#4:第3日 (2) 窓から見える島

 昨日と同じく6時に起きて顔を洗いに行く。下へ降りるとまたマリーがいた。

おはようグーテン・モルゲン、アーティー。今日もいい天気だよ」

 笑顔が爽やかなのはいいが、服装は相変わらず薄汚い。ただし、頭の寝癖はない。濡れているから、既にシャワーを浴びたのだろう。俺たちの朝食の準備があるので、少し早めに起きて身支度をしたのに違いない。

おはようグッド・モーニング、マリー。天気がよくて何よりだ。足の調子はどうだ?」

「アーティーは毎日心配してくれるんだね。もうほとんど痛くないよ。明日には治るかなあ」

「今日も帰ってきたら冷やすんだ。痛くなくても、内部ではまだ治りきってないんだからな」

「うん、解った。朝食はいつ運んだらいい?」

「用意ができてるんならすぐに運んでくれ」

「そうする。今日も早く出るの?」

「そうだな、食べ終わったら出る」

「じゃあ、部屋で待ってて」

 部屋へ戻るとすぐにマリーが朝食を持ってきた。小走りで階段を上がってきたが。蹴躓いて転げ落ちないようにしてもらいたい。

「アーティー、ラエティアとザンクト・マルティンとモントフォールのこと、ゾフィーに訊いてきたよ」

「ああ、ありがとう」

「この紙に書いておいたからね」

 渡された紙を見ると、ドイツ語だ。同時通訳機能のせいで、俺がドイツ語を読み書きできると勘違いされているらしい。まあ、仕方ないか。

 それはそれとして、朝食を見ると、内容が昨日の夕食とほとんど同じだ。違うのはサンドウィッチを置いてあるのが薄い板の代わりに皿になっていることと、飲み物がワインの代わりにコーヒーになっていることくらいだ。この国の連中は朝晩同じ物を食っているのか。それとも、単に昨日の夕食の残りか。しかし、パンはどうやら焼きたてだった。この家で焼いているはずはないから買ってきたのだろうが、この国のパン屋ベーカリーはかなり早起きらしい。

「アーティー、窓開けるよ。空気入れ替えるから。ああー、この部屋から外を見るのは久しぶりだなー」

 マリーは朝食と観光メモを持ってきたらすぐに下に戻るのかと思ったが、まだいる。しかも勝手に窓を開けて外の景色を眺めている。既に畑での作業着姿だし、下ですることがないのだろうか。だからといって客の部屋でだべってギャブリングいてもいいわけがないと思うのだが。

「マリー、そこに島が見えるよな」

「うん、見えるよ」

 俺の部屋は東向きで、湖の方を見ると王女が滞在しているという島が見える。といっても、ちょうど建物の隙間からわずかに見えているだけだが。

「あの島には何か名前が付いてるのか?」

小島インゼルヒェン

 一昨日のB&Bの留守番娘も小島アイレットと言っていたが、まさかそれが正式名称とは思わなかった。まあ、同じ規模の島が近くになければ間違えることもないだろうし、特に凝った名前なんて必要ないかもしれない。

「それで、あそこのお屋敷レジデンツをヴァッサーシュロスって呼んでるよ」

 また“ヴァッサーシュロス”が同時通訳されなかった。しかし、意味はだいたいわかる。“水の城”だろう。“丘の城ヒューゲルシュロス”と対比させているわけだ。屋敷にしか見えないものを城と呼ぶのは少し違和感があるが、俺の頭の中での城の定義と、この国での城の定義が違っているせいだろう。

「あそこに今、王女が滞在しているらしいな」

「そうみたいだね。結婚式があるのに、いつ王宮に帰るんだろうってみんな言ってる」

 どうやらマリーは王女の滞在理由を知らないらしい。

「体調が優れないらしいな」

「そうみたい。歩けなくて車椅子に乗ってるらしくて、みんな心配してるんだけど、誰も詳しいことを知らないの」

 報道管制か。まあ、王族の病気の情報を逐一国民に報告することもないだろうからな。

「王女を見たことはあるか?」

「あるよ、もちろん! 直接お会いしたこともあるんだよ。基幹学校ハウプトシューレへお越しになったの! 3年くらい前かな、本日は王族の方のご訪問がありますって先生が言うから、誰だろうって思ったけど、それが王女様だったの! 突然だったので、みんなびっくりして大騒ぎだったよ」

 どうやら体調を崩す前はそれなりに人気があったようだな。今はあまり話題にならないようだが。そんなに人気のある――人気のあった――王女からネックレスを奪うのは良心が咎めるので、盗んでもいい理由をちゃんと探さないといけないなあ。

 朝食を食べ終わると、マリーがトレイを下げながら言う。

「アーティー、今日はラエティア? 船は6時半頃に出るはずだから、もう間に合わないんじゃない?」

 普段、船とは全く関係ない生活をしているのに、よく知っているな。泊まり客に訊かれたりしていたのだろうか。

「ああ、その前にちょっと寄り道していくんだ。次の船は9時半頃だろう?」

「そうだよ。もし急ぐのなら、ホーエンブルクへバスで行って、直行便に乗るといいよ」

「わかった。ありがとう」

 俺が礼を言うとやけに嬉しそうな顔で笑う。なぜここまで懐かれているのか、全く理由がわからない。一緒に部屋を出て下に降り、マリーは“中”へ戻り、俺は外へ出た。すぐにマリーが後ろから追いかけてくる。並んで歩き始めたが、別に話しかけてくるわけでもない。ただひたすら嬉しそうな顔をしている。仕方ないのでこちらから話しかける。

「マリー、ワイナリーへはどうやって行けばいいんだ?」

ワイナリーヴァイングート? 歩いて行けるよ。一番近いところなら、1時間くらいかな。バスでも行けるよ。ホーエンブルク行きに乗って、運転手に言って、途中で降ろしてもらえばそこから歩いて10分くらい。週末なら、港の前から送迎バスが出ることもあるみたい。そっちの方が、いろんなところを回れていいかも」

「マリーは行ったことあるのか?」

「あるよ。基幹学校ハウプトシューレから見学に行った。一番近いところは私の働いてる畑から葡萄を運び込むから、去年行ったよ」

 なるほど、マリーに関係のあるワイナリーがあるのか。それは行ってみた方がいいかもしれない。だが、いつ行くかが問題だ。今日と明日は時間が取れそうにない。明後日の、イーデルシュタイン行きの時に時間を作るしかないだろう。さて、階段のところへ来た。

「じゃあ、アーティー、よい一日をシェーネン・ターク!」

「ありがとう、マリー、君も仕事を頑張ってくれ」

 マリーと別れ、階段を降りる。ラエティア行きの船まで3時間ほどあるが、時間を潰す予定は立てている。といっても、城の横の展望台から湖を眺めながら、ラエティアの観光地のリーフレットを読み直すというだけだが。

 細い道を城に向かって歩いていると、パンを持った人とよくすれ違う。近くにパン屋があって、みんな買いに行っているのだろう。城の下まで来た。ハゲで巨漢、もといレッティンゲルの土産物屋は閉まっていた。まあ、まだ7時前だからな。

 坂と階段を登り、城前の展望台に出る。湖の眺めが素晴らしい。この眺めはなかなか見飽きない。城の方を見る。跳ね上げ橋のところには誰もいない。もちろん、まだ観覧時間前だ。柵があるわけでもないので、城の扉のところまで行けそうだ。どんな錠を使っているのか気になって、見に行く。旧式の南京錠パドロックで、鍵穴の形からウォード錠と思われる。レヴァータンブラー錠が発明される以前の、一番原始的な錠だ。これなら簡単に開くだろう。もちろん、今開ける気はない。そういうのはやはり夜に限る。

 さて、ラエティアの観光地。リーフレットは一通り見ているので、マリーがくれたメモが気になる。しかしドイツ語だ。簡単な単語なら綴りから意味を類推できるのだが、文章となるとそうはいかない。モントフォールやザンクト・マルティンのことも書いてくれているし、読めないからといって使わないのも申し訳ないので、翻訳する方法を考える。

 下の観光案内所ヴィジター・センターに情報端末があったから、あれを使えないだろうか。あるいは係員に頼めば英訳してもらえるかもしれない。ただ、観光案内所ヴィジター・センターはまだ開いていないだろう。開くのは9時頃ではないかと思う。やはり今はリーフレットを読むしかないようだ。単に読むだけではなくて、ターゲットに関係ありそうなことが書いてないかの“裏読み”までする必要があるが、それほど量もないので小一時間で終わってしまう。

 何もすることがなくなって、湖を眺める。小島も、その上に建つ屋敷もよく見える。少し離れて建っているのは礼拝堂だろうか。王女ならずとも、人がいそうな部屋はないかと思って見ているのだが、気配を窺うことすらできない。しかし、人がいないわけではない。現に、庭を歩き回っている男がいる。屋敷の庭師だろうか。さすがに顔までは見えない。動きが面白いわけでもないので、すぐに見飽きる。

 沖の方へ目をやると、船が走っているのが見える。ラエティアからホーエンブルクに向かう船だろう。しばらくすると反対から船がやってくる。それが通り過ぎると、しばらく水面が静かになる。しかしそのままでも20分くらいは見ていられる。もう一度船がすれ違うのを見て、下へ降りる。土産物屋はまだ開いていなかった。その道を、少し東へ歩く。丘を越える道路と交差するところまで来た。

 この街では、ボールを投げられるような広場はない。しかし、ランニングをするための道はある。この道路がそうだ。他の街中の道は狭すぎて、走っていると通行の邪魔だろう。この道路なら広いし車通りは少ないし、おまけに坂道なので足に負荷をかけるのにちょうどいい。ただ、この道路も街中を走るのは少し危険だろう。道路を横断する人が頻繁にいるから。この辺りから丘を越えていく部分なら走っても問題あるまい。

 ただ、走ると汗を掻くので、シャワーを浴びたくなる。宿にシャワーはもちろんあるが、朝のトレーニングのためにドアの錠を開けてくれるかどうかの方が問題で、これはマリーに訊いてみないと判らない。頼めば聞いてくれそうな気もするが。

 時間があるので、坂の上へ向かって歩く。バスに乗って通ったことがあるので、道の様子は判っている。城と同じ高さへ登るまでは、結構距離がある。土産物屋から城までは途中から階段になるほどの高度の違いがあるから、こちらはそれを斜面に対して斜めに道を作ることで緩和しようとするので、距離が伸びる。

 バスでは峠まですぐ到達したが、歩くとかなりの距離があることが実感でき、城と同じ高さまで登る気をなくして、途中で引き返して降りることにした。途中から階段を使うようなことはせず、なるべくゆっくりと歩いて港に着いたが、まだ9時にもならなかった。

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