第3話 ウノハナと紡がれた糸
アイリスに肩を貸しながら近くの公園まで移動し、二人は東屋のベンチに腰を下ろした。
ベンチに横たわったアイリスは、苦しそうに荒い呼吸を繰り返している。シオンを落下する瓦礫から庇ったアイリスの損傷は予想以上に大きかったらしく、腕のディスプレイには『
「……電気設備の漏電による、爆発でしょう」アイリスはこの状況でも冷静さを欠かさなかった。
「それって、建物が全壊するくらいのものなの?」
漏電による火災は聞いたことがあるが、今回のそれは規模が桁違いだ。
「館内全体に舞っていた微細な埃と乾ききった空気、それと急な大電力の使用が重なれば、ありえない話ではないかと」
シオンは灰色の粉塵が舞い上がる大量の瓦礫、かつての図書館に目を向けた。落ちついた暖色で構成された芸術品のような内装も、人類の英知が刻まれた無数の書籍も、今となってはゴミの山だ。今さら本をサルベージしたところで、ほとんどはもう読めない状態になっているだろう。
シオンはずっと着けていたヘッドホンを取って、ベンチに置いた。溜まっていた細かい粉塵が落ちた。
「それよりシオン、これを」
アイリスは仰向けの状態でシオンの方へ腕を曲げた。初めて見る、ターコイズに近い緑色の表示。手紙の封筒の形を模したアイコンは間違いなく、メッセージが着信した証拠だ。
「ああ、そうだね」
シオンがその一生を賭けてでも叶えたかった、人類との邂逅。そのゴールが、自分の指先にある。夢にまで見た瞬間だった。
「……見ないのですか?」
アイリスは、アイコンに指を伸ばそうとして動きを止めたシオンに向かって言った。
「いや……」
シオンは、怖かった。シオンにとって、人間との出会いは生涯の悲願だ。だが、人間にとってはどうなんだ? 人間は、自分との出会いを望んでいるのか? 船の中で交わした電波を、たまたまアイリスのアンテナがキャッチしただけかもしれない。もしくは、人間からフォーチュンへの罵詈雑言が書き連ねてあるかもしれない。
僕は、人類が地球にいたころと同じように繁栄していることが分かればそれでいい。そのシオンの思いが揺らぎつつあった。
人間に嫌われたくない。シオンの指が震えた。
「心配しないで」
シオンの頬を、そっとアイリスが撫でた。
「あなたを人類が嫌うなど、あり得ません」
まるでシオンの心を読んだかのように、アイリスがそう言った。
ほら、と言って、アイリスは再び腕を差し出した。
アイリスが命を懸けて守ってくれた、人類との細い糸。その思いを無駄にする訳にはいかない。
シオンは、意を決してアイコンに指を重ねた。
腕のディスプレイが輝きを増した。空中に、光のメッセージウィンドウが現れた。
「ホログラムですね。……こんな機能があったとは、知りませんでした」
数秒の読み込みの後、十インチほどのウィンドウに数文のメッセージが表示された。
『ハロー、私の愛する地球へ。このメッセージは星間移民船『アマノトリ』より送信しています。届いていますか? カンナ』
カンナ、という送信者からのメッセージは、船が問題なく運航していること、人類がまだ存続していることを十分に示して見せた。
「……どうです?」幾分か血色の良くなったアイリスがシオンに聞いた。
「優しい、言葉だ」シオンはまた溢れそうになる涙をこらえ、それだけ言った。
届いたからには、返信を考えないと。シオンは空中のウィンドウにそっと触れた。
ウィンドウの隣に、キーボードが現れた。使ったことはないが、使い方は分かる。
文字のキーの上でシオンの指が右往左往した。何と返信を打てばいいのか分からない。文字だと感情表現ができないし、そもそもシオンは文字を書いたことがなかった。
「自然体でいいと思いますよ」アイリスがそう助言した。
自然体、自然体……。シオンは努めて平静を心掛けた。そして、おぼつかない操作でキーを打ち始めた。人類に嫌われないように、かつ、自然体に。
十分ほどかけて、シオンは簡素な一文の返信を書き上げた。あまりにも恥ずかしかったのでアイリスにも見せず早く送ってしまいたかったが、送信する前にもシオンは一瞬逡巡した。だがもう後戻りはできない。シオンは送信ボタンを押した。
周囲に静寂が訪れた、気がした。シオンの心の中の喧騒が、波が引いたように消えていった。
「ちゃんと送れたじゃないですか」
「うん、一応……」
あんな文面でよかったのだろうか、やっぱりアイリスに添削してもらえばよかった、など様々な思いが後から沸き上がったが、シオンは首を振ってかき消した。
「ちゃんとメッセージ、届いたかな……」
「こればっかりは、待つしかないですねぇ」
アイリスは体を起こした。腕の赤い文字は消えていた。修復が完了したのだろうが、顔の生々しい傷は完全に癒えたとは言えないようだ。
「アイリス、ごめん」
「? どうしたのですか急に」
「僕のせいで、アイリスが大怪我を」
「気にすることはありません。そもそも、あなたを守ったのは私の意思です」
「でも君は――」
「そんなにクヨクヨしていると、人間に嫌われちゃいますよ」
シオンは口をつぐんだ。アイリスは自分の命すら引き換えに、細い糸でつながったメッセージを託そうとしてくれた。今は、その糸を自分の手で紡ぎ続ける事が自分の使命だ。
「返信がこちらに届く時間差で、人類がどの辺りにいるか予測できそうですね」
「どういうこと?」
「いいですか、さっきの人類からのメッセージやシオンの返信は、ものすごい速度で宇宙空間を飛んでいるんです。なので、その速度とメッセージが往復する時間をかけ合わせれば、地球と『アマノトリ』までのおおよその距離が分かるという事なんですよ」
へぇ、なるほどなぁ。シオンはアイリスの博識に感心した。これまでもシオンはアイリスの知識に助けられたことが多くあった。言語の翻訳から、知らない土地でもすいすい歩いて行く土地勘まで、まるでアイリスはこの地球のすべてを知っているみたいだ。
「そういえば、リリィから返事が来ないや」
シオンは、ベンチのヘッドホンを指で軽く叩いた。
リリィが待機しろと言った図書館は、今やその体を成していない。さすがのリリィもまさかあの瓦礫の上に座して待てとは言わないだろう。
「向こうからは勝手に命令するくせに、こっちから話しかけても通じないんだよなぁ」
「そういえば、最初にお会いした時からそうでしたね」
リリィの声と最初に出会ったのは、二人が寒い地域いた時の事だった。防寒のためにシオンが装着したヘッドホンから、突然少女の声で恐喝めいた文言が流れ出したのだ。アイリスに詳しく調べてもらったところ、ヘッドホンは無線機能を内蔵したマイク付きのモデルであることが判明したが、一体リリィがどこから、何のためにシオンに接触を試みたのかは謎のままだ。
「どうして彼女の声に従おうと思ったんですか?」アイリスがそう聞いた。
「うーん、どうしてだろう……」シオンは首を傾げた。
「こんなに何も無い世界だと、多少の面白さが欲しかったというか、なんとなく言うことを聞かなきゃって思ったというか……」シオンの返答ははっきりとしなかった。
「私も、人に指図されるのは初めてでしたから、それなりに刺激があって楽しかったですよ。そもそも人、かどうかは分かりませんが」
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