#4:第6日 (10) 屋根裏への隠し通路

 廊下へ出て、階段まで車椅子を押して行く。エレヴェーターはもちろんないので、持ち上げて運ぶ他ないのだが、手伝いを呼ぶわけにはいかないし、かと言って車椅子ごと持ち上げるわけにもいかないだろう。合わせて160ポンドはあるぜ。こんなの持ちながら階段を上がれるかっての。

「玉体を床に降ろすことはなりませんよ、アルトゥール」

「では、もう一度玉体に触れることをお許しいただけますか」

「許します」

 いっそのこと、王女だけを先に王の部屋へに運んでしまおう。その方が面倒が少ない。もう一度王女の身体を持ち上げ、階段を上がり、王の部屋へ入って書き物机の椅子に座らせる。錠を掛けずにおいたのが幸いした。それから階段の下へ戻って車椅子を運んでくる。王女は物珍しそうに部屋の中を見回していた。入ったことがないわけではないだろうが、久しぶりに入ったからかもしれない。まあ、王女がいつここに忍び込んだとか、そんなのはどうでもいいことだが。

「どこにあるのですか?」

「どこだとお思いになりますか?」

 王女に質問返しなんていうのは不遜も甚だしいのだが、これくらいは許してくれるだろう。現に、嬉しそうにしてるじゃないか。

「暖炉や壁ではないのでしょうね」

「はい。そして天井でもありません」

「そうすると……」

 王女の視線が床に注がれる。そう、天井にも壁にも抜け穴がないのなら、床しかない。地下室への抜け穴を床に開けるのは普通だが、屋根裏への抜け穴を床に開けるなんてなかなか奇抜じゃないか。もっとも、俺自身もまだその存在を確かめていないのだが。

「ベッドの下ですか?」

「なるほど、それもありそうです。マットレスを持ち上げると、下に穴が空いている、という仕掛けですね。しかし……」

 俺は壁に歩み寄り、書き物机の横の壁をノックした。中身が詰まっている音がするが、それは壁が厚いためだ。

「この壁の向こうに、隠し通路があります」

「この壁の……では、この書き物机の下に?」

「それを今から確かめてみます」

 まるでTVの科学番組サイエンス・ショーの司会者だな。書き物机を持ち上げ、左の方へ2ヤードほど寄せる。ちょうどそこの壁からもクラシックなランプが突き出している。つまり、ここに書き物机を置いても全く不自然ではないわけだ。それから床のラグを巻いていく。下にはもちろんカーペットが敷かれているのだが、よく見ると切れ目が入っている。その部分を同じように巻き上げていく。幾何学模様になった木の床が現れた。わずかだが、隙間が空いているところがある。その隙間をたどると、1ヤード×1ヤード半の長方形になっている。大当たりボナンザだったな。

「その床が、外れるのですね?」

 王女が期待に満ちた声を漏らす。きっとこういうのが好きなんだろうなあ。湖底トンネルのことを初めて聞いた時も、狂喜乱舞したに違いないって気がする。さて、王女のおっしゃるとおり、何とかしてこの床を外さないといけないのだが、取っ掛かりが見当たらない。暖炉の火かき棒でこじ開けることもできそうだが、もっとスマートなやり方がありそうだ。王女からもらったペーパー・ナイフを床の隙間に入れ、探っていく。短辺の一つには蝶番があり、その反対側が爪のようなもので留まっている。鍵穴もないし、この爪を外すには……

「アルトゥール、ランプを動かしてみなさい」

 突然、王女から声が掛かった。ランプだと?

「私が幼少の頃、この部屋に入れていただいたことがあります。その時、王が、ランプを動かすと危ないので触らないようにと言われました。ですから、そのランプを動かすと、何事かが起こるのに違いありません」

 なるほど、ランプね。しかし、この王女、俺が床の何を調べてるとも言わなかったのに、よく判ったな。立ち上がって壁のランプのところへ行く。床から7フィートくらいの高さだから、軽く手を伸ばせば届く。ん、7フィート? ということは、子供の頃の王女がこれを動かそうと思ったら、机の上に乗るくらいしないと手が届かないぞ?

 あああ、この王女、やっぱりとんだお転婆だ。今の容姿からは、想像もつかない。机の上に乗ってたんだ! それはともかく、ランプを動かす……壁から、鉤型に曲がった支柱が突き出している。ランプの本体を持って、回せばいいのか? ガリガリッという少し錆び付いた感触があって、ランプの支柱が回転する。回りきった手応えがあったが、何も起こらない。反対側に回しても同じだった。王女が不思議そうな顔をする。

「アルトゥール、何も起こらないではありませんか」

「そのようですな」

 だが、何事かが起こるのに違いないっておっしゃったのは王女なんだけど。

「しかし、何も起こらないのなら動く理由がわかりませんね」

 お転婆王女のわりに、いやに理屈っぽいことを言う。これはゲルマン系の特徴かな。

「この装飾がよく見えるようにするためですかな」

 ランプの支柱に優美な装飾が施されているから、回転させるとそれがよく見えるようになる。王女はがっかりした表情を隠さなかった。

「私の記憶が違っていたのでしょうか……」

「確かにこのランプでしたか?」

「何のことです?」

「ランプは全部で四つあります。殿下がお叱られになったときに触れておられたのはこのランプでしたか? それとも……」

 王女が目をぱっちりと開いて驚いている。その表情が、今までの威厳と高貴さに満ちあふれたものと全然違っているのにはこっちが驚いた。マリーとそっくりじゃないか。もしかしてこれが素じゃないのか。しかし、次の瞬間には元の“王女の顔”に戻っていた。

「アルトゥール、気が付きませんでした。しかし、もう十数年も前のことです。どのランプだったか、全く憶えていません」

「それは残念でしたな」

 まあ、一つずつ試してみればいいし、四つのランプの動かし方の組み合わせだったとしても。2の4乗で16通り、たかが知れている。ダイヤル錠なんかよりよっぽど簡単だ。もしかしたらどこかにヒントが隠されているのかもしれないが、それを探すより実際にやってしまった方が早いだろう。

 まず、一番右端のランプを動かす。右にいっぱいまで動かしても何ともなかったが、左ではちょっとした手応えがあった。続いて右から2番目のランプ。先ほど左右に動かしたときは何も感じなかったが、今回もやはり感じない。とりあえず真ん中に戻しておく。ただし、それだと左・中・右の3通りになって、それが四つで81通りだな。まあ、それでもたいしたことはない。

 そして3番目。左に動かしても何もなく、右に動かすとやはりちょっとした手応えがある。何のことはない、ピンタンブラー錠を開けるのと同じように、手応えに気を付けていけば判るじゃないか。

 そして暖炉を越えて、一番左側のランプ。ここまでは、左、中、右、と対称形になっているので左右どちらに動かすか迷ったが、よく考えたらどっちからでもいいので、まず左に動かしたが何も手応えはなく、右に動かすと……バネが戻るような手応えを感じた瞬間、床からカタンと小さな音がした。

「アルトゥール、床が!」

 テーブルがあった場所に戻って下を見ると、隙間で区切られた四角い床の一辺が、少し持ち上がっている。何世紀前に作られた仕掛けか知らないが、いまだにちゃんと動くとは驚きだ。さすがゲルマン民族の匠の技だな。

 浮いた床の一端に指を掛けて持ち上げると、階段が現れた。覗き込むと、高さ6フィートほどの穴が空いていて、壁の向こう側へ通り抜けられるようだ

「ここを通れば屋根裏に行けるのでしょうか?」

「おそらく」

「アルトゥール!」

 いや、そんなに興奮しなくても、解ってるって。屋根裏に連れてけって言いたいんだろう? 連れてくのはいいけど、王女を抱きかかえて高さ6フィートの穴をくぐり抜けるのは結構大変そうなんだが。

「では、王女、今一度玉体に……」

「許します」

 即答だな。期待が膨らむばかりといった感じの王女を抱き上げ、抜け穴の階段を降りる。木の階段がきしむ音がする。何年前に補修したか知らないが、腐っていて踏み抜けるなんてのだけは勘弁してほしいものだ。狭いので、王女に身体を縮こまらせてもらえないと通れない。階段を降りきると、頭を下げ、膝で這うようにして狭い穴を通り抜ける。王女も首をすくめている。抱きついてくれると少しは楽なんだが、王女にそんなことは頼めないよな。

 苦労して穴を抜けると、その先は狭くて急な螺旋階段になっていた。上がるのは問題ないが、降りる時は大変そうだ。

 階段を上がりきると、屋根裏とおぼしき場所へ出た。あちこちに明かり取りの窓があるせいか、暗くはない。それに意外と湿っぽくないし、思ったほど埃もない。もしかして、定期的にメンテナンスしてるのか? それはともかく、どこかに屋根の上へ出るための跳ね上げ戸があるはずだ。脱出用にこんな隠し通路を作ったのなら、あって当然だろう。

「アルトゥール、そこに梯子が……」

 王女も同じように探していたようだ。おっしゃるとおり、短い梯子が屋根に取り付いていて、そこに天窓のような戸板がはめられている。梯子の下に立ってその戸板を見上げる。王女も同じように見上げてから、俺の顔を見た。早く上がれという意味か。

「殿下、一つご注意申し上げます」

「何か」

「屋根の上に出られても、あまり騒がれませんよう。手が滑ったら、下に落ちてしまいます」

「心得ています……しかし、アルトゥール、もしそのようなことになったら、あなたが身を挺して私を助けるのですよ。それが帝国騎士の務めです」

 いや、それ、心得られないから。狭い梯子の段を、ゆっくりと昇る。跳ね上げ戸の施錠は閂だけだったので、王女が外した。積極的だなあ。そして王女がその戸を上へ開く。空が見えた。もう一段上がると、山が見えた。

「アッハ!」

 王女が感嘆の声を漏らす。湖の北岸が見える。丘陵が北西の方向へ連なっていく。西を見ると、ラエティアが見える。リッツェル島も見える。少し強い風が吹いてきて、王女の栗色の髪を靡かせる。

「アルトゥール、湖が! 湖が見えました! リッツェル島も……」

 今までにない笑顔で王女が話しかけてくる。それが困ったことに、マリーの笑顔に本当にそっくりだ。間違いなく血がつながってるよなあ。

「アルトゥール! もっと上に昇らないと、南側が見えません!」

「殿下! あんまりおはしゃぎになると落ちますよ!」

「ヴァス!?」

 悲鳴を上げながら、王女が抱きついてきた。驚いた時もやっぱりマリーにそっくりだ。写真のギーゼラはゾフィーに似ていると思っていたのだが、そのギーゼラにそっくりなはずの王女の素顔が、実はマリーに似ているとは! 抱きつかれたままバランスを崩さないようにして、梯子の一番上まで昇り詰める。

「殿下! 南側はご覧になれますか?」

「見えます! アルトゥール、とてもよく見えます! とても、とても素晴らしい景色です! とても、とても……」

 王女が歓喜の声を響かせる。その後、興奮が治まったのか、王女はしばらく黙って景色に見入っていた。それから、首がねじ切れるのではと思うほど左右に大きく振る。視界に入る限りの、360度の景色を目に収めようとしているのだろう。その表情は生き生きとしていて、先程までの少しやつれた様子は微塵もなかった。

「アルトゥール……」

 15分以上も景色を見続けた後、すっかり力の抜けた王女の声が聞こえた。

「はい、殿下」

「大義でした。もう降りてよろしい。景色は……十分に眺めましたから……」

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