3章_天使と王子と魔王

第50話 大魔王、青空を塗りつぶす


「……ん?」


 アルフが目を覚ました時、あらゆる絵具でも描写できない青空が広がっていた。

 周りには草花が広がっていて、すぐ隣には亡くなった姉が好きだったデイジーが咲いている。

 

「……」


 陽光の温もりと、体を包む草花にくすぐったさを感じて、アルフが起き上がる。

 ああ、これは夢なんだ、と残念そうに思った。

 何故なら目の前に、幼い頃の自分達が楽しそうに遊んでいたからだ。

 

 人数は三人。

 子供が二人と、大人が一人。

 

「あれは……僕と、エニー……?」


 すぐに子供二人については正体が分かった。

 平和の下ではしゃぐ二人のうち一人は、そもそも自分だ。

 もう一人はいつも一緒にいる付き人だ。

 どちらも、4年前のあどけない姿だった。

 

 そして駆けまわる二人の中心に、もう一人立っていた。

 

「姉……さん……」


 もういない筈の、美人だった。

 周りの人間を励ますような笑顔が得意だった女性へ、思わずアルフは駆け出す。

 

 だって、もう四年もあっていないのだから。

 永遠という壁で隔てられ、もう二度と会えないと思っていたのだから。


『エニー、姉さん。僕ね、この世界をもっとよくしたい。世界の皆を平和にしたい』


 駆け出す先で、三人は寝転がって青空を見上げていた。

 短い草と色とりどりの花な塗れながら、楽しそうにまだ幼かったころのアルフは語りだす。


『だからね僕、王様になる』



 突如眼前を真っ赤な液体が覆った。

 目に入ったせいか、何も見えない。

 それを拭うと、見えた。


         ■       ■

 

 場所も、状況も、切り替わっていた。

 真っ赤な、真っ赤で、真っ赤の、真っ赤だった現実が広がっていた。

 御伽噺だったらいっそよかった、最悪が刻まれていた。

 

 足元で血に塗れた資料に書かれている。

 “794プロジェクト”と“天使”の名称が。

 

 

 また登場人物は三人。

 眼前の惨状をただ見ているだけのアルフという無能と。

 返り血に塗れて、ただうわの空だったエニーという化物と。

 もう助からない量の血で床を彩っていた、無残に横たわる姉。


『姉さん』


 幼い頃のアルフは、紅い沼をペタペタと歩いて、姉の体を抱き上げた。

 姉は、最後に自分に何かを言った。

 血と共に言葉を吐くと、そのまま生命活動を停止してしまった。

 

         ■       ■

 

 次に瞬きをすると、姉と血は全て消えて、残ったのはアルフとエニーだった。

 三人から、二人になってしまった。

 いなくなってしまった一人の為に、着慣れぬ喪服を身に着けていた。

 

『……申し訳ございません、今すぐお召し物を……』


 こんな時でも付き人らしく振舞おうとする健気なエニー。

 それでも、エニーにとってもあの人は姉だった。


 エニーは一度見たことを忘れない。

 だからこそ、そんな姉のような存在の最後の景色を覚えている。

 家族が肉塊へと変わり果てる様を、鮮明にいつまでも覚えていてしまう。


 そして、エニーも姉の後を追わないとは限らない。

 震えるエニーの背中を見つめながら、心に確かな恐怖を宿し始める。

 

『君まで失わない……失いたくない……』


 握り拳で血をにじませたまま、アルフは言い切った。

 現在のアルフが、同じ思いで見守っているとも知らずに。

 

『僕は王にはならない。この世界に悲劇をもたらす全てを、この世界の歪みを正してやる……!』

 


        ■           ■

 

『あれが、お前の起源か』


「誰だ!?」


 光景に夢中になっていたアルフの後ろから足音が合った。

 一歩一歩、世界を踏みにじる様な残酷な足音だった。

 振り返るまでもなく、全く知らない存在に違いない。


 それにも拘わらず、アルフの脳裏にはあまりに荒唐無稽すぎる言葉が過った。

 王すら軽々と踏み砕く、“魔王”の二文字が。

 

 佇んでいたのは、人の形をした何か。

 しかしその詳細は輪郭ごとぼやけていて、観察することは出来ない。


 分かるのは、一つだけ。

 彼が歩く度にアルフの後ろで、過去の思い出が崩れていく。

 

『儂は、お前の前世だ』


「前世……!?」


 と聞いて、思い当たる節があった。

 ツルキから前世の話を聞いた事がある。ツルキは前世の記憶と陰陽道を以て、この前一つの奇跡を見せたのだ。

 その前世が、自分にもあったというのか。

 しかもここまで忌々しく、悍ましく、何もかもを見下ろした様な存在がそうだというのか。何と馬鹿馬鹿しい夢なのだろう。

 

『そして、魔王――山本五郎左衛門』


「魔王……!? 何を言っているんだ」


 仁王立ちでアルフの前に佇む、前世であり魔王を名乗った五郎左衛門という男。

 果たしてその姿こそ陽炎の様に曖昧に浮かび上がっているかのようだが、それでもこちらを睨む金色の両目だけはくっきりと見えていた。

 

『貴様の言う王と何ら変わりはない。ただし統べるものは善悪清濁関係ない。世界の全てを以て、世界の全てを支配する。世界の全てを駆って、世界の全てを見渡せる』


「そんな御伽噺の様な存在、信じられるか。お前が前世だというのなら、何故僕の中に魔王とやらの記憶がない」


『野望は途中で潰え、儂はその権利を失った。今更魔王と名乗る事さえ烏滸がましい、残滓のようなものだ』


 ずしん、ずしん、と。

 地を鳴らして魔王は堂々と歩く。


『だが来世の儂がここまで不甲斐なくては、口出しの一つもしよう』


「なんだと!?」


『お前は確かに王になりたいと言った。生まれながらの王にして、幼いながらも確かに明確な願いがあった筈だ』


「……無邪気な子供の、戯言だ」


『だが貴様は愛する者を失ったが為に、野望を見失った』


 王だったら姉を救えたのか。

 王だったらエニーを血塗れにせずに済んだのか。

 王だったら自分の胸に空いた喪失感を味会わずに済んだのか。

 

「王は国を救うだけだ……、人は救えない」


『貴様が本当の王を知らぬだけだ』


「……何?」


 仮にも継承権第三位とはいえ、アイルラーン国王の子供だ・

 知っている。

 王とは、国家とは何かを、アルフは知っている。


 玉座の座るだけの王も見た。

 貴族達が忙しく自分達をどう守るかだけを雑談するのを見た。

 兄が何か裏から手を回す姑息な姿を見た。

 華々しい王道の裏側を、見た。


 だからこそ、既に結論は着いている。

 王は、国を救うだけの存在だ。


 だがそんなアルフの渇きを、魔王は看破する。


『本当の王も、魔王も変わらぬ。世界という一から、生物という個まで、その全てを思うが儘に出来る。救いたい存在がいるなら、魔王の権力を以て障害を薙ぎ払えば良いではないか』


「……そんなのは、特権の乱用だ」


『魔王に乱用はない。魔王は全てが許される』


「……」


 話が噛みあわない。

 こんな傲慢な世界の歪みが、自分の前世だというのか。

 夢という嘘にしても、悪戯が過ぎる。


『ならば、貴様は何の為に戦っている』


 魔王の質問に、アルフは力を込めて返す。

 草花に包まれた三人の綻ぶ笑顔を思い返しながら。


「……僕らの様な存在を二度と生み出さない為だ!」


『愚か者!』


 アルフは思わず呼吸を止めてしまう。

 まるで自分の心臓を貫くかのような、魔王の一声。


『それでは王ではなく、戦士でもない。何物でもない貴様には何もできない。結局、喪失を繰り返すのみだ』


「……」


 魔王が掲げた右手に、視界が渦巻く幻覚と共に出現する。

 明らかになったのは、世界の全てが集約されたような模様のだった。


『では見せてやる。貴様の前世が、世界を跋扈した無限という力を』


 その小槌を、地面に叩きつける。

 小槌の面を離し、立ち上がった時には――世界は魑魅魍魎で満たされていた。

 突如出現した無数の異形達は、アルフが知るどの魔物よりも悍ましく、物恐ろしく、凶悪で、狂いきっていて、惨悽たる存在ばかりだった。

 一体一体だけで息が詰まりそうな、格も次元も違う、異世界の住人達。

 凝視しているだけで、命を吸われそうな、いてはいけない異形達。

 

 世界なんて簡単に滅ぼせそうな力を持つ彼らの中でも、しかし魔王は一際目を引き付ける存在で、先頭で悠然と構えている。

 背後で翼のように広がる異形達は、一つだけ共通点を持っている。

 魔王を信じて、魔王が創り出す世界を共に見たいと憧れている。


 何故かそれだけは、アルフにも分かってしまった。

 

『行くぞ。我が百鬼夜行よ』


 異形達が一斉にアルフへ突進してきた。

 その先頭は勿論、金色の瞳で不気味に笑む魔王、山本五郎座衛門だった。

 

 

 

 

 

「うわぁっ!?」


 一番鳥の唄ではなく、悪夢の悲鳴でアルフは目覚めた。

 冷や汗は既に寝具を濡らし、震える手が止まらない。

 そんな手を見て、ふっ、とアルフは自嘲する。

 

「弱気になっている暇なんて……ないのに」


 荒ぐ息を必死に抑え、ノックの音に反応して扉を開ける。

 見下ろす、という表現が正しいくらいの身長差の少女が、いつもの安心する笑みを朝日の様に浮かべていた。

 

「おはようございます! アルフ様! 良い天気ですね!」


「おはよう、エニー……、ああ。いい天気だ……暖かくて、丁度いい気温だ」


「どうしたのですか? お顔が優れないようですが……」


 こんな事を言ってくれるのも、家族の様に生きてきたエニーくらいものだ。

 いつかエニーには自分から離れて、この優しさを誰かの為に使ってもらいたい。

 メイド服を卒業して、制服を卒業して、自由になって欲しい。

 

「……なんでもないよ」


「アルフ様。アルフ様が誤魔化す時は、いつもそう言います」


「本当になんでもないって」


 朝食が並んだトレーを置くエニーに、そう誤魔化しながら先程見た悪夢を必死に忘れる。

 世界で一番優しい、唯一の家族。

 眼鏡を身に着けた、小さくも芯の有る強い少女の横顔で上書きする。






 あの時魔王となる前世が出現した理由を、アルフはもう少し考えるべきだった。



 これから起きるのは、4年前のとある惨劇の第二幕。

 794プロジェクトが、本当に牙を向く話。

 アルフだって分かっていた筈の、エニーに掛けられたまほうの話である。

 

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