#2:第3日 (3) 花屋のマダム

 聖堂は開いていたが、中を覗くと、人だかりができているところがある。また神父の周りに人が群がっているのだろう。警官らしい姿もある。マリア像の下にも誰かいる。私服の刑事だと思うが、ルピック警部かメルシエ警視か。俺自身は朝の泥棒ではないが、警察がいるとどうも入りにくいな。他の観光客は遠慮なく入っているようだが。しかし、マリア像が見たいんじゃなくて、シスター・ジェルメーヌがどこにいるかを知りたいだけだ。神父に訊けないなら、他で訊くしかない。いったん聖堂を出る。

 近くの店で訊くとして……どこがいいだろうか。パン屋の美人にもう一度訊くというのもあるが、またパンを買わされそうだ。レストランやカフェも飲み食いが必要だし、服に興味はないし、そうするとこの花屋くらいか。

いらっしゃいましビアンヴニュ、恋人に贈る花をお探しかしら?」

 やけに妖艶なマダムが出てきた。本当に花屋なのか。

「そこの聖堂に飾ってある花はここの店のもの?」

「うちの花の場合もあるけど、そうでない場合もあるわ。持ち回りだから。あなた、外国人エトランジェ?」

 そのとおりだが、そんな興味深そうな目で見ないでくれるかな。マダムがただの男好きに見えそうだよ。

「合衆国からだ。花を提供したりするということは、行事の手伝いに行ったりもする?」

「ええ、よく行きますよ。以前は毎日だったけど、最近は一日おきくらいにね」

「シスターが時々手伝いに来ると思うんだが、今日は来ないのかな」

「ああ、シスター・ジェルメーヌね。あの方も最近来ることが少ないわね。年にほんの数回かしら。シスター・ジェルメーヌに会いにいらしたの?」

「ちょっとここの歴史を調べに来たんでね。シスターなら古いことを知ってそうだから」

「あなた、歴史研究家かしら? ここの歴史をお調べになるなら、司祭館へいらっしゃいな。シスター・ジェルメーヌは以前からいらっしゃいますけど、サント・マキシムの修道院の方ですから、ここの歴史にはさほど詳しくないと思いますよ。司祭館なら私の方から連絡して、あらでも、今日は神父はお忙しいんじゃないかしら。あなた、ご存じかどうか、聖堂に泥棒が入って、今朝は大変な騒ぎになりましたの!」

 どうやら花屋のマダムはおしゃべり好きらしく、泥棒についてパン屋の美人よりも詳しく語ってくれた。最初は落ちていた王冠を元に戻してミサを行おうとしたが、神父と手伝いの信徒たちで協議して警察に届けることにしたとか、後で司祭館を調べたらそちらの方の扉の錠も開けられそうになった形跡があったとか、警察に調書を取られたのは神父とダニエルだとか。

「ダニエルというのはこの近くのレストランの娘ですわ。フッサールという店です。今時珍しく熱心にお手伝いをする娘で、みんな感心してるんですの。調書を取られたのは、昨日王冠を飾る手伝いをしたからだと思いますけど」

「その手伝いにも確かシスター・ジェルメーヌが……」

「ああ、そういえば昨日はいらしてましたわね。船で来るんですわ。そこに船着き場がありましょう? あれはサン・トロペに来る観光客もよく利用するんですよ。あなたもお乗りになったかしら?」

「俺は西の方から来たんでまだ乗ってないな。サント・マキシムには何か見るところがあるのか?」

「さあ、聖堂くらいじゃないかしら。ああ、それにサルディノー岬? ローマ人が海で獲った魚を保存していた遺跡があるとか。でも、そんなに面白いものとは思いませんけどねえ」

 正直だな。さて、色々教えてもらって助かったが……やっぱり花を買わないといけないかなあ。お薦めに従ってマーガレットの花を少し買う。持ち歩くわけにはいかないので、単車モトのところへ戻り、シートの上に飾っておいた。誰かがこっそり盗んでいってくれることを期待する。

 それから船着き場へ。セネキエやフッサールが並ぶ通りの北の端にあって、小さな桟橋の根元にチケット売り場が……いやいやいや、近付けないぞ。また見えない“壁”だ! まさか、こんなところにまで。周りの他の場所は何ともない。行けないのはチケット売り場と桟橋の前だけだ。他の連中はもちろん平気でチケットを買い、船に乗り降りしている。俺をサント・マキシムへ行かせないために壁を作ったということか。シスター・ジェルメーヌに会うのは諦めろと? それとも、何とかしてこっちに呼び出すしかないのかな。神父に頼むくらいだろうが、呼び出すための名目は何にする? 外国人の旅行者が会いたがってるからって、来てくれるわけないだろうし。

 何とか理由をひねり出すとしても、神父に会わなければならないのは必須だ。しかし、昼前のことがあるから、司祭館へは行きにくいな。また服屋の店員に見つかったら困る。聖堂の前で待ち伏せするくらいしかないだろうが、時間があるうちに昨日の宝石店へ行こう。ユーグの店の評判を聞いてみたい。

 店主は俺のことを憶えていた。まあ、店で一番高いルビーを買ったからな。今日は何かと訊くので「昨日のネックレスに合いそうなイヤリングはあるかと思って」と言うと喜んで候補商品を見せびらかしてきた。

「ところで、聖堂の王冠の件はどう思う? 盗まれなかったのは不思議だな」

「その件はあまり広めるなと警察から言われておりますがね」

 店主は曖昧な表情をしたが、実は何か言いたそうだという気がする。

「ああ、そんなに気にしないでくれ。ここの職人がかつて保守をしたと聞いたんで、あの件の後の確認もここでしたんだろうと思って、だったらちょっと話をね」

「それですがね、実はうちに任せてもらえなかったんですよ」

 ほう、と大袈裟に驚いてみせると、店主は周りの目を気にしながら小声で話し始めた。もとより、他に客はいないのだが。

「今でもうちの店が保守係と思ってるんですが、実はもう20年ほどもやっておらんのです。他の店が任されたようなこともない。王冠の保守自体を20年やってないんですな。保守といってもルビーは傷が付きにくい石ですんで、せいぜい石と地金を磨くくらいです。だからやろうと思えば神父自身でもできるし、実際この20年はそうしてきたんだろうと思うんですがね。しかし、さすがに今回のことではうちに依頼が来るだろうと思ってたんですが……」

「ここより他に良さそうな店なんてないと思うがなあ」

 自尊心をくすぐるような相槌を打ってみたが、余計だったかもしれない。店主は苦々しい顔をしながら続けた。

「聖堂の近くにユーグの店ってのがあるんですが、これがどうも胡散臭い店でね。できてからもう10年も経つのに、町の宝石店協会に入っとらんのですよ。しかし、神父はそこへ依頼したんです。いくら聖堂から一番近いったって、あんなところに頼むことはない。うちの信用が下げられたようなものですよ。20年も保守をしないんで、引き継ぎがうまくいってなかったのかもしれませんが、うちに鑑別書があるのを神父がご存じないはずはないのに……」

 なるほど、それは奇妙な話だ。あのルビーが本当に本物なら、この店で鑑別してもらうことに不都合はない。この店を避けたのは、あれが実は偽物であることがバレるのを防ごうとした、そしてユーグを抱き込んで本物だと言わせた、ということが考えられる。確かに、今朝俺が見たのは本物じゃなかったように思う。ルーペを買ってもう一度見に行った方がいいかもな。

「ユーグとは話もしないのか」

「全く。うちが避けてるんじゃありません、向こうが避けてるんですよ。他の店とも全く交流がない」

「仕入れ先も違うのか」

「それもよく判らない。少なくともうちと取引のある中間業者は、あの店のことを知らないんです」

「盗品の売買でもしてるのかな」

「さあね、そこまで悪くは言いたくないですな」

「確かに、そういう事実無根の話をするのはよくないな。ところで、イヤリングだが」

「これなんかいかがですかな。昨日のと同じ、モゴック産です。色もぴったり同じはずですよ」

 知りたい情報はおおむねもらえたと思うので、代金としてイヤリングを買った。財布の中身を心配しなくていいので、こういうときは便利だ。ついでに神父の人柄を訊く。「温厚篤実」。誰に訊いても同じ答えが返ってくる。

「前の神父の時よりも手伝いの女性が増えたって聞いてますよ。年齢層もだいぶ若返ったらしいです」

 店主は冗談めかして言ったが、一応確認しておく必要があるな。女に訊く方がいいだろう。できればおしゃべり好きな。そうすると、またあのパン屋か花屋……かなあ。しかし一日に二度はさすがに不自然か。じゃあ、カフェだな。エルキエのウェイトレスはどうも相性が悪いんで、他を探してみよう。

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