病弱少年からはじまる自分探し

第1話 アルトの旅立ち

 身の置き所がない。

 困った、とアルトは笑った。


 死ぬと思われていたアルトが生き残ったのは、家族ともども予想外だったのだ。

 死の淵をさ迷い、いよいよだと思っていたら、まさかの持ち直し。

 しかもそこからぐんぐんと良くなり、半年を数える頃には健康と言って差し支えない程に回復した。


 一人息子だったアルト。

 両親はとうに養子を迎えて、その教育に余念がなかったというのに。


 アルトとリリィが面会する際人手が足りなかったのは、アルトにとっては弟となる次期当主に人手を割いていたせいもあったのだ。


 病人の間はまだましで、リハビリまで終えてしまうとアルトはますます家中の厄介者になった。


 こうなると困惑ばかりが先に立つ。

 わざわざ取った養子は哀れだし、両親はどうして生き残ったのかと憤慨している気配すらある。


 アルトは別に家に思い入れもなければ、両親に感じる恩もない。

 家を継ぐことを拒否する理由もないが、継ぐ理由も見当たらない。

 いまさら両親の態度に傷付くなんてこともないけれど、まだ幼い義弟の立場はあまりにも不憫だった。


 だから、了承したのだ。

 両親が厄介払いに、アルトを騎士団に放り込もうとした時も。


「どういうことなんだ! なぜお前が騎士団なんてむさ苦しい男ばかりの脳筋集団に交じらなければならない!?」


 話を聞いて憤慨したのは元兄、もといいつの間にか見習いではなくなった商人のルークである。


 さすがにその言い様は酷い。

 騎士団は名誉棄損で訴えても許されるだろう。


 ルークは最近いつも怒っている。

 アルトになった時も、病気がちで寝込んでいる時も、ふらふらしながらリハビリに励んでいる時も、元気になっても、今も。


 商人らしく、貴族の屋敷にもほいほいやってくる彼の職業選択は間違っていなかったのだろうが、まさか彼を派遣した商店も、お得意先の息子を彼が怒鳴り散らしているとは思うまい。


「お兄さま、落ち着いてください」

「ルークと呼べ、ルークと! 俺は『お兄さま』と呼ぶ妹を持った覚えはあるが、弟を持った覚えはない!」


 そんな感じでいまだにヘソを曲げたままだ。

 それでも会いに来る。

 手紙もやめない。


 心配性はまったくもって完治の気配もなかった。


「そうは言っても、僕がここに居ては義弟も居たたまれないでしょうし……」


 他に選択肢はあまりない。


「病み上がりなんだぞ?」


 もう半年は経ってます。


「体力だって平均に程遠い」


 寝込んでいたせいだから、健康になったいま取り戻せなくはない、……と思う。


「男なんてみんな狼なんだからな!」


 僕、男です。


 ふふと笑えば、ルークは形のいい眉をハの字に落とした。


「……貴族なんて、やめればいいんだ」


 ぼそりとそんなことを言う。

 駄々をこねる子供のようだと指摘したら憤慨するだろうか。


「そうだ! 出奔しよう! なに、身分がなくたってうちの店で見習いになればいい。お前は器用だからすぐに出世できる」


 そんなことが出来る筈もないことは、貴族社会に詳しい彼ならよく知っているはずだ。


「ルーク、僕は大丈夫。騎士団でもまた手紙を書くし、困ったことがあればちゃんと相談します、ね?」


 信用がないのは重々承知だ。

 前科がある。

 死ぬか生きるかの賭けを勝手にした、拭い様のない前科だ。


「いやだ。お前が死にそうな目に合うのは、もう見たくない」


 病魔とギフトがせめぎ合っている具合の悪い時期も足しげく通ってくれていたルークには、どうやら深いトラウマになったらしい。

 全面的にアルトが悪い。


「このご時世、早々危ない目に合うとも思えないし」


 騎士団の出番である戦争など、もう何十年と起きていないが故に、騎士団を見る人々の目が厳しくなっているくらいである。


「僕だって男になったからには、少しは鍛えなくちゃ」


 袖をめくって細腕に力こぶを作る。

 なだらかな丘の一つも出来ない腕に、ルークはそれはそれは奇妙な顔をした。


 彼が納得しようがしまいが、アルトの行く先は決まっている。

 アルトはいまだ両親の庇護下にあるし、彼らにとってアルトは邪魔者だ。


 学園へは代わりに義弟が通うことになるだろう。

 騎士団に入った暁には頃合いを見てやがて廃嫡が宣言されることになる。


 貴族としての身分ではあるが、家には帰属しない。

 騎士団はそんな人間で溢れている。

 掃き溜め、なんて揶揄されることがあるくらいだ。


 余分な人間の行きつく先。

 いらない者を捨てるための、公共のゴミ箱。


 さすがのルークの耳にもこの辺りの不名誉な話は入っていないだろう。


 取り繕うのが大好きな貴族が、癒着激しいとはいえ、それでも貴族ではない者商人にそんな外聞の悪い話をするわけがない。


 もしも知っていたら問答無用で掻っ攫われたかもしれない。

 ルークを犯罪者にしなくてすんで、アルトはとてもほっとしている。


 だがしかし、なんとまあ、人生とはわからないものだ。

 貴族令嬢が下町娘になったり、死にかけの少年になったり、今度は国のために戦うという名分で集められた有象無象の仲間入り。


 それでも心配性の兄をこれ以上心配させたくなくて、アルトは無理矢理笑顔を作った。


「行ってきます。ほら、ちゃんと笑顔で見送ってくださいよ」


 むにっと兄の顔を伸ばす。

 情けない顔のルークが、やっぱり情けない顔で笑った。






 ゴミ溜めにしてはマシだな、というのがアルトの正直な感想だった。

 騎士団の話である。


 確かに宿舎はむさ苦しい男たちで溢れかえっているし、清潔とは言い難い。

 煙草の煙は始終蔓延していてアルトのまだ鍛えられていない気管を苦しめた。


 すぐに始まる賭け事や、浴びるように消えていく酒類。

 下品な言葉と特有の言い回しと、罵詈雑言。

 なけなしの給料が出れば、娼館に通い享楽に消えていくような彼ら。


 初めて目にしたときには逃げ出したくなったが、彼らにも守るべき一線はある。

 一応の規律が彼らを暴走から救っていた。


 紙のように薄い建前の並べられた「正しい騎士」の姿を取り繕い、飛んで吹きそうな規律を守らせているのは彼らの親玉。


 厳しくも正しい上司ほどありがたいものはない。

 アルトは騎士団の隊長たちをすぐに崇拝するようになった。


 なにせ人を見る目が的確だ。

 新人として初めて顔を合わせたアルトの所属となる強面の第三騎士団隊長は、すぐさま危険を察知してアルトを自分が目をかけている部下と同室にしてくれた。


「せめてもうちょっと男らしくなれんものか……。おい小僧、あんまりウチの馬鹿どもを煽ってくれるなよ?」

「……は、はい」


 アルトとしてはなんの事やら。

 相手の顔は怖いし声も怖い。

 とりあえずは「肯定」しか返してはいけないと聞いていたのでそうしたまで。


「掃き溜めに鶴、……か」


 頭が痛いとばかりに隊長は呟きながら深々とため息を吐いた。


「なにか困ったことがあれば同室の男に聞け。見た目と言動は軽いが、悪い奴じゃない。力になってくれるだろう」


 そう言って隊長は立派な顎髭をさすりながら火種になりそうな新人を歓迎したものだ。

 これ以後ため息が癖になった、とはのちに彼からよく聞かされるようになる愚痴の一つ。


 当の同室者は、自室になる予定の扉を叩くと意気揚々と挨拶を始め、


「よお、お前が噂の新人か? この俺様に久々に相方が出来ると聞いたが――……こ、これは中々……ホントにどうしたものか。……ええ?」


 途中から戸惑いと困惑を露わに様子がおかしくなり、

「……マジかよ。俺には荷が重すぎるって、隊長」


 最後にはしおしおと床に枯れ落ちた。


「ああ゛~! 俺の平穏な生活がー! 勘弁してくれ~!」


 床で咽び泣いている男の前にしゃがみ込み、

「大丈夫?」


 ぽんぽんと肩を叩けば、「誰のせいだ!」と怒鳴られた。


 ふふとアルトは笑う。


 反応がとても兄に似ていたからだ。

 ルークには強がってああ言ったが、やっぱり不安は大きかった。

 その強張っていた心がやっと少しほぐれたような気がした。


 意味もなく思ったのだ。

 ここでも、きっとやっていける。


「……ったく、しゃーねーな。給料アップで手を打ってやろう。隊長に直談判だ。その時はお前も付き合えよ!?」


 恐ろしく面倒見のいい彼の名をロウと言った。

 ローエンというのが本名らしいが、ここでは誰も正しく呼ばない。


「お前もロウと呼べばいい。敬語もいらない。同室の特権だ」


 事実、アルトも誰が言い出したのか、それとも訛ったのか「アル」といつの間にか呼ばれていた。

 わざわざ短くするほど長い名前でもないのだが、郷に入っては郷に従えだ。


 にかりと笑ったロウの顔は若く、男所帯のせいで外見を見繕うことに手を抜いてはいたが、それでも精悍と言えるものだった。

 世間一般にあっては体格が良く、騎士団の中では大分小さく見えるが、なぜか見劣りはしないという不思議な特性を持っていて、アルトを大いに羨ましがらせた。


 だが、特筆すべきは彼がなにかと器用な男で『情報屋』と呼ばれていたことだろう。

 欲しいものがあればロウに聞け、なんて格言が騎士団にはあったくらいだ。

 情報、商品、当番の変更から、夜の脱走、班の組み換えから部屋替えまで、彼に頼めば出来ない事はないとまで言われている。


 アルトはその男の庇護下に入ったのだ。

 他者の遠慮は目に見えた。


 どんな屈強な男も、愛しい女に会うために宿舎を抜け出したい時はある。

 あるいは騎士団では手に入らない銘柄の酒や煙草を融通してもらう。

 気に入らないヤツを合法的にぶん殴るために練習試合を組んでもらう。

 どれもこれも、ロウに頼むことだ。


 それでもアルトが一人の時を狙って空き部屋に引きずり込まれたことはある。


 入団前に「これでも一応男だし、大丈夫だよ」なんて言って遠慮したが、無理矢理持たされていた撃退グッズの数々が火を噴いたのは幸いだった。

 誰にと聞かれたらもちろん、リリィとルーク。


「なんだって僕が女に見えるんだよ! 目が腐ってんじゃないのか!?」


 とアルトが罵った男は目から腐敗臭を放ち本当に一月ほど視力が戻らなかったらしい。


 アルト本人は、もう二度と軽々しく「大丈夫」なんて言わないようにしようと心に誓ったくらいには恐ろしかったのに、

「むさ苦しい男しか見てないから、お前くらい華奢だとちょっと頭が勘違いするんだろう」

 なんて、何でもない事のように、あっけらかんとロウに言われた時は愕然とした。


 自分の身は自分で守らなければと、身に沁みた事件だった。


 それからはもう容赦なしだ。

 事の顛末を聞いたリリィが激怒した上に、張り切った。

 アルトも自分の身可愛さにまったく自重しなかった。

 掛け算の結果は推して知るべし。


 次から次へと送られてくる護身用のエトセトラは使い切れず、いまや部屋に山のようになっている。


 最初は面白がって口を出していたロウも、半年ほど男の象徴を役立たずにされた同僚を見てから顔色を無くして何も言わなくなった。


 アルトの丁寧な言葉遣いや泥中の蓮のようだった場違い感のある気品も、いつの間にか団に染まって、ちょっと拗ねた生意気盛りの少年に見えるようになった頃。

 騎士団の中に不文律が一つ増えた。

 ――すなわち「アルには手を出すな」だ。


 最初は何をするにもビクビクしていたアルトも、半年もすれば堂々と一人で歩けるようになった。

 人間、慣れる生き物なのである。


 もしくは、慣らされたのは周囲だったのかもしれないが。

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