#5:第6日 (3) 招待のダイヤル

「どういうことなんだ?」

「ターゲットは再確保リカヴァリー可能な範囲内にあるということしか申し上げられません」

「つまり、まだ誰かが持っている?」

再確保リカヴァリー可能な範囲内にあるということしか申し上げられません」

 裁定者アービターが二度同じことを言った。海の中を探せば確保できるということか? いや、違うな。ベスがあの時、海に落としたのはターゲットの6ペンスじゃなかったということだ。手の中ですり替えたんだろう……マジックのように。

 だが、何のためにそんなことをした? まさか、彼女が競争者コンテスタントなんだろうか。いや、それはないだろう。ベスはレスリーが6ペンスを持っていることを最初から知っていたはずなんだ。そんな有利な立場にいる競争者コンテスタントなんて、考えられない。

 だがとにかく、ベスは何かの理由で、あの6ペンスを海に捨てたと俺に思わせたかったということだ。今から追いかけて、ホテルで問い詰めてみるか? それが一番いいはずなんだが……

裁定者アービター!」

裁定者アービターは既に応答中です」

 考え込んでいて時間がかかったから、エレインに戻ったかと思った。戻ってたらベッドに寝てるはずだから、よく見てりゃ判っただろうが。

「パライソ・マリオットはどこにある?」

「地図を表示しますか?」

「頼む」

 周りが暗くなって、床に地図が表示される。パライソ・マリオットの位置に吹き出しバルーンが表示された。マッシュルームのような形をした湾の、東の端の辺りにあって、港とはちょうど反対側だ。

平和の礼拝堂カピージャ・デ・ラ・パスは?」

 その南側の、小高い山の上に吹き出しバルーンが移った。この位置なら、今朝のヨットの上や、プエルタ・マルケスからも見られたはずだ。ノーラたちは何も言っていなかった。たぶん、場所を知らなかったのだろう。

 それはともかく、マリオットはここから5マイル、礼拝堂はそこから更に2マイルか3マイルはあるだろう。今から行っても十分間に合う。間に合いそうなんだが……

「地図をクローズしてくれ。エレインはもう寝ているか?」

「半睡状態です」

 周りが明るくなっていく中で裁定者アービターが答える。

「俺がもう一度アカプルコの街へ行くと言ったら付いてくるかな?」

「確率は低そうです」

「俺もそう思う。君とはどうしてこんなに考えが合うんだろうな」

「彼女の性格が極めて単純だからではないでしょうか」

 あーあ、その物ずばり、言っちまったよ。君も人が悪いな。そういうところも嫌いじゃないぜ。

「今日はもう3回も君を呼び出してるが、まさかあと1回しか呼び出せないなんてことはないよな」

「回数に制限はありませんが、1日に合計1時間までです。また、応答中に有意な質問がなかった場合、その後、6時間呼び出しができません」

「いくら俺が君に好意を持っていても、無意味な呼び出しはしないから安心してくれ。俺は少し出掛けてくるが、君はエレインがこのまま寝てしまうような精神状態に持って行ってくれないか」

「可能と思います」

「エレインに戻っていい」

 アヴァターがぱったりとベッドに倒れ込む。ちょっと出掛けてくると言うと「ふぁーいガレッ」という眠そうな声が返ってきた。さっさと寝てしまえ。

 さて、すぐにベスたちを追いかけてもいいのだが、その前に確認しておきたいことがある。オーロラ・デッキまで上がり、船内電話のダイヤルを回す。10回以上コールしたが、相手が出ない。

 まあ、こんな時間に相手がまだ船の中にいることを期待するのがおかしい。目的地に着いてしまったのだから、ほとんど全員、アカプルコの街へ行ってしまっているだろう。戻ってきているのは、昼食代を浮かせるために汽船シップで食事を――明日の昼まではダイニングでの食事は料金に含まれているのだ――摂ることにした連中くらいだ。

 これはいないな、と思って切ろうとしたら、12回目のコールで出た。

「ハロー、ごめんなさい、お待たせして……」

 相変わらず弱々しい声だ。こういうのは保護欲をそそる。

こんにちはグッド・アフタヌーン、アーティー・ナイトだ」

「あっ!」

 相手は小さく悲鳴をあげたと思ったら、そのまま黙ってしまった。うん? 何だ、その反応は。電話を待っていた相手が違ったということか?

こんにちはグッド・アフタヌーン……ティーラです」

「やあ、ティーラ。昨日はティー・タイムに誘ってくれてありがとう。今、何してる?」

「ええと……寝室で休憩していました。暑いところに慣れなくて……」

「体調が悪いのか?」

 その割には、朝のジョギングは昨日以上に張り切っているように見えたが。

「いいえ、そうではありません。少し寝不足なだけで……」

船室キャビンは揺れるから寝にくかったかな」

「いいえ、そうではなくて、その……あの……」

「うん、言いにくいのなら別に言わなくてもいいよ」

「はい……」

 放っておくと、昨夜はあなたのことをずっと考えていたので眠れませんでした、などと言い出しそうなので黙らせておく。

「ところで、昨日のお礼に、今から君をティー・タイムに招待したいんだが、どうかな。もちろん俺の船室キャビンは狭くて君を呼べないから、上のスター・ライト・ラウンジに来てくれないか」

「えっ……」

 驚きの声を発したまま、ティーラが黙り込んでしまった。深い息遣いの音だけが聞こえてくる。一応、予想していたが、かなり興奮してる様子だ。

「どうだろう?」

「あの……あの……とても、嬉しいです……喜んで、お招きに……」

「それはよかった。休んでいたということだから、着替えや何かにしばらくかかるだろう。ラウンジで待ってるから、いつでも君の都合がいいときに来てくれ」

「はい、いえ、すぐに用意して、行きます……あの、姉も一緒の方がいいでしょうか?」

「どちらでもいいよ、君に任せる」

「あ、はい、判りました……あの、すぐに行きます……」

「いや、ゆっくり用意してくれ。君の一番いい姿が見たい」

「あっ……あの……あの……解りました……」

 ちょっと気障なことを言ってしまったが、この程度はいいだろう。どうも彼女には優しくしたくなる。電話を切って、一番上のラウンジへ行く。船内はひっそりしていて、いつも騒がしかったインターナショナル・ラウンジさえ人影がまばらだ。もちろん、スター・ライト・ラウンジには誰もいない、かと思いきや、若い二人組ペアが景色を眺めながらカクテルなど飲んでいる。昼間から飲むなんて不健康な奴らだ。さっさと街へ出ればいいのに。

 バーテンダーにサンドウィッチを二人前と紅茶の用意を頼み、件の二人組ペアとは反対側の窓際の席で待つ。こちらは陸側で、ごみごみとした、と言っては失礼かもしれないが、実際そういう町並みが見えている。埠頭のすぐ近くにサン・ディエゴ砦が見えていて、その向こうに弓なりになった砂浜が延々と続いている。ノーラたちが泊まると言っていたマリオットは遠すぎて、ここからでは見えない。

 反対側の、二人組ペアが座っている窓の向こうには入り江の向こうに岬――名前を忘れた、ラス・何とかブラーブラーだったと思うが――とヨット・ハーバーが見えている。手前にある小さな突堤には先ほど乗ったヨットが泊まっている。もちろん、あちらの眺めの方が綺麗だ。

 15分ほど待っていると、階段を上がる微かな足音が聞こえて、ティーラがやって来た。ラウンジの中を見回して、俺の顔を見つけると、ほっとしたような笑顔を見せる。もう少し遅く来ると思っていたのだが、意外に早かった。しかし、綺麗に薄化粧をしているし、髪型も整っているし、清潔感にあふれた袖なしスリーヴレスの真っ白なブラウスと、薄手の涼しげなミント・グリーンのロング・スカートもよく似合っている。

 席を立って迎えに行き、エスコートして椅子を勧めた。ティーラは軽くスカートを摘まみ上げ、貴婦人の礼カーテシーをしてから座った。改めて見ても、かなりの美人だ。マルーシャが世の中の全ての美を集めた存在だとしたら、ティーラはその中から純潔ピュアとか無垢イノセントとかそういう良質な部分だけを精製した存在という気がする。まあ、マルーシャは俺に当て身を喰らわせた以外、汚れた部分は見たことがないし、ティーラだってもう少し見てみないと本質が判らないと思うが。

「あの……姉は他の人と会う約束があって出掛けているので、私一人で来ました……」

 一人で来たのは見れば判るが、マルーシャは人と会っているだと? まさか、ベスに会いに行ったんじゃないだろうな。だとしても、なぜベスがターゲットを持っていることを知ってるんだ。俺しか知らないはずなのに。

「うん、一人で来てくれて嬉しいよ。君の姉さんがいると、君と落ち着いて話せないからね」

「あっ、ありがとうございます……」

「せっかく休んでいるところを起こして済まなかったな」

「いえ、もう充分休みましたから……それに、あなたからお電話を頂いたので、目が覚めました」

 大したことを言っているつもりはないが、ティーラはいちいち大袈裟な感謝の意を表してくる。純真すぎて、ちょっとやりにくい。こちらがダーティーな大人に思えてくる。まあ、下心があるわけじゃないんだけれども。

 バーテンダーが来て、サンドウィッチの皿とティー・カップとポットをテーブルの上に置く。そして頼みもしないのにカップに紅茶を注いでいった。こういう場合、注ぐのは俺がやるのだと思うが。

「まだアカプルコの街には降りてないのか?」

「いえ、港の近くの聖堂と広場と、それから砦を見に行ったんですが……何となく、気分が優れなかったので、船室キャビンに戻って……姉は一人でケブラダの崖を見に行って、それから人と会うと言っていました。崖は飛び込みで有名らしいんですけど、私はそんなの怖くて見られないと思ってましたし……」

 ケブラダの崖か。朝、エレインが言ってたな。まあ、俺も一応ガイド・ブックで見たけど、マサトランの“飛び込みポイント”より遙かに高くて、一度くらいは見る価値があるだろうとは思ったが、見なかったからといって惜しいとも思わないという程度だ。

「他に君が行ってみたいと思ったところは?」

「ええと、コユカ湖の遊覧ツアーとか……とてもたくさんの鳥や、珍しい植物が見られるらしいので……それから、チルパンシンゴの街とか……」

「今日はこれからどこにも行く予定はないのか」

「ええ、あまり時間がないので……」

「ビーチに興味はない?」

「いえ、泳いでみたかったんですけど、思っていたより日射しが強くて、昼間はちょっと……」

 泳いでみたかったということは、水着を持ってきているということか。まあ、せっかく海があるのに水着を持ってこない手はないだろうが、彼女がどんな水着を持ってきていたのかは少し気になる。露出度の高いセパレーツではないと信じたいが。

「泳げるのか。羨ましいな。俺は泳げないんだ」

「そうなのですか?」

「マイアミ・ビーチへ遊びに行った時も、足が着くところでバシャバシャスプラッシングしたり、ビーチ・ヴァレーで遊んだりしてただけでね」

「そうなのですか……」

「この汽船シップのプールなら浅いから泳げるかもな。リド・デッキのあのプールで泳いだことは?」

「ありますが……」

「そうなのか?」

 今度は俺が訊き返す番だった。話の接ぎ穂のつもりで訊いてみただけなので、まさか本当に泳いだことがあるとは思っていなかった。

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