#9:第1日 (4) カジノ・モントリオール
さっぱりしたホワイト・シャツとグレーのスラックスに着替え、カジノを再訪問。今度は受付で止められなかった。靴はスニーカーだったのだが、注意もなし。鞄を預けながら、エントランスに置いてあるレーシング・カーについて訊いてみた。ジル・ヴィルヌーヴが1978年のF1カナダ・グランプリで優勝したときに搭乗した、フェラーリ312T3という車だそうだ。サーキットに名前を冠されるくらいだから、カナダが誇る英雄的ドライヴァーなのだろう。
で、なぜ展示してあるのかもついでに訊くと、グランプリ・ウィークだから、だそうだ。F1カナダ・グランプリが週末に開催される! なるほど、今週ここに放り込まれた理由が判った。ターゲットかキー・パーソンが、F1に関係しているんだろうな。モーター・スポーツなんてほとんど見たことがないし、そもそもカジノとF1のつながりもよく解らないのだが、それを見つけろということだ。
それはともかく、カジノの中の視察。受付で聞いたのは、白くて丸い方の建物が本館で、1階から5階がカジノ、6階がレストラン、ブラウンの四角い方が別館で、1階から3階がカジノ、4階が多目的ホールとしても使えるキャバレーということくらいだ。そしてこの二つの建物は、屋根付きの通路でつながっている。
ではまず、本館の1階から。ほとんどがスロット・マシンで占められている。ただし、内部の用語は全てフランス語で、"
レストラン・フロアは後回しにして、次に別館。体育館のような広いスペースに、無数のスロット・マシンやゲーム・テーブルが並んでいる。各フロアにはバー・スペース、3階にはレストランや、VIP用の特別室もある。4階のキャバレーではコンサートが行われていたようだが、アーティストが誰かまでは見なかった。
賭け事は苦手だし、運が悪い方だし、ここで遊ぶつもりもない。ラス・ヴェガスにもアトランティック・シティーにも行ったことがないので、このカジノの雰囲気がいいのか悪いのかすら判らない。
ただ、ディーラーが美人揃いだということだけは保証できる。俺がテーブルに近付く度に、誰もかれも愛想良くにっこりと微笑みかけてくるので、テーブルを離れるのが惜しくなるほどだ。万が一、賭けて大勝ちして、彼女たちにチップでもくれてやることができれば、さぞかし気分がいいだろうな。ここのディーラーがキー・パーソンかもしれないから、そうやってお近付きになる必要があるというのなら、ゲームしてもいいかも。
さて、カジノは一通り見て回ったが、問題はこの後どうするか。夕食時なので、レストランへ行こうとは思うけれども、その後が困る。島から出られないにも関わらず、島内にはこのカジノも含めて宿泊施設がないのだ。つまり、どうやって夜を明かすか?
もちろん、カジノは24時間開いているらしいので、ここで夜明しはできるけれども、賭場やレストランやバーで寝るわけにもいかないし、シャワーもない。シャワーだけならサンテレーヌ島のプールのシャワー室を勝手に拝借すればいいかもしれないけれど、そんなので7日間も過ごすのは御免被りたい。
では、どうするかというと、島から脱出する方法を探すしかない。歩きやバスでは出られなかったが、誰かの車に乗せてもらえばどうか? つまり、現時点で島内――ノートル・ダム島とサンテレーヌ島のいずれか――にいる誰かと仲良くなって、そいつの家へ連れて行ってもらって泊まる約束ができれば、島から出られるかもしれないのだ!
今までだって、他の誰かと一緒なら可動範囲外に出られたことがあったじゃないか。例えばトレドとか。って、その一例しかないような気もするけれども。となると、遊園地で見かけた女をもう少しつけ回しておくべきだったかなあ。ただ、会った初日に家に泊まらせてくれる女なんて、トレドのあのダマスキナード職人くらいじゃないかと思うけどね。
さて、そろそろレストランにでも……んん、ディーラーが替わってる? そうか、24時間営業だから、交代勤務なんだ。3交代? いや、そんなことを気にしてる場合じゃなくて、家に泊まらせてくれる女、もとい、街へ連れて行ってくれる親切な女をディーラーの中から探すなら、交代前までに捕まえておかなければいけなかったじゃないか!
今入ってるシフトの勤務が終わるのは夜中の12時頃か? その時間に連れてってもらうのはさすがに難しいぞ。暴漢に襲われてるのを助けるくらいじゃなきゃあ、ってこれもどこかであったようなパターンだなあ。とりあえず、レストランへ行くか。
本館の6階には四つのレストランがあって、ル・モントリオールはケベック料理、パヴィリオン67はビュッフェ、ランスタンは軽食ビュッフェ、そしてエイジアは文字どおり和食を中心としたアジア料理。それほどたくさん食べるつもりはないのだが、ウェイトレスとの出会いを期待して、ル・モントリオールにする。
平日の夕方で、開いたばかりだから空いていて、すぐにテーブルへ案内された。美形のウェイトレスもやって来た。黒くて短い髪をぴったりと撫で付けている。日焼けか地黒か判らないがきれいな淡褐色の肌だ。瞳の色も黒。プロポーションも良くて、モデルにでもなれそうだが、スーパー・モデルにはあと一歩というところかな。
「ご注文は?」
声もハスキーでいい感じだ。
「前菜とメイン・ディッシュとデザートがセットになったようなメニューはある?」
「エクスペリアンス」
「じゃあ、それにしよう」
メニューを開いて前菜、メイン・ディッシュ、デザートをそれぞれ選ぶ。ラディッシュの冷たいスープ、ブイヤベース風の魚のコンビネーション、オールド・ファッションド・パイ。全部ウェイトレスに選んでもらった。メニューの一番上を選んだように思えなくもない。
「お飲み物は?」
「オレンジ・ジュース。ところで、君の名前は?」
「シック」
綴りが思い浮かばない。
「それはニックネーム?」
「そうよ」
「本名は?」
「教えない」
そう言って悪戯っぽく笑う。同じことを訊かれ慣れているのかもしれない。
「じゃあ、俺も君のことシックと呼んでいいんだ」
「もちろんよ。他にご注文は?」
「デザートの後で訊きたいことがあるから、テーブルに来てくれる?」
「いいわよ」
シックは笑顔で返事をして下がっていった。やけに愛想がいい。開いたばかりで余裕があるからかもしれない。テーブルの上に地図を広げ、今日の昼間に調査したことを書き込んでいく。ただし、書き込んだ量がいつもより少ない。何しろ施設はどこも閉まっているところばかりで成果がなかったからな。
前菜が運ばれてきた。ことさら時間をかけて食べる。レストランに滞在する時間を引き延ばしたいからだが、前菜だし、すぐになくなってしまう。が、メイン・ディッシュは前菜を食べ終わってだいぶ経ってから来た。カナダ人の食べるペースってのは遅いのかね。
魚がうまい。つい、さっさと食べてしまいそうになる。しかし、地図の書き込みは終わったし、他に時間つぶしのネタがない。
仕方がないので、財布の中身を確かめることにする。遊園地へ行った時にも気付いてたのだが、カナダ・ドル紙幣が入っているものの、やけに量が少ない。今回は現金を使わずカードを使えという暗示なのか、それともそもそも現金を使う場所なんてほとんどないぞという意味なのか。
魚を食べ終わり、スープを飲み、皿の表面がピカピカになるまでパンでこすり上げて、だいぶ経ってからデザートとコーヒーが来た。デザートの後で来てくれと言ったのに、シックは皿をテーブルに置いてからずっとそこに立っている。なかなか
「訊きたいことって何?」
「ここは何時までならいてもいい?」
俺の質問に、シックは意味ありげな微笑みを浮かべながら答えた。
「11時まで開いてるけど、追加で料理を頼んでくれるならね」
「カジノは24時間開いてるのに、ここは閉まるのか」
「もちろん。あっちのランスタンなら24時間開いてるけど、居眠りしちゃダメよ。したら追い出すことになってるから」
なるほど、俺の訊きたいことがちゃんと判ってるわけで、さっきの笑みはそういう意味だろう。
「ということは、レストランで寝ようとする奴もたまにはいるってわけだ」
「ええ、たまにはね。でも、オーダーの間隔が空くからすぐにわかっちゃうもの。ところで、どうしてそんなこと訊くの? あなたもホテルが取れてないとか? 徹夜しながら30分に1杯ずつコーヒーを頼んでくれるなら、いてもいいらしいけど、そうじゃなければお帰り頂くことになるわ。ごめんなさいね、決まりだから。市街地へ行けば、24時間開いてて居眠りしても大丈夫な喫茶店くらいあると思うけど?」
親切なご忠告だが、それができないから困ってるんだよなあ。
「やっぱりそうだろうな。市街地へ行く手段はバスだけ?」
「あなたが自分の車や自転車で来たんじゃなければ、そうね。無料のシャトル・バスに乗ればいいんじゃないかしら。1時間おきに出てて、10時45分が最終だったと思うけど。それ以外は、タクシーね」
シャトル・バス? それは気付かなかったな。しかし、市営のバスにも乗れなかったんだから、シャトル・バスだって無理だろう。もちろん、試してはみるけれども。
「そうか、ここに来るのは地下鉄と市営バスを使ったんで、シャトル・バスのことは気付かなかったな。ありがとう」
「質問は終わりかしら。追加のご注文は?」
ここで質問を終えたら追い出されてしまうので、何か考えなければならない。
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