第3話 つなぐ人 つむぐ人

 ある日のことだ。

 王宮では王妃が王の命を狙って殺伐とした空気を作り出しているのだろうが、表面上は王も健在、騎士団も待機中、宮廷も若き宰相中心にきちんと機能している、ともなれば町は当然のごとく平穏だった。


 アルトがサラと町をぶらついていたのには、……特に理由はない。

 単なる恒例の街中散歩である。


 せっかくの休みだというのに、サラにはいつも通り飾り気がない。

 素材だけは最高級なのに、おしゃれ服やスカートなど持ってもいないのだ。

 正式な場には騎士服があるし、普段着なら着られればいい程度の認識だった。

 残念にもほどがある。


 そんなサラにも食べ物に関しての好き嫌いは一応あるようで、唯一の女らしさと言えなくもない好物は甘いスイーツ。


 もちろん元女子であるアルトも大好きだ。

 二人で街中の有名店の新作クレープを食べ歩いていた時の事。

 唐突にサラが言い出した。


「そろそろお前にも別れを言わねばならないかもしれない」


 思わず足を止めてしまった。

 世間話でもするように言ったサラが、むしろなんで急に止まるんだと言わんばかりの不満顔をする。

 理不尽。


「……どこかに行くんですか?」


 王弟と覇権を争った戦いですら、サラは別れの言葉など言わなかった。

 なんだか不穏な気配を感じ取って、アルトは神妙に問い掛ける。


「いや、ええと、実は……なんというか、崖っぷちに向かって走っていくヤツが居てなぁ」


 ……ルシャナのことですね、本当にありがとうございました。

 誤魔化し方もどうかと思うが表現力もどうかと思う。

 サラの相変わらずのサラっぷりで、アルトは頭を抱えたくなった。


 初めて会った日のルシャナの話は、忘れるなと忠告する抜けない棘のように時々アルトを不安にさせて記憶に留まり続けていた。


 わからいでか! とアルトは思わず口を挟みたくなったがぐっと唇を引き締める。


「なんとか止められないかと色々考えたんだが、私はあまり頭が良くない。――でな! 良い事を思いついたんだ」


 満面の笑みを浮かべるサラだが、今までの言動を思えばどうしても話に期待が持てない。

 だが、とりあえずは話を全部聞いてから、とアルトは先を促した。


「……その案とは?」


 それがそもそも間違いだったのだ。

 サラは照れたように笑った。


「私が先に崖から飛び降りることにした」

「ぶほっ」


 ツッコミを入れてしまわないように口に入れていたクレープを思わず噴き出す。

 うっかり気管に入って咳が止まらない。

 だがそれどころではない。

 サラだ。

 戦慄すら覚える、凄まじいまでの謎思考。

 驚天動地である。

 どういう結論だ。

 意味がわからない。


「いい案だろう? どうやら崖からは誰かが落ちなきゃならないらしいんだ。だがそいつにはやりたいことがある。なら、わたしにはできることがある。ほら、どうだ? 完璧だろう?」


 馬鹿か、と。


「あんた、馬鹿ですか?」


 うっかり口に出してしまったが、まあ真実なので許されるだろう。


「なんでだ? ダメか?」

「……サラ隊長、たぶん、これ『賢者の贈り物』ってやつです。駄目です」

「賢者、の? なんだそれ」


 前世の記憶の話なので当然通じないが、別に構わない。


「問題なのはそこじゃなくて! サラ隊長が命を、いえ失礼、代わりに崖から身を投げてもいいと思うほど、相手を案じてるって話なんです!」


 ちょっとやけくそ気味に叫んでしまった。

 だって、話が通じない。

 不覚にも何も言わなくても通じる同室者のありがたみを感じて、アルトはとても納得のいかない気分になった。


「もちろん、私にとって代わりのない大切な相手だ。当然だろう?」

「相手にとってもそうだったら、どうするんですか! って言ってるんですよ、このお馬鹿!」


 すっとこどっこいと言わなかっただけ、まだ理性がある(と、自分では思っている)。

 サラの頭上にはハテナが飛んでいた。


「いいですか? 今から、その足で、すぐに帰って、相手にこう聞いてください! 『代わりに死んでもいいか?』って」

「そんなの、ダメと言われるにきまってるだろう」

「そりゃそうでしょうよ! わかってるじゃないですか! 隊長だって逆だったら同じでしょうが! なに死ぬ権利を取り合ってるんですか! 馬鹿でしょう? アホでしょう? それって、つまり相手を生かす権利なんですよ!」


 アルトはぐいと目元を拭った。

 あんまりにも目の前の頓珍漢な生き物が憐れで泣けてくる。

 ルシャナがかわいそうだ。

 でも、ルシャナも馬鹿だ。

 サラが思った以上に、馬鹿だということをわかっていない。


「そもそも、サラ隊長がいけないんです。副隊長の夢は、別に全ての女性に栄光と自由を、なんて高尚なものじゃなかったし、活躍して欲しいのは『女性』なんて曖昧なものじゃなかったです。話してればわかります。私に、……僕にだってすぐにわかりました」


 なんであなたがわからないんですか、と責めるように見れば、動揺したようにサラの目が揺れた。

 やっぱりわからないらしい。


「なら聞いてください。ちゃんと、本人に」


 ルシャナの夢は、サラの背中だ。

 その強さに焦がれた理由は知らない。

 個人的事情かもしれないし、憧れの代替行為かもしれない。


 でもわかることもある。

 ルシャナが切り開きたかったのは、彼女の道だ。

 力しかないとサラが嗤うなら、笑える場所を、振るえる場所を、輝ける場所を。


 そのために王妃にだって頭を下げた。

 下げた以上のものを、彼女は受け取り、そして、精算の時。


「そりゃ、恩も義理も大事でしょうよ。でも、一番ってなんですか? 隊長の、副隊長の、捨てられないものって、なんですか? 一番、怖いのは、大事なのは、なんですか?」


 野望や、名誉や、義理。

 アルトには、そんなものには見えない。


「だからってなんの解決策も提示できないですけど……その先の事なんて、後で考えましょ?」


 だって、

「死んだらおしまいです」


 そうでしょう?

 そう問えば、


「……うん」


 そんな素直な頷きが返ってきた。

 よくできました、と言ったら、サラは初めて褒められた子供のように嬉しそうに笑んだ。






 ロウが自室のベッドに腰かけながら頭を抱えている。


「まさか、こんな展開になるとは……」


 ぶつぶつ呟きながら思考回路をまとめる癖は、自分の前以外ではやめた方がいいといつか注意しようと思って早数年。

 最近は期を逃し過ぎたのでもういいか、と放置している。


「いや、確かに俺も言ったさ。どう考えても貢ぐ系の典型的特攻思考女だったし。これで絆せれば儲けもの程度の話で。『なにかあれば力になるぞ』って。だけど本当に相談してくるなんて思わないだろう?」


 視界の端でちらと自分を窺う気配を感じてアルトは顔を上げた。


「……お前か。またお前なのか!」

「なんのことだよ!?」


 突然掴みかかられてアルトは思わず叫んだ。

 ひどい言いがかりだ。


「てめえ、いつも動かないはずの所を動かすから、こちとら計画が狂いっ放しなんだよ! もっとあるだろ、説得する場所は他にも! 効果的なところとか、動かしやすいところとか、変更が少なくて済むところとか!」

「だから、なんの話だよ!」


 がくがくと肩を揺さぶられてもないものは出ない。


「あいつらは放っておけば自滅するんだから、わざわざ手を出す必要なんてなかったんだ!」


 肩を掴んでいた手をぺしっとはたけば、ロウはむっと口を閉じた。

 それでもじっとロウの目を覗き込んでいると、最終的にはロウが折れる。

 いつもの事だ。


 ロウはため息を吐きながら自分のベッドに腰かけ直し、「お前のせいなんだから少しは協力しろ」と、これまた謎理論を押し付けてくる。


「安心しろ、一度引き受けたんだから見捨てたりはしない。必ずやり遂げるさ」

「……うん」


 アルトはその点ではロウを信用している。


「んで、なに悩んでるの?」

「いやあ、一番重い罪ってなにかなって」


 これまた、不穏な話題である。


「もう少し具体的に言って?」

「例えば、国を預かる者として、……そうだな、一番やってはいけない事とか」


 ロウが危ないことを考えているが、多分必要なことである(ハズな)のでアルトも一緒に考え込む。


「身内贔屓? 横領? 殺人? 密売? あとは、他国と通じるとか?」


 とりあえずは思いついたことを滔々と垂れ流す。

 と、ロウが食い付いた。


「それだ!」


 どれだ。


「よし、それでいこう。方針が固まったぞ、よくやった! これでチャラ、……ではねーな。俺をここまで振り回すお前の罪は重い」


 いつか償え、とびしりと指を差される。


「なに言ってんの」


 僕の貸しの方が多い、とでも返そうと思ったが、ふと思うところあってアルトはやめた。

 代わりにちっちっと指を振って口の端を上げる。


「対等でしょう?」


 貸し借りとか、そういうもので縛られるのはたくさんだ。


「そうだな」


 ロウも片眉を上げてにかりと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る