#5:第1日 (2) アービターからの警告

裁定者アービターが応答中です」

 姿はエレインのままで、声だけが裁定者アービターに突然変わった。そしてこちらを向いて直立した。同時に、身体が発光し始めたように見える。いや、さっきからぼんやりと光っているようには見えていたんだけれども、それが顕著になったような感じだ。

「エレインと同じ船室キャビンになることを、どうして最初に言わなかった?」

「ご質問がありませんでしたので」

 質問がなければ何も教えてくれないのか、などと開き直りたくなる。しかし、エレインの顔で、それと似合わない丁寧なしゃべり方をされるのはどうも調子が狂う。

「同行者が必要になる理由をもっと詳しく説明してくれればよかったんだ。だいたい、エレインが俺にくっついて船旅クルーズなんかに来るはずがないだろう?」

「その理由については既に記憶としてインプット済みですが、改めて説明が必要でしょうか?」

 そう言われて“思い出した”。この船旅クルーズはエレインが洗礼名協会ホーリー・ネーム・ソサエティー慈善くじラッフルで当てたものだ。そして彼女の母親と一緒に来るつもりだったんだが、車の事故で入院してしまい、父親はその看病、弟は学校を休めず。友人や親戚に聞いて回った結果、唯一スケジュールが空いていたのが俺だったので、仕方なく一緒に来ることになった、というのがその理由だった。つまり、くっついて来たのはエレインではなくて俺の方で……いやいやいや、そういうことじゃないって。

「じゃあ、従兄と二人で参加してる女が他にもいるってのか?」

「はい。特に珍しい例ではありません」

 そう答えられたら他に文句の付けようがない。単に俺の方が気にしすぎなのだろうか。それとも、この時代と俺の時代による考え方の差か。まあいい、どうせ相手は本物のエレインじゃないんだ。そもそも、船室キャビンにいるときは裁定者アービターとして扱えばいいだけだからな。姿だけはどうしようもないけれども。

「解ったよ。じゃあ、別の質問。今回のこの船旅クルーズはメキシカン・リヴィエラ7日間ってことらしいが、クルーズ終了までが期限なのか?」

「はい。より正確には、7日目の24時が制限時間となります。なお、今回の行程ではタイム・ゾーンを東へ向かって2回通過します。詳しくは船内で案内がありますが、時間の繰り上げが2回発生しますので、ご注意下さい」

「タイム・ゾーン……そうか、ロスとアカプルコに時差が2時間あるということなんだな?」

「はい」

「いつ繰り上がるんだ?」

「船内で案内があります」

「一般的なルールを教えてくれ」

「船内新聞、掲示板ブレティン・ボード、及び夕食の際に、時差の調整が案内されます。夜の1時になりましたら、時計を1時間進めることになります」

 通常時間から夏時間に切り替わるときは夜中の2時になったら3時に進めるが、それが1時になるわけだ。

「この腕時計は勝手に調整されるのか?」

「いいえ、ご自分で調整をお願いします」

 いや、待てよ、これ、本当にスマート・ウォッチなのか? ターゲットの判別と、裁定者アービターとの通信以外、ろくな使い途がないじゃないか。

「ところで今日は何年何月何日なんだ。エレインなら知ってるんだから代わりに君が答えたっていいはずだな?」

「はい。1975年2月16日、日曜日です」

 また20世紀に戻った。だいたいそれくらいだろうとは思っていた。それにしても、どうも気になる舞台設定だ。どこかで見たようなことがある気がする。まあ、そのうち思い出すだろう。

「他に質問がなければエレイン・ガーロットに戻ります」

「待て、ずっとそのままでいるわけにはいかないのか?」

裁定者アービターとの通信中は外の時間が止まってしまいますので」

 そうか、忘れていた。しかし、そうなると夜はやっぱりエレインとこの船室キャビンで過ごさなければならないわけだ。いっそ、ラウンジとかそういうところにずっと寝泊まりするわけにはいかないものか。でも、この時代のクルーズ船の館内設備なんて24時間営業じゃないだろうし、無理だろうなあ。

「アーティー、昼食の時間を確認してきて。遅い組セカンド・シーティングだったら、ルーム・サーヴィスを頼めるかどうかも訊いてきて」

 考え込んでたらエレインに戻ってしまった。相変わらず人使いの荒い奴だ。しかし、外に出ている間はエレインの顔を見ずに済むから助かる。

「それから、私、しばらく休憩したら水着に着替えてプールへ行くから、船室キャビンに入るときはノックしてよ」

「……アヴァターなのに泳ぐのか」

「何か言った?」

「何でもねえよ」

 とにかく、なるべく船室キャビンに戻らないでおこう。エレインに用があれば船内電話を使えば済むことだからな。それまでは船内を探索だ。ターゲットの……あれ?

裁定者アービター!」

 船室キャビンの外に出ようとしたが、思い直して振り返り、腕時計に向かって呼びかけた。エレインは屈み込んでスーツ・ケースを開けようとしていたが、膝を揃えて床に着け、顔をこちらの方に向けて答えた。

裁定者アービターが応答中です」

「済まないが、ターゲットが何だったかもう一度教えてくれ」

 アヴァターの話のごたごたのせいで、ターゲットが何だか忘れてしまった。確か何とかのコインだった気がするが。なぜこういうこと大事なことが、頭の中にインプットされていないんだ?

「ターゲットの詳細情報についてはお答えできません」

「そうじゃなくて、ターゲットが何かだ。聞いていたはずだが、根本的なことを忘れてしまったんだ」

「ターゲットは儀式のセレモニアルコインです。これ以上の情報は現時点ではありません」

「判った」

「以下は裁定者アービターからアーティー・ナイトへの警告です」

 エレインのアヴァターが立ち上がって、真っ直ぐ俺の方を見つめながら言った。ちょっと待て、何か怖いぞ。機嫌が悪いときのエレインよりずっと怖い。

「アーティー・ナイトはステージ終了後のクリエイターからのコメントにおいて、たびたび情報収集不足を指摘されています。計画的かつ詳細な情報収集に努めて下さい。特に今回のステージでは3日目までに、ある特定の情報を得る必要があります。これが得られない場合、ステージのクリアは至難となりますのでご注意下さい。同行の裁定者アービターも情報収集には参加できますが、具体的かつ適切な指示が必要となります。最大限の活用をお願いします。以上です」

「……解った」

 まさかこんな厳しい警告を受けるとは思わなかった。俺としても情報収集はしていたつもりだが、計画的でないのは解ってるし、その努力がちゃんと実ってないし、中途半端な情報から勝手な想像で進めているのは自覚しているところだ。今回はエレインのことで余計な気を遣ってしまっていた。ここは素直に反省するしかない。

「アーティー、何してるのよ、早く行ってきてよ」

 アヴァターの声がまたエレインに戻った。どっちの声に従うべきなのか判りゃしない。とりあえず、船室キャビンの外へ出る。うん、待てよ? 俺を使い走りにするのはエレインらしい行動パターンだが、これはパーサーズ・ロビーの辺りを重点的に調べろという、裁定者アービターからのヒントに読み替えるべきなんじゃないのか?

 早速、パーサーズ・ロビーへ行く……その前に、そこまでの各フロアをもう一度確認する。まず、今いるカプリ・デッキ。他のフロアでも同じだと思うが、進行方向に沿って右側と左側の二つの通路がある。部屋番号は右側の通路沿いにあるのが奇数で、左側の通路沿いにあるのが偶数だ。船室キャビンは全部で80ほど。ほとんど舷側だが、内側の方にある場合もある。内側の船室キャビンには当然窓がないわけで、せっかく汽船シップに乗っているのに海が見えないのは残念なことだ。その分、室料が安いのだろう。

 船首に近い方へ行くと通路がクランク状に曲がって内側に寄ってくる。船首は狭いのでこんな配置なのだろう。この辺りはシングル・ルームかもしれない。だったらその船室キャビンをあてがって欲しかった。まあ、慈善くじラッフルで当たった旅行なんで、文句は言えない。ツインでまだよかったくらいで、ダブルだったら大変なことになってた……と思ってしまうが、それはこの仮想世界の単なる設定であって、もっといい船室キャビンに泊まらせて欲しかったという気がする。俺の他に二人、競争者コンテスタンツがいるはずだが、そいつらはどこの船室キャビンに泊まっているんだろうか。

 内側には他に洗濯室ランドリーなどの作業スペースがある。汽船シップの中央辺りは映画館になっている。ちょっと覗いたところでは、上のバハ・デッキまでぶち抜きになっているようだ。なかなか広い。80席くらいはあるだろう。映画は今日の午後から上映、とある。前部に比べて後部には船室キャビンが少ない。機関室に近いので、うるさくて客用に向いていないからかもしれない。

 一つ上のフロアへ行く。バハ・デッキ。廊下などの造りはカプリ・デッキとよく似ている。うっかり間違える人もいるに違いない。バハ・デッキと違うのは、後部まで船室キャビンが続いていること。だから部屋数は150以上もある。内側の船室キャビンも多い。映画館と作業スペースを除くと、このフロアには船室キャビンしかないという印象を受ける。ある意味、一番面白くないフロアだ。

 さらに上がってオーロラ・デッキ。これも造りは下の二つのフロアと似ているが、ちょうど中央部に縦の通路アーケードがあり、その両脇にパーサーズ・ロビーや売店、ブティックなどが並んでいる。

 パーサーズ・ロビーの前の掲示板ブレティン・ボードで食事の時間を確認する。部屋番号で時間が決められていて、俺たちは昼夜とも遅い組セカンド・シーティングに当たっているようだ。昼食は1時半からで、夕食は20時から。本日の夕食はフォーマル・ディナーとある。ということは、ドレス・コードもフォーマルということだ。タキシードかダーク・スーツを着用しなければならない。前のステージで王女に作ってもらったスーツが早速役に立つことになったが、まさか着る機会があるとは思わなかった。

 ルーム・サーヴィスがあるかどうかは判らない。まあ、ホテル並みの設備だからあるとは思うが、どうやって利用するのかを確認する必要がある。もっとも、こんなことは乗船の時に説明されているはずで、エレインが知らないというのがおかしい。

 事務長パーサーに聞きに行こうと思ったら、天井のスピーカーからチャイムの音が聞こえて、それに続いて案内放送が入った。乗務員向けの避難訓練を始めると言っている。パーサーズ・ロビーから事務長パーサーが巨体に救命胴衣を着けながら出てきて、どたどたと走っていった。

 そういえばこの汽船シップでは乗客向けの避難訓練はやらないのだろうか。俺の時代では必須になっているのだが。ともかく、乗務員のほとんどが避難訓練に参加しているようでは、ルーム・サーヴィスのことを訊く相手がいない。

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