#8:第2日 (3) ホーボーケンの出会い
さて、これで可動範囲の外周はほぼ判った。走ったのは距離にして15、6マイルほどだが、停まって地図を確認したり、全ての
アントワープ近郊では、スヘルデ川に橋は架かっておらず、4本のトンネルが川をくぐっているのみ。一番上流のケネディー・トンネルは自動車専用、次の聖アンナ・トンネルは歩行者と自転車専用、3番目は
聖アンナ・トンネル、ワースランド・トンネルは後で確かめる予定だが、道路以外に何と
住宅地の細道を一度クランク状に折れてから更に西へ向かい、造船所の脇を通ると、
ちょうどその辺りで石畳の道は“Uターンしろ”とでも言うかのように広くなっており、船が泊まっていることだけを遠目に見つつ、引き返さざるを得ない。カペル通りへ戻って、踏切を渡る。この少し北側にも踏切があるのだが、そちらの方へ行くと新興住宅地の中が複雑すぎるので、やめておく。
「えっ、どうしてそっちに戻るんだ?」
「ホーボーケンの中心部に行ってみたかったんじゃないかしら。ちょうどお昼だし、昼食を摂りに行くのかも」
「あら、
「いいぞ、そのまま行け! 第3種近接遭遇!」
「SF映画じゃないんだから」
踏切を渡ると逆方向の一方通行だが、自転車は逆走しても大丈夫だろう。このまま真っ直ぐ行ってキオスク通りに突き当たり、そこから
それに4番系統沿いには王立美術館などの、昨日行かなかった名所がたくさんある。それらに寄ってもいいし、昨日時間が合わなかった二つの教会とルーベンスの家に行ってもいい。
昼食はどこへ行くかな。"CAFE"という表示があったが、自然に入れそうな感じではなかったので避ける。歩道が広くなったり狭くなったりして走りにくい。おまけに、歩道の真ん中に何かの像が……何だ、この像は。
自転車を停めて見入る。若い女も立ち止まって像を見ている。別に、その女のヒップ・ラインが抜群に魅力的だったから思わず停まってしまったとか、そういうことではない。
ブレーキの音がしたからか、女が俺の方を見た。白人系統で、民族は判らないが、美人だ。長いブルネットの髪を後ろでくくってまとめている。透けるような薄手のカーディガンを羽織っているが、その下はモス・グリーンのスリーヴレス・シャツに、デニムのショーツだ。今日は涼しくて、俺でも上着を着ているくらいだが、女の方はそんな格好でよく寒くないものだ。
身長は5フィート半くらいで、すらりとしているが、胸も尻もかなり大きい。露出の多い服を着ているのは、自分のプロポーションを見せて自慢したいからだと思うが、それをもっと見たいから立ち去らないというわけでは、決してない。
「
その美人が、笑顔で俺の方を見ながら言う。この国ではアメリカ人がそんなに珍しいのだろうか。そもそも、なぜ俺がアメリカ人だと判るのか。見ず知らずの女が。
「
「
「そうだが、
「私、デボラ・ヘルシュラグ。あなた、
そう来たか! 自己紹介してくる
「アーティー・ナイトだ。ご指摘のとおり、合衆国民」
「私、イスラエル。自転車降りたら? 少し話そうよ」
ずいぶん馴れ馴れしい女だな。よくよく見れば、美人だが子供っぽい顔をしている。意外に若いのかもしれない。まさか、未成年ではないと思うが。
とりあえず、言われたとおり自転車を降りる。このままだと相手のペースに乗せられそうな気がするが、どうするかな。そういえばマーシアンと同じように、彼女も俺に向かって英語でしゃべっている。ということは彼女もマーシアン? 女だからマーシアネスとでも呼ぶべきか。
「それで、話というのは?」
「朝、あなたをラウンジで見かけたんだけど、私のこと憶えてない?」
「残念ながら」
ラウンジにいた客の顔は注意して見ていないが、少なくとも一人で食事をしていた女はいなかったはずだ。もっとも、ラウンジ全部を見たわけではないので、死角になっているところにいたとか、後から来て俺のことを後ろから見ていたとかなら、気付かないというだけだが。
「女性の3人組に気付かなかった?」
「それなら気付いた」
「その時、あなたの方を向いて座っていたのが私よ。他の二人は、たまたまホテルで知り合いになった人たち」
「なるほど。で、どうして俺が
「目に
ご冗談を。「お前の目は何を考えているか判らない」と言われたことは何度もあったが、こんな
「自分で自分の目を観察したことがないから、自分では判らんね」
「そうかしら。じゃあ、私の目を見てくれてもいいけど?」
「あんまり綺麗なんで、吸い込まれたら困るからやめておくよ」
「あら、嬉しい! そういうこと言ってくれる人、なかなかいないのよ」
そう言って屈託なく笑う。まるで
「それで、
「あなた、競争中でしょう? 私、ヴァケイションなの。純粋にのんびりできるところかと思ったけど、あなたみたいな
「つまり俺の他にも
「ええ、もう一人だけだけど。でも、安心して、その人にも言ったけど、私、あなたたちの邪魔をする気はないし、誰か特定の人の味方もしないわ。完全に中立だから」
「それを言うために俺を呼び止めた?」
「あら、停まったのはあなたの方だと思うけど」
よく憶えてるな。
「この像が気になってね」
「私のことが気になったのかと思ってたわ」
「それもある」
「ありがとう! ところで、この像、何か知ってる?」
「いや、全く」
実物大よりも少し小さいだろうが、痩せこけた少年と、みすぼらしい犬が並んでいる。台座に説明板もはめ込まれているが、すり減っていてよく読めない。
「じゃあ、教えない。これを見に来たのかと思ったのに。でも、これが何か、調べた方がいいかもよ」
「それがヒントならありがたいが、君は中立じゃなかったのかな」
「あら、そうだったわ。でも、これはターゲットとは直接関係してないと思うから、あなたの判断で調べてみて。ところで、そろそろお昼だけど、一緒に食事に行かない?」
「お誘いは嬉しいけど、君と話をしていると楽しくて時間を忘れそうだから、また今度にしよう。今日はこれからまだ予定が詰まっててね」
「そう言うと思ってたわ。本当は、簡単に誘いに乗ってくる男、嫌いなの。でも、あなたのお誘いなら乗っても良さそうね。ステージの後半になったら、一度くらいは食事に誘ってね。それじゃ、よい一日を!」
「ああ、君もよい一日を」
自転車にまたがって走り出そうとすると、デボラが右手を顔の横に出す。その手を軽くパンと叩いてから走り出した。何とも変わった女だ。この世界に出てきた女の
さて、昼食は本当にどこにしようか。この辺りは都市部だが食事をするところが意外に少なそうだし、入った店にデボラも来たりしたら味が悪いし、もう少し北の方に戻ってからにするか。
「うーん、ピクシー、大人しいね。もう少し何かしてくれるかと思ったのに。でも、ヴァケイションのこともちゃんと見抜いちゃってるんだ。やっぱり彼女、この世界の仕掛けに何か気付いてるよ」
「本当に目の煌めきなんかで
「それは判らないけど、アヴァター特有の何かに気付いたのかしら。仕様上は
「G-1・ピクシーは今回の観察対象ではないので、皆さん無視していただくようお願いします。さて、この後はザイト地区の辺りまで、
「昼食の後までスキップしていいよ、きっと」
「了解です」
「異議あり。昼食は早送りでお願い。もしかしたら、ヒントを見つけるかもしれないから。理由は言わなくても、ね」
「ミスター・レッド、いかがです?」
「前言撤回。同意する」
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