第7話 アリシアとリリィ

 準備は着々と進んだ。


「そもそも魂を肉体から剥離する負荷は相当なものよ。普通の人間に二回と耐えられるものではないわ」


 アリシアが言うには、その禁術は一回限りだという。


 あれから二人は徐々に学園で仲良くなる振りをして、リリィが頻繁に家に遊びに来られる状況を作った。

 そこで互いの人生を教え合い、周りを謀るのに必要な最低限の知識を交換したのだ。

 割と中期計画である。


 一度だけ、リリィの家にも行った。

 アリシア貴族が頻繁に下町に降りるわけにはいかないから一度きりだ。


 リリィはしきりにこんな生活が嫌だと思うなら今の内にやめてもいいのだと言ってきたけど、アリシアは柳のように受け流す。


 納得のいっていないリリィにアリシアはこんな話を切り出した。


「私、小さいころ何度も死にかけたことがあるの。おかしいでしょう? 私のギフトは『健康』なのに」


 リリィは慌てた。

 ギフトは簡単に口にするものではない。


 ギフトとは神の祝福。

 それは魂に付随するものだ。


 アリシアとリリィが入れ替わればギフトも共に入れ替わる、とはアリシアの言。


「あなたのギフトを知っているのに、教えないのも不公平だもの」


 前世の記憶を持つアリシアにもギフトがあるという事実は、アリシアを何度も救ってきた。

 それはアリシアがこの世界の住人として神に認められているということでもあるのだから。


 ギフトに関して人々の口が堅い理由は、もちろん人間の価値を左右してしまうものだからだ。


 そんな中、リリィのギフトは知れ渡っている。

 『魔法』だ。

 それを見込まれ学園に入学したのだから知らないわけがない。


 うっかり街中で発現してしまったのが今に至る運命の分かれ道。


 リリィのギフトも希少だが、数あるギフトの中でアリシアの『健康』は最も喜ばれるものの一つだ。

 死因に『病気』はあり得ないのだから当然の話だろう。


 だからこその話をアリシアはしていた。

 ギフト『健康』を上回り、生命を害する「何か」がアリシアにはあったのだ。


「お医者さまでも原因がわからなくてね。でもある日、『占術師』が言ったわ。私は肉体と魂の繋がりがとても希薄なんですって」


 前世の記憶のせいだろう。

 占術師の説明に首を傾げる人々を尻目に、アリシアだけは一人納得した。


 けれど、せっかく生まれ直したのにまた死ぬわけにはいかないから、アリシアは必死になった。

 このアリシアという人間を、生きることに。


 その足掻きが吉と出たのか、やがて魂は安定したけど、『アリシア』を育てている気になっていた自分は、やはり肉体と魂を完全に融合させることはできなかったのではないか。

 そんな気がした。


「だから、体を替えることにそんなに抵抗はないのよ」


 普通の人間が抱くほどの執着を、アリシアは自分の肉体に抱けない。


「アリシアをよろしく」


 リリィはそう朗らかに笑ったアリシアに何かを言いたくなった。

 けれど何も思いつかず、口を閉じる。



 そうしてとある吉日。

 学園が長期の休みに入った頃合いを見計らって、二人は互いの了承のもと、体を入れ替えた。


 ユージンは立ち会いたがったが、余計な魂は邪魔でしかない。

 魂の混同でも起きたらそれこそ一大事。

 丁重にお断りした。


 アリシアの家で行われた禁術は派手な演出もなく案外呆気なく終わる。


「すぐに動こうとしなくてもいいわ。魂の定着まで少し時間がかかるの。気分が悪いでしょう?」

「……アリシア?」


 もう「さま」なんて敬称はいらないくらいに仲良くなった友人の名を呼ぶ。

 弱々しい声はなんだか酷い違和感を抱かせる。


 ふふと、穏やかで小さな、それでもどこか気品を感じさせる優しい笑い声が聞こえた。

 額に冷たい指の感触を感じて、うっすらと目を開けたリリィの目には見慣れた顔が映る。

 長年馴染んだ自分の顔。


「アリシアはあなたよ」


 金色のまつ毛に縁どられた緑の瞳。


 禁術は成功だ。

 それでもその笑い方は、やはりアリシアのものだった。


 眩暈に似た浮遊感に耐えられず、リリィは強く目を閉じた。

 どれくらいそうしていたのか、わずかに回復を感じてふと瞼を開けると、アリシアがベッドの脇からじっとリリィを見ている。


 気付くと口を開いていた。


「……わたしアリシアを見てるの? どんな気分?」


 声の高さに少しの違和感。

 これがアリシア自分の声。


「そうね、手塩にかけて育てた娘を嫁にやった気分よ」


 まさしく複雑そうな顔をしたアリシアが、自分のものであった顔を見ながら答えた。

 思わずリリィは笑う。


 それを見てアリシアは安心したのだろう、相変わらずきれいな所作で立ち上がる。


「起きるのは当分無理よ。このまま寝ているといいわ。ここはあなたの部屋ですもの。誰も文句を言ったりしない」

「……アリシアは? どこにいくの?」

「私はよ、アリシア。間違ってはいけないわ」


 まだ幾分かぼんやりとした頭で彼女の忠告に素直に頷く。


「私はリリィ自分の家に帰るわ。貴族は不要な長居を嫌がるものだから」

「家族に挨拶は、」

「ちゃんと説明をしておくから安心して。そこからはあなたの努力次第よ。元から私には無関心な家族だから、関わらず生きていくこともできるけど。……そうね、私の希望としては仲良くして欲しいわ」


 私には出来なかったことだけどと自嘲気味に笑ったつもりの彼女は少し寂しそうに見えた。

 彼女の家族に対する要望ははじめて聞いた。

 絶対に叶えようとリリィは心に誓う。


「アリシア」

「もう、何度言ったらわかるの? 私はリ、」

「アリシア、わたし頑張るわ。あなたに恥じない人生を、きっと生きてみせるから」

「……リリィ、あなたの人生よ。幸せを願っているわ」


 実はなんの心配もしていないと言ったらリリィは驚くだろうか。

 それでもそれが本音。


 彼女ならアリシアを任せてもいいと思っていた。

 むしろ、譲るのなら彼女がいい。


 だって、確信があったのだ。

 リリィという魂はアリシアを枯らしたりしない。

 アリシアはリリィを得て、やがて天を突く大木にもなれるだろう。


 そんなリリィに自分が返せるものはとても少ないから、アリシアはせめてもの努力を誓う。

 今まで彼女が培ってきたもの、築いてきた関係。


「私も、あなたに相応しい人生を送ってみせるわ。弟ははじめてできるけど、立派な姉になってみせるし、ご両親にとって自慢の娘にもなってみせる。あなたが本来残しただろう功績や成果には及ばないだろうけど、少しでもあなたのように――」


 やるべきことを滔々と語る、完璧な淑女と呼ばれた彼女は、今度は完璧なリリィになるのだという。

 リリィはこの真面目で実直な友人の真っすぐな覚悟に笑う。


「いいえ、アリシア。リリィはあなたが思っているほど立派な人間じゃない。だからもっと好きに生きていいのよ」


 覚悟を遮られたアリシアが不満そうに口を尖らせる。

 リリィという人間を精一杯生きる。


「……これ以外にあなたに報いる方法を知らないわ」

「なぜあなたがわたしに報いなければならないの? 十分すぎるほどにもらったわ。アリシアという体と人生を」


 むしろ報いるのは自分の方だろうと思うのに。


「それなら私だって同じだけのものを貰っているわ。リリィの体と人生を。だからあなたがアリシアの人生を輝かせてくれるなら、私も同じものを返すべきでしょう?」


 互いの常識が食い違っているような問答の果てにリリィは気付いた。


「……驚いた、アリシア。あなたにとってわたしとあなたの人生は同じだけの価値があるものなのね」

「当たり前だわ」


 本当に、一体何を言っているのかと、アリシアが不審な表情を隠しもせずにリリィに答えた。


 アリシアは自分を貴族の中の貴族だと言うけれど、どうやったらあの顕示欲の塊のような連中の中で彼女が育まれたのか、リリィには想像もつかない。

 脱力と共に深くため息を吐いてしまうのは仕方がない話だった。


 きっと奇跡だったに違いない。

 アリシアという人間が生まれたことは。


「ありがとう、アリシア。あなたと出会えたことが、わたしの人生最大の幸運よ」

「……大げさねえ」


 リリィは感謝を伝えたかった。

 だけど全然伝わらない。


 だから彼女が自分に言ってくれた言葉を返す。


「アリシア、あなたの人生よ。リリィを生きなくてもいいの」


 今度はちゃんと伝わったようだ。

 ふと眉を下げて、困ったように彼女は呟いた。


「生き方は、一つしか知らないわ」


 誰かを完璧に生きる、それ以外に知らないのだという。


 ああ、とリリィは思った。

 自分がこの愛すべき友に贈れるとてもいいものがある。

 それを思いついたのだ。


 祝福を。

 解放の呪文を。

 人生を。

 きっと自分は彼女に渡せる。


「――あなたは、自由よ」


 ユージンの隣に立ちたかった自分に、その資格をくれた彼女だから。

 かわりに自由を。


 それはいつか、彼女が自分のなりたいものを見つけ、なりたいものになれる権利だ。


「あなたが、いつか『あなた』を見つけることを願っているわ」


 ――心から。


 そうしてリリィはアリシアになり、アリシアはリリィになった。






 後の王国混乱期。

 残された幼い王子は名のある人々に育てられ、やがてその辣腕で中興の祖と呼ばれた。


 彼の王は言って憚らない。

 自らの母は強く優しい乳母であり、自らの父は厳しく聡明な宰相であると。

 理想の夫婦像として長く伝えられるこの二人の名を、アリシアとユージンと言う。


 彼らは王族の名が連綿と書き記される墓碑に、彼の王の父母として名を連ねた、王家の血が流れていない唯一の人物となった。

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