構です」

「4時までの理由は?」

 おおかた、この部屋を4時から使うとかそんな理由だろうが、どうもこの女と話していると理屈っぽくなるなあ。ところで、この女の名前は何だっけ。まだ聞いてないような気が。

「彼女のシフトの都合です。4時以降は勤務時間外になるので、このフロアから出ないといけないという決まりですので」

「了解した。その後、話をしたければ、別の場所でというわけだ」

「そのとおりです」

「ところで、念のために君の名前を聞いておきたいが」

「あら、失礼しました。ローランです。カジノの警備主任です」

 肩書きなんてどうだっていいのだが、ローランというのはファースト・ネーム? ファミリー・ネーム? まあ、ファミリー・ネームだろうけど。ファースト・ネームは言いたくないのかよ。

 そういやこの女は、俺のことを“ドクター”と言っていたな。俺は単なる研究員じゃなくて、ドクターだったのか。何の学問で博士号を取ったんだろう。数理心理学ってやつ? 今の制度では通常26歳でドクターなんて取れるわけないんだけど、特例? どうでもいいか。

 それから、ローラン主任はディーラーのエヴィーを呼び、俺と改めて挨拶を交わさせた後で、部屋を出て行った。俺を見張っていたであろう、二人の男も続いて出て行った。つまり、俺とエヴィーの二人きりになった。

 エヴィーは賭場で見た時は頼れる姉御肌ビッグ・シスター・タイプの女に見えたが、今はいささか緊張しているように見える。もしかして、俺の余計な肩書きのせいかね。そういうのはさっさと忘れて欲しいんだけど。まあ、座れよ、と言って、彼女をテーブルの向かい側に座らせる。

「OK、エヴィー、君のテーブルでブラックジャックをプレイしたときはとても楽しかったんだけど、君には俺がカード・カウンティングをしているように見えたのか?」

「あら、いいえ、そんなことは全然。もちろん、あなたに限らず、他のお客様がカード・カウンティングをしているかどうかは常にチェックしているんですけど、あなたの賭け方は、何と言うかその、ランダムではないけど、何か意図がある賭け方なのかしら、って思ってました。それだけです」

 いや、何の意図もなくて、純粋に気まぐれに賭けてただけなんだけどね。俺の肩書きを知る前から、本当に彼女はそんなことを思ってたのかなあ。あと知恵ぢえバイアスじゃないかという気がするけど。

「そんなに俺の賭け方を真剣に観察してくれてるとは思わなかったな。下手な賭け方だとは思わなかった?」

「いいえ、そんなことは……だって、トータルでは勝ってらしたし、特にビットの額が大きいときに私がよく負けていたので、カウンティングじゃなくて何か別のテクニックを使ってるのかと思ってましたけど」

 なるほど、偶然ってのは怖いね。ここまで余計なことを考えさせるんだ。

「ここに呼ばれた理由は?」

「それが、私もよく解らないんです。最初は、あなたに説明が必要になるかもしれないからってことだったんですけど、部屋に入る直前に、余計なことは何も言わないようにっていう指示があって……」

「誰からの指示?」

「事業部長からだと思います。メモを見せられたんです」

「そのメモはまだ持ってる?」

「あら、いいえ、見せられただけなんです」

「そういう指示のされ方はよくあるのかね」

「いえ、普段はそういう指示は携帯端末ガジェットで……」

 突然、エヴィーの胸元からポップなメロディーが流れ出してきた。その“携帯端末ガジェットによる指示”が入ったらしい。彼女はちょっとあたふたしていたが、俺が頷いて見せると、携帯端末ガジェットを取り出して会話を始めた。

「はい……ええ、まだルームナンバー4にいらっしゃいます……解りました、伝えます」

 そして携帯端末ガジェットを切ってから言った。

「事業部長があなたにお話があるそうで、間もなくこちらに参ります」

 おやおや、色々と事態が進行してきたぞ。誰かに陥れられたのかと思ったが、逆の結果になりそうだ。

「ところで、さっきの話の続きだが、普段は今のように、誰かからの指示は携帯端末ガジェットで伝えられるんだな?」

「ええ」

「メモを持って来て君に見せたのは誰?」

「サーヴェイランス・チームのジャコーです。滅多に会ったことがない人なんですけど」

「ローラン主任が言っていた調査担当者というのはそいつのこと?」

「さあ、そこまでは私も知らなくて」

「ディーラーとサーヴェイランス・チームというのはつながりが薄いのかね」

「そんなことありませんけど、どちらも人がたくさんいるので、名前しか聞いたことがない人もいるというだけで……」

 ドアにノックがあって、「入ってよろしいかしらメイ・アイ・カム・イン?」という良く通る声が聞こえてきた。女の声だ。事業部長ですわ、とエヴィーが小声で言い、それからドアの方に向かって「どうぞ!」と声をかけた。ドアが開いて、ブルネットの長い髪の、ゴージャスな美人が入ってきた。ただし、もうあと15年ほど若ければもっと美人に見えたんだがな、という気がしないでもないが、余計なお世話というものだろう。

 ゴージャス年増美人は俺の近くまで来ると、艶然とした笑みを浮かべながら、握手を求めてきた。俺も立ち上がって手を握り返す。

「いらっしゃいませ、ドクター・アーティー・ナイト。当カジノにお越し頂き、大変ありがとうございます。事業部長のコレット・グルドンです」

 クリーム色のジャケットに、広く開いた丸首の白いアンダー・シャツ、膝上のミニ・スカートと、年齢の割に肌を露出しすぎと思うが、これも余計なお世話だろう。もし俺が彼女の年齢を見誤っているのなら、それこそ謝罪した方がいいかもしれない。

「ごきげんよう、グルドン部長。俺のことは、ドクターの肩書きは外して、単にアーティーと呼んでくれるとありがたい」

「解りました。私のことも、この場ではコレットと呼んでいただいて構いませんが、外では部長ディレクトールの方が通じやすいと思いますわ。コレットもグルドンも他に何人かおりますので」

「OK、コレット。ところで、俺に何か用でも?」

「あら、用と言うほどのことではありませんが、財団の方がお見えになったので、ご挨拶をしておかなければと思いまして」

「仕事で来たんじゃないから、挨拶してもらうほどのことでもないが」

「ええ、もちろん存じています」

 嘘だろ、俺が何かの覆面調査に来たんじゃないかと疑って、すっ飛んできたように思うんだけど。そのコレットが「座ってよろしいかしら」と言う。何だ、やっぱり挨拶だけじゃなくて、他の話があるんじゃないか。

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