いけにえ令嬢と魔獣の王

長尾隆生

第1話 突然の婚約破棄

「君との婚約は破棄させてもらうおう」


 学園の卒業の日、貴族令嬢であるディアナは突然大勢の人が集まる講堂の中で、この西方の地を治めるラドルク辺境伯の次男カルマスにそう告げられた。

 本来ならこの卒業式が終わればディアナはカルマスの妻となるはずであったのだが。

 ディアナにとってカルマスは好きな相手ではなく、むしろその傲慢さや容姿も彼女からすれば好みではない。

 だが、貴族同士の家と家の結婚というのは好む好まざるに関係なくそういう物だとディアナは割り切っていた。


 しかしカルマスはそうではなかったらしい。


 今年度になって入学してきたとある少女。

 ディアナにもカルマスがその少女に一目惚れをして、何度も密会を重ねているという話は耳に入ってきていた。

 だけどまさかこんな土壇場に来てこんな大それたことをするとは思いもよらなかった。


 大げさな身振りそぶりでディアナすら知らない彼女のの罪を並べ立てるカルマスの顔を、最初こそ驚きの表情で見つめていたディアナだった。

 しかし徐々にその顔からは表情が消え、ただ無言で白熱していくカルマスの顔を見つめていた。

 ディアナの友人たちは彼女がカルマスの告げたような事はしてない事を知っている。

 だけど彼女たちが辺境伯の子息に対して反抗すれば、最悪その家は取り潰し。

 それでなくても冷や飯を食わされる立場となるだろう。

 それを理解していたディアナは憤り、声を上げかけたそんな彼女たちを制するとカルマスの前に進み出る。


 少しは後ろめたい気持ちもあるのだろうか。

 カルマスは僅かばかり顔を青ざめて一歩後ろに後退るとディアナを指さし声を荒げる。


「な、なんだ。文句でもあるというのか? 大体お前は不貞の子らしいじゃないか。だまされたのは俺の方だ」


 必死になって貴族の間ではわかっていても決して口にしてはいけないことまでわめき立てる。

 この国で貴族というのは大体にしてどこの家でも正妻以外の子を持っている。

 それはラドルク辺境伯家も同じ事だ。

 つまり、この会場の中にもディアナだけでなく数多くの『不貞の子』がいるわけで。


 なのにそれをいま卒業式という公の場で声高に非難するカルマスの行動は周りの空気を一気に冷ややかな物に変えるには十分だったといえよう。


 ディアナはそんなカルマスに向けて軽くお辞儀をし、顔を上げるとにっこりと笑みを浮かべ。


「それ以上はもう結構ですわ」


 と告げるとカルマスの横を通り抜けながら。


「婚約破棄。確かに承りましたわ。ごきげんよう。もう会うこともないでしょう」


 そう笑みを崩さないまま目も合わさず続け、講堂を歩いて行く。

 静まった講堂内にその声は不思議と響き渡り、誰もが彼女のその背中を見送りながらも声を発せずにいる。


 少し前までは卒業式が終わってお祭りムードだった講堂内の空気は、今や氷点下の世界と化していて。

 ディアナはそんな静寂の中、それでも優雅さを忘れないように荒れ狂う心の中を必死で押さえつけながら講堂を出たのだった。



     ◆◆◆◆◆



 家に帰り着くとディアナは使用人を部屋から追い出して一人自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。

 本当なら泣いたり喚いたりして心にたまったものを吐き出した方が良かったのかもしれない。

 だけどその時の彼女の心にあったのは虚無だけ。


 長い間、政略結婚の道具として相手の家に嫁ぐことしか考えてなかった。

 ずっとそのような教育しかされてこなかったのだ。

 そのためだけに必死に『お嬢様を演じてきた』彼女の努力も苦労も、その全てがあの瞬間崩れ去ってしまった。


『お嬢様。ご主人様方がお帰りになりました』


 部屋の外から使用人の声がする。

 どうやらディアナの両親が卒業式の会場から戻ってきたらしい。

 あれからかなり時間が経つが、婚約破棄事件の後始末でもしていたのか。

 もしかすると辺境伯の元に呼び出され、叱責でもされていたのかもしれない。


 辺境伯の次男は、辺境伯が歳をとってから生まれた子で、辺境伯は彼をまるで孫のようにかわいがっていた。

 甘やかされてそだった彼は、結果あのようなことをしでかしてしまったわけだが。


「あの辺境伯のことだから息子の言い分を信じて私に一方的に責があるとでも思っているのでしょうね」


 そんな事を考えながらベッドから起き上がると部屋を出て玄関ホールへ向かう。

 ディアナの部屋は二階にあり、廊下を少し歩けば玄関ホールを上から見下ろす事が出来る。

 足取り重くゆっくりと廊下を進むディアナの耳に、玄関ホールから父の声が聞こえてきた。


『まったく、なんてことをしてくれたのだあの娘は』


 ディアナの父の声が玄関ホールにこだまする。


「私が一体何をしたっていうの! 悪いのは全てあの浮気男の方じゃない!!」


 ディアナはそう抗議の声を上げたかったが、古い考え方しか出来ない彼女の父がそんな言葉を聞いてくれるとは思えない。


『あいつは優秀な私の足をどこまで引っ張れば気が済むんだ。俺がどれだけ手間暇と金をかけてあのバカ息子と友好を重ねてきたと思っているっ!』


 続いて聞こえたのはディアナの兄であり、この家の跡継ぎの声だ。

 父親の古い貴族的な考え方を受け継いでいるだけあって、妹といえど家の繁栄のための駒としか見ていない。

 いや、彼にとってディアナは所詮『不貞の子』でしかないのだ。

 自らの身内であるとすら思っていないのかもしれない。


『だからあの時あの女と一緒に放り出せば良かったのですわ……』


 母のすすり泣く声がする。

 あの女とはディアナの本当の母のことだ。

 ディアナは父と、この屋敷にかつて勤めていたメイドとの間に出来た不貞の子。

 しかし貴族社会で、それは珍しい話ではないのだが。


『ふんっ。政治の駒ぐらいにはなると思ったのに、公の場であんな騒ぎを起した娘などどこの貴族家も貰ってはくれんだろう。だが、この家にこのまま置いておくわけにも行かぬ』


 ディアナは騒ぎを起したのはあのバカ息子の方だと飛び出して叫びたくなる。


『あたりまえです父上。これからは俺がこの家を守っていかねばならないというのに、あのようなお荷物を抱えるなんて』

『うむ。ではやはり』

『辺境の修道院にでも送るしかあるまい』


 辺境の修道院。

 貴族令嬢の間で噂話としてディアナも聞いたことがあった。

 何らかの事情や問題で、貴族家を放逐された者が送り込まれる場所。

 そこに送られれば一生その辺境の地から逃げ出すことも出来ない。

 娯楽も何もなく、一生この国の崇める神の信徒として清いまま暮らさねばならないのだと聞いている。


 だけどきっとその修道院にもディアナが婚約破棄をされ、捨てられた令嬢という話は伝わるだろう。

 きっと奇異の目に晒されるに違いない。

 そんな環境でディアナは一生暮らさねばならないのだ。

 そんなことに耐えられる自信は彼女には無かった。


『では早速手続きをせねばな。最後まで手間をかけさせる』 

『それでは父上。俺の子飼いを使って修道院まで送り届けるよう手配いたしましょう』

『子飼い? あの悪童どもをか?』

『ええ。修道院に着く前に野盗にでも襲われたら大事ですので』

『ふむ……なるほど。お前はなかなか頭が回るようだな』


 ディアナはそこまで話を聞くと、顔を青ざめさせ踵を返し部屋に逃げ込んだ。

 今の兄と父の会話を聞いてディアナは心底怖くなった。

 まるで野盗にでも襲われれば厄介払いできるとでも言いたげな言葉に。

 それどころか兄は子飼いの悪童たちを使ってディアナを事故に見せかけ亡き者としようとしているのかもしれない。

 いや、きっとそうなのだ。


「殺されるくらいなら……」


 ディアナは部屋の窓に近寄って外を見る。

 外は少し日が暮れて、うっすらと夕日の赤が木々を染めかけていた。


 窓から見えるのはこの街を見下ろす大きな山。


 ディアナは山を見つめながら、その昔母から聞いた話を思い出していた。

 あの山には主と呼ばれる凶悪な魔獣が今も住んでいて、生贄の命と引き換えに願いを一つ叶えてくれるのだという。

 その話を信じた者たちにより、かつて何人もの人が生け贄として捧げられ、魔獣の犠牲になったという。


「どうせ殺されるなら、最後に主様にこの身を捧げるのもいいかもしれないわね」


 そして願うのだ。

 あの馬鹿息子や私を殺そうとしている今の家族への復讐を?

 いや、彼女ははそんなことは望まない。

 彼女が望むのはただ一つ。

 今は引き離され、どこにいるかもわからない実の母の幸せ。

 それだけであった。 


「たとえそれがただの御伽話だったとしても――」


 ディアナは決意を込めた目で山を睨み付け、山に登る準備を始めるのだった。

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