#8:第2日 (3) ホーボーケンの出会い

 さて、これで可動範囲の外周はほぼ判った。走ったのは距離にして15、6マイルほどだが、停まって地図を確認したり、全ての城塞フォルトに寄り道したりしたので、もうそろそろ昼だ。だが、昼食の前にもう少し調べようと思う。西側の、スヘルデ川を越えられるかどうか。

 アントワープ近郊では、スヘルデ川に橋は架かっておらず、4本のトンネルが川をくぐっているのみ。一番上流のケネディー・トンネルは自動車専用、次の聖アンナ・トンネルは歩行者と自転車専用、3番目は路面電車トラム用で名称不明、そして4番目がワースランド・トンネルで、歩行者・自転車・自動車の全てが通ることができる。

 聖アンナ・トンネル、ワースランド・トンネルは後で確かめる予定だが、道路以外に何と渡し船フェリーがあって、その乗り場がこのすぐ近くにある。観光用ではない、純然たる地元民用の渡し船フェリーらしく、渡っても対岸には何もなさそうだが、一応見に行ってみることにする。

 城塞フォルト8を出て、ヨゼフ・レーマン通りを北へ上がり、カペル通りで西に折れて、踏切を渡る。この踏切がもしかしたら渡れないかも、と思っていたのだが、無事渡れた。ただ、踏切の両側に“壁”がありそうだったので、路面電車トラムには乗れても普通鉄道には乗らせないぞ、というクリエイターの意思表示を感じる。

 住宅地の細道を一度クランク状に折れてから更に西へ向かい、造船所の脇を通ると、渡し船フェリーの乗り場が見えた。見えたのだが、石畳の道から細い簡易舗装の小道へ入ろうとするところに“壁”があり、進めなくなった。

 ちょうどその辺りで石畳の道は“Uターンしろ”とでも言うかのように広くなっており、船が泊まっていることだけを遠目に見つつ、引き返さざるを得ない。カペル通りへ戻って、踏切を渡る。この少し北側にも踏切があるのだが、そちらの方へ行くと新興住宅地の中が複雑すぎるので、やめておく。


「えっ、どうしてそっちに戻るんだ?」

「ホーボーケンの中心部に行ってみたかったんじゃないかしら。ちょうどお昼だし、昼食を摂りに行くのかも」

「あら、スタチューのところにピクシーがいますよ」

「いいぞ、そのまま行け! 第3種近接遭遇!」

「SF映画じゃないんだから」


 踏切を渡ると逆方向の一方通行だが、自転車は逆走しても大丈夫だろう。このまま真っ直ぐ行ってキオスク通りに突き当たり、そこから路面電車トラムの4番系統に沿って走るのが一番判りやすい。もっと川寄りの方にも道はあるが、そちらに見るべきところは何もないので、行く必要を感じない。

 それに4番系統沿いには王立美術館などの、昨日行かなかった名所がたくさんある。それらに寄ってもいいし、昨日時間が合わなかった二つの教会とルーベンスの家に行ってもいい。

 昼食はどこへ行くかな。"CAFE"という表示があったが、自然に入れそうな感じではなかったので避ける。歩道が広くなったり狭くなったりして走りにくい。おまけに、歩道の真ん中に何かの像が……何だ、この像は。

 自転車を停めて見入る。若い女も立ち止まって像を見ている。別に、その女のヒップ・ラインが抜群に魅力的だったから思わず停まってしまったとか、そういうことではない。

 ブレーキの音がしたからか、女が俺の方を見た。白人系統で、民族は判らないが、美人だ。長いブルネットの髪を後ろでくくってまとめている。透けるような薄手のカーディガンを羽織っているが、その下はモス・グリーンのスリーヴレス・シャツに、デニムのショーツだ。今日は涼しくて、俺でも上着を着ているくらいだが、女の方はそんな格好でよく寒くないものだ。

 身長は5フィート半くらいで、すらりとしているが、胸も尻もかなり大きい。露出の多い服を着ているのは、自分のプロポーションを見せて自慢したいからだと思うが、それをもっと見たいから立ち去らないというわけでは、決してない。

アメリカ人アメリカン!」

 その美人が、笑顔で俺の方を見ながら言う。この国ではアメリカ人がそんなに珍しいのだろうか。そもそも、なぜ俺がアメリカ人だと判るのか。見ず知らずの女が。

それが何かソー・ワット?」

アメリカ人アメリカンでしょう? 同じホテルに泊まってるよね。ヒルトン・アントワープ・オールド・タウン」

「そうだが、それが何かソー・ワット?」

「私、デボラ・ヘルシュラグ。あなた、競争者コンテスタントでしょう? 名前は?」

 そう来たか! 自己紹介してくる競争者コンテスタントはこれが二人目だな。マーシアン以来か。さて、正直に言うべきか言わないべきか。もちろん、俺は正直な人間だし、自分から自己紹介しに行ったこともあるくらいなので、正直に言うことにする。別に相手が美人だからというわけではない。宣誓してもいい。

「アーティー・ナイトだ。ご指摘のとおり、合衆国民」

「私、イスラエル。自転車降りたら? 少し話そうよ」

 ずいぶん馴れ馴れしい女だな。よくよく見れば、美人だが子供っぽい顔をしている。意外に若いのかもしれない。まさか、未成年ではないと思うが。

 とりあえず、言われたとおり自転車を降りる。このままだと相手のペースに乗せられそうな気がするが、どうするかな。そういえばマーシアンと同じように、彼女も俺に向かって英語でしゃべっている。ということは彼女もマーシアン? 女だからマーシアネスとでも呼ぶべきか。

「それで、話というのは?」

「朝、あなたをラウンジで見かけたんだけど、私のこと憶えてない?」

「残念ながら」

 ラウンジにいた客の顔は注意して見ていないが、少なくとも一人で食事をしていた女はいなかったはずだ。もっとも、ラウンジ全部を見たわけではないので、死角になっているところにいたとか、後から来て俺のことを後ろから見ていたとかなら、気付かないというだけだが。

「女性の3人組に気付かなかった?」

「それなら気付いた」

「その時、あなたの方を向いて座っていたのが私よ。他の二人は、たまたまホテルで知り合いになった人たち」

「なるほど。で、どうして俺が競争者コンテスタントだと判った?」

「目に知性インテリジェンスが煌めいていたからよ」

 ご冗談を。「お前の目は何を考えているか判らない」と言われたことは何度もあったが、こんな小っ恥ずかしいエンバラッシングことを言われたのは初めてだぜ。

「自分で自分の目を観察したことがないから、自分では判らんね」

「そうかしら。じゃあ、私の目を見てくれてもいいけど?」

「あんまり綺麗なんで、吸い込まれたら困るからやめておくよ」

「あら、嬉しい! そういうこと言ってくれる人、なかなかいないのよ」

 そう言って屈託なく笑う。まるで天然ボケディツィのようだが、“目”を見る限り知性は十分ありそうだ。やっぱりマーシアネスかな。

「それで、競争者コンテスタントとしての俺に、何の用?」

「あなた、競争中でしょう? 私、ヴァケイションなの。純粋にのんびりできるところかと思ったけど、あなたみたいな競争者コンテスタントがいるから、びっくりしちゃって」

「つまり俺の他にも競争者コンテスタンツを見かけたと」

「ええ、もう一人だけだけど。でも、安心して、その人にも言ったけど、私、あなたたちの邪魔をする気はないし、誰か特定の人の味方もしないわ。完全に中立だから」

「それを言うために俺を呼び止めた?」

「あら、停まったのはあなたの方だと思うけど」

 よく憶えてるな。

「この像が気になってね」

「私のことが気になったのかと思ってたわ」

「それもある」

「ありがとう! ところで、この像、何か知ってる?」

「いや、全く」

 実物大よりも少し小さいだろうが、痩せこけた少年と、みすぼらしい犬が並んでいる。台座に説明板もはめ込まれているが、すり減っていてよく読めない。

「じゃあ、教えない。これを見に来たのかと思ったのに。でも、これが何か、調べた方がいいかもよ」

「それがヒントならありがたいが、君は中立じゃなかったのかな」

「あら、そうだったわ。でも、これはターゲットとは直接関係してないと思うから、あなたの判断で調べてみて。ところで、そろそろお昼だけど、一緒に食事に行かない?」

「お誘いは嬉しいけど、君と話をしていると楽しくて時間を忘れそうだから、また今度にしよう。今日はこれからまだ予定が詰まっててね」

「そう言うと思ってたわ。本当は、簡単に誘いに乗ってくる男、嫌いなの。でも、あなたのお誘いなら乗っても良さそうね。ステージの後半になったら、一度くらいは食事に誘ってね。それじゃ、よい一日を!」

「ああ、君もよい一日を」

 自転車にまたがって走り出そうとすると、デボラが右手を顔の横に出す。その手を軽くパンと叩いてから走り出した。何とも変わった女だ。この世界に出てきた女の競争者コンテスタントはこれで3人目だが、どうもみんなまともそうじゃない。まともな女なら、こんな世界に引っ張り込まれることはないだろうから、変わっていて当然か。

 さて、昼食は本当にどこにしようか。この辺りは都市部だが食事をするところが意外に少なそうだし、入った店にデボラも来たりしたら味が悪いし、もう少し北の方に戻ってからにするか。


「うーん、ピクシー、大人しいね。もう少し何かしてくれるかと思ったのに。でも、ヴァケイションのこともちゃんと見抜いちゃってるんだ。やっぱり彼女、この世界の仕掛けに何か気付いてるよ」

「本当に目の煌めきなんかで競争者コンテスタントが判るのかな」

「それは判らないけど、アヴァター特有の何かに気付いたのかしら。仕様上は競争者コンテスタントとそれ以外で、特に違いはないはずなんだけど」

「G-1・ピクシーは今回の観察対象ではないので、皆さん無視していただくようお願いします。さて、この後はザイト地区の辺りまで、被験者エグザミニーは特に目立った行動をしなさそうですが、スキップしてよろしいでしょうか?」

「昼食の後までスキップしていいよ、きっと」

「了解です」

「異議あり。昼食は早送りでお願い。もしかしたら、ヒントを見つけるかもしれないから。理由は言わなくても、ね」

「ミスター・レッド、いかがです?」

「前言撤回。同意する」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る