#1:第4日 (2) 深夜の駆け引き

誰なのフー・アー・ユー?」

 女の声だ。ルーミス夫人か? それにしては、ホテルで少しだけ聞いたのと声が違う気がする。ともあれ、ゲーム・オーヴァーかと思うが、命までは取られずに済んでいるのが何よりだ。だが、いつの間に後ろを取られたのだろう? 金庫の解錠に集中していたとはいえ、周りの物音にはそれなりに気を配っていたし、第一、後ろのドアが開いた気配は全くなかった。寝室との間にドアがあって、そこから入ってきたのだろうか。それにしては声がする方向が変だが。

泥棒バーグラー? 金庫を開けていたのね? 手を挙げて」

 ゆっくりを手を挙げた。静かだが、威厳のある声だ。だが、ルーミス夫人だとしても、泥棒を前にしてこれほど落ち着いているというのは腑に落ちない。ルーミス氏と同じ部屋に寝ているだろうから、泥棒が来たことに気付いたのなら、氏を起こして見に行かせるべきじゃないか? あるいは、氏は今夜は出掛けてしまったので――それなら門扉の南京錠が開いていた理由にもなるが――仕方なく、勇気を出して、夫人が一人で見に来たのだろうか。だが、それならそれで、部屋の灯りも点けないというのがおかしい。

「指輪を盗みに来たのね? 返しなさい」

 俺が手に指輪ケースを持っているのに気付いたのだろう。だが、こっちは手を挙げたままなのに、返せと言われてもねえ。

「ゆっくり振り向いて、ケースをテーブルの上に置いて」

 仕方ない、言われたとおりゆっくりと振り向いて、指輪ケースをテーブルの上に置いた。懐中電灯フラッシュ・ライトの光が俺の顔に向けられているせいで眩しい。女の顔どころか姿も見えない。

「テーブルから離れて。後ろを向いたまま、手を挙げていて」

 また言われたとおりにしたが、よく判らんことをする女だ。泥棒から大事な指輪を取り返したんだから、警察を呼ぶぞとか、とっとと出て行けとでも言えばいいのに。俺がテーブルから離れると、女はテーブルに近付いてきて、指輪ケースを取り上げた。もちろん、見えないので気配だけ感じ取っている。懐中電灯フラッシュ・ライトが俺の方を照らさなくなったということは、ライトでケースの中を確かめているということだろう。この隙に逃げてもいいが、逃げたところでゲーム・オーヴァーになるのは同じだ。ちょいと揺さぶってみることにする。

「そのエメラルドは偽物フェイクみたいだ」

「何ですって? まさか……」

 俺の言葉に驚いたのか、女はもう一度エメラルドを確かめ始めた。だが、偽物なのは本当だ。今朝、宝石店の店主に教えてもらったとおり、さっきエメラルドの中をペン・ライトで照らして、中に霧氷ジーヴルがあるかどうかも見てみた。じっくり見る暇もなかったが、あれほど大きなエメラルドならたとえ霧氷ジーヴルが少ないとしてもあればすぐに判るはずなのに、ほとんど瑕は見られなかった。よくできたガラス製の模造品イミテーションじゃないかと思って、さて、どうやって確認しようかと考えていたのだ。ルーペは持ってこなかったし、ありがちな偽物の特徴も教えてもらわなかったからな。

「本物はどこ?」

 おいおい、それを俺に訊くか?

「さあね。俺が金庫を開けたら入っていたのがそれだからな」

「でも、本物はちゃんとあるはずです。鑑別書を見せてもらいましたわ」

「そうかい。じゃあ、俺を警察に突き出した後で探してみれば?」

「いいえ、今夜中に必要なの。私、あのエメラルドをもらって、この家を出て行くんです」

 そりゃ驚きだ。俺が町で聞いてきたのはルーミス氏が愛妻家ということだったからな。夫妻の仲まで調べなかったし、その必要もないと思っていた。フアナにルーミス夫人のことを聞いたら機嫌が悪くなったが、彼女は何か知っていたのだろうか。

「エメラルドが慰謝料代わりってわけ?」

「それを説明する必要はありませんわ。とにかく今夜中に探さないと」

「ルーミス氏から渡してもらえばいいじゃないか」

「いいえ、オーデルは私にエメラルドを渡してくれるときは、いつもその金庫から取り出していました。ですから、明日も同じようにして、私に偽物を渡そうとしたんですわ」

 なるほど。しかし、ルーミス氏が慰謝料をケチるような人間には見えないんだけどね。議長という肩書きを持ってるくらいだし、人格的に何か問題があるという話もなかったし。

「それについてはあんたたち夫婦の間の問題さ。俺には関係ない」

「いいえ、エメラルドを探すのを手伝ってもらいますわ。泥棒として警察に逮捕されるよりはいいと思いますけれど?」

 おいおい、待てよ。あんな淑やかそうな美人が出す交換条件とは思えないぞ。だが、このまま引き下がっても警察に捕まってもゲーム・オーヴァーだ。エメラルドを探し出しさえすれば、そのまま奪い取ることだってできる可能性もある。

「探し出してあんたに渡せば、警察に突き出さずに見逃してくれると?」

「ええ」

「しょうがないな。動いてもいいか?」

「いいえ、そのままでいて。まず、探す場所の見当を付けて下さらない?」

 どうやら俺を本職の泥棒と間違えているようだな。まあ、俺だって隠し金庫の在り処に見当を付けるくらいの知識はある。錠を開けるのが好きな人間は、鍵穴を探すのも好きなのさ。

「本棚、デスクの抽斗ひきだし、サイドボードなんかは?」

「金庫よりも厳重そうに思えませんわ。オーデルなら、金庫セイフよりも安全セイフティーなところに入れると思います」

「本の中をくりぬいて入れる、という方法もある」

「本は少ないですもの。全部確かめても数分で終わってしまいます」

「天井や壁、床下に穴を作って隠す」

「それは探すのに時間がかかりそうですわね。でも、そんな細工をするのなら建築技師ハウス・ビルダーを呼ばないといけませんけど、そんなことはなかったはずです」

 やけに詳しいじゃないか。このご夫人ミセスはどうやら俺が指摘したような場所は、一通り探したことがあるんじゃないかと思える。それもあの美人には似つかわしくない振る舞いだが。

「椅子の下。あるいは、椅子のカバーを外すと空洞がある」

「では、試してみて下さい」

「動いていいんだな」

「ええ」

 丁寧な言葉遣いだが、何となく棘を感じる。やはり、一度試してみたことがあるのかもしれないな。振り返って、一番近くの椅子を引き寄せた。女がライトで照らしてくれている。木製のアンティーク調の肘掛け椅子で、背もたれと座面に布製のクッションが付いている。背もたれの部分を表側と裏側から触ってみたが、特に変な出っ張りなどはない。座面を上から押してみたが特に異常はない。座面のクッションが取り外せるかと引っ張ってみたが、外れない。クッションの隙間には小指の爪も入らない。椅子に座って座面の裏を触ってみたが、継ぎ目もないようだ。脚は細くて、指輪を隠すような隙間はとても作れない。座ったまま体重を掛けてみたが、きしむようなこともない。テーブルの向こう側にあるもう一つの椅子と、ライティングデスクの椅子も同じタイプだ。

「どうです?」

「何も隠せそうにないな。あんたも試してみたことがあるんじゃないの?」

 訊いてみたが、女は何も答えなかった。闇に紛れて、密かに微笑んでいるのかもしれない。ライトがこっちを向いたままなので、見えているのは目の前のテーブルくらいだ。偽物のエメラルドが入った指輪ケースが載っている。

「こっちのエメラルドは要らないのかね?」

「要りません。偽物に用はありませんわ。オーデルに残しておきます」

「じゃあ、金庫の中に戻しておこう」

お好きなようにアズ・ユー・ライク・イット

 テーブルの上の指輪ケースを取ると、椅子から立ち上がり、金庫の方へ振り返ってケースを中に入れ、扉を閉めるとダイヤルを4回転させた。これが正しい閉め方だからな。そしてもう一度椅子に戻って座る。

「他には?」

 女が訊く。他の二つの椅子も調べてみたらとは言わない。やはり自分で探したことがあるのだ。

「この部屋の調度品はルーミス氏が選んだ?」

「何ですって?」

「この椅子にテーブル、本棚やデスク、サイドボードなんかは、ルーミス氏が家具屋で買ってきたのか、という質問」

「…………」

 女はすぐに答えなかった。躊躇するような質問じゃないと思うが。

「憶えていませんわ。そのことが何か?」

「このテーブルが、どうもね」

 先ほどからライトで照らされていたので判ったのだが、このテーブルは椅子よりも古い。マホガニー製の重厚なもので、椅子とは時代もデザインも合わない。かつてこれと同じようなテーブルを見たことがあって、それとセットになっていた椅子は、テーブルと同じ重厚な材質でできていたのだ。もちろん古び方まで一緒だった。この椅子は新しすぎる。

「テーブルに、隠し抽斗ひきだしでも付いていますか? でも……」

「さて、どうかねえ」

 でも、ということは、やっぱりこれも試してみたんだろうな、と思いながら、ペン・ライトでテーブルの側面を照らした。天板は一枚板だが、側面はタイル状の寄せ木で、細かい彫刻が施してある。その模様に紛れて抽斗が隠されていてもおかしくないようなデザインだが、もちろん押しても引いてもびくともしない。だが、タイル状の板を一枚ずつ指で上下左右に力を加えていると、一枚だけわずかに動くものがあった。ぐっと力を込めて横にずらすと、木がきしる音がして、10分の1インチほど隙間が空いた。やはり。

「何?」

「まあ、少し待ってくれウェイト・ア・モーメント

 そう言ってまた板が動くかどうか試していく。するとやはり今度は別の板が動く。そして3枚目、4枚目と動かすと、ついに小さな鍵穴が現れた。パスル・ボックスが組み込まれたテーブルって訳だ。なるほど、これは金庫よりも安全だ。

「抽斗があるの?」

「たぶん」

 鍵穴から見てレヴァータンブラー錠だな。しかも、レヴァー1本の。こんなものはテンション1本でも開けられる。一捻りで開け、抽斗を少し開けて手を突っ込んだ。なるほど、確かに指輪が……

そのままフリーズ!」

 低いが、鋭い声が女の方から飛んできた。先ほどまでとは違う、ちょいと“ドスの利いたスレトニング”声だ。いやいやいや、ついに正体を現したってところだな。

「悪いけど、銃を持っているの。言うとおりにしないと撃つわ。そこに指輪が入っているのね?」

ああイエス

「中の物を全部テーブルの上に出しなさい。ゆっくりよ」

 言われるままに抽斗の中の指輪をつかみ出した。全部で六つある。それをテーブルの上にそっと置く。

「エメラルドは?」

 女がテーブルの上を照らす。緑色の石が付いた指輪を指でちょいと弾いた。

「あるわね。じゃ、手を挙げて、ゆっくり立って……部屋の奥の、壁の方に行って」

 銃で狙われてたんじゃしょうがない。女の言うとおり、椅子から立ち上がって手を挙げると、部屋の奥の方にゆっくりと歩いて行った。その間に女はテーブルに近付き、指輪を拾い上げた、と思う。何しろ、見えないからな。

「あら、ダイアモンドにルビー、サファイアもあるのね。悪いけど、全部もらうわよ」

「あんた、ルーミス夫人じゃないのか?」

「私はそんなこと言ってないわ。あなたが勝手に勘違いしたんでしょう」

 なるほどね。それで謎が解けた。ルーミス夫人が起き出してきて俺を発見したんじゃなくて、この女は俺より先にこの部屋に忍び込んでいた泥棒ってことだ。部屋に入ってくる音がしなかったのはそのせいだ。指輪の在り処を探し回っていたときに、俺が入ってくる気配を感じて、部屋の隅にでも隠れていたのらだろう。灯りを点けなかったのも、誰も呼ぼうとしなかったのも、それで説明が付く。だが、この世界には俺以外に競争者コンテスタントはいないということになっていたはずだ。とすると……

「じゃあ、お前も泥棒か?」

 二組の泥棒がかち合うなんて、現実の世界で起こったことと同じじゃないか!

「さあ、どうかしら。でも、一つだけ教えてあげると、このエメラルドは元々私の家のものなの。それを取り返しに来ただけよ」

 なるほど、それがこのエメラルドの来歴か。俺が質屋ポーン・ショップの店主に当てずっぽうで言ったことの一つが、当たっていたわけだな。エメラルドを手放した没落名家の娘が、この町でルーミス氏や夫人のことを調べ、宝石を盗む機会を見計らっていたという感じか。まあ、来歴不明の理由なんて限られているから、当てても自慢にならないが。

「それじゃ、私は失礼するわ。あなたはしばらくそのままでいなさい。私が門の外に出るまで、動いてはだめよ」

 女はそう言うと、フランス窓を開けて悠々と出て行った。最後まで顔は見えなかったが、それはどうでもいい。俺もここから逃げなきゃならないんだが、その前にやっておくことが……と思った次の瞬間、“パン!”という耳障りな音がして、フランス窓のガラスが盛大に割れた。それから2発、3発、4発と続けざまに音がして、ガラスが次々に割れる。危ねえなあ、もう! 流れ弾に当たったらどうするんだ。たぶんこんなことになるんじゃないかと思って、床に伏せていたから助かった。見えない方ブラインド・サイドから何か来るのを察知するのは得意だからな。しかし、これで家中の人間が起き出してくるだろう。そうして俺を囮にして逃げようって算段だろうが。

 発砲の音が終わると、隣の寝室から物音が聞こえてきた。やっぱり起きたな。だが、寝室とこの部屋との間のドアにも錠が下りているはずだから、この部屋に入って来るまでまだ少し余裕はある。ペン・ライトを灯し、テーブルに近付くと、隠し抽斗をいったん閉じた。そしてずらした側面の板を全部元の位置に戻す。それから抽斗をもう一度開け、中に手を突っ込む。

大当たりボナンザだな、こりゃあ!」

 指輪があった。やはり、この隠し抽斗は二重底だったぜ!

 うまくいったが、早く逃げなければならない。振り返ってフランス窓を開ける。割れたガラスが危なくて仕方ない。外に出て、走り出そうとした途端、「誰だ、止まれ!」という声が聞こえた。この声はおそらくルーミス氏? どうして外に出てるんだよ。寝室との間のドアのところにいるんじゃなかったのか。ライトで照らされたが、すぐ目の前にいた。光が揺れ、芝生を蹴る音がした。飛びかかってこようとしている! ルーミス氏って、もしかしてイェール大学でフットボールやってたのか? しかし、身体が飛んでくるおぼしきところに腕を伸ばすと、手応えがあった。そのまま“スティフ・アーム”で相手を突き飛ばし、タックルをかわす。フットボールのテクニックは1年の差でも大きいのに、100年開いてるんだから、これでタックルされたら俺の時代のフットボーラーに申し訳ない。

 そして門に向かって走る。「待て!」と言われたが、待つわけがない。門扉は開いていたのでそのまま道路まで走り出て、後はホテルに向かってひたすら駆ける。正確には200ヤードほど全力で走ったところで力尽きたが、後から追ってくる様子はなかったので、後はランニングをするときと同じ速さで走り続けた。そういえばこの世界に来てから、ランニングをするのをサボっていた。筋力トレーニングもだ。時間ならいくらでも余ってたのに。


 4時少し前。ようやくホテルに戻ってきた。裏口の錠を開け、中に入る。誰もいない。そのまま階段を上がり、自分の部屋に戻った。疲れた。追いかけられはしなかったが、それまでに色々と予想外のことがあって精神的な打撃を受けている。フットボールのゲームで相手からヒットを食らってる方がいくらかましだ。

 部屋の灯りを点け、ポケットの中から指輪を取り出し、灯りで宝石の内部を見透かす。念のためにペン・ライトでも照らしてみる。細かなフロー内包物インクルージョンがいくつも見える。霧氷ジーヴルだのジャルダンだのに喩えられるだけあって、確かに独特の模様を為しているとも言える。OK、たぶん、こいつは本物のエメラルド“オズ”だ。

 そしてあの女に渡したのが、最初に金庫で見つけた偽物フェイクのエメラルド。金庫に戻すふりをしてケースから中の指輪だけを取り出し、隠し持っておいて、抽斗から他の指輪をつかみ出したときに、そいつを混ぜておいたのだが、うまくだませてよかった。あの場でもっとよく調べられていたら偽物だったのがバレていたかもしれないが、おそらくあの女も早くエメラルドを取り戻したくて焦っていただろうし、エメラルドに関する知識を充分に持ち合わせていなかったのかもしれない。たとえ自分の家のものだったとしても、よくある話だ。本職の泥棒というわけでもないだろうしな。最後の駆け引きチェス・マッチは俺の勝ちってわけだ。

 さて、次はこいつがターゲットかどうかを判別しなきゃならんのだが、どうすりゃいい? だが、こういう時に腕時計が役に立つんだろう。ターゲットに反応するセンサーが付いているかもしれない。指輪を腕時計の上にかざしてみる。途端に、部屋の灯りが消えた。おいおい、3日前と全く一緒じゃないか。演出のやり方はこれ一つしかないのかよ。

裁定者アービターはターゲットの確保を確認しました。確保者はアーティー・ナイト。カラーはグリーン。ステージには他に競争者コンテスタントはいません。ステージをクローズします」

 女の声だ。ホテルの館内放送……ってはずがない。俺がこの世界に捕らわれたときの、クリエイターの声のように、天井と頭の中に同時に響く声。

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