ステージ#1:第4日
#1:第4日 (1) 泥棒デビュー初夜
第4日-1960年7月18日(月)
解錠をする夜が来るのはいつもなら楽しかったが、今夜は少し様子が違う。解錠が目的ではなく、盗みが目的だからだろう。泥棒としてのデビュー初夜ってわけだ。今回ばかりは趣味的態度では済まされない。いや、これが成功したとしても、この世界にいる間はずっとそうだ。もちろん、盗みに失敗しても即刻命がなくなるわけではないらしい。ただし、それは“ゲームの世界”のルール上の話で、この世界の住人が俺の命を取らないという保証はない。泥棒の現場を見つかったらズドンとやられるのは半分経験済みだからな。
午前2時になるのを待って、部屋を出た。ホテルの連中に気付かれないように出掛けなければならないが、これは大した問題じゃない。夜中は
田舎の夜の真っ暗な道を半マイル歩く。今夜は月もなく、星が満天に瞬いているだけで、泥棒に入るにはうってつけだ。こんなに暗い道は久しぶりに歩いた。
そしてようやくルーミス邸の前に着く。道路から分かれた取り付け道だけが目印だ。その道の砂利を踏んで、門扉の前に立つ。邸内に灯りは見えない。まだ中には入らず、生け垣の周りを時計回りに歩いて行く。どこか一つでも灯りが点いていたら今夜の侵入はやめる。
玄関の右側にフランス窓が二つある。そして左側に広い部屋がある。これは図のとおり。左の部屋は南側だけでなく、西側にも窓がある。察するに、
どの部屋にも灯りはなかった。それでも念のために
さて、意を決して邸内に侵入する。ウォーミング・アップ代わりに門の
音を立てないように門扉を開け、玄関までの小道を忍び歩く。ここからは
扉の錠をペン・ライトで確認する。鍵穴からして、レヴァータンブラー錠だな。ホテルで予行演習したとおり、さほど難しくないのだが、開けるときに音がしやすいのが難点だ。ともあれ、手袋を着け、靴底からピックを取り出し、ペン・ライトを消して、手探りで鍵穴にテンションを差し込み、中の構造を探る。ホテルと同じ、
レヴァーを適切な位置まで持ち上げ、
錠が開いてもドアをいきなり開けてはまずい。ドアベルが付いているかもしれないのだ。ゆっくりと、少しだけドアを開け、中の気配を探る。真っ暗で、人がいる様子はない。さらにゆっくりと、身体が入るだけの隙間を開け、中に侵入し、後ろ手でまたゆっくりとドアを閉める。逃げるときの手間も考えて、錠は開けたままにしておく。見取り図を信じるなら、玄関から2ヤードほど入った右側の壁に書斎のドアがあるはずだ。忍び足で歩きかけた瞬間、妙な気配を感じて立ち止まった。
寝静まった邸内の空気というのは、時間が経つにつれて淀み、独特の肌触りになるのだが、今のこの感じは……夜中の2時半という感じではない。この30分以内に、空気が動いた感じがする。誰かが先程まで起きていたのだろうか。俺がここに着く直前まで? しかし、ルーミス氏がいかに多忙とはいえ、日曜日から夜中の2時まで夜更かししたりするだろうか。
立ち止まったまましばらく様子を見ることにした。ドアノブを後ろ手に持ち、いつでも逃げられるように身構える。たっぷり5分ほどもじっとしていたが、何も変化は起こらなかった。万一のことを考えて撤退しようかとも考えたが、書斎のドアの錠くらいは確認しておきたい。
右手の壁に手をつきながら、音をさせないようにすり足でゆっくりと進む。壁とドアの切れ目に指先が触れた。ペン・ライトは使わず、手探りだけでドアノブと、鍵穴を探る。ドアノブの中心に鍵穴があった。シリンダー錠で、たぶんモノロックだ。内側のドアノブの真ん中に付いているロック・ボタンを押すと、外からドアノブが回らなくなるタイプだろう。錠自体の構造を探るために、ピックを鍵穴に差し込む。ディスクに似ているが、これは……ウェハータンブラーだな。ウェハーは4枚。これなら4、5秒で開いちまうぞ。まあ時代が時代だからな。しかし、モノロックは開けたときにボタンがバネで“バン”と戻る音がするのが困る。
音を出すのは気になるし、妙な気配に対する疑念も去らないのだが、とりあえずこの錠を開けてしまうことにする。書斎に入ってしまえば何かあっても窓から脱出することができるだろう。ただし、明日以降にもう一度侵入するのは難しくなる。現実の世界でも、何夜もかけて解錠に挑戦したことがあったが、少なくとも1、2週間おいてからやり直していたものだ。だが、この世界ではそうはいかないのが難点だ。ドアに耳を付け、中で音がしないのを確認する。柱時計の音がするだけ……だと思う。ピックとテンションを鍵穴に差し込み、ちょっと引っかき回すだけで予想どおりあっさりと錠が開いた。ボタンが戻る音がやけに大きく響いた気がして、しばらく動かずに屋敷内の様子を窺ったが、誰かが動くような気配はない。玄関と同じく、そっとドアを開けて中に滑り込む。ドアを閉め、ボタンを押してドアをロックする。
ペン・ライトで部屋の中をさっと撫でる。書斎にしてはやけに広い。というか、家具が少ないように思う。学生の時に金持ちの友人の家をいくつか訪ねたことがあったが、書斎はどこでもふかふかの絨毯を敷いた広い部屋で、壁際には大きな本棚があって、暖炉があって、部屋の中央には無駄に広いライティング・デスクがあって、壁にはいくつか絵が掛かっていて、キャビネットやら来客用の椅子やらがあって……というのが典型的なのだが、この部屋にあるのは小さな本棚と壁際のデスク、その隣にサイドボード、そして部屋の真ん中に椅子とテーブルのセット。
さて、書斎に入ってはみたものの、ルーミス氏がエメラルドをこの部屋に保管しているかどうかは判らない。そういう大事な物は寝室に置いているかもしれない。だが、先ほどサイドボードの辺りをペン・ライトで照らした時に、小さな金庫が置いてあったのが見えた。エメラルドが夫人の持ち物なら寝室に置いておくだろうが、ルーミス氏の持ち物なら書斎に保管するということもあるだろう。そして、金庫の中に入れておくというのはよくあることだ。なので、金庫を開けてみることにする。
まっすぐ行くとテーブルにぶつかるので、壁伝いに歩いて窓際まで行き、フランス窓のロックを外す。窓の上と下に掛け金があり、真ん中にサムターン錠が付いていた。掛け金と錠を外し、取っ手を少し押して、窓が開くことを確認する。これでいざとなったときの逃げ道がもう一つできた。
窓の前を横切って、壁伝いに歩き、金庫に近付く。さっき見えたのは、コンビネーション・ダイヤル錠だった。そういや、この世界に来る前に開けようとしていたのもそれだったな。もっとも、こっちよりあっちの方が開けるのが難しかっただろうが。手探りで金庫の大きさを測ったが、幅が20インチくらいで高さが16インチくらい、奥行きも20インチくらいだった。あまり大きい金庫でもないが、指輪ケースを入れるのならこの程度でも充分か。持ち上がるかと思ったら、サイドボードに固定されていた。さすがに金庫ごと失敬するのは不可能のようだ。
さて、解錠だ。まず、ダイヤルを左右に少しだけ回してみる。緩い。あまり精密な
だが、金庫の扱いがいい加減な奴は、閉めるときにダイヤルを半回転くらいしかしないことがある。そうすると一番手前のディスクを正しい位置に合わせるだけで開いてしまう。レヴァーを捻ったままダイヤルを動かせば、ディスクが正しい位置に来たときに開く。ダイヤルを4分の1ほど回転させたとき、ダイヤルとレヴァーに微かな手応えがあった。だが、レヴァーはそれ以上動かない。どうやらルーミス氏というのはある程度きっちりした人間のようだ。
仕方がないので正攻法で開けることにする。まず、ペン・ライトでダイヤルを一瞬照らす。40。これが一番手前のディスクのコンビネーション番号だ。そのままダイヤルを回していくと、2番目のディスクが引っかかってきて回り始めるのが感じられる。手応えだけで2番目のディスクの番号を得るために、どれだけ練習を積んだことか。もちろん、精密度がもっと高い金庫は手応えなんかでは簡単に判らないようになっているので、聴診器で音を聞きながら、などという面倒くさいことをやらなければ開けられない。だが、今開けようとしている金庫だと、数字が一つや二つずれていても開くような精度でしかない。この前から何度も思うことだが「時代が時代だけに」というやつだ。
微かな手応えを感じたので、またペン・ライトでダイヤルを一瞬照らす。65。5刻みでしかコンビネーションを設定できないタイプか? それなら組み合わせの数が格段に減ってしまって、下手すると総当たりでやっても2、3時間くらいで開いてしまう。もっとも、今夜はそんなに時間をかける気はないが。
ダイヤルを反対に回し、1番目のディスクの数字に戻す。多少きっちりした人間でも、金庫を閉めるときに1回転半くらいしか回さないと、3番目以降のディスクが回転せず、1番目と2番目のディスクの数字を合わせただけで開いてしまう。さてどうか、と思ってレヴァーを捻ると……何てことだよ、開いちまった。どうやらルーミス氏はこの金庫の根本的な仕掛けをご理解戴いていないようだ。金庫の扉を開け、中をペン・ライトで照らす。3段になっていて、上の段にちょうど指輪1個が入りそうな小さな深紅の指輪ケースが一つ。その他の段には書類が詰まっていた。
指輪ケースを取り出し、開いて中をペン・ライトで照らす。エメラルドの指輪が収まっていた。確かに見覚えのある形だが、と思って見ていると、不意に後ろから
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