#5:第3日 (4) 隣の部屋の証言
いったん
その間に、
船に戻ってくる人が増えたり、夕食の時間が近付いてきたりで、人の動きが慌ただしくなってきた。今日の夕食は、俺たちは初めて
「知ってます? 昨日の夜、この
最初のうちは、今日どこへ観光に行ったか、カクテル・パーティーはどんな様子だったかを話していたのだが、前菜のサラダとスープを食べ終わったところでグレイスが声をひそめて言った。
「盗難事件?」
グレイスが目の前に座って俺に話しかけてくるので、反応しないわけにはいかない。俺が多少なりともミステリーに関心がありそうなので、聞いてくれると思ったのだろう。しかし、俺がまだ何にもしてないのに盗難が発生するとは。
「ええ、ネックレスが盗まれたらしいんです。昨日の夜に、そのネックレスの持ち主がラウンジかどこかへ行ってる間に、
こっそり、ねえ。まあ、それを他の何人に言ったんだろうっていう気はするけどね。
「ほう、しかし、どうしてそんなことを知ってるんだろう」
「その人、盗まれた人の隣の
ああ、そういう余計なことをする奴はいるだろうな。しかも乗客リストのせいで
「そりゃ、断るに決まってるよ」
「ええ、だからその人、こっそり自分で捜査してみようかって。私、あんまり余計なことをすると逆に犯人と疑われますよって言ってあげたんですけどね」
「それはいい判断だ。しかし、この
とは言ってみたものの、俺が棚の奥に隠したアクセサリー類がどうなっているかが気になる。あの後、まだあの場所にあるか確認してないからな。
「ええ、大事な物は全部トランクの中に入れて施錠してますし、そもそも私たちはそんな高価なアクセサリーなんて持ってきませんでしから」
「それが一番いい。エレインもたぶん持ってきてないだろう」
「だって私、アクセサリーなんてほとんど持ってないもの。それに、旅行に持ってきて無くしたら大変だし。そりゃあ私だって、クリスティンが着けてたような真珠のネックレスが欲しいことは欲しいけど」
そんな物、着けてたかな。よく憶えていない。しかし、やはり女は女をよく見ているものだ。
「クリスティンって誰?」
ルーシーが訊いてくる。彼女たちとは同じテーブルになったことがないのだろう。
「初日のディナーの時に同じテーブルにいた人なの。クリスティン・バーキンっていう名前で、お兄さんは
「あら、バーキンって、たぶんその人よ、盗まれたのは。私に話してくれた人が、そう言ってたと思うわ」
「まあ、じゃあ、あの真珠のネックレス!」
エレインが驚いて大きな声を出したので、隣で話をしていたデイヴィス夫妻とマックイーン夫妻にも聞こえてしまったようだ。もっとも、ジャック老人だけはこちらの話を時々聞いていたんじゃないかとは思っていたのだが。しかし、あからさまに気付かれてしまっては隠すわけにはいかないので、盗難事件があったことをグレイスが4人にも話す。もちろん、他の乗客には話さないで欲しいと頼んでいたが、そんな約束はすぐに忘れられるに決まっている。クルーズが終わる頃には、乗客の半分以上に知れ渡っているだろう。
「ほう、それは大変なことがあったんだね。しかし、私たちもそんな高価なアクセサリーは持ってきてないね。ベティーはチェーンのネックレスを持ってきていたが、あれは金メッキだったね?」
「ええ、他にはこの指輪くらいですわ。でも、石が付いていないので、こんな物を盗んでも大した価値はないでしょう」
「しかし、どうやって
サイモン・マックイーンが当然のように不思議がる。そりゃあ、ピックを持っていたに決まってるじゃないか。
「たまたま錠を掛け忘れていたのかもしれないな。エレイン、お前、ここに来る前にちゃんと施錠して来たか?」
「失礼ね、ちゃんと掛けたわよ」
「しかし、そんな泥棒が一緒に乗っているとなると、ちょっと困りますね。まあ、僕もリンもそんな高価なアクセサリーは持ってきていませんが……」
「私、指輪もイヤリングもネックレスも一つずつしか持ってきていなくて、シャワーを浴びる時と寝る時以外はいつも着けてるんです。だから、不在の時に客室に入られても、盗られる物なんてありませんわ」
呆れた、このテーブルは質素な連中の集まりだな。しかしそうなると、俺が一番高価な物を持っていることになる。まあ、あれは財布の中に溢れてくる
「
「あら、でも、犯人は今日、マサトランの町でネックレスを処分してしまったんじゃないかしら。だから昨日の晩のうちに盗んだんじゃないかと思うんです」
グレイスがなかなか鋭いことを言う。それは俺も気付いていた。しかし、俺が言うとやけに盗みのことに詳しいなどと思われては困るので、誰かが言ってくれないかと思っていたところだ。
「なるほど、さすがはミステリー・ファンです。しかし、そうなるともしかしたら今晩も盗難事件が発生するかもしれませんね。明日もプエルト・バジャルタに寄港するし、だからといって、下船する人全員の身体検査はできませんものね」
ほう、"PUERTO VALLARTA"はプエルト・バジャルタと発音するのか。それはさておき、本物の泥棒がいるだろうとは思っていたが、知っている奴が被害に遭うというのはどうもなあ。それとも、この盗難事件もターゲットに関連するイヴェントの一部なのだろうか。まさか、俺が犯人として疑われるんじゃないだろうな。
「今夜とは限らないんじゃありませんか。今日はほとんどの人がマサトランの町へ行っていたから、その間に盗まれているかもしれませんわ。高価なアクセサリーは、木曜日のフォーマル・ディナーの時まで着けないという人がいたら、その人はそれまで盗まれたことに気が付かないかもしれませんね。
それは乗客にとってはいい提案だと思うが、俺が動きにくくなるのが困るなあ。まあ、今のところは誰から何を盗むか決めているわけじゃないけど、監視の目が強くなってしまう。乗客全員の目はさすがにきついぜ。そんな中でターゲットを探してあれこれしていたんじゃ、あらぬ疑いをかけられかねない。
「ふむ、まあ、それはいい提案かもしれんが、本当に盗難があったかどうかは、まだ判っておらんのでしょう?
盗難の話で盛り上がろうとしているところを、ジャック老人がうまくいなしてくれている。俺としても、話が他の方へ逸れてくれるとありがたい。何とか、明日の寄港地のことに話を持って行けないだろうか。するとエレインが、そういえば明日は到着が早いから、早く寝ないといけないわ、などと言い出した。エレインにしては上出来だ。
「ああ、そういえば明日は8時入港か。それに、今夜も時計を1時間進めるんじゃなかったか?」
「そうですよ。ハリスコ州は中部時間帯です。マサトランと経度はほとんど変わらないですけどね」
俺のわざとらしい発言に、サイモンが補足してくれた。"JALISCO"はハリスコと読むのか。それも知らなかったぞ。
「そうすると朝食の時間帯はさぞかし混雑するだろうな」
「そうでしょうね。プエルト・バジャルタは埠頭が狭いので、接岸せずにテンダー・ボートで上陸だそうですから、早く下船したい人は7時前から朝食に来るでしょう」
そうすると明日は甲板でのランニングはほとんどできないかもしれないな。それはまあいいとして、話がうまくプエルト・バジャルタの方へ行ってくれた。グレイスもルーシーも盗難事件の方に話を戻そうとはしなかった。もし間違っていたら、変な噂を流さないでくれと
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます