#5:第3日 (4) 隣の部屋の証言

 いったん船室キャビンに戻ってインフォーマルの服に着替え、パーサーズ・ロビーへ行く。事務長パーサーがいない。まだ出港していないから、ギャング・ウェイの下にいるのだろうか。まあ、わざわざ下に行ってまで訊くようなことでもない。戻ってくるまで待つことにしよう。

 その間に、掲示板ブレティン・ボードに新しい案内があるか確認する。特にないようだ。それから、乗客リストを見る。アンナ改めマルーシャ探しだ。"MARUSHA"だか"MARUSIA"だかは判らないが、たぶんそんな感じだろう。だが、やはりない。"MARCIA"も"MARSHA"も"MARTIA"もない。偽名で乗船しているのだろうか? いや逆に、マルーシャの方が芸名ステージ・ネームで、乗客リストには本名が書かれているだけなのだろう。結局、本名が判らなければどうしようもない。ただ、俺が勝手に名付けたアンナよりは、マルーシャの方が現実に近いだろうから、これからはマルーシャと呼ぶようにしよう。

 船に戻ってくる人が増えたり、夕食の時間が近付いてきたりで、人の動きが慌ただしくなってきた。今日の夕食は、俺たちは初めて早い組ファースト・シーティングだ。たぶん、マサトランの町で夕食を摂ってくる客が、汽船シップの方の食事をキャンセルしていて、そのせいで繰り上がったのだろう。同じテーブルになる客がまた変わるのかもしれない。

 事務長パーサーが戻ってこないうちに時間になったので、ダイニングへ行くと、見知った顔ばかりだった。デイヴィス老夫妻、健康食品のマックイーン夫妻、そしてミステリー・ファンのグレイスとルーシーだ。一緒に観光に行った4人組が遅い組セカンド・シーティングだというのは聞いていたが、どういう配慮でこういう組み合わせになったのかは判らない。

「知ってます? 昨日の夜、この汽船シップの中で、盗難事件があったんですって」

 最初のうちは、今日どこへ観光に行ったか、カクテル・パーティーはどんな様子だったかを話していたのだが、前菜のサラダとスープを食べ終わったところでグレイスが声をひそめて言った。

「盗難事件?」

 グレイスが目の前に座って俺に話しかけてくるので、反応しないわけにはいかない。俺が多少なりともミステリーに関心がありそうなので、聞いてくれると思ったのだろう。しかし、俺がまだ何にもしてないのに盗難が発生するとは。裁定者アービターは何も言わないので、他の競争者コンテスタントがターゲットを獲得したというわけではないだろうが。

「ええ、ネックレスが盗まれたらしいんです。昨日の夜に、そのネックレスの持ち主がラウンジかどこかへ行ってる間に、船室キャビンに忍び込んで盗んでいったんじゃないかって。カクテル・パーティーの時におしゃべりした人が、こっそり教えてくれました」

 こっそり、ねえ。まあ、それを他の何人に言ったんだろうっていう気はするけどね。

「ほう、しかし、どうしてそんなことを知ってるんだろう」

「その人、盗まれた人の隣の船室キャビンなんです。今朝、上陸の用意をしている時に、隣の人が騒いでるのが聞こえて、その後、事務長パーサーが来て、“ネックレス”とか“盗まれたストウルン”とかの単語が聞こえて……その人も昨日のトーク・ショーを聞いていたんですけど、ミッチェル夫妻の船室キャビンまで行って、事件を解決できないでしょうかって相談したらしいんです。でも、ミッチェルさんは船長キャプテンに任せましょうって……」

 ああ、そういう余計なことをする奴はいるだろうな。しかも乗客リストのせいで船室キャビンまで知られてるんだ。俺も何度もリストを見たから憶えてるが、ミッチェル夫妻はデラックス船室キャビンのはずだ。そんなところまで押しかけられたら、たまったものじゃないだろう。

「そりゃ、断るに決まってるよ」

「ええ、だからその人、こっそり自分で捜査してみようかって。私、あんまり余計なことをすると逆に犯人と疑われますよって言ってあげたんですけどね」

「それはいい判断だ。しかし、この汽船シップの客室の錠はかなり簡単なものだから、君たちも用心した方がいいな。万が一、部屋へ入られても大事な物を盗まれないように、目に付きにくいところに隠しておかなきゃあ。君たちはミステリーのファンだから、それくらいの用心はしているだろう」

 とは言ってみたものの、俺が棚の奥に隠したアクセサリー類がどうなっているかが気になる。あの後、まだあの場所にあるか確認してないからな。

「ええ、大事な物は全部トランクの中に入れて施錠してますし、そもそも私たちはそんな高価なアクセサリーなんて持ってきませんでしから」

「それが一番いい。エレインもたぶん持ってきてないだろう」

「だって私、アクセサリーなんてほとんど持ってないもの。それに、旅行に持ってきて無くしたら大変だし。そりゃあ私だって、クリスティンが着けてたような真珠のネックレスが欲しいことは欲しいけど」

 そんな物、着けてたかな。よく憶えていない。しかし、やはり女は女をよく見ているものだ。

「クリスティンって誰?」

 ルーシーが訊いてくる。彼女たちとは同じテーブルになったことがないのだろう。

「初日のディナーの時に同じテーブルにいた人なの。クリスティン・バーキンっていう名前で、お兄さんは医学博士MDで……」

「あら、バーキンって、たぶんその人よ、盗まれたのは。私に話してくれた人が、そう言ってたと思うわ」

「まあ、じゃあ、あの真珠のネックレス!」

 エレインが驚いて大きな声を出したので、隣で話をしていたデイヴィス夫妻とマックイーン夫妻にも聞こえてしまったようだ。もっとも、ジャック老人だけはこちらの話を時々聞いていたんじゃないかとは思っていたのだが。しかし、あからさまに気付かれてしまっては隠すわけにはいかないので、盗難事件があったことをグレイスが4人にも話す。もちろん、他の乗客には話さないで欲しいと頼んでいたが、そんな約束はすぐに忘れられるに決まっている。クルーズが終わる頃には、乗客の半分以上に知れ渡っているだろう。

「ほう、それは大変なことがあったんだね。しかし、私たちもそんな高価なアクセサリーは持ってきてないね。ベティーはチェーンのネックレスを持ってきていたが、あれは金メッキだったね?」

「ええ、他にはこの指輪くらいですわ。でも、石が付いていないので、こんな物を盗んでも大した価値はないでしょう」

「しかし、どうやって船室キャビンへ入ったんでしょうね? 合い鍵を持っていたのかな」

 サイモン・マックイーンが当然のように不思議がる。そりゃあ、ピックを持っていたに決まってるじゃないか。船室キャビンの単純なピンタンブラー錠なんか、普通の泥棒でもあっという間に開けられるぜ。ピックでなければ、パーサーズ・ロビーにあったマスター・キーを複製したんだ。この船に何度か乗ったことがある客がいたら、そいつの身体検査をすればいいだろう。もっとも、俺も身体検査をされたら困るには困るのだが。

「たまたま錠を掛け忘れていたのかもしれないな。エレイン、お前、ここに来る前にちゃんと施錠して来たか?」

「失礼ね、ちゃんと掛けたわよ」

「しかし、そんな泥棒が一緒に乗っているとなると、ちょっと困りますね。まあ、僕もリンもそんな高価なアクセサリーは持ってきていませんが……」

「私、指輪もイヤリングもネックレスも一つずつしか持ってきていなくて、シャワーを浴びる時と寝る時以外はいつも着けてるんです。だから、不在の時に客室に入られても、盗られる物なんてありませんわ」

 呆れた、このテーブルは質素な連中の集まりだな。しかしそうなると、俺が一番高価な物を持っていることになる。まあ、あれは財布の中に溢れてくるあぶく銭イージー・マネーで買ったものなので、盗られたからといって惜しくもない。むしろ、誰かにプレゼントした方がいいくらいだ。エレインには絶対にプレゼントしたくないが。

船長キャプテンは船内の捜索をするんでしょうか。そうなったら僕は喜んで協力しますが……」

「あら、でも、犯人は今日、マサトランの町でネックレスを処分してしまったんじゃないかしら。だから昨日の晩のうちに盗んだんじゃないかと思うんです」

 グレイスがなかなか鋭いことを言う。それは俺も気付いていた。しかし、俺が言うとやけに盗みのことに詳しいなどと思われては困るので、誰かが言ってくれないかと思っていたところだ。

「なるほど、さすがはミステリー・ファンです。しかし、そうなるともしかしたら今晩も盗難事件が発生するかもしれませんね。明日もプエルト・バジャルタに寄港するし、だからといって、下船する人全員の身体検査はできませんものね」

 ほう、"PUERTO VALLARTA"はプエルト・バジャルタと発音するのか。それはさておき、本物の泥棒がいるだろうとは思っていたが、知っている奴が被害に遭うというのはどうもなあ。それとも、この盗難事件もターゲットに関連するイヴェントの一部なのだろうか。まさか、俺が犯人として疑われるんじゃないだろうな。

「今夜とは限らないんじゃありませんか。今日はほとんどの人がマサトランの町へ行っていたから、その間に盗まれているかもしれませんわ。高価なアクセサリーは、木曜日のフォーマル・ディナーの時まで着けないという人がいたら、その人はそれまで盗まれたことに気が付かないかもしれませんね。船長キャプテンから皆さんに注意をして頂いた方がいいんじゃないかしら」

 それは乗客にとってはいい提案だと思うが、俺が動きにくくなるのが困るなあ。まあ、今のところは誰から何を盗むか決めているわけじゃないけど、監視の目が強くなってしまう。乗客全員の目はさすがにきついぜ。そんな中でターゲットを探してあれこれしていたんじゃ、あらぬ疑いをかけられかねない。

「ふむ、まあ、それはいい提案かもしれんが、本当に盗難があったかどうかは、まだ判っておらんのでしょう? 船長キャプテンの判断に任せればよいのじゃありませんか。盗難が事実であれば、そのうち何か動きがあるかもしれませんし、とりあえず今のところは我々は自衛していればいいでしょう。後は、知り合いにそれとなく注意してあげる程度でどうですかな」

 盗難の話で盛り上がろうとしているところを、ジャック老人がうまくいなしてくれている。俺としても、話が他の方へ逸れてくれるとありがたい。何とか、明日の寄港地のことに話を持って行けないだろうか。するとエレインが、そういえば明日は到着が早いから、早く寝ないといけないわ、などと言い出した。エレインにしては上出来だ。

「ああ、そういえば明日は8時入港か。それに、今夜も時計を1時間進めるんじゃなかったか?」

「そうですよ。ハリスコ州は中部時間帯です。マサトランと経度はほとんど変わらないですけどね」

 俺のわざとらしい発言に、サイモンが補足してくれた。"JALISCO"はハリスコと読むのか。それも知らなかったぞ。

「そうすると朝食の時間帯はさぞかし混雑するだろうな」

「そうでしょうね。プエルト・バジャルタは埠頭が狭いので、接岸せずにテンダー・ボートで上陸だそうですから、早く下船したい人は7時前から朝食に来るでしょう」

 そうすると明日は甲板でのランニングはほとんどできないかもしれないな。それはまあいいとして、話がうまくプエルト・バジャルタの方へ行ってくれた。グレイスもルーシーも盗難事件の方に話を戻そうとはしなかった。もし間違っていたら、変な噂を流さないでくれと船長キャプテンから苦情を言われるかもしれないからな。

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