現代百物語 第28話 帰郷
河野章
第1話 現代百物語 第28話 帰郷
「今週末さ、」
「無理です」
「話だけでも聞けよ」
藤崎柊輔はいつもどおり笑った。
しかし今回の谷本新也(アラヤ)にはきちんと断れる自信があった。
「無理ですよ。今週末は僕、里帰りですから」
「なんだ。そうなのか」
残念、と藤崎は盃を空にする。
「取材に同行してもらおうと思ったのに」
珍しく一本取れたと新也も笑った。
「そういうわけなんで、すみません」
そういったやりとりをして、新也は週末帰省した。
新也は電車に乗っていた。
実家に戻るのは久しぶりだ。そこそこ近いのが災いして、なかなか実家に顔を見せる機会は少なかった。今回も半年ぶりだろうか。
(……そうだっけかな)
ふと新也は違和感を覚えた。
ぼんやりと父母の顔と、実家住まいの妹の顔を思い出してみる。
……定年間近の父は温厚で、2歳年上の専業主婦の母は気が強い。大学院へ通っている妹は生意気だ。前回の帰省は正月前の年末で、どうせなら正月に帰って来れば良いのにと母には言われ、お節の味見をさせられた。
しっかりと思い出せる。そう、確かに半年ぶりだ。
頭を振るともやもやとした霧は晴れた。
電車に30分ほど揺られてから、最寄りの駅で下り、15分ほど北に向かって歩く。
山を切り崩して段状の住宅地に開拓された、新興住宅地だった。新也の家は中腹あたりにある。ややきつい傾斜の坂道を自転車でヒイヒイ言いながら登って、家路につくのが学生の頃の常だったなあと懐かしく思い出す。
今日は、日曜の昼間だと言うのに人通りは少なく、住宅街は静かだった。
大きな、総二階の家の前で新也は立ち止まった。
表札には、萩原とある。
ここだ。
「……ここだっけかな……」
また、新也は違和感に首を捻った。確かに自分は萩原新也だというのに。
「どうした?」
いきなり背後から声をかけられて、新也は飛び上がるほど驚いた。
背の高い、自分と似た年頃の男が立っている。柔和な顔つきはどこか自分と似ていた。
「お前が帰省するっていうから、俺も合わせて帰ってきたけど……かち合ったな」
軽快に笑う男は、……兄だ。そう兄の竜也だ。
「ああ、うん」
ほっと新也は胸をなでおろす。なんとか思い出せた。……何とか?
どういうことだと自問自答する間にも「兄」は新也の背をグイグイと押して、家の中に入ろうとする。
「お前がなかなか帰らないから、父さん怒ってるぞ」
覚悟しとけ、と肘でこづかれる。そうだ、父さんは厳しくて厳格な性格だった。もう何十年も……会ってはいない。今日はこっぴどく叱られるだろう。母は嫁を連れてきていないことで、さめざめと泣くだろうか。
「さあ、遠慮するなよ。お前の家だ。入れよ」
笑う「兄」の目がぎょろっと濁る。口角が裂け、一層笑みが大きくなる。口にはずらりと小さな牙が並び、顔に鱗が生えていく。僕には兄などいただろうか。
「僕は……」
新也は必死に記憶を探った。
そう……いや、ここが我が家だ。
今日は父に、一族に会ってなかなか家へ帰ってこなかったことの謝罪をせねばと思ってた。ここから少し下流にダムが出来て以来、水は濁り周囲は死に絶え、嫁もとれず帰れなかったのだと。
今日が数十年ぶりの一族への挨拶だ。
「……いや、違う」
違う。
「違う!」
新也は玄関で「兄」を振り返ると、どんっと突き飛ばした。
スーツを来ていた「兄」は今や異形の姿で、こちらを首を傾げて眺めていた。
「どうした、新也。めでたい帰郷だぞ」
ニヤァと笑う顔が、声が人間のそれではない。
「……僕は帰る」
震える声で、新也は告げた。「兄」のそばを走り抜け、門を飛び出す。
「帰れないぞ」
笑う「兄」の声がした。
「煩い!」
振り返り叫ぶと同時に、家は目の前でかき消えた。
周囲は、夕暮れの雑木林と渓流。
ドオォッと滝が流れる爆音が響いていた。
「っ!」
新也は、あと数歩というところで、滝壺の前まで迫っていた自分を知った。
そこに滝壺の底から声が響いてきた。
新也は滝壺を覗き込んだ。何人もの人が、新也を見上げていた。
か細く、太く、何十にも重なった声がした。
「あな悔しや。今年も帰郷せなんだか」
兄を名乗った人物が見えた。一度だけ新也を手招きし、そして、全員が不意に消えた。
残されたのは、遠く鳴く鳥の声と新也だけ。
新也は仕方なく、手元を探ってスマホを取り出した
「どこだよ、ここ……」
日時を確認すれば、そもそも自分が予定していた帰郷は来週だ。
「帰れるかな……」
電波の心配をしながらスマホでグーグルマップを立上げると、現在地を確認する。
「……あの人なら喜ぶだろうな」
先輩であり友人でもある藤崎を思い出し、電話のアイコンをタップして、新也は溜息をついた。
【end】
現代百物語 第28話 帰郷 河野章 @konoakira
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