第9話 記憶

 真理子に追い出されるような形で家を出た後、俺は美穂と二人で歩いている。


 彼女は俺の後ろを半歩ほど離れて後ろで手を組みながら少し顔を赤らめてついてくる。しかし俺の頭の中は、真理子の事で一杯になっていた。彼女をこの腕に抱き締めた感覚が頭から離れない。


「ねえ、ねえ、聞いている?」美穂が声をかけている。


「ねえ、直也くん!直也くんったら!」ちょっとイラついたような声を上げる。


「あっ、ゴメン。何?」彼女の声に気がついて返答をする。正直隣に美穂がいる事すら俺は失念してしまっていた。


「聞いてなかったの?今日は家に来てくれたのは、何か用事でもあったのかなと思って……」彼女は何かときめくような俺の返答を期待しているかのようであった。


「ああ、なんとなく……、なんとなくな……」俺は彼女の期待するような返答は思い浮かばなかった。


「ふーん、そうなんだ……、お母さんと何か話したの?」彼女はなぜか少し残念そうな顔をする。


「いや、俺は、何もしてない!」動揺して少し怒ったような口調になってしまった。その言葉を口にしてから自分の事を滑稽に感じてしまう。


「何もしてないって……、そりゃそうでしょ」言いながら彼女は笑った。よもや自分の母親と彼氏が自分の留守の間に抱き合っていたなど想像も及ばないであろう。あの光景を彼女に見られていたらどんな反応をしていたかは想像することもできない。


「この前は嬉しかったわ。私の事を愛している、愛しいって言ってくれて」彼女ははにかみながら下を向いている。


「ああ、そんな事いったかな・・・・・・」篠原に聞かれて、そんな事を言ったような気がする。親が子供の事を愛おしいのは当然だ。


「私も直也くんの事を大好きだよ」美穂は俺の腕に絡みつくように密着する。逆に俺は彼女から距離を置くように離れる。


「ちょ、ちょっと……、美穂に話があるんだけどいいかな」彼女が誤解しそうなので俺は説明を試みる事にする。


「何?」唐突な俺の言葉と行動に彼女は驚いたような表情を見せる。


「ちょっと、落ち着いた場所でゆっくり話そう」言いながら彼女を近くの公園へと誘導した。


 ベンチに腰かけ、その隣に彼女をエスコートする。


「俺は美穂とは付き合えない」俺のその言葉に彼女は表情を曇らせた。まるでこの世の終わりが急にやって来たかのような驚き顔であった。


「な、何を言っているの?あなた、私の事を愛しているって言ったじゃない……、それに私の事を愛しいって……」彼女の手がワナワナと震えている。その両の瞳に涙が蓄積されていく。


「違うんだ、あの時俺が言った、愛しているって言うのは……、恋人とか、そういう訳ではなくて・・・・・・、俺、思い出したんだ。昔の記憶を……」涙に濡れた彼女の頬を右手で軽く拭った。


「記憶? 思い出すってなに? 意味が解らないわ」あからさまに俺の言っている意味が理解出来なくて混乱しているようである。


「俺は、自分が生まれる前の記憶を思い出したんだ。前世っていう奴だと思う……」俺は呼吸を整えるようにゆっくりと話す。それに反比例するかのように彼女の感情は激昂しているようであった。


「俺の前世……、前世はお前の父親『綾瀬秀則』なんだ!」目を力いっぱい瞑り絞り出すような声で告白をする。


「……はぁ?」彼女は拍子抜けしたような声を上げる。


「ずっと忘れていたんだけれど、この前、あの家で俺の遺影を見た時に・・・・・・、それこそ走馬灯のように思い出したんだ。俺が君の父親である秀則だった頃の思い出を……!」少しの沈黙が流れる。


「アハ、アハハハハハ、何それ、私と付き合うのが嫌だから、そんな嘘をつくの? 馬鹿にしないでよ!」初めは笑い途中から怒りに変わる。彼女の中で何かが入り乱れているようであった。彼女は大きく振りかぶってから、今までに俺が喰らったことが無いような激しいビンタを俺の顔面に叩き込んだ。そのビンタの反動で少し首が痛くなったほどであった。

 俺はその痛みを噛み締めるように頬に手を添え彼女の顔を真っ直ぐ見つめた。


「聞いてくれ!本当なんだ!」到底信じられない話である事は十分に理解している。しかし、こうして説明する以外、彼女を納得させる手段が見つからないのだ。


「うるさい!私のお父さんがどうして……、どういう死に方をして亡くなったか解っているくせに、そんな嘘を!あなた最低だわ!」美穂は大粒の涙を流しながら立ち上がると、公園を飛び出した。


「美穂!」俺の呼ぶ声に彼女が振り返る事はなかった。


 確かに、こんな話を簡単に信じられる訳がない。ただ、どう考えても俺は自分の娘である美穂の事を女として見ることは到底無理であった。

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