2 夕陽の射す居間
「あんたには《守り石》の気配がない」
《守り石》は、誰もが生まれた時から持っているもの。人がこの世に生まれ出るとき、魂は二つに別れ、ひとつは命に宿り、もうひとつは石に宿るのだと考えられていた。守り石は自分の魂の欠片であり、常に共にあるべき片割れであり、生まれる前は自分の魂とひとつだったもの。守り石は片割れの魂を守ってくれるもので、石が割れたりなくしたりすれば、魂の一部をなくしたのと同じことだ。
「……私は、守り石を持っていないんです」
ダリアの言葉に、モナルダは訝しそうに眉をひそめる。
「持っていないと言ったって、生まれてから十何年もずっと持たないまま生きてきたなんて訳じゃないんだろう? そもそも、そんなことは有り得ない。守り石と離れたら、魂が弱って……でもあんたは、少々弱まっている程度で、現にこうして生きている。私には、つい最近まで持っていたと思えるよ」
「はい。五日前までは、守り石を持っていました。……いえ、持っていると思っていました」
「どういうことだい?」
ダリアは懐から布に包まれた何かをそっと取りだし、テーブルの上で開いた。白い布の上でランプの光を受けてちらちらと光るのは、透き通った淡い色の宝石……の、粉々になった欠片だった。
「五日前、母が亡くなりました。丁度それと同時に、私の持っていた守り石が、こうして粉々に散ったんです。そして、母の持ち物や身の回りををいくら探しても、母は守り石を持っていませんでした」
「人が命を終えたとき、その人の守り石は消えるか、散って形を失う。まさか、その石は……」
「……母の守り石だったんです。私も覚えていなかったし、兄も姉も知りませんでした。母の弔いに来た伯母が教えてくれたんです。私が四歳になった頃、いたずらをして不注意で石を割ってしまったんだって。それから十三年もの間、母はずっと自分の石を私に持たせてくれていたんです。きっとその所為で母は体が弱くて、病気がちになって……。私の所為で、母は命を縮めたんです。幼い私の過ちの所為で。私が石を割ったりしなければ、母の《守り》を奪ってしまうようなことにならなければ、母はもっと長生き出来た筈です。私が……私が、母を死なせてしまったんです。私の所為で……」
ダリアは俯く。その視界が滲み、頬をつうっと雫が伝うのを感じた。
「それは……違うと思うよ」
あたたかい物が手に触れて、ダリアはびくりとして顔を上げた。ぼやけた視界にまず入ったのは、優しく自分を覗き込む赤い瞳。しなやかで乾いた手が、力強くダリアの手を握っていた。
「母親を亡くしただけじゃなく、その後ずっとそうやって自分を責めていたのかい。あんたはそんな思いしなくたっていいんだよ。あんたの所為じゃないよ」
「でも……」
「確かに、守り石を身に付けていなかったことがあんたの母さんの命を弱めたのかも知れない。けど、その選択をしたのは母さんだよ、あんたが頼んだわけじゃないだろう。そもそも、あんたの守り石をなんとかして、自分の命を削らずに済む方法だって他にあったのさ。まあ、知らなかった可能性もあるが、それをしなかったのは、それなりの考えがあったんだろう。あんたが自分を責める必要なんか、全くないんだよ」
ダリアは、暫しぽかんとして魔法使いを見つめていた。不意にその目から新たな涙がぽろぽろと溢れる。子供のようにしゃくり上げるダリアの頭を、モナルダはそっと手を伸ばして撫で続けていた。チコリがぱたぱたと足音を立てて走って行ったと思ったら、ダリアの顔に柔らかなタオルがむぎゅっと押し当てられた。
「なかないで。ね。だいじょうぶだよ、モナがたすけてくれるから」
「ありがとう、チコリちゃん」
もう一つ、ダリアの足元にあたたかい感触があった。先程まで暖炉の前で寝そべっていた大きな犬が、まるで慰めるように優しくダリアに身を摺り寄せていた。
「チィは優しい子だね。だが、ソホまで心配してくれるとは珍しい。あんた、このふたりに好かれるとは幸先が良いよ」
冗談のように笑うモナルダ。涙でくしゃくしゃの顔のまま、思わずダリアの口元も綻んだ。
空気を切り替えるように、魔法使いがぱんと一つ手を打った。
「さて。ダリア、あんたがやらなきゃいけないことは、幸いにもはっきりしている。あんたは、生きたいんだろう?」
「……はい。せっかく母が繋いでくれた命ですから」
ダリアはきゅっと顔を拭い、決意と共に再び真っ直ぐに魔法使いを見つめた。
「私は、母の分まで生きなきゃならないんです。生きたいんです。そのために私の欠けた魂を、守り石を、また手に入れなきゃならないんです。助けてください、魔法使いさん」
「よし。よく言った」
赤の魔法使いはにこりと笑う。
「あんたの願い、叶えてみせよう。だが、今日はこれから動くにはもう遅い。魔法使いの家なんて落ち着かないかも知れないが、しっかり食べてよく休みなさい。明日は忙しくなるよ」
のんびりとした口調で言う魔法使いの目は真剣そのもので、ダリアにとってそれ以上に頼もしいものはなかった。
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