#6:第7日 (5) フェイク!
店を出て、イザベル2世庭園を横目で見てから、インファンタス通りを東へ歩く。闘牛場はたぶん開いていない、とドロレスは言ったが、一応見に行く。ひねくれているが、騎士と商工の家やサン・アントニオ教会だけを見に行っても、どうせバスの出発まで時間が余るだけだからだ。
カピタン・アンゴスト・ゴメス・カストリジョン通りというとても長い名前の通りを南へ半マイル歩くと、煉瓦造りの円形の建物が見えた。北側に"PLAZA DE TOROS"と書かれた入口があって、これが正面だが、赤い木の扉は閉まっていた。横に、町の地図と闘牛場の説明板がある。上から俯瞰で撮った写真が付いている。本当に綺麗な円形をしている。西側に張り出した建物は牛小屋だろう。
「あの名刺があれば、ここにも入れるんじゃないの?」
「それを見せる相手がいないなあ」
闘牛場の周りを歩く。東側に"Museo Taurino"と書かれた入口がある。博物館らしいが、これも閉まっている。プラサ・デ・トロス通りを西へ行き、フロリダ通りに出る。そういえばフロリダはスペイン語だった。
北へ600ヤードほど歩いて、サン・アントニオ教会へ。教区教会なので、それほど大きくはない。正面から見ると円形の塔の上に鐘楼が建っていて、今までに見てきた教会とは少し印象が違っている。その塔から、東の“
さて、歩廊がつながっている“幼子の家”と“騎士の家”だが、どちらも正方形の回廊様式で、両方見る必要はないと思われるので、騎士の家の方だけを見に行く。その騎士の家は北側に商工の家がつながっていて、合わせて“騎士と商工の家”と呼ばれる。商工の家は長方形、騎士の家は正方形で、一体として造ったかに見えるのだが、実は商工の家が16世紀に造られ、17世紀になって騎士の家がその延長として造られたらしい。西側から見るとその継ぎ目が判るのだが、東側――今、俺たちがいる側――から見ると判らない。
東側は歩廊になっていて、その途中に内側への入口がある。中庭があり、周りは全て回廊。広いが、フットボールのフィールドが造れるほどではない。庭を十字に横切る歩道があり、中央に円形の花壇がある。真ん中には噴水……があってもよさそうに思うのだが、ない。しかし、とりあえずそこまで行ってみる。
秋だからか、花壇の下草は枯れていて、植え込みの低木の色もよくない。そして庭の真ん中にあったのは白い石で造った八角形の囲いだけだった。昔はここに木でも生えていたのかもしれない。
周りには人もなく……と思っていたのだが、いつの間にか中央から伸びる十字の歩道のそれぞれに、人が立っている。どれも女だ。それが一斉に、ゆっくりと中央へ向かって歩いてくる。どれも見たことがある女だ。3人はついさっき王子の庭園で、もう一人は昨日装飾博物館の前でドロレスを襲った。今回は一致団結したわけだ。見渡すと東南の隅に、様子を見守るようにグレイの女が立っている。やはりあの女が手引きしていたのか。
それはともかく、四方を囲まれたのでは逃げにくいな。俺は植え込みを飛び越えられると思うが、ドロレスは無理かもしれないし。
「さっきはよくも邪魔してくれたわね」
さっきナイフを振り回してた女が言った。やはり目がちょっと普通じゃない。
「人が傷付けられそうになってたら助けるのが当たり前だろ」
「傷付けようとは思ってないわ。私たちのフェデリコ様にもう二度と近付かないと、その女が誓えばそれでいいのよ」
「やだ! そんなの絶対誓わない!」
いちいち反発するなって、ドロレス。相手を無用に刺激するだけだろ。
「私の恋人からも手を引いてもらうわ」
ナイフ女の反対側に立ってる女が言った。昨日のナイフ女だ。いや、今は4人ともナイフを持ってるから、どうやって区別しようか。君ら、番号付きのジャージー着てくれないか?
「恋人って誰?」
「アルトゥロよ! 忘れたとでも言うつもりなの!? あなたに毎日のように会いに行ってたのに!」
それ、俺じゃないよな? 小声でドロレスに訊く。
「誰だ?」
「知らないわよ。つきまとってくる男は何人かいるけど、いちいち名前を覚えてられるわけないでしょ」
つまり、
「冷静に話し合いで解決するわけにはいかない?」
「私たちは冷静よ! あなたが邪魔しているだけじゃないの!」
「
いや、全然冷静じゃないし、
「アーティー、どうするのよ!?」
「とりあえず君だけでも逃げるかぁ?」
俺がリード・ブロッカーになって誰か一人を押さえ込めば、ドロレスだけは逃げられるだろうな。俺は大怪我をするかもしれないけど。フットボールだと、ダブル・リヴァースの時に
「ドロレス!」
誰かが叫んだ。男だ。いつの間にか男が中庭に入り込んで、こっちへ走ってくる。よし、女たちの注意が一瞬でも逸れ……ないのはなぜだ?
「ドロレス!」
男がもう一度叫んで、何かを投げた。オレンジ色の……オレンジ? それがナイフ女に当たってくれたら……いや、当たらなかった。俺がダイレクトにキャッチしてどうするよ。
「
……
「
さっきと似たような状況になった。待つどころか振り返りざまに、追ってくる女に向かって、今度こそオレンジを投げつける……
西の回廊までたどり着いたが、出口はもっと南側にしかない。走って、出口を通り抜けて、騎士の家の西に広がるパレハス広場を斜めに突っ走り、王宮の方へ向かう。人が多いところへ行けば、奴らも追うのを諦めるはずだ。ナイフを持って人混みへ入ったら、さすがに警察に捕まるだろう。
エリプティカ広場にたどり着き、一安心。ドロレスがしゃがみ込んで息を切らしている。運動不足の自分を恨め。
「一体何なのよ、あの女たちっ!」
いやあ、君が男の誘いに簡単に乗りすぎるから、要らぬ恨みを買うんだと思うけどね。フェデリコ親衛隊から妬まれるのは、さすがに君のせいじゃないけどさ。
パレハス広場の方を見ると、女どもの姿はなかった。代わりに男が遠慮がちに駆け寄ってきた。
「ドロレス!」
さっき、オレンジを投げた男だ。ハンサムで、ひときわ実直そうで、しかも見覚えがある。アランフエス駅でドロレスに話しかけて、もう一人の男と喧嘩してた奴だろう。あれは一体どうなったのかな。
「パコ……あなたのおかげで助かったわ」
「怪我はなかったかい?」
男はドロレスに話しかけながらも、俺のことをちらちらと見て気にしている。“どうぞご自由にお話しください”と手振りで示してやる。
「彼は?」
いや、俺のこと気にすんなって示してやってるのに、訊くなよ。
「彼はアーティー・ナイト。合衆国からの旅行者よ。トレドの店へ来てくれたときに知り合いになっただけ。今日、ここで会ったのもたまたま」
おお、ドロレスにしては当たり障りのないうまい答え方をするじゃないか。ついでにこの男のことも紹介してくれよ。
「アーティー、彼はパコ。……ああ、本名はフランシスコ・デルガド。昔、トレドにいたときの友達で、今はこっちで農業をやってるわ」
「やあ、ミスター・デルガド。さっきは助かった。このオレンジがなかったら大変なことになっていた」
右手で握手しながら、左手に持ったオレンジを見せる。男は手に持った小さな鞄に、他にいくつもオレンジを入れていた。どうやら他の果物も入っていそうだ。なるほど、農業ね。確かに農夫系の顔だが、ややハンサムすぎるかな。
「初めまして、セニョール・ナイト。無事で何よりでした。ドロレスがアランフエスへ来ると聞いていたので、声をかけたくて探していたら、たまたま君らが騎士の家に入ったのを見かけて……いや、驚きました。あの女性たちは一体何なんです?」
「俺も知りたいくらいだね。ドロレスは可哀想なことに、見も知らぬ女どもから身に覚えのない恨みを買っているらしくてさ」
「本当かい、ドロレス?」
「私もよく解らないのよ。えーと……」
ようやく息が落ち着いたドロレスが、俺とフランシスコの顔を見比べている。何か話がしにくい事情でもあるのか。立ち話も何だから、と言って、近くのカフェへ入ることにした。その上で、洗面所へ行くふりをして席を外す。もちろん、あの女どもが乱入してこないよう、陰で見張る。
外ではパレハス広場に警察官がうろついているのが見える。ぜひ、逮捕してほしいものだ。15分ほどしてから席に戻った。
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