ステージ#2:マリアへの祈り (Hail Mary.)

ステージ#2:第1日

#2:第1日 (1) 朝の岬と少女

  第1日


 幕が上がると、眩しい太陽の光が降り注いできた。幕が上がる――そうだ、この前と同じく、四角い部屋の周りの壁が、下から明るくなって、さっと光が射し込んできて、その向こうに晴れ渡った青空が――それだけじゃなく、足下の床が壁の辺りから透明になって、立つ場所がなくなるかのように見えたと思ったら、崖の縁じゃないか。勇んで前へ踏み出していたら落っこちるところだった。

 海風が吹いてきた。潮の香りだ。視線を下げると、そこには青い海が広がっている。今まで見たこともない、深い藍色だ。フォート・ローダーデイルや、マイアミ・ビーチの海だってこんなに青くない。空気も澄んでいて、遠く向こうにどこかの島影も見える。心が洗われる美しさだ。いやいやいや、さっきのような気持ち悪い演出がなかったら、こんな素晴らしい風景の場所に来られてよかったという感動すらこみ上げてきただろうに。

 さて、ここはどこだ? 少なくとも、合衆国内ではなさそうだ。合衆国にはこんな切り立った岩場の海岸はないだろう。アラスカ、カナダ……いや、違う。季節はいつだかよく判らないが、カナダよりは温暖なところだろう。なら、ハワイ、メキシコ、あるいは南米……だめだ、わからん。あの美声のレディーに訊いてみるか? 出発地点では通信が可能だと言っていたが、時間は指定があるとか言いつつ、教えてくれな……いや、待て。確か、日没から日の出まで、だ。おい、なぜ俺はこんなこと知ってるんだ!? 説明されてもいない知識を記憶してるってのは、どういう仕掛けだ? クリエイターの手にかかったら、記憶の操作も可能っていうのかよ。全く、本当に気持ち悪い世界だな。

 まあ、いいか。とりあえずは周りの状況を調べるところからだ。時間は朝の7時。ずいぶん早いな。もっとも、昨日はもっと早く起きていたが。太陽が出ているのが左手で、そうすると目の前の海は南側だ。今、いるのは高さ50フィートくらいの崖の上。崖とは言っても断崖絶壁ではなく、急な斜面になっていて、一面に背の低い草が生えている。無理すれば下まで降りられるかもしれないが、そんなことをするつもりはない。

 後ろを振り返ると、岩場に沿って踏み分け道が続いている。その道をたどって少し高くなったところまで行くと、森の向こうの方に町が見えた。両側は海。どうやらここは小さな岬の先端だ。これはいい。360度見渡せる。絶景だな。盗みをやるというおかしな指令が出ていなかったら、1ヶ月くらいは逗留したいところだ。だが、こんなところが出発地点に選ばれた理由がよく判らない。ターゲットは王冠の宝石クラウン・ジュエルだったな。難破船の宝箱でも引き上げろってのかね。とりあえずは、町へ行って何か情報を仕入れなきゃあ。

 小道を少し歩いて行くと、右手に鋭く切り欠いたような入り江があった。そして岩場を少し降りたところに、子供が一人座っている。なぜこんなところに。長い金髪が風になびいている。どうやら女の子らしい。ミドルティーンくらいか。チェックの長袖シャツにチェックのロング・パンツ。まるでパジャマのようだ。さて、声をかけたものかどうか。だが、ここがゲームの世界であることを忘れるな、というクリエイターの助言アドヴァイスに従うなら、こんなおかしなところで出会う人間は何かしら情報を持っているはずだから、話しかけなければならない。もちろん、相手が相手だけに、話しかけ方に気を付ける必要がある。そうでなくても、若い女とのコミュニケーションは前回で充分懲りている。

「ハロー!」

 俺が声をかけると、少女はこちらへ振り返った。顔立ちはヨーロッパ系だな。ラテンだ。美少女と言ってもいいかもしれないが、気だるい表情をしている。まあ、朝から一人で海を眺めている少女が、明るくて活発な性格をしているなんて思えないが。

「この辺りに宿泊施設アコモデーションはあるかい?」

 こういう少女に向かって、何をしているんだなんて訊いたら、海を見ているという当たり前の答えが返ってくるか、無視されて終わりだ。しかし、言ってしまってから気付いたが、あの少女は顔立ちからしてもフランス人かイタリア人かスペイン人だ。英語が通じないかもしれない。ましてや、宿泊施設アコモデーションなんて言葉は……

そこの小道を行けば、家があるわスュイヴェ・ル・シュマン・ラ・バ・エ・ヴ・トルヴェレ・ユヌ・メゾンそこで父さんに訊いてヴ・デマンデ・ア・モン・ペール・ラ・バ

 その少女から答えが返ってきた。そして、全身が脱力しそうなほどほど驚いた。あの少女は英語以外の言葉をしゃべっているのに、それが俺の頭の中で勝手に英語に翻訳されて聞こえてくる! いや、聞こえてくるというのは正確じゃない。頭の中に響くというか、どう解釈したらいいのかも不明なのだが、同時通訳のように二つの国の言葉を聞きながら、英語の方だけが“頭の中で勝手に理解されている”という感じだ。気持ち悪いことこの上ない。しかもあの少女が俺の問いかけに答えたということは、俺の英語があの少女の解る言葉へ勝手に翻訳されて聞こえているということなのだろう。これがこの世界の仕様なのか? 裁定者アービターは説明してくれなかったし、頭の中の記憶にも追加されてないぞ。

「ありがとう!」

 俺が礼を言うと、少女はまた海の方を見返った。「ありがとうサンクス」という言葉は、彼女には何語で聞こえてるのかね。ともあれ、少女が教えてくれたとおり、岬の細い道を歩いて行く。途中から岩場の下り坂をだらだらと降り、陸地と岬をつなぐ砂州の上へ出た。一番狭いところは幅50ヤードくらいで、両側から波が打ち寄せてくる。砂浜なので道はないが、とりあえず陸地の方へ向かって歩く。振り返ると岬が小山のように見えた。あの少女がいたところはここからでは見えない。

 砂浜から道の方へ上がると、二手に分かれているが、とりあえず道の先が見えている右手の方へ行ってみる。海岸沿いの砂利道を100ヤードほど歩くと建物が見えてきた。近付いてみたが、どうやら廃屋のようだ。細長い建物で、工場か巨大な家畜小屋の跡のようにも見えるが、よく判らない。あの少女はここに住んでいる幽霊というわけでもないだろう。

 その先を道なりに左へ折れ、海岸線から離れる。緩やかな上りで、木立が両側から迫ってくる。半マイルほど歩き、道を間違えたかと思い始めた頃、林の向こうに畑が見えた。さすがにここまで来れば人家は近いだろうと思わせる。さらに4分の1マイルほど行くと、ようやく民家があった。オレンジの屋根にアイボリーの壁の2階建て。こんな田舎にしては小綺麗な建物だ。近付くと、ちょうど中年の男が出てきて、ガレージの方へ向かって歩いて行く。

おはようグッド・モーニング!」

 その男へ向かって声をかけた。男がこちらへ振り返る。金髪で、しかめ面をした大柄な男だ。俺と同じ、6フィート2インチくらいか。農夫というよりは交響楽団の気難しい指揮者マエストロに見えるが。さて、この男には先ほどの挨拶は何語で聞こえたのかな。

こんにちはボンジュール

 またしても同時通訳が聞こえたが、今度は男が何と言ったかも聞き取れた。フランス語だな。とすると、ここはフランスで、さっき見えた海は地中海か。あるいはフランスの海外領土という可能性もあるが。俺が近付いていくと、男は立ち止まってこちらを見ている。

「旅行者なんだが、この辺りで宿泊できるところを知らないか?」

 俺がそう尋ねると、男は俺を頭から爪先まで一瞥し、外国人エトランジェだなと値踏みするような顔をしてから答えた。

「うちはゲストハウスシャンブル・ドートをやっているから泊めてやるよ。1週間単位で、前金だがな」

「いくらだ?」

「朝夕食事付きで3000フラン」

 フランねえ。そいつは俺が知っている新フランなのか、それとも旧フランなのか。どっちにしろ、相場として適切なのかどうかが全くわからない、まあ、金は財布の中に充分詰め込まれてるだろうから、払えないことはないと思う。

「部屋を見たい」

「いいとも。こっちだ」

 男は家の方へ戻っていった。その後に付いていく。泊まるところがあっさり見つかってよかったが、頭の中の自動同時通訳回路の方はどうにも気持ち悪くてしょうがない。かといってフランス語会話はできないし、慣れるまで我慢するしかないようだ。階段を上がり、廊下の一番手前の部屋へ通された。

「今は季節外れで他に誰もいないから、一番いい部屋を使ってもらえるが、これでどうだね?」

 南向きの、明るい部屋だ。床は木張りで絨毯も敷いてないが、ベッドにテーブルに椅子に戸棚にチェストと、調度品が一通りそろっている。この前のステージで泊まったカンザスのホテルよりも広い。多少埃っぽいが、こりゃ掃除前だな。窓を開けて風を通せば快適になるだろう。

「申し分ない。他に条件は?」

「食事は下の食堂サ・ラ・マンジェだ。朝は7時からで夜は8時から。時間を変えたいときは先に言ってくれ。シャワー・ルームも下の階の奥。ただ、あまり水は使わんように頼む。井戸の水を汲んでるんでね。洗濯は自分でやってくれ。部屋の中でも乾くと思うが、心配なら窓の外に干してもいい」

「町へ行きたいときはどうすればいい?」

「サン・トロペくらいまでなら車で送ってやるよ。ただ、こっちの時間の都合もあるんで、いつでも送り迎えしてやるというわけにはいかんがね。車で来なかったのか?」

 どうやってここへ来たかを訊かれたら困ると思っていたのだが、やっぱり訊かれたか。さて、どうごまかすかな。

「ここの海岸沿いにずっと歩いて旅行してきたんだが、この辺りの静かなところで少しゆっくりしようと思ってね。ただ、町の方もちょっと見に行きたいから、後で車を借りようと思ってる」

 よくもまあこれほどすらすらと言い訳が出てきたもんだと自分でも感心する。学生の時に東海岸の田舎でこれと似たような旅行をしたからかもしれないが。もっとも、本当は車の免許は持ってないので、もし借りるとしたら単車モトなのだが、この時代にそんなレンタル商売があるのかどうか。

「そういうことか。まあ、ゆっくりしていけばいいさ。この辺りは年中季候がいいから別荘もたくさんあって快適なところだ。ただ、これから部屋の支度をするんで、入るのは昼からにしてくれ。お代もその時だ」

「ああ、問題ないよ。俺はアーティー・ナイトだ。ムッシュー……」

「ジャン・ロビーだ。亭主メートルと呼んでくれ。フランソワーズ! フランソワーズ、今夜から客が泊まるぞ。部屋を用意してくれ」

 そう言いながら亭主メートルは下に降りて行った。俺もその後に続いて降りていき、外へ出た。時間が有り余っているので、亭主メートルに道を訊き、町の方へ行ってみることにした。北に3キロメートルほどで小さな集落へ出られるそうだ。2マイル弱だな。単位系が違うってのは本当に不便なことだ。まあ、世界的に見て合衆国の方が少数派だから仕方ない。

 荷物を預け、教えられた小さな集落――ルメグーという名前――まで歩く。初めの1マイルほどは砂利道で、車が行き違うこともできないほど細かった。単車モトもそうスピードは出せないだろう。途中からは舗装道路になったが、やはり細い道のまま。そして着いた先は、畑が広がるばかりで中心地がどこにあるのかも判らないような散村だった。農家以外にあるのは小さな宿屋と別荘くらい。朝食を摂ろうと思っていたのだが、宿屋にでも入らなきゃ食事ができそうにない。畑にいた農夫に訊いてみたが、もう少し大きめの町へ出るにはさらに北に4キロメートル――2マイル半弱――ほど行かねばならないとのこと。この世界に来てからトレーニングをサボっていたので、走って行くことにした。まあ、いつも走ってるのに比べたら大した距離じゃない。

 その大きめの町、ラマチュエルというところまで行くと、確かにちょっとは町らしくなった。円環道路――直径が140ヤードもないくらいだが――の中に、家が小山のようになって盛り上がっていて、教会もあるし映画館もある、という程度だが。その円環道路の外側にある、わりあい小綺麗なレストランで朝昼兼食ブランチを摂りながら新聞を見てみた。文章は全く読めないが、日付くらいは何とか解る。今日は1955年の4月アヴリル30日、土曜日サムディ。前のステージよりもさらに時代がさかのぼった。そしてここはやはりフランスだった。

 ただし判ったのはそこまでで、詳しい位置は不明。レストランの店員に、ここはフランスのどこだと訊くのはあまりにも間抜けなのでやめておいて、旅行会社を訊く。田舎くさい感じのウェイトレスが教えてくれたので、そこへ行く。これも小綺麗な感じの旅行会社で、ウェイトレスよりいくらかは垢抜けた感じの事務員から周辺の地図をもらった。今いるところはラマチュエルという自治体コミューンの中心部。ラマチュエルはフランス南部のヴァール県の地中海岸にある。

 俺が泊まろうとしているゲストハウスはラマチュエルの南隣、ラ・クロワ・ヴァルメという自治体コミューンとの境界ボーダー付近にある、ラ・バスティード・ブランシュという集落のようだ。面白いことに、俺が最初に立っていた岬――タイヤー岬というらしいのだが――にはその二つの自治体コミューン境界線ボーダー・ラインが通っているのだ。細長い岬を真っ二つに割るように。

 しかし、前回はカンザス州のどこかにあるという架空の町で、その周囲のことについては調べてもさっぱり判らなかったというのに、今回のステージはやけに素性がはっきりしている。仮想空間だというのに可動範囲もかなり広そうだ。それこそ、現実世界にいるのではないかと錯覚しそうになる。ずっと東の方にある、ニースやカンヌ辺りまで行けるんじゃないか、とか。

 ともあれ、単車モトを借りられるところを探したい。事務員に訊いてもこの辺りではそんなことやってないと言う。では、やっていそうな町はどこかと尋ねると、サン・トロペだろうとのこと。サン・トロペはラマチュエルの北にある自治体コミューンだ。その中心地はこの辺りで最も大きい町であるらしい。ゲストハウスの亭主メートルもそのようなことを言っていた。

 それで、サン・トロペの旅行会社の電話番号を教えてもらった。携帯端末ガジェットは持っていないし、そもそもこの時代には存在しないので、どうやって電話を架けるかというと、旅行会社の電話を借りて、後で金を払う!ということになるようだ。そのとおりにして電話を架けると、その旅行会社で旅行者用に貸し出している単車モトがあるのだが、あいにく今日は全部出払っていて、明日の午後まで待たなければならないとのことだった。午後から借りることを仮予約し、電話を切って金を払った。

 サン・トロペまではここから6マイルほどで、走れない距離ではないのだが、ゲストハウスに戻る時が大変なのでやめておく。午後から亭主メートルに頼んで車でサン・トロペまで乗せて行ってもらおうと思う。ターゲットが指輪や普通の宝石ならいざ知らず、王冠の宝石クラウン・ジュエルというのではさすがにこんな田舎にあるとは思えないし、あっても情報を得るのに時間がかかる。田舎の情報を得るにしても、もっと大きい町へ行く方がずっと効率がいいからな。

 それに今回は他の競争者コンテスタントもいるらしいし、そいつに先を越されないように、初日から積極的に情報を集めなければならない、ということになる。フットボールでも偵察スカウティングは大事で、確かに情報収集なしには勝てっこない。まあ、本職の泥棒がどうやって情報を集めるのか、俺にはとうてい想像がつかないが。

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