ステージ#7:第5日

#7:第5日 (1) グレイト・バリア・リーフ

  第5日-2002年2月7日(木)


 目覚ましが鳴るよりも早く目が覚めたので、メグに黙って早めに走りに出ようとした。が、ドアを開けたらやはりメグが立っていて、清涼な笑顔の挨拶をくれた。彼女はどうして俺が早めに出るのが判ったのだろう。もしかして、隣の部屋で聞き耳を立てているのだろうか。もしそうなら、俺が夜中に寝言でメグの名前を口走っていたことも聞かれているかもしれない。困ったものだ。

 ビーチに出る。やはりミズ・フレイザー改め、ノーミがいる。もちろんいつものように白い服、白い帽子、白いパラソルだ。朝日を見ていたが、俺の気配に気付いたのか、こちらを見た。艶然とした笑顔になり、くるりとパラソルを回して見せる。あれで挨拶のつもりなのだろう。彼女に向かって片手を挙げてから、走り出す。言葉は交わさなかった。

 走っていくと、また子供と犬がいた。犬はまた俺に吠えかかってくる。学習しないのか、それとも俺がそんなに怪しく見えるのか。

「チャーリー! やめろビライット、チャーリー!」

 子供が叫ぶ。その子供に向かって「おはようモーニン!」と叫ぶ。子供が叫び返してくる。元気がよくてよろしい。その先に走っていくとまた老人がいる。こちらは俺のことを一顧だにしない。これもまた一貫した行動でよろしい。

 ビーチの端まで行って、引き返してくると、老人はいなかったが、子供と犬はいた。犬はまた俺に向かって吠える。子供は俺のことを追いかけてくる。もちろん、こちらは手加減しないので、子供は追いつけない。

「明日も来る!?」

 子供の声だけが追いかけてきた。首だけ振り向いて返事をする。

「来るよ」

 少し先へ行って、ボールを投げながら走る。今日は風がほとんどないが、気のせいかボールが失速しているような気がする。肩が弱っているのかもしれない。後でジムで鍛えよう。

 ノーミのところまで戻って来たが、また横に誰かいる。中肉中背で、ブルーのポロ・シャツにグレーのスラックスをはいている。また新たな男が現れたのか、と思ってよく見たら、例の中年紳士だった。ウルルからここまでノーミを追いかけてきたらしい。なかなか熱心だな。ということは、また俺を目の敵にするつもりだろう。俺は相手をするつもりはない。ただし、メグに迷惑をかけることをしたら抗議しよう。

 二人で楽しそうに話しているので、こちらからは話しかけず、ホテルの方へ。が、部屋には戻らず、走ってカントリー・クラブに行く。メグが先に来ていて、俺の受付を済ませていた。嬉々とした笑顔が眩しい。

 ジムで肩を中心に運動する。大きな鏡の前でスローイングのフォームをチェックしてみたのだが、どこにもおかしいところはない。ただ俺の思い違いかもしれないので、何とも言えない。こういうのはコーチに見てもらわないと判らないからな。

 1時間ほど身体を動かして、メグと一緒に歩いてホテルに戻る。シャワーを浴びて朝食。メグが用意してくれた着替えは、派手な柄のアロハ・シャツに、カーキ色のハーフ・パンツだった。海に行くから開放的なカジュアルで、ということだろう。

 9時に出発するシャトル・コーチに乗ったが、何とメグも乗り込んできた。マリーナ・ミラージュでの手続きも彼女がやるということだったが、それくらいは俺が自分でやると言っても聞いてくれない。ツアーに付いてくることまではないが、船が出航するのは見送ると言う。小学生がキャンプに行く時の母親のようだ。いや、それ以上か。

 待合室は団体や二人連れで賑わっていた。若い男女もいれば、年寄りの男女もいる。子供連れも女二人組もいる。メグが受付をする間、待合室の片隅に立って周りの様子を伺う。困ったことにノーミがいる。昨夜、今日は出掛ける予定はないと言っておいたので、見つかると多少気まずいが、約束したわけではないし、朝になって気が変わったと言えばいいだろう。しかし彼女の方も、どこにも行かないと言っていたはずなんだがな。

 その彼女は、体格のいい褐色青年と話をしている。昨夜、ビーチで彼女がチャーリーと話をしているのを、木陰から覗いていた人物だ。それにしても色々な男から声をかけられるものだ。半ば呆れながら見ていたら、中年紳士と、チャーリーが相次いでやって来た。そして二人とも当然のように彼女の横や前に座って、青年との話に割り込もうとしている。喜劇だな。

 そのうちにメグが戻って来て、ツアーの予定を確認すると言う。そういうのはどうせツアーが出発してから船の中で案内されるものだと思っているのだが、仕事をしたがっているようなのでそれに合わせておく。

「9時半からご乗船いただけます。中でモーニング・ティーのサービスがあります。10時に出航。リーフのポンツーンへは90分の予定です。その間、船中でポンツーン上のアクティヴィティーや、海で使うダイヴィング用具、スノーケリング用具の使い方の説明があります。11時30分にポンツーンに到着。昼食は12時から1時30分までの間、アクティヴィティーの合間にビュッフェ形式でお召し上がりいただきます。2時40分頃、アクティヴィティー終了。点呼の後、3時頃にマリーナ・ミラージュに向けて出航。4時30分頃、ご到着予定です。その時には私がここにおります」

 メグの軽やかな声と口調で言われると、頭の中にすっかり入ったという気がするのが不思議だ。ビッティーの冷たい声と口調も好きなのだが、背筋がゾクゾクする感じのせいで頭の中に入ってこないのが難点だな。

「そろそろご乗船いただけます」

 メグの言うとおり、待合室の中が騒がしくなって、客が動き始める。3人の男が、我先にとノーミを船の中へ案内しようとする。俺がじっとそちらを見ているので、メグも喜劇に気付いたようだ。もちろん、黙っている。

「今行くと混雑してるから、もう少し後にしよう」

「ご賢明だと思いますわ」

「君はグレイト・バリア・リーフに行ったことは?」

「あります。一度だけですが」

「ダイヴィングもした?」

「いいえ、スノーケリングだけです。でも、水は透明でよく見えますし、魚たちが寄って来てとっても可愛らしいんです。あそこの魚たちは人間に慣れてるんです。あなたもスノーケリングを試されてはいかがですか?」

 底に足が着くならやってみてもいいが、魚が寄ってこないんじゃないかと思うと心配だ。

 出航の15分くらい前になって、おもむろに移動する。桟橋を歩いて行くと、全長が150フィートはありそうな、巨大な銀色の双胴船が泊まっていた。リーフレットで見たときはもっと小さいと思っていたので、少し驚く。水銀クイックシルヴァーだから銀色なのかもしれないが、何となく目に優しくない。しかし流線型のボディーはクールで子供が喜びそうだ。いかにも高速船という感じがする。

 乗り込む前に受付があるが、チケットを見せるのもメグがやってくれる。受付係とメグは知り合いのようで、軽く挨拶など交わしている。「いってらっしゃいませハヴ・ア・ナイス・デイ」とメグに声をかけられながら船に乗り込む。こんなことをされているのは俺だけで、幾分気恥ずかしい。4日も経ってるのにまだ慣れないんだな。

 中に入るとやはり広い。デッキは2階建てで、屋上もある。どこに座ってもいいようだ。カウンターでモーニング・ティーを勧められたが、朝食の時に十分飲んでいるので断る。1階の後ろの方に座って、前のノーミと3人の男の方を観察していたら、出航の合図があって船が動き出した。桟橋の方を見ると、メグが手を振っていた。ノーミの世話係はなぜいないのだろうと思う。

 すぐに、ライフ・ジャケットの着用方法と、緊急時の説明。それからアクティヴィティーの説明があった。もちろん、それらは出航前にもらったリーフレットに全て書いてある。スノーケリングにダイヴィング、半潜水艇セミサブ、そしてオーシャン・ウォーカー。オーシャン・ウォーカーというのは宇宙服のような円いガラス窓付きのヘルメットを被り、パイプで空気を送り込みながら水の中に潜るアクティヴィティーのことだ。海の底に潜るのも梯子だそうで、これなら泳げない俺でもできるかもしれない。が、水の中に入ること自体、遠慮しておきたい。半潜水艇セミサブで十分だろう。着替える手間がないのがいい。

 さらに、ヘリコプター遊覧というのもある。ポンツーンにヘリポートがある訳だが、それだけでもどれほど大きい施設であるかが判る。しかもそんな物を、世界遺産の中に建ててしまうんだからなあ。

 1時間と少しで、そのポンツーンに到着。波が静かだったので、早く着いたようだ。ということは、それだけアクティヴィティーを楽しむ時間が長くなるわけで、客にとってはありがたい。

 ポンツーンというのは元々浮き橋のことだが、こちらのポンツーンは鉄骨造りの2階建てのプラットフォームだ。船よりもさらに大きい。そこに更衣室やシャワー室、ビュッフェ・テーブル、休憩スペース、スノーケリングやダイヴィング用のデッキ、半潜水艇セミサブ用の桟橋などがある。海面下には展望室もある。

 しかもこれらが全て海の上に浮いている。もちろん錨で泊めてあるのだろうが、サイクロンが来たら流されていったりしないのだろうか。そんなことになったら世界遺産の珊瑚礁が台無しだ。

 スノーケリングやダイヴィングの準備のために右往左往している客を横目に、休憩スペースから海を眺めたり、下の展望室に行って海中を眺めたりする。いったん海に潜らないと決めたら、時間は売るほどある。ポンツーンは広いので、中を歩き回っているだけでも楽しい。

 もちろん、半潜水艇セミサブにも乗る。甲板は細長くて平たいが、梯子で3フィートほど下の展望スペースに下りると、船底がV字型をしている。つまり、両側が斜めにガラス張りになっていて、椅子に座ると左右に海の底が見放題、というわけだ。

 客は少ないが、大きな珊瑚の塊や、綺麗な熱帯魚の大群が見えるたびに、賑やかに歓声が上がる。俺の前には水着姿の若い男女が座っているが、女の方は子供のようにはしゃいでいる。やはりここはグループか家族連れで来るところのようだ。ただし、周りの客のことを気にせず、風景だけを楽しむのなら一人で来ても何ら問題はない、と思ってみる。負け惜しみかもしれない。

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