#8:第2日 (4) 西の端へ

 連邦裁判所前で路面電車トラムの軌道と分かれ、近くのベルギー料理店に入った。牛肉のビール煮込みを勧められたが、鶏肉のクリーム煮込みにした。付け合わせは大量のフライド・ポテト! 困ったが、自転車を漕いでカロリーを消費した後だからいいことにするか。合衆国のものよりも断然うまいし。

 しかし、周りを見ると、昼間からビールを飲んでいる客が多い。スペインでもそうだったな。俺だって喉が渇いてるし、アルコール耐性がもう少しあって、この後、自転車には乗らないってのなら、1杯くらいは飲んでもいいかと思うのに。

 昼食後はスヘルデ川沿いに出て、北へ走る。川沿いとは言っても、港かドックの設備を挟んでいるので、6、70ヤードは離れていて、川面を眺めながらの快適なサイクリング、というわけにはいかない。それに道が石畳で、スピードも出せない。幹線道路はそうでもなかったが、ちょっと細い道に入るとたいがい石畳だ。すり減っていて平らになったところもあるが、ほとんどはでこぼこしている。これでどうして自転車乗りが多いのか、理解に苦しむ。

 聖アンナ・トンネルの入口に到着。歩行者はエスカレーター、自転車はエレヴェーターを使う。下に降りると、タイルの壁にトンネルの長さが書いてあった。572メートル。ヤードにするには10%を足せばいいから630ヤードくらいか。とりあえず、長さは問題じゃない。途中に“壁”があって行き止まりになってないことを望むばかりだ。

 道幅は狭いので、自転車は押していく。人通りはほとんどない。300ヤードを過ぎた辺りからさりげなくスピードを落とす。350ヤード、400ヤードを超えても“壁”にはぶつからなかった。

 そして対岸へ無事到着。エレヴェーターで上がる。ふむ、はっきり言って、こっちに来られるとは思ってなかった。可動範囲は予想が付かない。

 とりあえず、トンネルの名前の元になった、聖アンナシント・アンナ教会へ行ってみる。ブランセフルーアー通りを西へ走り、交差点で南へ……行けないじゃないか。じゃあ、北側は……こちらもダメか。どうなってるんだ、ブランセフルーアー通りから出られないってどういうことよ。この通りを西へしか行けないのだとしたら、それにどんな意味がある?

 地図を眺める。今いる交差点のすぐ西側で、路面電車トラムの軌道がトンネルから出てくる。まさかとは思うが、路面電車トラム沿いの道路なら通れるのだろうか。その予想が当たっているとしても、意味が解らない。この道路を通って、どこかへ行けなければ、意味がないじゃないか。

 道路沿いに目を動かしていく。地図のずっと西の、路面電車トラムの終点辺りに目を移す。スヘップ・ヴローフデという電停の近くに、大きなスポーツ公園がある。終点のクレイグスバーン電停の4分の3マイルほど南に、城塞フォルトがある。このどちらかに行けということなのだろうか。

 仕方ない、とりあえず行くか。3マイル半ほどだ、大した距離じゃない。道路は西へほぼ一直線。しかも平坦だ。立体交差になっているところを除いては。

 ちんたらと10分ほど走ってスポーツ公園に着いたが、サッカー場が何面かと、モトクロス・バイク用と思われるダートのコースがあるだけ。スペースを持て余している感じだな。誰もいない。しかも、公園には入れないじゃないか。道路と公園の間に“壁”がある。つまり、はずれミスということ。

 仕方ない、次は城塞フォルト。トンネルを出てから今まで走ってきた距離と、ちょうど同じくらい先にある。ただし、これまでは道路と軌道は完全に分かれていたのだが、ここからは併用になっている。自転車用のレーンは別に分かれているから、危なくはない。

 途中、道路が奇妙に歪んでいるところがあるが、ここまでが新道で、ここで旧道と合流しているのだろうと思う。だからどうだというほどのこともない。例によって地形から歴史を推測して遊んでるだけだし。

 そしてクレイグスバーン電停に到着。三つの道路が交わるラウンドアバウトの先にある、道路とは完全に切り離された専用駅だった。念のため、道路のその先へ行ってみようとしたが、駅のすぐ西の、橋の上に“壁”があった。橋の下には鉄道の線路が通っている。

 さて、城塞フォルトだが、ラウンドアバウトから南へ行く道、実はこれがクレイグスバーンという道路で、4分の3マイルほど。ラウンドアバウトは自動車専用なので、その脇の自転車専用道を通って……行けない。道が分かれるところに、“壁”がある!

 何なんだよ、これじゃあ戻るしかないじゃないか。一体ここまでの途中に、他に何があったってんだ。俺はサイクリングしに来たんじゃないんだぞ。

 と、愚痴ってみても始まらない。どうせこの世界は、最初から理不尽にできてるんだ。俺が理解できないことが、いくらでもあるってことさ。

 さて、いい運動をしたから、そろそろ戻るか。今から行けば、昨日行けなかった教会とルーベンスの家に、ちょうどいい時間に行けるだろう。


 ホテルに戻って自転車を返す。街中は道が狭いし、歩いても大した距離ではない。教会の前に、ステーン城へ行く。昨日は入口だけ見たが、今日は中に入る。

 ステーンというのは“石”の意味で、13世紀に建造され、元はアントウェルペン要塞ブルヒトと呼ばれていた。16世紀にカール5世が――さて、どこかで聞いた気がするが――増築したのだが、城の上下で石の色が違っているのはそのためらしい。

 その後、19世紀の半ばまでは監獄として使われ――これもどこかで聞いた話だ。城というのは使い途がなくなると監獄になるらしい――、その後は博物館になり、一時期、展示物を別の博物館に移してイヴェント・スペースになったこともあったが、現在は港の歴史博物館として使われているとのこと。

 昨日は閉まっていた扉の中へ入る。1階は船の模型展示とヴィデオ・ルーム、それに喫茶コーナー。2階は船室の一部や船の中で使われる道具の展示、歴史的な地図や写真、それに港のジオラマ。子供向けだけあって、子供がたくさん来ている。学校が休みだからだろう。子供がこういうのを見に来るのはいいことだ。動く展示は面白いからな。

 念のため競争者コンテスタントらしき人物がいないか探すが、他の観光客と一緒に来ていたら判らないだろうな。デボラといいマルーシャといい、女は他の観光客に紛れ込むのがどうしてうまいんだろう。

 聖ポール教会へ行く。今日は開いていて、しかも入場無料だった。ここは他の教会に比べて絵画の展示が格段に多い。ルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスなど、50枚以上もあるらしい。さらに彫像。教会の中だけでなく、横の庭にもずらりと並んでいる。が、こんな物を見に来たんじゃない。聖杯カリスだ。

 神父がいたので、ミサはいつやっているかを聞くと、毎日朝7時と夕方5時からだが、今は信徒しか入れないようにしていると言う。最近、教会のミサを狙う宗教テロが増えているからだそうで、聖母大聖堂以外は同じようにしていて、その聖母大聖堂も十分な警備の元に公開ミサをやっているという。「ヨーロッパが過去に移民を多く受け入れ過ぎたためかもしれない」と神父は嘆いていた。

 本当なのかね。俺の時代で、ヨーロッパがそんな風になってるなんて、聞いたことないけど。このステージの都合じゃないかなあ。架空世界が現実の歴史をベースにしている必要もないだろうし。

 更に神父が言うには、ミサなどの儀式に使う物は厳重に保管していて、教会には置いていないとのこと。他の教会では聖遺物箱レリクエリーを展示してたと言うと、「おそらく中身は空のはずです」とのことだった。この分じゃあ、教会に忍び込んでも聖杯は見つかりそうにないな。

 聖ジェームズ教会に着いた時には4時を回っていた。だが、後はこことルーベンスの家だけなので、間に合うだろう。外観はフランボワイヤン・ゴシックという、炎のような曲線の文様が特徴らしい。入場料は5フラン。

 中に入ると、ここもかなりの数の絵画が飾られている。祭壇の裏に埋葬礼拝堂があり、ここにルーベンスや彼の親族が埋葬されているらしい。墓碑は何語で書かれているのか判らなかった。上にはルーベンス作の『聖人に囲まれたマリア』が掲げられていた。モーツァルトが子供の頃にここへ来て、ルーベンスの墓を参拝し、オルガンを弾いた、ということもあったらしい。

 最後はルーベンスの家。聖ジェームズ教会から南へ300ヤードほど。最終入館の4時半ギリギリに着いた。12フラン。

 1610年にルーベンス自身が建物を購入、再設計と改装をして、自宅兼アトリエとして居住し、1640年に死ぬまでここで過ごしたそうだ。だから彼の寝室の他、キッチン、ギャラリーなどの部屋も見られ、各部屋には絵画の他にアンティーク家具や暖炉なども当時そのままの物が展示されている。

 とはいえ、街中ルーベンスだらけだからと思ってここへ来てはみたものの、ターゲットである聖杯の手掛かりになるものはなかった。閉館時間の5時まで休憩してから、ホテルへ帰ることにする。


「今日の被験者エグザミニーはこの時点で訪問場所ヴィジティング・スポッツを5ヶ所クリア。昨日と合わせて10ヶ所か。そのうち必須は8ヶ所。特にスタチューをクリアしたのは正直すごいと思うけど、あと2ヶ所が問題だろうね。今までと系統が違うから、教会や可動範囲にこだわっているとクリアできないはずだ」

「発想の転換が必要だけど、この後にスザンヌのイヴェントが控えてるから、そこで思い付けば何とかなるかもしれないわ」

「ミスター・ブルーはいかがです?」

 頬杖をついてディスプレイに見入っているブルーに、グレイが訊いた。うーん、と一声唸ってから、ブルーが口を開く。珍しく、声に明るさがない。

「昨日も言ったけど、スザンヌと出会うイヴェントは発生しても、その後が問題だ。イヴェントの発生を確認するまでは、何とも言えない。レッドの指摘したとおりだと思うよ」

「能動と受動のどちらのイヴェントでも?」

「そう。できれば能動の方が発生して欲しいが、いや、彼ならできそうな気がするんだけれども、それでもね」

「では、見ましょうか」

 被験者エグザミニーはホテルへの帰り道を歩いているところだった。

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