#5:第1日 (6) 謎のプロファイル

 船の調査を続けよう。ティー・パーティーは一人では参加しにくいので様子を覗くだけにして、カジノへ行く。カードやルーレットはチップを使っていた。コインを使っているのはスロット・マシーンだけだ。しかも普通の10セントダイムコインだった。儀式のセレモニアルコインとは関係ありそうにない。

 もしかしたら、ジャックポットを当てれば特別なコインが出てくるのかもしれないが、そうなるまでに何ドル使うことになるだろうか。まあ、例の黒いクレジット・カードを使えばいくらでも金が使えそうな気がしないでもないが、盗みとは違って“運頼み”だから、きっとターゲットとは関係ないだろう。

 念のため、カジノの両替係に、特別なコインが使用されているかを聞いてみたが、ないという明確な答えが返ってきた。それからカジノの壁に何か記念のコインでも飾っていないかと見てみたが、特に何もなかった。詳しく調べようと思っていたのに、全く期待外れだった。前回はおぼろげながらもターゲットが何かを推測しながら調査を進めることができたが――結局、それはまるっきり間違っていたのだが――今回は早くも手掛かりがゼロになった。

 しかし、裁定者アービターに発破をかけられているので、諦めずに図書室へ行く。俺の船室キャビンの六つ分くらいのスペースで、壁際に本棚、窓際に椅子とテーブルが並べられている。蔵書は数百冊くらいかな。最新の雑誌もある。今の時点では何を読んだらいいかも判らない。しかし、前に推理小説がヒントになったことがあるから、ここでも注意してみることにしよう。それ以外には、汽船シップに関する本か。コインに関する何かが載っているかもしれない。

 それから、寄港地となるメキシコの都市について。取っ掛かりにはこれが一番よさそうだ。メキシコの観光情報の本が棚の一角を占めているくらいだ。もっとも、メキシコ・シティーやユカタン半島、アステカ文明、マヤ文明の本が多くて、これから行く西海岸の本は限られていた。しかもそのうちの半分くらいはアカプルコだ。3日目のマサトランは俺でも名前を知ってるくらい有名なところだが、本が少ないのはおそらく早くも借り出されたからだろう。

 ただ、俺としてはマサトランにはあまり期待していない。何かあるとしたら4日目以降だと思っているから、俺のよく知らないプエルト・ヴァラータ――正しい発音すら判らない――の情報から調べてみることにする。観光ガイド本を開く。

 石畳の道に赤い屋根の家が並び――いやはや、どこかで見たような景色だな――たくさんのブティックや土産物屋、宝石店などが――そんなものに興味はない――半戸外セミ・オープンエアのレストランで昼食を――いやまあ、どこかで食べるだろうけどね、でも、別にどこでもいいし――ホリデイ・イン、フィエスタ・アメリカーナなどの有名ホテルで、ビーチ、プール、テニス、水上スキー、パラセーリング、乗馬などを楽しみ――アクティヴィティーが古い時代のものだなあ――有名なミスマロヤ・ビーチで海水浴や日光浴――さっきとほとんど同じじゃないか――ジャングル・ツアーの後は海岸でバーべキューを――これは家族向けだろうな。

 ふむ、この程度か。コインの博物館があったりしないのかね。そういえばメキシコの通貨は何だ? たぶん財布の中に……あった、ペソか。何だ、ドルも入ってるぞ。状況に応じて使い分けろってか。まあ、いいか。俺の金じゃないし。

 そして、その次の日のマンザニロは……情報が少ないなあ。ボリヴィアの“錫王”アンテノール・パティーニョが1974年に立てた豪華なホテル“ラス・ハダス”で有名? 巨大プールやいくつものテニス・コートや18ホールのゴルフ・コース……まあ、そんなところで遊びたいとは思わないが、有名なら一度は行っておくか。他にはろくな情報が……ダメだ、斜め読みじゃあほとんど情報が得られない。夕食までたっぷり時間があることだし、腰を落ち着けてじっくり読んでみるか。

 6時からはドレス・コードでフォーマルにしなければならないので、本を借り出して船室キャビンへ戻る。エレインはまだ戻っていなかった。あいつ、一体どこにいるんだ。シャツとスラックスを着替え、ネクタイを緩めに締めて、ベッドに寝転んで本を読む。あまり意味はないと思いつつも、プエルト・ヴァラータで見所になっている場所の名前をメモする。

 それにしても情報が少ない。まあ、汽船シップに乗ってから情報を仕入れようとする客なんて、そう多くはないだろうからな。本来は乗る前に調べて来るもんだ。何をすればいいか判らずに乗ってるのなんて、俺たち競争者コンテスタンツくらいのもんだろうよ。

 1時間ほどするとエレインが戻ってきた。

「どこへ行ってたんだ、フォーマル・タイムに入ってるぞ」

「映画館よ。途中で抜けるわけにはいかないし、終わるまで着替えなくてもいいって言ってたわ」

「新作らしいな」

「そうよ、3日前に公開したばかりだって。見に行こうと思ってたから、ただで見られてよかったわ」

 エレインらしい思考だ。だが、記憶や知識が2065年じゃなくて1975年に合わせてあるらしい。

「アーティー、私、着替えるから、外に出てどこかで待ってて」

「図書室で待ってる。時間どおりにダイニングへ行くつもりだが、何かあったら呼びに来てくれ」

「解ったわ」

 上着ジャケットを掴んで廊下へ出て、歩きながらネクタイを締め直す。プロムナード・デッキまで上がると、ウェイターが料理を載せたワゴンを押して行くのとすれ違った。夕食の時間にルーム・サーヴィスか。体調が悪くて船室キャビンで食べるのかな。まあ、スイートやデラックスの客なら、人と会いたくないためにそういうこともするだろうさ。

 図書室へ本を返し、窓際の椅子に座って別の本を読む。外はもう真っ暗で、周りには灯り一つ見えない。さすが海の上だな。

 それにしてもマンザニロのことは何も書いてないなあ。町としては古くて、エルナン・コルテスがカリフォルニア半島の探検に出発した地ということだ。しかし、リゾート地として作られたばかりだということらしい。こんな所に行って一体何をするんだ? 何もしないのを楽しむのかね。まあ、リゾート客としてはそれでもいいんだろうな。俺としては……キー・パーソンとの友好でも深めるかあ。まだ見つかってないけどな。

 8時10分前くらいにエレインが呼びに来た。光沢のあるグリーンのイヴニング・ドレスを着て、女ぶりを上げている。眩しいくらいに似合っているのだが、たぶん内面は釣り合ってないと思う。アクセサリーは着けていなかった。あいつのことだから持ってないんだろうな。

 ダイニングへ行くと、ウェイターがうやうやしく出迎えてくれた。さすがはフォーマル・タイムだ。席は昼間と同じ場所だったが、もう一つテーブルをくっつけて8人掛けになっている。向かい側にはやはりデイヴィス夫妻がいて、隣のテーブルには若い男女が2組座っていた。

 料理が来る前に、互いに自己紹介をする。二人組ペアのうち、一組はジョニーとクリスティンのバーキン兄妹シブリングズ。ジョニーはスタンフォード大のメディカル・スクールを卒業した精神科の医者だそうだ。前のステージで知り合ったドクトルと比べると、しゃべり方が軽くて、とても精神科医には見えないが、親しみやすさを演出していると受け取っておこうか。

 もう一組はサイモンとリンのマックイーン夫妻で、健康食品の販売代理人ディストリビューターをやっているとのこと。そう聞いただけでいかがわしい商売じゃないかなどと思ってしまうのは、例によって俺の時代感覚が違っているからかもしれない。

 ウェイターがテーブルの間を回ってカナッペを配り歩く。それからサラダとスープを平らげる。最初の方はエレインが昼間と同じくデイヴィス夫妻の相手をしてくれていたのだが、途中から隣のジョニーと仲良く話し始めてしまった。おかげで俺が老夫婦と話すはめになった。

 ジャック老人は野球とフットボールが大好きらしく、年に何度かはサンディエゴ・パドレスやチャージャーズの応援に駆けつけるという。老妻の方は野球もフットボールもルールすら全く判らないらしいが、老人と一緒に観戦に行くらしい。俺が元フットボーラーだと口を滑らせると、その後はフットボールの話ばかりになった。

 ジャック老人は今シーズンのチャージャーズのゲームを一通り解説した後で、2年目のQBダン・ファウツには期待していたのに、どうも今一つのようだ、などと嘆いている。実際のところ、ダン・ファウツは1973年から87年まで15年に渡ってチャージャーズの先発スターティングQBとなる存在で、後に殿堂入りも果たす名プレイヤーなのだが、今ここでそれをジャック老人に教えてやれないのはとても残念だ。

 魚料理にはスズキのパイ包み焼きが出てきた。ソースがうまい。ジャック老人もうまいと唸っている。老妻がこのソースはショロンというのだと教えてくれた。スズキのパイ包み焼きにはこれが定番らしい。白ワインはソーヴィニョン・ブランで、芳香がよくて後味がすっきりしている。口直しのシャーベットはリンゴ味で、どうやらシードルがかけられているらしい。

 肉料理のために赤ワインのジンファンデルの栓が抜かれて、仔牛のフィレのローストが出てきたところで、ジャック老人がおかしなことを言い始めた。

「君、アーティー、昼間からずっと気になってたんだがね」

「何が?」

「どうも君の名前をどこかで聞いたことがあるような気がするんだが」

 そんなことあるわけがない。だいたい、俺はこの時代には存在していない人間じゃないか。もっとも、ここは現実の1975年じゃなくて、仮想世界の中なので、多少なりとも実際とは違っているのかもしれないが。

「確かフロリダのマイアミ大と言ったね?」

「そうだ」

「オレンジ・ボウルに出場していたんではないかね? いつだったかな。そう、確か5、6年前の、ネブラスカ大とのゲームだったと思うが。ほら、あの、第4Qに3TD取って大逆転した……」

 冗談だろう。何度でも繰り返したくなるが、そんなことあるわけがない。20世紀にマイアミ大がオレンジ・ボウルに何度か出場したことはあるはずだが、それが俺が本当に先発した2061年と同じ結果だったなんて、そんな偶然が起こるものか。

「ああ、いや……そうだ」

 だが、俺の記憶とは別に、口が勝手に動いた。いや、そうじゃない、俺は1969年のオレンジ・ボウルに出場したことを“憶えてる”んだ。それが本当は2061年のゲームだということを認識しているにもかかわらず!

「ほう! やっぱりそうだったか! いや、私はそのゲームは見てなかったんだがね、私の従兄のビルというのがフロリダのタンパに住んでいて、毎年オレンジ・ボウルを見に行ってるんだよ。そのビルが、ゲームが終わった後でわざわざ家に電話を架けてきて、あんな大逆転は初めて見たって、もう手が着けられないほど興奮してしゃべりまくったんだ。それだけじゃなく、後で新聞まで送ってきてね。もちろん、4大ボウルの結果はこっちでも新聞に詳しく結果が載ってたんだが、そんなことがあったものだから、あのゲームのことは特によく憶えてるよ。ああ、そうだ、確か、その年の先発スターティングQBが最終戦かその前のゲームで怪我をして、君が代役で出場したんじゃなかったかね?」

「ああ、ジョルジオ・トレッタが怪我でね」

「そうそう、そんな名前だった。彼は確かドルフィンズにドラフト指名されたけど、期待外れバストだと言われて2、3年で解雇されたんじゃなかったかな。君はドラフトにはかからなかったのかね?」

「ああ、ずっと控えだったからな。先発スターターで出場したのはあのゲームを合わせて全部で3回だけだったし、それ以外には大した活躍もなかったから」

「そうかい、それは残念だ。私もその後、君の名前が新聞にも出ないものだから、どうなったのかと思ってたんだがね」

 つまりこれが、今回の仮想世界の中での俺の経歴プロファイルって訳だ。現実の出来事がほぼそのままに、年代だけがスライドされている。もちろん、全部が全部スライドされてるんじゃなくて、うまく整合が取れるようにマージされてるんだろう。俺の“記憶”でもそうなっている。

 例えば、さっき話が出た1969年当時のマイアミ大のヘッド・コーチはチャーリー・テイトだ。その他にも、俺が実際に一緒にプレイしたことのない奴の名前が頭の中に渦巻いている。それだけじゃなく、俺は昨シーズンの、つまり1974年のカレッジ・フットボールの結果を、知らなかったはずのことまでよく“憶えている”……気持ち悪いことこの上ない。

 その後もデザートが終わってコーヒーが出るまで、ジャック老人とずっとフットボールの話をした。老妻の方は穏やかな笑顔を浮かべながらずっと俺たちの話を聞いていた。エレインはジョニーとTV番組の話をしているし、その他の3人は健康食品の話で盛り上がっている。

 食事が済むとエレインは若い4人とラウンジへ行くと言って出て行った。俺はワインを飲み過ぎて頭が痛くなったので――本当はジャック老人の話に付き合っているうちに、記憶が混乱しそうになって気分が悪くなっただけだが――船室キャビンへ戻ることにした。老夫妻は上のバーへ行ったようだ。

 船室キャビンに戻ってからシャワーを浴びて、ベッドに寝転がりながらひたすら本を読んだ。エレインはなかなか戻ってこなかった。

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