ステージ#5:第1日

#5:第1日 (1) サン・プリンセス号の出航

  第1日


 目を開けた。どこかの建物の前にいた。外にいるのだが、大きな屋根の下にいる。広いガレージのようだが、そうではない。どこかで音楽が流れている。汽笛の音が聞こえた。何だ、もう埠頭ピアに来てるんじゃないか。とすると、ここはターミナルで、乗船手続きをするところか。

 周りには人がたくさん歩き回っている。みんな旅行用の服装をしている。とはいえ、かなり古い時代のファッションに見える。さっき目の前を通り過ぎた若い男のサングラスなんて、100年くらい前に流行った型じゃないか?

 話し声に耳を澄ましてみる。英語のようだ。してみると、合衆国か連合王国か。確かステージは汽船シップの中だったな。タイタニック号にでも乗せられるのかね。あれはいつ沈んだんだっけ。20世紀の前半くらい?

「ヘイ、裁定者アービター……じゃなかった、エレイン!」

 アヴァターがいない。おかしいな、さっき目を閉じるまではすぐ前にいたんだが。振り返っても姿が見えない。旅行鞄もスーツ・ケースもない。いつの間にか周りを歩く人が増え始めている。中年夫婦、家族連れ、若い二人組ペア、団体客などがひしめいている。みんなこれから船旅クルーズに出るところと見えて、うきうきした顔に見える。こっちはいきなり相方とはぐれてそれどころじゃないんだが。

 エレインはどこへ行ったんだ? 汽船シップに乗ることになってるんだが、チェック・インはもう終わったんだろうか。荷物を持っていないのでポケットを探る。おいおい、いつの間にかジャケットを着て、スラックスなんて穿いてるじゃないか。

 そのジャケットの内ポケットから、チケットの写しのようなものが出てきた。どうやらチェック・インは済んでいるようだ。しかし、バゲージ・タグの半券もないなんて、全部エレインが持ってることになってるんだろうか。待ち合わせていたのに置いてけぼりを喰らわせるところなんて、実にエレインらしい行動パターンだ。仮想人格とは思えないほどだな。

 それはさておき、チェック・インが終わっているならもう乗船してもいいだろう。人の流れに従って通路を歩く。途中に係員がいて、チケットをチェックしている。チェック・インせずに乗り込もうとする客もいるからな。俺もそうだが、船旅クルーズに慣れていないとみんな間違えるんだ。チケットを見せて通路の方へ入る。チケットなしに乗れるの見送り客だけだ。

 汽船シップの姿が見えた。煙突ファンネルに、髪をなびかせた女性の横顔をモチーフにしたロゴが描かれている。どうもどこかで見たような。立ち止まっている客や、見送りから降りてくる連中をかき分けながら、ギャング・ウェイを駆け上がる。プロムナード・デッキでは白い制服を着た男が数人、客と立ち話をしていた。船長キャプテン事務長パーサー、一等航海士の連中だろう。レセプションの一環だな。

 肩章の金筋が4本の男を捜す。他の客と話し込んでいる。じゃあ、3本の男だ。いた。恰幅がよくて、口髭を生やしている。金髪の中年婦人とちょうど話し終えたところだ。

「失礼、船長キャプテン?」

 事務長パーサーだと思うが、こういうときは判っていても船長キャプテンと間違えるのが礼儀ってもんだ。

「私は事務長パーサーのバーナード・ワトソンでございます。ご乗船でいらっしゃいますか? ええと、ミスター……」

「アーティー・ナイトだ。連れを探してるんだが、見つからなくってね。ちゃんと乗ったはずなんだが、身長はこれくらいで、髪は黒くて、後ろでアップにしてて……」

「申し訳ありませんが、500名以上のお客様がいらっしゃいますので」

「そうだな、大きなボートだからな」

汽船シップですよ」

「ああ、汽船シップね」

 500人乗りくらいなら、俺の時代ではボートクラスだ。よく目にしているフォート・ローダーデイル発の巡航クルーズ汽船シップは3000人乗りだからな。まあ、時代に合わせて汽船シップと呼ぶことにするが。

 ようやく船長キャプテンがこちらを振り向いた。こちらも恰幅がよくて、ホテルのオーナーか支配人に見える。

「どうかしたのかね、事務長パーサー

「こちらがお連れ様とはぐれられたそうで」

なるほどアイ・シー。私が船長キャプテンのパトリック・マクギボンです。サン・プリンセス号へようこそ」

「ありがとう、船長キャプテン、アーティー・ナイトだ。今、事務長パーサーに従妹のエレインの容姿を説明してたところでね。身長はこれくらいで、髪は黒くて後ろでアップに……」

「ミス・エレイン・ガーロットのことでしょうか?」

「ああ、それだ」

 もう少し聞いていてくれたら“ちょっと可愛らしい顔をした”くらいは言おうかと思っていたんだが。

「私はお客様のお顔とお名前は忘れないことにしていましてね。先ほどミス・ガーロットにはご挨拶いたしましたよ。たぶん船室キャビンか、でなければ展望オブザヴェーションデッキにおいででしょう」

「やあ、そうだったか。乗ってさえすれば後は何とかなるよ。ありがとう」

「どういたしまして、ナイトさん」

「チャオ、船長キャプテン

 何か冗談でも言おうかと考えていたところで、後ろから別の男が声をかけてきた。金髪で額が広くて、口髭を生やしていて、どことなく威厳がある。映画俳優が社長を演じている感じだ。

「おお、ようこそ、フォルティーニさん! 我々のサン・プリンセス号にご乗船いただき光栄です」

 船長キャプテン事務長パーサーの注意がいっぺんにその男の方へ行ってしまった。どうやら有名な客らしい。この男も、どこかで見たことがあるような気がしないでもない。

「こちらこそ。これは娘のシンシアだ。よろしく頼む」

「ようこそ、ミス・シンシア。船長キャプテンのパトリック・マクギボンです。こちらは事務長パーサーのワトソンです。メキシカン・リヴィエラ・クルーズを7日間、ごゆっくりお過ごし下さい。あの有名なフォルティーニさんとお嬢さんがご乗船とのことでしたので、船長キャプテンからのプレゼントとして船室キャビンにシャンパンを用意いたしました」

「ありがとう、船長キャプテン。よろしくお願いします」

 若くて可愛らしい娘が船長キャプテンと優雅に挨拶を交わしている。言葉に少しイタリア訛りが入っているように聞こえるが、エキゾチックで魅力的なアクセントだ。エレインもあれくらい行儀よく挨拶したのか心配だ。

 ともあれ、船室キャビンへ向かうことにする。船室キャビン……どこだ? 内ポケットからまたチケットを取り出す。C29とある。船室キャビンの番号が判ってもどこにあるかは判らない。船内の見取り図デッキ・プランがどこかにあるはずだ。船内散策がてら探してみることにする。それなりに大きい汽船とはいえ、500人乗りなら6階層か7階層くらいしかないだろう。一番上から見ていっても高が知れている。

 で、その一番上がラウンジと展望スペースのあるオブザヴェーション・デッキ。エレインがいるかもと言われたのだが、いなかった。次が操舵室とバー、プールなどがあるリド・デッキ。続いてラウンジ、カジノ、美容院などがあるリヴィエラ・デッキ。そして乗船したときに最初に通ったプロムナード・デッキ。船室キャビンがあるのはこのフロアから下だ。一つ下は事務長控え室パーサーズ・ロビーや売店、ブティックなどがあるオーロラ・デッキ。

 そのパーサーズ・ロビーの前の掲示板ブレティン・ボード見取り図デッキ・プランと部屋割りが書かれた紙が貼られていた。オーロラ・デッキの下がバハ・デッキで、そのさらに下がカプリ・デッキ。C29号室はカプリ・デッキにあるらしい。オーロラがAで、バハがBで、カプリがC。ABC順だ。言葉遊びだな。

 で、エレインは……部屋番号順と名前のアルファベット順のリストがあるので、アルファベット順のリストのGのところを探す。あった。ガーロット、エレイン、C29。待て、俺と同じ船室キャビンなのか? 部屋番号順のリストを見る。C29、アーティー・ナイト、エレイン・ガーロット。

 待て待て待て。もしかして、“二人かそれ以上の組の制約”ってのは船室キャビンの都合ってことなのか? しかし、いくら親戚とはいっても、未婚の若い男女がツイン・ルームってのは問題があるだろう。

 2フロア下まで階段を駆け下り、廊下を走りながらC29を探す。ない。偶数ばかりだ。じゃあ、もう一つの廊下か。あった。C29のドアをノックする。

「誰?」

 船室キャビンの中からエレインのぞんざいな声が聞こえる。

「アーティーだ。開けてくれ」

「待って」

 1分ほども待った後でようやくドアが開かれた。なぜそんなに時間がかかるんだ。着替えていたわけでもないだろうに。

「どこへ行ってたのよ、ずっと探してたのに」

 顔だけは可愛らしいが、エレインそのままのしゃべり方だ。まるで本人としゃべってるような気がしてくる。そのエレインの後に付いて部屋の中へ入る。

「それはこっちの台詞だ。それはともかく、俺にも鍵をよこせ」

「あら、そうだったわ、忘れてた」

 エレインはそう言ってベッド・サイドに置かれた封筒から鍵を取り出して俺に渡した。やっぱり相部屋なんだな。しかし、エレインはそのことについて何とも思ってないのか。いくら仮想人格とはいえ、俺と一つの船室キャビンで寝起きすることに対して何か思うところがあってもよさそうなものだが。

「それから、裁定者アービターと話がしたい」

「何ですって? 裁定者アービターって誰?」

 おかしい。こいつは裁定者アービターじゃなくて、本物のエレインなのだろうか。まさかそんなことが。いや、もしかして……エレインが横を向いた隙に、腕時計に向かって呼びかけた。

裁定者アービター!」

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