第3話 隊長になろう後編

 前回までのあらすじ。


「諸君。私は戦争が好きだ」


 ついに大戦おおいくさの時が来た。ワクワクするデルニシテ、キリキリしてるガナル。意外とヒリヒリしてた国同士の事情が一人の小隊長の平和への祈りを踏み躙り、新兵と彼を取り巻く者たちの運命を動かす覇王伝説の第二歩目。


「いいかデルニシテ。俺たち歩兵部隊は今前にいる弓兵部隊がどけてから突撃だ。敵が進んで来たら矢を射掛けて、騎兵を足止めしてから歩兵の壁で押し返すわけ」


「はい。わかりました」


「隣と足並みを揃えろ。盾構えて全員で斬りかかれ。ここは荒野だ、石がごろごろしてて馬にゃ足場が悪い。どれだけ乗り手が上手くたって足元はどうしようもねぇ、のろい騎兵はただのかかしだ」


「なるほど」


「よし。なンか質問はあるか?」


「何人倒せば出世できますか?」


「なンも聞いてねぇなお前は!!!」


 特に目立ったところのない小隊長、ガナルはとても小心者でした。いつだって新兵の癖に出世に貪欲でやたらめったら強い迷惑な主人公、デルニシテに振り回されています。


 頼りの戦友ブレナンは遥か後方部隊。今やデルニシテの舵を取れる人間は皆無。


 おまけに「この戦いはどうしても前線へ出たい」と主張するクソガキが戦場への出発まで毎日プレッシャーをかけてくるものですからガナルも疲れ果てついうっかり許可を出してしまったのが運の尽き。


 子供の駄々に付き合って徒労以外を得た大人はいないのです。大抵損している。


 そんなわけでやっと念願の前線へ出られることになった新兵デルニシテはもううきうきわくわくが止まりません。大きな戦で手柄を立てれば出世ができる、と聞きかじった彼はこのチャンスを逃すまいといつもより二時間長く剣を磨いてきました。集団行動については何も考えていません。


 彼がここまで出世に固執するのも、全ては母親のため。


 そう、故郷で待つ母が唯一欲しがった天下というやつをプレゼントするためにまずは出世をして偉くなるのです。ちょっと何を言ってるかわかりませんね。


 山育ちで並外れて強いだけが取り柄の田舎者、デルニシテ青年はかくして兵士になり、今こうして敵国サヴィラ連合との大戦に臨んでいるわけです。


 さて、そんな彼には以前ある噂がまことしやかに囁かれていました。


 曰く、とある英雄の息子であるとかなんとか。


 それは本人の口からも否定されているのですが、それでもよく知らない人間は今でもずかずかと踏み込んでくるもの。


 今回隣り合った二つの小隊の隊長も運悪くそういった手合いでした。


「お前か?イドの息子ってぇガキは」


 戦闘前だというのにその二人は文字通りずかずかと整列するガナル小隊の前を横切ってきて、開口一番に言い放ちました。


 ガナルに向かって。


「ンなわけあるか!人の顔忘れてンじゃねぇよダボ!」


「ん?おおガナルじゃねぇか。そうか、通りで老けてると思った…」


 めちゃくちゃ失礼で縦にも横にも広いこの巨漢はダルトン。ここでしか出ないので名前は覚えなくてもいいです。


 げらげらと笑って、「だから言ったろ!イドはちびだったんだからデカいガキはできねぇよ!」と仮にも伝説に対して失礼なことを言ってのける赤ら顔はモガン。こいつの出番もここ限りです。


「んじゃ、隣にいるそいつがイドの息子か?」


 ダルトンが改めて指差したのは、デルニシテ。でもガナルは彼が口を開く前に「ンな奴ぁいねぇよ」と切り捨てます。そっと新兵にも目配せをしておく。


 こいつらはうるさいぞ、と。


 それを受けてさすがのデルニシテも空気を読みました。元より出世のためと言い含められているので大人しく従い、なんとちょっとした気まで回しました。


「お二人はガナルさん…隊長のお知り合いですか?」


 話題を。話題を逸らしたのです。あの、ド天然男が。


 生まれながらに人を振り回す側に立つ天性の迷惑男が。


 ガナルは不覚にも一瞬涙ぐみかけて、はっとして頭を振りました。騙されてはいけない、いけないけれど…今晩の晩酌の肴はこの話題で決まりです。


「ん?おお、俺たちは元々同じ隊でよ」


「それが今じゃ三人も隊長になっちまってなぁ。もっと早死にすると思ってたぜ」


「なるほど……」


 ああ、なんという和やかな会話。完璧な話題逸らし。ブレナン、俺たちのクソガキはいつの間にか大人になってやがった……。


「で、お前イドの息子なのか?」


「あ、はい」


「おいコラァァァァ!!!!」


 ダメでした。クソガキはいつまでもクソガキのようです。


 周囲の隊員も抑えきれなくなり待機姿勢を崩し笑い始める始末。まあ、そんなもんです。末端の叩き上げは多少荒っぽいもの。


「おお、ほんとだったかぁ」と破顔するダルトンたちにガナルは釘を刺そうとしますがガナルの細い身体ではどっしり重厚な同輩は全く押せず、多少殴ったくらいではびくともしません。ガナルの猛抗議をよそに会話は盛り上がりました。


「俺たちは兵士になりたての頃、イドと同じ戦場に立ったことがあってなぁ」


「そりゃもうすごかったぜ。文字通り敵を薙ぎ倒していくんだもんよ」


「羨ましいです。僕は父が戦場に立ったところを見てないので…いや、一度見てるらしいんですけど小さい頃なのでどうにも」


「おお、もったいねぇなぁ。ガナルなんてブレナンと一緒にイドのケツ追っかけて行って、二人して隊長にぶん殴られてた」


「やっぱりブレナンさんも兵士だったんですね。僕の前じゃ昔話とかしてくれなくて…寂しいです」


「だってよガナル!ダメじゃねぇかイドの息子を邪険にしちゃあよ!」


「うるせぇ!うるせぇし黙れ!せっかくごまかしたってのにまたバレるだろ!」


「何がバレると?」


「ほらバレ…あン?」


 背筋の凍るような、冷たい声色でした。


 気が付けば、周囲は沈黙に包まれている。もみくちゃになって騒いでいるなんとも言えない状態の三匹のおっさんだけが、取り残されていて。一応デルニシテは、あ、こいつ何かを察してこっそり列に戻って何食わぬ顔をしています。天然でしかも卑劣な男、デルニシテは。


 見惚れていた。


「用があって訪れましたが随分騒がしい。デンゼル小隊長、説明を」


 静かながら、一文字一文字に刺されるような苛烈な響きが籠る。


「…あー、えっと。あれです。旧友との再会につい心が躍りましてね。何せ、互いに戦場へ出る人間ですからね」


 現れた女は、壮麗でした。


 人間一人分の大きさをした強さと美しさの塊。若いながらに二振りの剣を差す鎧姿は泰然とし、自分より大きな男たちに囲まれながらも凛とした佇まいは威風堂々。何より、戦場でありながら唇に細く紅を引き長い髪を靡くに遊ばせるその戦乙女から、一体誰が目を離せるでしょう。


 ダルトンに抱えあげられたままだらだらと冷や汗を垂らすガナルを中心に、しばしの沈黙がありました。


 緊迫した空気の中で、一人。


 動いたのは。


「……あの」


 デルニシテ・イーデガルド。


 いつも通りの眠そうなツラに、すっとぼけたような表情をくっつけて。


「えっと、誰ですか?」


 ガナルは素直に死んだな、と思いました。


 ダルトンとモガンも死んだな、と思いました。


 あんなに持て囃していた隊の仲間たちでさえも。


 しかし。


 当の本人はと言えば、一瞬呆気に取られただけで。


「…そうだな、無理もない。まだ会ったことはなかった」


 くす、と微笑さえ漏らしながら、戦乙女は新兵に向き直りました。


「名乗ろう。我が名はアルハレンナ。アルハレンナ・シームーン。お前の上司の上司にあたる、一位佐官だ。…それと、発言は挙手の後許可が出るまで待つこと」


 まるで子供に言い聞かせるような穏やかさで、しかし堂に入った王国式の敬礼を決められればさすがの天然も思わず敬礼を返すほど。


 しかしその程度で引く天然ではありません。引け。


 教えられた通りに真っ直ぐ挙手をすると鷹揚な「発言を許可する」との返事。


「ええと、アルハレンナさんは何の用事でここに?」


 第二の爆弾発言から担がれたままだったガナルが無理矢理に抱えられている胴を引き抜き、べた、と地面へ落ちて起き上がりデルニシテのもとへ駆けつけ胸倉を掴もうとして、でも鎧だったので諦めて上官に向き直るまで、その間僅か三つ数えるほど。


「重ね重ね失礼しました、シームーン一位佐官。デンゼル二位尉官、拝聴します」


 そこでデルニシテは初めて自分の上官が軍人みたいなツラをしているところを見たし、同じく軍人みたいな顔をした同僚たちが一斉に敬礼をするのを見ました。


 肘を水平に保ち右拳を左胸に添える、王国式の敬礼。


 上官へ向く手の甲には、鎧の手甲に刻まれた国の印章。


 背筋を伸ばし顎を引き、真っ直ぐに地平を睨むその姿勢を。


 普段は適当にこなしていたそれを、その時ばかりはデルニシテも遅ればせながら毅然として行いました。


「…よろしい。では改めて用件を。と言っても、実は大したことではありません」


「我々は貴女の麾下にのみ立つ者。なんなりと」


「では、一つ聞きます。デンゼル。…かのイドの子息とは誰ですか?…目を逸らすなデンゼル、こちらを見ろ。もう一度聞く。デンゼル!」


「勘弁してくださいよ誰も彼も!あンでそンなことが気になるンです!?」


「答えろ」


「はい、こいつです…」


 口では嫌がっても身体は正直なものです。抵抗むなしく、ガナルはデルニシテを指差してしまいました。


 デルニシテとしてもすぐさま裏切られたことについてはショックを受けましたが、しかし仕方ないな、くらいの気持ちではありました。


 彼でさえ、後世において『明鏡止水の狂剣』とまで銘打たれる彼でさえ無闇にアルハレンナの剣の届く範囲に入りたくないな、と思っていたからです。ええ、剣の届かない範囲からならどんなに失礼なことも言いますが。


「…名乗ります。僕はデルニシテ・イーデガルド。確かに傭兵イドの息子です」


 故に、今度は自ら進み出ました。


 ガナルと同じ、アルハレンナの剣の届く範囲まで。


 戦乙女に先程までの穏やかさはありません。剣呑な、しかし研ぎ澄まされたような視線が二人を遠慮なく貫きます。


 また沈黙があり、デルニシテの全身を検見したアルハレンナは口だけで笑ってみせました。


「悪くない。デルニシテ、私の虜となれ」


「…は?」


「お前を私のものにしてやる。イドが優れたる女たちをそうしたように。出世が望みだったな?良い、地位は与えよう。私の伴侶として、この世界を奪るぞ」


 口だけの笑みがやがて、端整な相貌が獰猛に歪んでいく様は兵士をして戦慄を禁じ得ないほどの凶悪な、それは魔性の誘惑でした。


 対する男もまた尋常ならざるものを戦乙女に感じ、背筋にひりつくような幻を覚えます。


 アルハレンナ・シームーン。


 後に、覇王の隣に立つ焔の妃に。


「いえ、大丈夫です。自分で出世するので」


「…何?」


 その時のデルニシテは、未だ怖じるを知りませんでした。


 顛末を見守る兵士たち。手を額に当てやれやれと首を振るガナル。


 いつの間にか逃げていたダルトンとモガン。


 ですが、全員が思っているような結末にはなりません。


 その場は、アルハレンナが朗らかに笑って終わりました。


「はははは!そうか、私の下は嫌か。ふふ…なら、ガナルでも担ぐつもりか?」


「いえ、ガナルさんは出世が嫌だそうなので」


「ああ、そうだったな。…ガナル・デンゼル。部下の教育不行き届きで降格だ。代わりの隊長にはデルニシテ・イーデガルドを据える。私も件の十三人斬り、見てみたい。存分に走らせろ」


「謹んで拝領しま…え!?いや降格はともかく野放しはまずいンですって!え!?降格!?」


「「ぶっはっはっはっはっはっは!!!」」


 両隣から笑い声が響くと同時に緊迫していた空気が緩み、旧ガナル小隊の面々もそれぞれにこらえられずに吹き出し始めたところでアルハレンナも満足げに踵を返しました。


「励め。デルニシテ。いずれ私を超えて見せろ」


 新兵だった男は改めて敬礼でもって新たな地位を拝領し、続けて慣れない敬語で感謝を述べました。


「あ、アルハレンナさん。じゃなくて、シームーン一位佐官。あの、もう一つだけ」


「ん?どうした。記念に何か寄越せとでも?酒でも見繕うか?」


「ああいえ、お酒があればガナルさんやブレナンさんは喜ぶでしょうけど僕は下戸なので…なので、」





「アルハレンナさん。あなたに僕の奴隷になってほしい」




 今日、何度目かの空間静止が起きました。


「…ど、奴隷?」


「はい。父のように、僕はあなたを奴隷にしたい」


「そ、そうか…私もイドの逸話は好きだが…」


「え?ほんとですか?今度語りませんか?僕もこっちに来てから聞いた話が結構あって…どうしたんですかアルハレンナさん、なんで震えてるんですか?」


「好きだが…そういうのは…」





「そういうのは、まだ早いーっ!!!!!!」




 後に拒否の言葉を残し、駿馬の如く駆け去っていった戦乙女と、その場に残された男。


「え…」


 戦場に風だけが吹き抜ける中、誰が言ったか。


「自分も相当なこと言ってなかった…?」




 父祖イドを含め、今後この世に広がっていく一族の中で、唯一。


 父祖イドを含め今後この世に広がっていく一族の中で最も強かった覇王デルニシテは。


 唯一、女にフラれた男でした。

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