♪第13幕♪

「……悠さんって、学校のスパイか何かですか……?」

 何のためらいもなくひねられ た屋上のドアノブに、ゆらのは声をふるわせる 。

 猛吹雪は収まっていたものの、気温は昼間とは比べ物にならないくらい低くなっていた。中に着込んではいるものの、やや肌寒い。

 思い切り扉を押せば、その向こう側はゆらのたちの腰くらいまで雪が積もっていた。上の雪の重みで下の雪が潰れ、校舎内に流れ込んでくるようなことはなさそうだ。

 目の前に広がる氷銀ひぎんと同じ色をした手袋は薄く、思わず両腕をさする。

 普段立ち入りが禁止されている屋上は、夜でなくても鍵がかかっている。悠が言っていた「鍵は開けておいたからな」の範囲は、ゆらのが思っていたよりも広かったらしい。

「どうということはないわ。ふらっと冬休みに学校に来て開けておいた鍵を、哀れな教員がうっかり見逃して、たまたまそのままになっていたのよ」

「それ、悠さんが、ですよね? なんで自分がやった風に言うんですか……」

 思わずゆらのがつっこんだ。にこゑはさも何でもないかのように語るが、立派な犯罪だ。この時間、まだ教員は数人職員室にいるはずで、見つかればお説教どころの話じゃない。

 不可思議なとはゑの姉のことだから、何かしら対策はしているのだろうが、ゆらのの背筋を別の意味で凍らせるには十分だった。

(み、見つからないように、後でしっかり鍵を閉めておこう……)

 ゆらのは、積もった雪の端を軽く蹴って固める。そのままパンプスをはいた足をかけて乗り上がり、雪を踏みしめて立った。

 必然的に、上部の柔らかい雪が潰れて、足跡は雪の中に埋もれることになる。

 すんなりと扉の枠をくぐったゆらのは、一つ息をついた。

 続いて、とはゑが同じように雪の上に手をつき、よじ登ろうとする。

 すさむような指先の痛みに肩をふるわせ 、それでも細い足を持ち上げて、目をしばたたかせる。首をかしげるとはゑの表情は、暗がりに沈んで、ゆらのからはよく見えなかった。

「…………」

「…………とはゑ?」

 いつも通り黙り込んだままの相棒に、ゆらのは声をかける。雪でできた五十センチほどの壁の下からは、かすかな息づかいが聞こえるだけだ。

「……ひょっとして登れない、とか?」

 上からのぞきこめば、小さくうなずく頭が見えた。

 ゆらのは思わず額を押さえる。同じく校舎側にいるにこゑに助けを求めかけたが、「ああ、かわいいわ、最高にかわいい……」という声が聞こえてきてやめた。

(これは、助けてくれないやつだわ)

 タイツに包まれているはずの足先が、ひどく冷たく感じた。

 ゆらのだけでは、安全にとはゑを引っ張り上げることも難しい。

 しばらく未声みこゑを出しながら考えて、ゆらのは諦めたように首を横に振る。

「ごめん、とはゑ。今からもう一回、どの未言か考えるんだけど、そこから手伝ってくれる? 〈上光かみみつ〉のとき、確か言葉を合わせてくれたでしょう? あんな感じで」

 ゆらのとしては、本当はすぐ隣にいてほしかったのだけれど、登ってこれないのなら仕方がなかった。

(戦いになったとき、とはゑが巻き込まれないって意味では、このままがいいか)

 人差し指で頬をかくゆらのに、とはゑの頭がまた小さく動く。同時に、風にかき消えそうな声も、どうにかゆらの届く。

「未言、じ、びき」

「ジビキ?」

 数瞬考えたゆらのは、すぐにその言葉に思い当たる。父の書斎 にあった辞書の名前だ。名前通り、未言がたくさんのっている本。

(一緒にやるなら、ふさわしい名前を、ってことね)

 とはゑの考えをくみ取ったゆらのは、友だちに向かって、大きくうなずいた。

「ええ、やりましょう、〈未言字引〉!」

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