1     魔法使いのお茶会

「赤い魔法使い」のあとについて、娘は恐る恐るその家の扉をくぐった。


 外観もこぢんまりとしたその家は、玄関から一段上がると仕切りもなく明るい居間に繋がっていた。奥から何かいい匂いも漂ってくる。


「今お茶を淹れるから、そこに座って待っていておくれ」


 魔法使いはそれだけ言い残すと、居間の奥へと続く木の扉の向こうに姿を消した。


 一人残された娘は、魔法使いの指し示した椅子に素直に腰を下ろし、辺りをきょろきょろと見回した。


 中央にダイニングテーブルと椅子が置かれた居間は、石を漆喰しっくいで固めた壁と厚い敷物、簡素な木製の家具に囲まれた、あたたかみのある空間だった。石造りの大きな暖炉では、ぱちぱちと火がはぜている。暖炉の前の分厚い敷物の上で、大きなふさふさした茶色い犬が気持ちよさそうに寝そべっていた。部屋中の敷物も、テーブルの真ん中にある小さなマットも手作りだろうか。上を見れば、屋根の形そのままの天井は高く、天窓からは夕陽に朱く染められた空が見える。夜にはきっと満天の星、そして月明かりが射すのだろう。屋根を支える剥き出しの太い梁から吊るされたランプの灯りがテーブルを照らしている。玄関の脇から二階へ繋がる階段も壁と同じ石で出来ていて、木の手すりには細工まで施されていた。


「興味津々って様子だね。魔法使いの家と言ったって、そこらの家とさして変わらなくて面白くもないだろう?」


 くすりと笑う声に娘ははっと我に返る。ティーポットを載せた盆を手にした魔法使いが、居間へ戻ってきたところだった。


「……ごめんなさい、じろじろと見てしまって」


「いいや、構わない。好奇心が旺盛なのは素敵なことだよ。それに、あんたの目は物怖じせず真っ直ぐだ。いい目をしている」


 魔法使いはその赤い瞳を優しく細めて、琥珀色の液体で満たされたカップと焼き菓子の皿をテーブルに並べた。香ばしい匂いが、歩き疲れた娘の鼻をくすぐる。


「あれ、おきゃくさま?」


 軽い扉の音と愛らしい声に顔を上げると、踊り場の手すりから覗くぱっちりとした瞳と視線が合った。


「降りておいで、チィ。今日は珍しい、お客さんと一緒のお茶会だよ」


 魔法使いの呼ぶ声に、階段をぱたぱたと降りてきたのは幼い子供だった。二つに分けて編まれた太い髪の束は宵闇のような色をしていて、ぱっちりと見開かれた不思議な金色の瞳をきらきらと輝かせていた。チィ、と呼ばれた子供は娘の斜め向かいの椅子によじ登ってちょこんと腰掛け、彼女を興味津々でじっと見つめる。


「この子の名前はチコリ、私の同居人だ。きちんと聞き分けのできる子だから、一緒に話を聞いても構わないかい?」


「は、はい」


 お茶会の支度を終えたらしい魔法使いも、娘の正面、チコリと呼ばれた子供の隣に腰を下ろす。どうぞ、と手振りで勧められて、娘はそっとカップを手に取った。甘く爽やかな、いい香りがする。口に含むと、花開くように香りが口一杯に広がった。


「美味しい……!」


「口に合ったなら良かった。ここまで来るのにたくさん歩いて、疲れているだろう。たくさん食べて疲れを癒すといい」


 魔法使いはにこりと微笑み、自分もカップを傾ける。


 幼いチコリは熱いお茶をふうふうと冷ましながら、焼き菓子を頬張っていた。それにつられて、娘も自分の前の小皿に盛られた焼き菓子に手を伸ばす。掌の上に丁度収まる程の大きさのそれを摘まむと、まだほんのりあたたかい。オーブンの熱が残っている。一つ口に放り込むと、さっくりと軽い食感の中から甘酸っぱい干し果物が顔を出した。控えめな甘味が程好く、つい二つ、三つと手を伸ばしてしまう。


 お茶と菓子を楽しむ二人を、魔法使いは穏やかに見つめていた。


 娘はお茶を飲みながらそっと目を上げる。視線が合うと、赤い瞳がすっと細められて目尻が下がった。常人には有り得ない色、燃え盛る炎のような、血のような濃く鮮やかな赤。初めて見たその色彩は、恐ろしいものだと思っていた。けれど、炎のようだと思った瞳はとても穏やかで、鮮血のように見えた髪は艶やかで綺麗だった。


 この人は「いい魔法使い」なのかも知れない。


 テーブルの上のカップも皿も全部からっぽになった頃、魔法使いが口を開いた。


「さて、お腹が落ち着いたところで、あんたの話を聞かなくちゃね。せっかくこんなところまで来てくれたんだから。……ああ、まだ名前も聞いていなかった」


 魔法使いはくっくっと喉を鳴らして笑う。


「改めて、「赤の魔法使い」の住処へようこそ、娘さん。私の名はモナルダ。何とでも好きなように呼んでもらって構わない。さ、あんたの名を教えてくれないかい」


 モナルダの言葉に娘は小さく頷く。俯いたまま手元を見つめて呟いた。


「……私は、ダリアといいます」


「ダリア。良い名だ。あんたの髪の華やかな色にぴったりだよ。陽光に咲く大輪の花だね」


 微笑むモナルダに、ダリアは照れたように首を振る。肩までの長さの金髪がさらりと揺れた。


「名前負けです。私は、そんな華やかな娘じゃありません」


「そう謙遜するものではないよ。実際、私が見たところ、あんたには花を咲かせるだけの生命力がある。……ただ、今は少し欠けているだけさ」


 ダリアははっとしてモナルダを見た。鳶色の瞳が驚きに揺らぎ、震える。彼女はくっと唇を結び、何か意を決して真っ直ぐに魔法使いの赤い目を見つめた。


「……魔法使いさんには、そういうことも分かってしまうんですね」


「まあ、精霊たちと仲良くするのが生業みたいなものだからね。分かるよ」


 モナルダはすっと笑みを消し、真剣な目でダリアを見据えた。


「あんたには《守り石》の気配がない」

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