第4話 廻る歯車の示す先

 その日、アルトは城の衛兵の補充要員として宮廷で勤務していた。


 ――だからその変事が耳に届くのは早かった方だと思う。


 なのに駆けつけた先にはすでに人だかりができていた。

 無理矢理輪の中に押し入ると、ちょうど捕縛され、どこかに連行されようとしている見知った後姿。


「サラ隊長! ルシャナ副隊長!」


 声が聞こえたのか、二人はアルトを振り返る。

 物々しく掛けられた腕の錠には似つかわしくなく、サラは爽やかに笑い、ルシャナは苦笑しながら体で隠した影で小さく手を振った。


「ほら、さっさと歩け!」


 促されて大人しく歩く二人の後を、同じく手に枷を嵌められた豪奢な女が金切り声で続く。


「サラ、ルシャナ! 妾を謀ったか! あれほど目をかけてやったというに、この恩知らずども! 地獄に落ちるがいい!!」


 背の高い女だ。

 よく手入れされた長い髪はこんな時も光を弾いて輝き、化粧の施された赤い唇はその意志の強さを見る者に印象付ける。

 手の枷はサラたちを拘束している道具よりよほど厳重だった。


 アルトは彼女を見たことはない、が、アリシアの時分は別。

 見間違えようもない、彼女こそが王妃。


 かつては彼女の億劫そうな態度と冷めた視線、そして全てを睥睨する瞳に苦手意識を持っていたものだけど、――今はただ、振り乱す様子と全てを睨み殺すかのような怨嗟の瞳がただ恐ろしい。


 なにをもってしてサラとルシャナ、そして王妃が捕縛されているのか。

 状況を読めず困惑してるアルトの耳に、実に都合よく説明調の声が聞こえてきた。


「……恩はあります。ですが、我等とて国を守る騎士の端くれ。国を売る大罪を看過することはできません」


 足を止めたルシャナが王妃をまっすぐに見つめてそう告発する。

 アルトと話している時とは別人のような、平坦な声。

 冷たい視線はかつての王妃にも劣らない。


 騒ぎを聞きつけて集まっていた事情を知らない人々がその言葉にどよめいた。


「なにを!! なぜ元から妾のものである国を、妾がどこぞに売ってやらねばならん!」


 単純な反論だったが、正論でもある。

 王妃は本気で国は自分の物だと思っているのだから。


 サラの眉間が忌々し気に寄せられた。

 その時ばかりはルシャナとアルトの感情は一致していた。

 絶対にその口を開かず、そして表情の一つも変えないで欲しいと。


「冤罪ぞ! 捕らえるならあの女たちだけで十分であろう! 王位継承者にこんな扱いが許されるとでも!? 首を刎ねられたくなくば早よこの忌々しい手枷を解くがいい!!」


 喚き散らしてその場から動かない高貴な女。

 身分が高いだけに無理に引き摺って連行することもできない。

 膠着状態に人垣だけが増えていく。


 と、かつかつと靴の音をさせながら姿勢のいい男が外から近づいてくる。

 海が割れるように人々が道を開けた。


 萌える稲穂を彷彿とさせる黄金の髪と、冬の冴える空を切り取ったような瞳。


 ――ユージンだ。

 彼は王妃を前に足を止め、ゆったりと微笑んだ。


「ご安心を。心配なさらずともきちんと捜査いたします。誰であろうと、平等に、丁寧に、迅速に。疑いが晴れた暁には、法に則り速やかに釈放いたしますとも」

「こ、この! 小童風情が!!!」


 言葉にならない怒りがその身を焼いている。

 爛々と輝く瞳には烈火の憎悪。

 取るに足りないはずの青年に見下ろされる屈辱。

 彼らの手の平にある自分の命運に王妃は気付いたのだ。


 ぐるると、唸る様な音が王妃の喉から聞こえた。

 激昂した金切り声ではなく、低く、地を這うような。


「……答えよ、お前たちの策略か」


 拘束された憐れな姿でも、かつては王妃、その声には人を従わせる力がある。

 小さくユージンの片眉が上がるのが見えた。


 睨み付ける王妃にユージンが口を開こうとした、その時――、



 前触れもなく、城の大鐘が鳴った。



 腹に響く、王妃の声よりも低く重い音。

 ――運命がまたもや転じる、音だった。


 続いて城下の、普段は穏やかに時を知らせるだけの街中の鐘の音までもが加わる。

 まるで貴人の婚姻を祝うかのように一斉に。


 かつて王と王妃の婚姻時に鳴らされた以来の、鐘の輪唱。

 城のみならず、王都中を飲み込み鳴り響く。


 王妃すら言葉を失い、誰もが言葉を飲んで天井を仰ぐ。


 慶事の先触れはなかった。

 弔事の鐘は輪唱しない。


 だから、不安が人々の心に這いよった。

 身近にいた者と探り合う目線に答えはない。


 空から降る重い振動だけが伝う城に、慌ただしい足音が一つ。

 鐘の音をかき分けて近づいてくる。

 人々は揃って、やってくる報せを待った。


「ユージン様!」と、息を切らせた伝令兵が紙のように白くなった顔で飛び込んでくる。


「お、お伝えいたします!! 隣国より勅書あり! 『本日、正午を持って貴国に対して戦を宣す』!」


 一息で言い切った兵が伝えた内容を把握するには、凶報と予想していた人々ですら若干の時間を要した。


 その中で間髪入れず反応できたのは王妃その人のみ。

 ぎょっと王妃がユージンを振り仰ぎ、ユージンは王妃を見返して人知れず瞳だけで深く笑ってみせた。


 目撃したアルトは目を見張る。

 思わずロウの姿を探した。


 これは、つまり、


 伝令兵が勅書をユージンに捧げながら、艱苦の滲んだ声を必死に押さえつけ告げた。


「――――隣国より、宣戦布告にございます!!!」


 呼吸を置かず、ばさりとマントを翻した若き宰相が叫ぶ。



「迎え撃てッ!!!!」



 その目に迷いはない。

 その表情に動揺もない。

 示された手の先に敵はいる。


 人々は青年の背に、立ち上る陽炎を幻視した。

 無条件で人を従える、あるいはそれを覇気と呼ぶのかもしれない。


「「「はっ!!!」」」


 兵士たちは弾かれたように敬礼で答えを返した。

 女たちは美しいカーテシーで拝命を。

 貴族の男たちは一斉に膝を折って、若き指導者に片手を掲げる。


 その手の平は全てが表に返っていた。

 そうして是認された命令は、至上として位置づけられる。

 必ずや遂行されるであろうことを、彼らは自ら約束したのだ。


「簡単に踏みにじられる程、我々は易くはない!! 我らが祖国の土を踏んだ罪、その命をもって贖わせてやろう。諸君、戦争が始まるぞ。覚悟はいいか!! 全員、……――戦いに備えよッ!!!!」


 一瞬の静寂の後に、


「「「おおおおおおおお!!!」」」


 歓声が城を席巻した。



 ――新国王即位より、一年と半年を過ぎた頃のこと。






 普段は穏やかな宮廷はいまだかつてない喧騒に包まれていた。

 もう、ほんの少し前の、政権を揺るがす騒ぎすら人々の頭にはない。


 慌ただしく人が行き交う宮廷の一画。

 通行人たちに見向きもされず、あるいは意図的に忘れ去れた女が枷を嵌められたまま廊下にへなへなと座り込んでいた。


「罪は暴かれてしまいましたね」


 宣戦布告の詔勅を伝令兵から受け取って、ユージンに手渡したのはロウだった。

 それを斜め読みしたユージンが片膝をついて、王妃に見せつけるように広げる。


「彼らの開戦理由は、『正当なる後継者王妃即位を支援するべく』とのことですが、心当りは?」

「し、知らない! 妾は、なにも!」

「……とはいえ、残念ながらもうあなたの言葉に価値はないのです。あまりにも、そう、あまりにも状況が揃い過ぎてしまいましたから」

「き、貴様!!!!」


 王妃が吼えるようにユージンに噛み付いたが、衛兵に肩を押さえつけられて動きは制限される。

 そこに敬いの気配はない。


 あまりの展開にアルトが血の気を無くしているのを見たロウが傍に寄ってきたが、思わず一歩分の距離を取った。

 ロウが少しだけ不機嫌になったが、本能だ、許して欲しい。


「実は、開戦は時間の問題でしてね」


 ユージンが殊更小さな声で王妃に囁く。


「こんな状況ではあなたのような危険人物を放置しておくわけにはいきません。いつ背中から刺されるかわかったものではないので。開戦前になんとかご退場いただきたかった、というのが本音です」

「妾が一体何をした!」


 ぎっと睨み付けてくる王妃にはなんの後悔も見えない。

 正しいことを、ただ行っただけだという、傲慢な正義。


 肩を竦めたユージンは伝わらないと知りながら、彼女の罪を数えた。

「何度、殺されかけたと? 何度、妻に手を出しました? 何度、幼い王を亡き者に?」


 笑んだまま小首を傾げるユージンの内に煮えたぎる炎を見る。


「不届き者が! 当然の事であろう! 自分の物を取り戻すことの何が悪い! そなたらが一時でもいい思いを出来たのは誰のおかげか! その恩を忘れ、不当に権利を主張し、資格なき者が政を行うなど! 天に変わり妾が誅してやろうとしただけぞ!」


 ユージンは頷いた。


「ええ、そうでしょうとも。故に、あなたは、――――有罪です」


 笑みを消し去った男が判決を告げる。


「連れていけ!!」

「ま、」


 王妃が喚く。

 だが、もう誰もその言葉に耳を貸したりはしなかった。


 自業自得という他ない。

 かつて性根の優しい穏やかな少年だった彼を変えたのは、確かに彼女なのだから。


 ユージンは立ち上がって、所在なさげに立ち竦んでいた女騎士二人の名を呼んだ。


「王妃私設騎士団隊長サラ、並びに副隊長ルシャナ! 王妃の有罪確定により今をもって釈放とす! そなたらの情報提供と国への献身に感謝する!」

「「は!」」


 反射で敬礼を返そうとしたが、手枷が邪魔をしてそれは叶わない。

 ロウが笑いながら外してやった。


「これより王に忠誠を誓い、祖国の為に命を賭す覚悟があるのならば、我が権限を持って騎士への復帰を許そう。如何か」

「有難き幸せ! 謹んでお受けします!!」


 これが一連のシナリオ。


 ちらとロウを見ると肩を竦められた。


「大団円、だろ?」

「……ロウが、戦争を呼んだわけではない?」

「アホか、俺一人にそんなことが出来るわけないだろうが。冷静になってよ~く考えてみろ!」


 とんと額を叩かれた。


「……確かに」


 それもそうだ。

 戦争ともなると一個人でどうにかできる範疇は超えている。

 額を押さえながらアルトは心の中でほっと息を吐いた。


「単に隣国が戦争を仕掛けてくる、という情報があっただけだ。利用はさせてもらったがな。まさか今日の今日に開戦ってのはこっちもちょっとした誤算だ」


 サラとルシャナは遠からず始まる戦争までは少々牢屋に入っててもらう予定だった、とロウは零す。


「出来過ぎた感は否めないが、な」


 ロウは少しだけ気味が悪そうに眉を顰めた。

 サラたちが牢に入ることにならなくてよかったと単純に思ったアルトとは、やはり思考回路が違うのだろう。


 王妃を断罪しサラとルシャナに特赦を与えたユージンが、最後にロウの隣に居たアルトに向き直る。


 久々に言葉を交わすユージンは、口を開く前に、ゆっくりと、丁寧に頭を下げた。

 重要な場面ではよく彼のつむじを見ているような気がする。


「すまん、回避できなかった」


 それは一体、自分に謝ることだろうかと思わず笑う。


 先ほど、ロウの言った通りだった。

 これは誰か一人で、どうなる問題ではない。

 ユージン一人で、背負う問題でもない。


「あなたのせいでは、ありません」

「それでも、」


 もう一度。

 謝罪を口にする。


 アルトは困ったように微笑んだ。

 ユージンの声はいつのまにか知っているより大分低くなっていて。

 返す自分の声の、軽さがなんだか情けない。


「誰のせいでもないよ」


 そう呟いた声が、震えていないといいな、と願う。


 宮廷で戦う人がいる。

 王宮で奮闘する人がいる。

 知を武器に生きる人がいる。

 謀で場を整える人がいる。

 夢に頭を下げる人がいる。

 剣で道を開く人がいる。

 金で世界を渡る人がいる。


 みんな、誰もが、戦場だ。

 自分の舞台で、みな、必死。


「誰も、悪くない」


 騎士だから、剣を取るだろう。

 アルトは戦場に行くだろう。


 流された果てに居る場所に思いを馳せる。


 隊長が居て、ロウが居て、サラやルシャナがいる。

 ここが居場所なのだろうか。

 ここが、自分の舞台なのだろうか。


 彼らのように、自分はちゃんと、戦えているのだろうか。


 ゆるりと、目を閉じた。






 自室の椅子で、アルトは呟く。


「まさか、本当に戦争になるとはねぇ」


 とんとんと指で叩く机の音は、乾いた空気によく響いた。


 都合のいいことにロウはいなかった。

 ヤツは開戦からこっち、あちこちに顔を出しているらしく、部屋に帰ってくることも少ない。


 傷心の相棒を放っておくなど、中々頼りがいのない男である。


「……もうすぐ騎士団も出発か」


 以前、騎士団に入る時に「早々、戦争になんてならない」なんて口にした事を思い出せば、なんとも遠くまで来たものだ。


 アルトは筆を取った。

 手紙をしたためるのである。


 ルークからは「すまん、とめられなかった!」という手紙が先日届いた。

 ユージンと言い、ルークと言い、男たちはなんて傲慢なのだろう。

 一個人で、しかも政に関わっているわけでもない商人ルークが、戦争なんぞ止められるわけもないだろうに。


 それにしても一体、彼はどこでなにをやっているのか。

 商魂たくましい彼の事だから、うっかり戦争地域に物でも売りに行かなければいいが――。


 そんな注意を書き添えて、アルトは最後に記した。


「戦争に行きます、と」


 今度はちゃんと報告しなければならないだろう。

 以前は勝手に命を賭けてしまったから。


 アルトは深くため息を吐く。

 騎士団に入った時から、こうなった場合、逃れる術がないことはわかっていた。

 わかっていたのに。


「いざ、目の前にするとなぁ」


 怖いとは、まだ思えない。


 死ぬかもしれないことも、誰かを殺すことも。

 なんだが実感がない。


 アルトは手紙を出した。

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