第6話 もっと出世しよう後編

 ミザ王国、王都。


 言わずと知れた、と言うかそのまんま王のおわす国の首都は、割と栄えています。


 割とです。何故かと言うと石壁の街が有名すぎてそっちの方に人が流れてしまうから。


 かつて隣国を吸収合併して大陸の覇権を狙える大国になったまでは良かったものの、世の中全部は上手くいきませんね。大国になったのにどいつもこいつも喧嘩売ってくるし。


 何分なにぶん立地が悪い。大陸の真ん中くらいにあるもんだから逃げ場がない。


 おまけに吸収した隣国とは西と東の位置関係だったせいで国も横長。大都市である石壁の街はそのほぼ真ん中にあるし、しかし遷都するには石壁の街は基礎ができすぎていて改築が難しい。


 なので旧ミザ王国の時と同じ場所に王都置きっぱなし。せっかくだから遷都とかしたかったけど。唯一良かったことと言えば何気ない一言が政治にすら影響が出しかねない大物が王都の正反対へ行ってくれたこと。先代の王は惜しんだが現王的には本当に助かった。


 ただ、別に悪い場所だというほどのものではない。何せ自慢の城がある。


 偉そうに外壁は高くしておいて、自慢の白亜のお城はしっかり外にも見せていくスタイル。


 建材にこだわって作られたハイソででっかいホワイトキャッスルこそがミザ王国の王権の象徴でもありました。


 それがこの日、自国民の血で染まるわけです。


 まさに愉快痛快。この大戦争時代に血で汚れていないものなどないと言わんばかりの凄絶な風刺芸術の始まり始まり、です。





 結論から言えば、デルニシテは間に合いませんでした。


 上司であるアルハレンナの呼び出しに遅れて大目玉。いくらデルニシテを見出した彼女でもさすがに小道具なくした、で遅刻されてはたまったものではありません。


 と、言うわけではなく。


 そもそもアルハレンナはいませんでした。


 時間にして、遅れること約二時間といったところでしょうか。


 例の砦に戻り忘れ物を見つけ、お願いだからと頭を下げられ仕方なく少しだけ歓待を受けた後に人間二人乗せての道中にしてはあまりの健脚。名馬アルティは有能です。


 でも間に合わなかった。


 デルニシテたちが都に来るのはこれが初めてではありません。サヴィラとの戦で挙げた功績を褒めてもらいにきたのと、他のこまごまとした(デルニシテにとっての「こまごま」)戦果の報告に来ていました。


 だからこそでしょうか、門をくぐってすぐ、城下街の入り口でその雰囲気の違和感に気付いたのは。


「…ドゥリアス」


「わかっている…不穏だな。門の番兵もこちらを見る目がまるで違った。俺だけならばサヴィラの人間だから、で片付くが」


 城下町の喧騒はと言えば相変わらずそこそこの栄え方。戦争中であることを考えればよっぽど賑やかでしょう。市民はいつだってなんやかんやたくましいもの。


 そんな中に潜んだ雰囲気の異臭とも呼ぶべきものを、二人は察知したのです。


 城へ続く大通りは人と馬車とに溢れ返り、多少身軽とは言え騎馬の二人はなかなか前には進めません。


 行く方向により左右の道へ分かれ、軍人であっても順番は守り、みだりに往来を騒がすべからず。


 賢き王の発布した法が、この時ばかりは鬱陶しい。


「…ごめん、先に行く」


「…デルニシテ?」


 なのでデルニシテは、跳ねました。


 アルティの鞍を少しも揺らすことなく立ち上がると、そのまま跳躍。前の馬車の屋根へ着地し今度は道端の大店おおだなひさしの上へ。次は屋根に上がって、あとは建物の屋根伝い。


 緊張を微塵も感じさせない目にも止まらぬ早業でしたがドゥリアスは逆に焦りました。


 あのデルニシテが戦場と同等の技を用いるということは、すなわち戦場に匹敵する何かが待っているのでは、と。


 その予想はおおよそ正解で、でもドゥリアスは間に合いません。


 駆け続けてようやく城門へ辿り着いたデルニシテも手遅れだったのですから。




 閉ざされた門に、番兵はいませんでした。


 これだけで明らかにおかしい。一国の本拠地に番人を設置しないことはありえません。門の横や上についている窓からも誰も顔を出さない。


 しかし、立ちすくむデルニシテを迎えるように門は開かれました。


 デルニシテはこの時点で自分が遅れたことに気付いています。


 その上で、進まなければならない。


 待っている人が、いるから。


「随分と、遅かったな。イーデガルド一位尉官」


 城の中庭には、ふさわしくないものが積み上がっていました。


 その中の一つと目が合う。いや、合っていない。だってもう、動いていない。


 積み上げられた山の前に整列した兵士と、さらにその前に立つ峻嶮な顔をした中年軍人が、こちらを睨んでいる。


「では、審問を始めよう。略式で済まないが」


 端から端まで目を走らせる内に一体何人の顔を見ただろう。


 顔が見えない方が多いはずなのに。


 全員の顔が浮かんで見えた。全員、覚えている。


「デルニシテ・イーデガルド。貴様とその小隊には反逆の疑惑があった」


 周囲を見回せば一つも片付ける気のない殺戮の跡が見て取れる。夥しい血痕と、その辺に転がっている誰かの指。あれは確か、ガーレスの。


「本日、小隊員に尋問を行ったところ、審問官に対して危険な抵抗を行ったので反逆の疑惑を確定としすみやかに鎮圧、処刑した。先んじて連行した後方部隊の男には手を焼かされた、奴もその昔一度に十人討ち取った豪傑だった」


 あのナイフはエリアンスの。あの鼻はヴァンリーの。あの足は、マクレイの。


「小隊長として、容疑者として何か言いたいことはあるか?デルニシテ・イーデガルド」


 小さな酒瓶とそのラベルを見たところで見回すのをやめた。ちょうど知らない誰かがこちらに話を振ったらしい。


 発言の前に、短く息を吐く。


 それは、あまりに短い決別の証。


 瞳の中の水面に、揺らぎはない。


「ずっと、思ってたんですよね。って」


 それは、どれだけ自分の調子であっても態度だけは慇懃な男にあるまじき気だるげな口調だった。


「だって、そうでしょ?どれだけ仕事を頑張っても、どれだけ敵を倒しても。こうやって上の人に目を付けられればおしまい。かわいそうに、僕のせいでみんな死んじゃいました」


 瞳の中の水面に揺らぎはない。が。


「だから、思ったんです」


 淀んでいく。流された血によって。



「……最後に言い残すことはあるか!」






「皆殺しにしてやる」






 彼が父から激しく燃える激情の焔を継ぐことはありませんでした。


 でも母から、いつ何時も揺らぐことのない水面の心を継ぎました。


 ですから、は父のイドでさえ知りません。


 どこまでも澄んでいたその泉が淀んだ時。


 デルニシテが初めて本気で怒った時、何が起こるのか。


 答えはある人物が明らかにします。





 配下と賛同者を動かし百人の精鋭を集めた三位将官は、城の一室から中庭の顛末を眺めていました。


 憎き若造の死に様を見るために、多くのはかりごとを用いて今日この時に至る準備を進めてきたのです。


 それがようやく叶うのだと思うと心の底から嗜虐的な笑みが止まりません。


 既に老人と言える年齢でありながら自分の出世の苦労を若き英雄を妬む悪心に繋げた外道は声高に存分に笑いました。


 あの時、サヴィラとの最後の戦を預かる身であった自分を差し置いて何故奴が評価されたのか。命令違反を重ねて独断専行を続けたあの小僧が、何故。


 自分があの小娘に頭を下げてきた日々が無駄だと知った時、彼はデルニシテの殺害を決めました。


 全身を鎧で固め剣と盾を構える選りすぐりの百人を突破する方法などこの世のどこにもありはしない。門も既に閉じられた、城壁は登るに高すぎる。


 勝った。


 そう誇れたのが果たして何秒ほどあったのかは定かではありませんが。


 デルニシテはいつも通り、剣一振りだけの軽装で押し寄せる百人に立ち向かいました。


 まず最初に到達した一人目の鎧と胸とをあまりに粗雑な突きでもって貫通し、後ろにいたもう一人の鎧と心臓とに穴を空けます。仕留めた二人を突き飛ばし押し返すとその骸を躱して敵勢が二手に分かれる。


 引き抜いた剣についた血を払うことなくその場で真一文字に剣を振り払うと勢い余って身体ごと一回転。斬れたのは四人。あっさりと裂かれた鎧の向こうから血が噴き出しました。


 血を浴びないように軽い足運びで後ろへまっすぐ下がる。また押し寄せるので今度はその内一人が剣を突きこんできたところへ逆にその懐へ滑り込む。鋼の盾をまるで木片か何かのように雑に拳で打ち払うと剣を閃かせ兜と鎧の隙間から喉を刺し貫く。


 そんな近距離で長物を取り回しておいてその動きはどの戦場よりも軽妙で、殺した兵士を盾代わりに抱えて踊って見せたりもした。


 巧妙に包囲をさせず、魔の剣技で鎧ごと人間を斬り殺し、しかし逃げることなく次の命を奪いに行く。


 それは戦場で見せた無機質なまでの殺戮とは違うものでした。


 まるで、神話に語られる怪物の暴虐。


 少なくとも剣の損耗を気にしてか戦場では避けていた鎧の破壊を躊躇なく行い人間より高く跳ねることも壁を走る程度のことも気にしない。道理もことわりも踏み躙る狂乱の舞踏。


 人より特別に強く生まれた突然変異たるイドはその果てに魔女をも狩り立てた。


 では、デルニシテは?


 息子は、百人の完全武装の手練れを宣言通り鏖殺した。


 返り血の一滴くらいは浴びたかもしれないが、汗一つかかずに。


 顔の怖い指揮官は途中で城の中へ逃げようとしていたので死体から剣を奪って投げ、壁に串刺しにしておいた。鎧がないと楽でいい。


 と言うか、いくらか殺したところでくじけた兵士はそれなりにいた。逃げる前に殺しただけで。そもそも前提が違う。なめらかな曲面の鎧を正面から貫いたり肉のように切り裂く奴相手は話が違う。自分を守る防具がただの棺桶であるとわかれば誰だって逃げたくなるでしょう。


 手の中の剣はさすがに刃が目に見えて綻びている。この担い手の暴力にはいかな名剣でも到底ついてはいけないでしょうが。


 終わった。


 終わった?


 いいやまだ終わっていない。


 最後の一人が命乞いもほどほどに自死を選ぼうとして手首を斬り落とされしっかりとデルニシテの手でとどめを刺された時も失禁しながら中庭を見下ろしていた愚か者が残っている。


 振り返った怪物と目が合った瞬間、三位将官は臆面もなく叫びながら部屋を飛び出した。


 向かう宛などなかった。そんなものは用意していない。だって、負けるはずがなかったのに。


 とにかく奥へ。広い広い城の片隅へ。


 老骨に鞭打ちなんとか辿り着いたのは、城に住み込む下女たちの部屋でした。


 中で談笑し休憩していた若い女たちが突然の闖入者に怯え叫び、我先にと部屋を出ていく。


 老人はベッドから剥いだ毛布を被った。見つからないように、何枚も。被ってベッドとベッドの間にその身体を詰め込んだ。


 震えながら、怪物が去るのを待つ。何時間経った頃か。


『あ、あの…』


 ドアの外から、女の声。


『すみません…ど、どうしても必要なものがあるので、取りに入りたいのですが…』


「…男は」


『え?』


「男は、いないか」


『は、はい…いません…』


「…入れ」


 数秒後、ゆっくりと扉の開く音がした。


 そっと、怯える老爺を刺激しないように足音も密やかに。


 やがて足音は恐る恐るベッドへ近付き、翁はより一層身体を竦ませる。


 やがて頭上から引き出しを開け、閉めた音がする。


 そのまま足音は遠ざかっていき、もう一度扉が開き、閉じた。


 一瞬。


 ほんの一瞬でも、安堵した。してしまった。






 忘れるなかれ怪物とは、恐れるものの前にこそ現れるものだ。






 必死で掴んでいた毛布が緩んだ瞬間に全て剥ぎ取られた。


 突然開けた視界の真ん中には、いかな手段で侵入したのか剣を提げた怪物の姿。


 哀れな弱者たる老人は既に、叫ぶほどの気力も残ってはいなかった。


 それでも、それでもなんとか口が回る。


 そうやって生きてきた、そうやって非才の身でこの歳まで出世してきたのだ。


「た、助けてくれ」


「……?」


「認めよう、わしが悪かった。何もかもわしの計画だ。公明正大な場でいかな罰でも受けよう。だから殺してくれるな。頼む、命だけは…」


「……」


「お、お前は、地位が、そうだ地位が欲しかったんだろう?出世がしたいと常々口にしていたと聞いた。わ、わしの権力の全てを使って、お前を、い、いい一位佐官にしてやる!わしの位より上は難しいが…あの小娘と同じ位だ!親が高官だからという理由もなしに一位佐官だ!あの女より上だぞ!どうだ?ど、どうだ?」


「……そうですね」


 ふむ、と怪物は考え込むような素振りをする。


「出世、したいです。できればアルハレンナさんより上。いいですね、いい話です」


「そ、そうか!では」


「でもダメです」


「え」


「だって、あんたを殺せば三位将官が空くだろ?」


「あ、ああ…」


「そこに座れるかどうかはさておき、上が減れば上に行けるって予想は多分間違ってないんですよね。だから」


「わああああああああ!!!!!!!!!」


「死ね」






 自分たちの部屋が惨劇の舞台になった悲劇の下女は、部屋の前で立ち尽くしていました。他の仲間はとっくに逃げ出し、腰が抜けた自分だけが置いて行かれ。そして怪物が現れた。


 扉が開く。悲鳴が止んだ部屋から何事もなかったのように出てきた優男は、つとめて穏やかに、下女に言いました。


「ごめんね、部屋汚しちゃって。君たちには別のいい部屋を用意するよ。任せて。俺は今、多分あの人より偉いからさ」





 かくして、デルニシテによる冤罪払拭を超えた粛清は幕を下ろしました。


 白亜の城は血に染まり、王国の権威は汚された。


 こともあろうに王の居城へ押し入り三位将官を弑した反逆者の名は、デルニシテ・イーデガルド。


 城の占拠を始めたデルニシテから逃げるべく三位将官の協力者はすぐさま都を離れ、多くのものが追従しました。


 協力者でなくても背景を知らずデルニシテに反感を持ったものも都を出ました。


 そういったものたちはやがて一つに集まり反デルニシテ派として旗を掲げます。


 その中心は、アルハレンナ・シームーン。


 出張先であった石壁の街で、彼女はその報せを受けました。


「アルハレンナ様!報告が」


「もう来ている!…あの老害め、頭の中身まで腐っていたか」


「これから、ど、どうなさるのですか…?」


 さすがに、歴戦の騎兵であれど前代未聞の国難には側近も堪えているようでした。


 それは、アルハレンナ自身も。


「…決まっている。父上に従うのだ。父、元帥は今、隣国との停戦交渉に自ら出向いている。あの三位将官もその隙を狙って城を掌握し利用した」


「……?で、では、イーデガルドは押し入ったのではなく、誘い込まれた…?」


「ああ。だが、どうしようもない。証明できる人間はもういない。裁かれるべき人間がいないとすれば、後に残るのは血の海とそれを作った人間だけ」


 そこに奴が立つ以上、我々が対立しない道はあり得ない。


 何より、どうしても敵対しなければならない理由があった。


 王が、デルニシテの手に落ちている。


 国に、王に仕える軍人として、元帥は王の救出を掲げ挙兵するだろうとは思っていた。


 だが、アルハレンナはその総大将に自分が指名されるとは思っていなかった。


 元帥は、この件で自ら引責しその地位を捨てた元元帥は、それでも周辺諸国との交渉を続けたのだ。


 今この時に攻め込まれればミザ王国の全てが終わる。それを抑えるために、元帥は動き続けなければならない。


 故に、もう一人の軍の中心人物たるアルハレンナが立ち、そしてその旗の下に多くの将兵が集った。


 逆に、デルニシテを慕うもの、反抗以前に王を案じるものはみな王都へと参集した。


「…以上、読み上げた通りだ。ミザ王国の七割が敵に回った」


 以前より明確に静かになった王城の廊下を、二人の男が歩いている。


 一人はドゥリアス・カストール。サヴィラの貴族でありながら報恩のため国を出た男。


 報告に応じるのは、整った容姿に眠そうな目を備えた気だるげな男。


「別に、どうにでもなるよ。俺は世界で二番目に強いから」


 デルニシテ・イーデガルド。現在、王国軍元帥。


 前任者や資格者の逃亡に際しその席を預かるにふさわしいものとして彼は選ばれた。


 本当のところは誰もいなかっただけだ。残った人間は全員、恐怖と信奉からデルニシテを推した。


「お前で二番目?一番は誰だと言うんだ」


「俺の父さん。俺は父さん以外になら誰に負ける気もしないけど、父さんにだけは絶対勝てないな」


「そうか…偉大な父を持つのは、それはそれとして悩ましいものだ」


「そうだね…父さんの子として、いつかは堂々と世界一強いって名乗りたいよ」


 他愛もない話をしつつ、しかし遠慮なく王城を歩く。


 あの後デルニシテは道に迷いました。ええ、あまりに集中して真っ直ぐに獲物を追ってきたせいで城から出られなくなり、彷徨い歩いていたところにドゥリアスが来てくれた。


 ただ、どうやら剣をぶら下げて城内を闊歩する姿をして城の占領をしに来たと勘違いされていたらしいが、まあその結果がたくさん空いたのだから文句はないようで。


 久々に王様にも会いました。かなりの数の武官と一部の貴族が消え仕事はとてつもなく増えたにも関わらずその原因であるデルニシテにも謁見が許されました。


「まずは、ごめんなさい。城の中を汚しました」


「良い。お前に事情があったことは私も知っている。…不幸だったな。もう少し落ち着いた後には彼らの弔いをさせてもらおう」


「…いいんですか?俺は国賊らしいですよ」


「構わぬ。だから私と家族は逃げなかったのだ。お前が国を脅かすものでない以上、逃げる理由がないのだから。願わくば出ていったものたちにも周知したいところだが…難しかろうな。しかし、国をまるごと騒がせた責任は取ってもらおう」


「え?」


「ここを守ってくれ。充分な兵が戻るまで。お前ならば能うだろう、デルニシテ・イーデガルド」


「……御意」


 それ以降、元帥として王城で過ごすようになってもしばらく道に迷ったのでやっぱりドゥリアスがついて回った。


 が。


「では、暇をもらうぞデルニシテ」


 別れはある日突然に。ですが、デルニシテは「そう」と短く応じただけでした。何故なら自分の部屋で剣を磨いていたので。


「国許も隣国の変化に困惑しているだろう。今こそ戻るべきだと俺は思う」


「だろうね。行ってきなよ」


「ああ、ではな」


「うん」


 そんな、あっさりした別れを済ませた後。


「かくして股肱の臣下は全て去り、孤独な王様が残された、か」


 今しがたドゥリアスが消えていった扉から、また別の男が現れました。


 無遠慮に入室してきたのは軍服の似合わぬ細身の男。歳の頃が読み辛く、その顔にはにやにやと厭らしい笑みを浮かべている。


 顔のつくりは悪くないが、なんとも胡散臭い男であった。


「孤独じゃないよ」


「いいや孤独だ。もはや本当の意味でお前の味方はいない。お前にいるのはその力の信奉者と、恐怖に平伏する弱者のみ」


「あんたがいるよ、アポロニア」


「俺が?馬鹿な。言っただろう、俺はお前を使って得るものがあると踏んだからお前についたんだ。それに、本家の連中はあちらについた。どちらが勝っても家の存続にはなる」


 男…アポロニアは剣を磨く怪物に対しどこまでも不遜でした。


 まるで本音を隠さず、その上で強者に擦り寄る。


 新たな臣下、アポロニアという男は狡猾で抜け目なくて、しかし有能な男です。


 今後のデルニシテ政権における中枢。政治の面における股肱として長く活躍することになります。


 ……ただ。


「大体、俺のような得体の知れない人間をよくもまあ傍に置こうと思うものだ。寝首を掻かれるとは思わないのか?」


「思わないよ。それに、得体は知れてる」


「…ほう?」


「アポロニア・アルジェント。ここ数年で突然軍に地位を築いた、古い貴族の三男」


「…政争絡みで家を出されただけだ。それだけか?」


「うん。それだけ知ってれば充分。それに、面倒なこと全部やってくれるって約束でしょ?俺としてはそれが一番大事だから」


「…はん。まあいい、こんなでも主と仰ぎ支えると約束したからな。せいぜい、仕事だけはしっかりしてやるよ」


「うん、よろしくね。おじさん」


「……は?」


「どうしたの、おじさん。俺がおじさんって呼ぶの、おかしくないよねおじさん。ねえ、おじさん。聞いてる?」


 気付けば、デルニシテは剣から顔を上げ、極めて挑発的に男の顔を覗き込むような仕草で首を傾げていた。


 ぎ、と歯が軋む音。拳を握り締め、汗が流れる。


 今まで馬鹿にしていた若造が、アポロニアにはとてつもなく恐ろしいものに見えていた。


 妹と同じ、怪物に。


「……こ、このクソガキ…いつから気付いてやがった」


「母さんは普段から奴隷に家名は必要ないって実家のこと全然話してくれなかったんだけど、一度だけ変なお兄ちゃんの話をしてくれたよ」


「……クソ!なんだよあいつは!いなくなってもまだ俺を利用する気か!!クソ、クソ!お前もあいつと同じだ!この、クソガキ!!!!」


 頭を抱え悶えるアポロニア。デルニシテは無邪気に笑いました。


「あははは。ガナルさんみたいだ」


 からかい甲斐のあるおもちゃ、もとい信用できる臣下と新たな地位を得て、デルニシテの物語はもう一歩先に進む。


 次の波乱は、アルハレンナとの決戦。


 人より強く生まれた者同士の戦い。


 最強の軍将が率いる反乱軍を、単独で迎え撃つ鎧武者。


 その果てに、デルニシテの覇道がついに幕を開けるのだ。


 次回、「王様になろう」

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