ステージ#1:第3日

#1:第3日 (1) エメラルドの講義

  第3日-1960年7月17日(日)


 5時過ぎに目が覚めた。外はもう明るくなり始めている。昨夜は酔っていたせいで、ベッドに寝転がっていたら知らない間に寝てしまったからな。夜中に起きて、酔いが醒めていたらルーミス邸を見に行こうかとも思っていたはずだが、明るくなってしまってからでは行けそうにない。かと言ってこのまま二度寝する気にもなれないので、起き出してシャワーを浴びた。着替えてから、昨日の調査結果をメモにまとめる。レストランで要点を箇条書きにしたメモを作っておいてよかった。それを頼りに昨日の記憶をたどる。それにしても、判らないことだらけだな。

 6時にならないとホテルの出入り口も隣のレストランも開かないので、それまで今日の作戦を考えながら待つ。時間が来たらフロントレセプションに鍵を預け、レストランへ行って昨日と同じ朝食を摂り、ホテルに戻らず町へ向かう。今日は歩いて行くことにした。日曜日の朝というのは静かで気分がいいものだ。途中、またルーミス邸の前で立ち止まってそちらの方を見遣る。庭の辺りに誰かいる。朝が早いとはいっても7時前なんだから誰かが起きていてもおかしくない。屋敷に近付くのを諦めてそのまま通り過ぎる。

 町に着いたが、人影はほとんどない。日曜日の朝だから教会へ行く人くらいいるんじゃないかと思っていたが、時間が違うのかもしれない。メアリーストリートの店も、一つとして開いていなかった。この時代のこんな田舎だと、ベーカリーやカフェすら日曜日の朝は休みということか。サンディーストリートスマイリーの店スマイリーズにも行ってみたが、こちらも開いていない。老人だから朝が早いとは限らないらしい。9時頃まで待てば開く店がいくつかあるが、ホテルに戻って出直そうにも、どうせすることが何もないので、こちらで何とか時間を潰すしかない。

 仕方がないので、地図をもう少し詳細化してみようと思う。今までは町の中を歩き回るにも記憶に頼っていたが、地図を作れば何か見えてくるかもしれない。そんなにたいそうなものを作る必要もなく、町の主要なところを一巡りして、ホテルでもらった手描きの地図に情報を書き足していくだけでいいだろう。

 1時間ほど歩き回って地図を充実化させ、ジョアンナストリートを北へ歩いていたら、向こうから見覚えのある少女が歩いてきた。フアナだ。花柄の半袖シャツに、チェックの膝丈スカート。ホテルでの掃除婦ジャニトレス姿しか見ていなかったので、若々しい服装が新鮮だった。それにしてもジョアンナストリートでフアナに会うというのはできすぎだ。まさかこれが“ゲームの世界”独特のシナリオじゃあるまいな。

「ヘイ、フアナ!」

 声をかけると、フアナはようやく俺がいることに気付いた。視線をきつくして、ちょっと迷惑そうな表情をしている。

おはようグッド・モーニング

「……モーニン」

 返事も素っ気ない。ホテルの中じゃなければ、顔見知り程度の人間とは関わりたくないという感じだな。俺が手で“ストップ”の合図をすると、いやいやながらという感じで立ち止まった。

「これからホテルに出勤?」

ええヤー

「日曜日なのにご苦労だな」

「明日が休みよ」

「歩いて行くのか」

ええヤー

 機嫌が悪そうというか、面倒くさそうというか、そういう感じのしゃべり方だ。あるいは不良少女バッド・ガールの口調と言うべきか。母親は暢気そうだし、父親は真面目で物静かなだけが取り柄という感じだったのだが、なぜこの娘がこんなきつい性格になるんだか。

「ホテルのことで質問したいんだが、いいか?」

「遅刻すると怒られるから、帰りにして」

「おっと、そりゃ失礼。じゃあ、何時に仕事が終わるか教えてくれ」

「5時」

 それだけ言うとフアナは俺の横をすり抜け、早足で歩いて行った。こいつは困った、しつこいので嫌われたかもしれないな。まだ時間があるので、オードリーストリートの東の教会へ行ってみたが、誰もいなかった。朝のミサはとっくに終わったのかもしれない。その後、メアリーストリートの宝石店へ行く。今日は一応客のつもりだ。

「いらっしゃい」

 店に入ると、例の初老の店主が声を掛けてきた。愛想のいい顔をしているが、また来たか、という表情に見えなくもない。

「ちょっと訊きたいんだが」

「何でしょう?」

「エメラルドの指輪は扱ってる?」

「ございますよ。こちらへどうぞ」

 昨日俺が覗いたのとは反対側のガラス・ケースの方へ店主が誘導する。エメラルドの指輪は四つで、その他にペンダントやイヤリングがあった。エメラルドは1カラットもないような小さいものばかりで、ルーミス夫人が嵌めていた指輪ほどのものはさすがになかった。それにしても安い。指輪なんか買ったことがないが、俺の時代とは1桁くらい違うんじゃないかと思う。

「“オズ”というエメラルドを知ってるかね」

 俺がそう言うと、店主はちょっと呆れた顔をした。何だ、買いに来たんじゃなくて、それを訊きに来ただけか、とでも思ったのだろう。

「ええ、存じてますよ」

「あれはここの店で扱ったのか?」

 店主はまた肩をすくめながら言った。

残念ですがアンフォーチュネイトリー

「ルーミス氏が誰から買ったのかも知らない?」

全くネヴァー

「あれくらいのエメラルドなら、来歴くらいは知っていてもよさそうなものだが」

「まあ、噂だけならね。しかし、これは内輪話のもので、あなたにお話しするわけにはいきませんよ」

 まあ、そうだろうな。何しろ信用が第一の商売だ。誰がどこからどんな宝石を買ったなんて情報をおいそれと客に話すわけにもいくまいさ。

「OK。それはそれとして、今日はエメラルドの見分け方を教えて欲しい。いいエメラルドと、そうでないエメラルドの見分け方だ。もちろん、ただでとは言わない。この店で一番いいエメラルドを一つ買おう。どうだ?」

 店主は唖然としていたが、そのうちニヤリと笑いながら言った。

「あなた、正直な人ですな。よろしい、お教えしましょう。別にお買い上げ頂かなくても結構ですよ」

「ありがとう。だが、エメラルドは買うよ。必要だからな」

 それから商談用のテーブルに座り、店主からエメラルドに関する講義レクチャーを受けることになった。歴史や伝説についての説明は必要ないでしょうな、と前置きしてから店主は言った。エメラルドというのは緑柱石ベリルの一種である。これは本来、非常に硬くて透明な鉱物なのだが、結晶になるときにクロムなどの不純物を取り込むと、エメラルド独特の緑色を呈するようになる。だが、その代償として結晶の成長が乱れ、亀裂が入りやすくなる。そのため、エメラルドには必ずと言っていいほど内部にフロー内包物インクルージョンがある。これらはジーヴル――フランス語で霧氷のこと――と呼ばれる。ジーヴルがないエメラルドを探すのは不可能に等しく、逆にあれば本物だと思ってもよいくらいである。

 例えば、と言って店主はガラス・ケースの中からエメラルドの指輪を取り出し、ルーペでこれを見てみなさいと言って、俺の方へ差し出した。なるほど、内部に細かい筋や泡のようなものがいくつも見える。ちょっと慣れれば肉眼でも判るほどだ。光に当てればもっとよく判るだろう。指輪を返すと、1カラットもないエメラルドですらこんなものですよ、と店主は言った。そして講義が続く。

 これはエメラルドに特有の、内部の模様のようなもので、ジャルダン――フランス語で庭のこと――と呼ばれたりもする。が、カッティングをする者にとっては極めてやっかいな代物である。この瑕のせいで、カッティング時に壊れやすいのだ。もちろん、ジーヴルが少ないものほど高価であるのは間違いない。“オズ”は3カラットほどもあって、ジーヴルの度合いは軽度マイナーだと聞いたことがある。もしそれが本当なら、途方もない値段が付くだろう。そして店主は最後に言った。

「私は本物を見たこともありませんので、何とも言えませんが、まあ1万ドルは下らないでしょうな」

 なるほど、この時代の物価を考えると破格のエメラルドだ。家1軒とまではいかないにしろ、一財産であることは間違いない。

「OK、ありがとう。大変有用な講義レクチャーだった。今見せてもらった指輪を買おう」

「それは困りますな。お礼のつもりで、使いもしないのに買われたんじゃ、指輪としての価値がありません」

 この店主、おかしなところで偏屈だな。まあ、俺も同じようなところがあるから判る。

「だが、指輪はどうしても必要なんだ」

「サイズはいくつです?」

 それを言われると困る。だがこの調子じゃ、サイズが判らないのでは使わないのだろうから売らないとか言いそうだ。さて、何と答える? 指輪を贈りたくなるような女は俺にはいないのだが。とっさに、フアナの華奢な手を頭に浮かべた。

「5」

「では、3時までにお直しいたしましょう。代金は受け取りの時で結構です」

「そんなに早くできるのかね」

「なあに、小さくする分にはあっという間ですよ」

 もしそれが本当だとしたら、この店主はなかなかの腕前だと思われる。田舎の宝石店だからといって侮ったかな。古い時代の宝石店というのは店主自身が熟練職人なんだろう。

「それじゃ、よろしく頼む」

 俺がそう言って手を差し出すと、店主は澄ました顔をして手を握り返してきた。

「ありがとうございました」

 そして店主に見送られながら店を出る。さて、次に入る店といってもほとんど開いていないのだが、とりあえず雑貨屋に行って懐中電灯フラッシュ・ライトを買う。店主の中年女に町の引っ越しのことを聞いてみたが、全く興味がなさそうだった。本屋でも開いていれば時間つぶしには最適なのだが、開いていないので今度は別の雑貨屋に入る。太さの違う針金数本と工具を買いながら、やはりここでも引っ越しのことを聞く。若い男の店主だったが、肯定派だった。続いてまた違う雑貨屋へ。手袋を買いながら老婆に聞いたが、耳が遠いのか全く会話にならなかった。

 まだまだ時間はあるし、湖でも見に行くかな、と思ってメアリーストリートを歩いていたら、何とハワードの店ハワーズが開いていた。席も空いているようだ。これ幸いとばかりに入る。他に客が二人いたが、中年美女が愛想のいい笑顔で注文を聞きに来た。この前と同じ“お薦め”を頼んで待つ。

「もう3日もいるみたいだけど、こんなに何もない田舎で何をして過ごしてるの?」

 コーヒーを持って来た中年美女が訊いてきた。俺の顔を憶えているらしい。昨日は入店できなかったが、3日連続で来ているからな。

「暇をもてあますのを楽しんでるんだ。雑事に追われず、のどかに過ごすってのは一番の休養だからね」

 本当は泥棒をしなければならないのだが、そんなことを言うわけにはいかない。

「あら、羨ましいわね。でも、私が旅行するのなら、いろんな名所を観光したいわ。すこしくらい忙しくてもいいから」

 まあ、それはそうだろう。都会と田舎では考え方が逆になるのは当たり前だ。俺がレイクフォレストに住んでいたときは、シカゴやその他の大きな都市に行っていろんなものを見てみたかった。

「たまには店を休んで旅行に行くんだろう?」

「以前はよく行ったけど、最近は行く機会がないわね。娘が学校に行ってる間は毎年夏に旅行したけれど」

 まあ、それはそういうものだろう。そういう頃はだいたい子供の希望で行く先が決まる。

「例えばどこへ?」

「カンザス・シティーとかセント・ルイスとかデンバーとか」

 カンザス州から近いところばかりだな。

「シカゴに行ったことは?」

「ないわね」

「君の娘は行きたがらなかったのか」

「そうね。人が多すぎるところは苦手みたい。自然が多い方が好きなのよ」

 ここは自然ばっかりのはずだが、たまには違う自然を見てみたいという程度だったのかな。中年美女は俺の横に立ったまま、ずっと雑談に付き合ってくれている。まあ座れ、とでも言いたくなる。しかし、これはもしかして彼女から何かを聞き出すことができるという暗示かもしれない。さて何を訊けばいいか。

「ホテルで君の娘を見かけた」

「あら、そう」

「真面目に仕事していたよ」

「よかったわ」

「変な男に声をかけられたとか言ってなかった?」

「言ってないわ。家では仕事の話はしないのよ」

 まあ、そうかな。仕事が楽しそうには見えなかったからな。

「この辺りでは他にどんな働き先があるんだ?」

「家の仕事を手伝うことが多いけど、レミントンの工場や商社で働く人も多いわね。ここにもそういう大きな会社が二つ三つあればいいんだけど」

「レミントンってのは大きな町なのか」

「ええ」

「距離はどれくらいある?」

「15マイルくらいだったかしら」

「車で行くのか」

「バスも来るのよ。日に何本か」

 中年美女が壁を見た。そこにはこの町が含まれる郡の地図がかかっていた。バスの時刻が書き込まれている。日に4往復くらいしかないようだ。

「この湖は?」

 地図の横に湖の絵が掛かっていた。水彩で、俺は絵のことはよく判らないが、透明感のある筆致だ。

「これは町の近くにある湖よ。タトル湖」

「キャンプ場のある?」

「ええ」

「綺麗な絵だな」

「町の画家が描いたのよ」

 有名な画家でもいるのだろうか。

「距離は2マイルくらいだったかな」

「ええ」

「後で行ってみるよ」

「いいんじゃないかしら。今頃でも景色が綺麗だと思うわ」

「行ったことは?」

「もちろんあるわよ、キャンプで」

 家族で行ったのだろうが、家から2マイルのところでキャンプというのは近すぎる。もう少し話をしたかったのだが、間の悪いことに客がやって来て、美女をそちらへ取られてしまった。質問時間は終わりのようだ。昼までにもまだ時間があるので、宣言どおり湖へ行ってみることにする。

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