憧れは遠く、空を泳ぎ

@mikaze1024

憧れは遠く、空を泳ぎ

 私と彼女は幼馴染みだった。

 昔から内向的な私を、引っ張って行くのが彼女だったので、小さい頃から意識していなかったと言えば嘘になる。でも、ただの幼馴染であり、遊び友達であった彼女に対する感情が、憧れに変わったのは、彼女の幻翅で空を泳いでからだ。

 今でも覚えている。秘密のお出かけ。町の灯は殆ど消え、遠くを走る車の音だけが響く夜。彼女は私を学校へと連れて行った。

 誰もが知っている秘密の抜け道。金網の隙間を抜けた先の校庭で、彼女は私に幻翅を見せてくれた。

 私の、小さく薄い物とは異なる、極光のように大きく流れる幻翅。星の光も揺らめきを抑えるほどに冷えた空の下、私の心はその幻想的な美しさの虜になったのだ。

 「これは秘密だよ」と彼女がいたずらっぽく笑っていた。その時の私達はまだ八つにもなっておらず、十に行われる幻翅の【お披露目】はまだまだ先の話だったからだ。「君にずっと見せたかった」その事を考えていると、なんだかわくわくして、止められなくなった、と彼女は言った。「さあ、お姫様」差し出された手をおずおずと握り、私と彼女は白い月の下で、一匹の魚のように自由になったのだ。



 彼女の幻翅は、その後の【お披露目】で広く世間に知られる事になった。

 他の誰よりも美しく壮大な幻翅。彼女は大きく胸を張り、誇らしげにそれを大人達に見せつけた。

 同じ舞台に立っていた私は、誰もが驚きの視線を彼女に向けているのを、まるで自分の事のように嬉しく思ったものだ。

 今の時代、幻翅が大きいとか、空を泳げるからと言って、昔ほど特別扱いされる事はない。戦争を頻繁にしていた時代ならいざ知らず、今は誰もが自由に町を行き来し、自由ではないが空を飛べる技術も発達している。

 だが、それでもやはり、幻翅が人並み外れて大きくある事は稀であり、稀であるという事は話題になる。

 【お披露目】から数ヶ月の間は、色々な所から、まるでご利益を求めるかのように、色々な人達が彼女に会いに来た。

 そして、私達の住む町は、古くからの因習がまだ残る場所であり。

 町興しの為に、古い奇祭――【月贄】の復活の話が持ち上がったのも、直ぐの話だ。



 その日、私は学校の美術室で、一人で絵を描いていた。

 私は大きな幻翅を持つことは無かったけれど、絵を描く才能には恵まれていた。小さな賞を何度か獲得し、少なからず、私の事を知ってくれる人も増えてきている。

 知名度、という点において、彼女に勝ることは、まず無いだろうけれど。彼女と少しでも対等でありたいと、そういう気持ちを無しに絵を描いているとは、とてもではないが言えなかった。

「――や、順調?」

 ふと、集中力が途切れた時に。彼女が頃合い良く美術室に入ってくる。いつもの事だ。私は、まあね、と応えた。

「良かった良かった。わたしの方も順調だよ。予定通り。一週間後だね」

 楽しそうに語る彼女を見て、私は苦い顔をする。

 一週間後――【月贄】の事だ。

 大きな幻翅を持つ人を、月の神様に捧げる為に行われる祭。

 ただ只管に空を泳ぎ、月を目指して真っ直ぐに浮かび上がり、最後には墜ちて、その生命を神様への贄にする。

 様々な理由があるのだろうけれど、一番の理由は十分な幻翅を持つ者が居ないと言う理由で、もう何十年も行われていない廃れた祭だ。

「そんなに心配?」

 当然だよ――彼女がそんな楽観的になれるのが、私には分からない。

 言うまでもない話だけれど、彼女は別に死なない。この町はちょっと古くて、良く分からないしがらみがあるけれど、町興しのために、一人の少女を犠牲にするほど、狂っても居ない。

 彼女は確かに月へと登るけれど、安全の為の備えは勿論、身につける。

 ようは、話題の少女が、大昔の祭りを再現という、それだけの話だ。

「本当に心配性だね、君は」

 くすり、と彼女は笑う。

「万が一の事故なんて、起きないようになってるよ。わたしはもっと有名になるし、町は栄えて、言うこと無しだよね」

 【お披露目】以降、彼女は引っ張りだこだ。勿論、彼女自身の要望もあって、普通に学校生活を送れるようにはなっている。それでも、その多忙さは、普通の学生とは比べ物にならない物だろう。妬みや嫉みも、同じぐらい。【月贄】の準備の為に、精力的に活動するようになってからは、尚更。

 前に一度だけ、聞いた事がある。なんでこんな町の為に、と。

 その時、彼女は――笑って、答えてくれなかったけれど。

「――ねえ」

 思考を少し飛ばしていて――気が付くと。彼女が、真っ直ぐ私を見ていた。

 その時の目に、覚えがある。そう。最初に、幻翅を見せてくれた時の、いたずらを共有する時の、あの時と変わらない目。

「そんなに心配ならさ。こっそり付いてきてさ。泳ごう、あの時みたいに」

 私はちょっと驚いて――それから、笑って、答えたと思う。








 ――――彼女は、墜ちて死んだ。

 【月贄】の結果だけ言えばそうなる。

 その事が何を生んだのか、私にはどうでもいい。

 今、私の手元にあるのは、一枚の絵だ。

 彼女に何かあったら、私に渡すように準備されていたらしい。

 そこに描かれていたのは、砂漠に咲いて、寄り添う二つの花だ。

 拙い絵だ。でも、私の為に描かれた絵だった。

「――無理だよ。私は一緒にいけないよ」

 私は、ただ涙を一筋、こぼした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

憧れは遠く、空を泳ぎ @mikaze1024

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る