第24話 レイスの聖天
朝の野道はすがすがしい。
午前中一杯歩き続けて、ようやく森を過ぎ、畑が向こうに見えてきた。
魔眼を凝らしてみると、少し先に村が見える。そして、その村に一人の修道士が入っていく。顔を見るとフィオレンツィ師だ。
師は祓魔師でもあり、きっと、その仕事で村に呼ばれたのだろう。
急いで追っかけてゆく。
フィオレンツィ師は村長の家の中に入っていったようだ。家の前の岩に腰かけ、しばらく待っていると、
すると村人たちと共にガヤガヤと出てきたので声をかける。
「おや、エリーセさん、お久しぶりと言うか、4日ぶり。巡礼の途中ですか?」
「東のミュルツ教会にまず行って、次は西の方を巡る途中なんです。」
「おっ、そうですか。」
「導師は?」
「この先の廃屋となった屋敷に、レイスが憑りついているのですよ。
そのお祓いです。
まあ、屋敷の元の持ち主で魔術師だったんですがね。酷い実験をしましてね。
幼い子供の奴隷を何人か買ってきて、彼らと獣を融合させて、人間と魔物のキメラを作ろうとしていたんです。
古代の遺跡から古い記録を見つけてきて、それを確かめるために魔法の人体実験をしてみた、という事なんですが、あまりにも酷い出来事なんで、教会としても珍しく異端を唱えて死刑を要求した事例なんです。
殺したのは奴隷だからと、死刑にするほどではないと反対する声もありました。それで憤激した教会側も、教皇様の声明も出していただいたり、当時は大変な騒ぎとなりましたよ。
その魔術師なんですが、死刑執行の前日に屋敷に逃げ込みましてね。そこで自殺して亡霊となりはてて、今は屋敷に憑りついているというわけなんです。」
この世界では、人が死ぬと亡霊となることがままある。だから、祓魔師は現実的な必要性によるものなのだ。
「ご一緒しますか?亡霊を見れますよ!ちょっと怖いかもしれませんが。」
「ひっ」
「はっはっは、心配しなくてもいいですよ、あなたなら。強い心も魔力もお持ちだし、いい経験になると思いますよ。」
という事で、一緒についていくことになった。
道を進むと、向こうに荒れた屋敷が見えてきたので、屋敷の中を魔眼を凝らして偵察してみる。破れた木の床、破損した家具、散らばったいろいろな破片、暗い屋敷の中は、いかにも幽霊屋敷にふさわしい情景だ。
奥に青白く光る影を見つけた!件のレイスだ。
よく見ていると、向こうもこちらに気が付いた、このレイスには魔眼で観られていることがわかるらしい。
”チッ気付かれた。”
と、いきなり魔法の石弾を飛ばしてくる、ガシャーン、屋敷の窓が吹き飛ぶ。
「おっこの亡霊、魔法を使うぞ。さすが魔術師の亡霊。」
師は、変に感心している。
壊れたドアをこじ開け、屋敷の中に入り、荒れた屋敷の奥に進んでいく。
「フィオレンツィ師、よろしいのですか、気付かれているようですし、魔法を使ってきますよ。」
「なに、どうせ不意打ちで聖天させることはできません。先に気付かれていても同じです。まあ、魔法を使ってくるのは困ったものですが、生前より強い魔力を持ったレイスは聞いたことがありません、大した事はないと思いますよ。せいぜい子供の投石と変わりありますまい。それにあなたがおられますから、魔法攻撃の対策は十分でしょう。」
普通の亡霊(レイス)は、生前よりも魔力が大分落ちるらしい。アンチマジックを用意しながら導師の後ろに引っ付いていく。
「一階にはいないようですな。まあ、いそうなところと言えば、地下に研究室があるらしいから、やはりそこかな。」
屋敷の間取りを書いたメモを見ながら、地下に降りる。魔眼でドアの向うの研究室の中を透視すると、確かに居た。
アンチマジックを掛ける。
ドアを開けるといきなり火矢が飛んでくるが、アンチマジックにより途中で無効化され消えてしまう。
「帰れ~、邪魔をするな~」
亡霊がおぞましい声で叫ぶ中、聖天魔法をかけながら、師は亡霊に語りかける。
「神の御名をもって、さまよう魂を聖天させにきた。おとなしく、消滅して輪廻の輪に戻るがいい。」
「わしにはなすべきことがある。古代魔法の秘密を解かねばならぬ、なんとしても。これぞ、人に必要なことぞ。邪魔をするな~。」
残った執念が強すぎるようだ、聖天に抵抗している。
「汝の行いは罪深き業ぞ。それをなさしめるわけにはいかぬ。諦めよ。」
「何が罪か!人は罪を重ねて、知恵を増やしてきたのだ。知恵を探求するのに、罪なんぞは恐れぬ。」
聖天魔法を強化していくが、亡霊の抵抗が強い。
この青白く光る亡霊は、なぜこのように強い抵抗ができるのか?
疑問・関心を持ったその時、私の体から糸が亡霊の方に飛んでいき、亡霊とつながる。亡霊の中に残された記憶・感情が一気に流れ込んできた。
魔の森の遺跡で見つけた銅板とそこに書き込まれた膨大な古代魔法の知識、それに興奮する魔術師の心。
その銅板に書かれた古代神聖語を読解してゆくと、魔力による人の能力の拡大;魔物や獣の能力を人に移し、獣人を作るわざ。
それを確かめるために、幼い子供の奴隷を買い、その体を切り刻み、犬や豚と合成してみるというとんでもない実験・・・。
しかしいずれも成功には届かなかった。人と犬を無理に融合しても直ぐに死んでしまう。死屍惨憺たる有様を目の当たりにして、さすがの魔術師も己の所業に恐れを覚える。
しかし、それでもやめられないという強い探求欲とそれに対する自負心。
めまいと吐き気にを催すほどの業の深さに目を背けてしまう。
その時、部屋の隅っこに別の小さな亡霊がいるのを見つける。アレッと思い、関心を持った瞬間、やはり糸が飛んでいく。
そして、糸がその小さな亡霊に繋がり、その感情が流れ込んできたとき、震え上がるような戦慄が背筋を走る。
恐怖!恐怖!恐怖!
ただ、恐怖がほとばしる。
狂気の目をした魔術師に腕をちぎられ、鼻をそがれ、目をくりぬかれる子供たち。被害となった子供の奴隷たちの亡霊だ。
激情に理性を失ってしまう。
「おのれ!何が、知識の探求か!お前に虐げられた幼子が、どれほど苦しんだのか、恐怖にのたうち回ったのか、お前は知っているのか!」
憎悪・怒りの激情を糸に託し流し込み、両手から聖天魔法を最大限にまで強化して焚きつける。まるで地獄の業火のような強い光が亡霊を包み込む。
「ギャアア~~」
そして亡霊の断末魔、そのまま浄化の焔に包まれ亡霊は消えてしまう。
怒りの感情に打ち負けてしまい、へなへなと床に座って嗚咽を漏らしている私を見て、フィオレンツィ師は驚く。
「どうしたのですエリーセ、いきなり興奮して。」
声が詰まってしまって、返事もできず黙ったまま、部屋の隅に縮こまっている子供らの亡霊を指さす。
「おお、殺された子供たちの亡霊ですね。かわいそうに。」
導師は、そちらに歩みより優しく語りかける。
「もう、恐ろしいことは何もないのですよ。何も恐れることはないのです。天にまします父の御元に行きましょう。」
そう言って、穏やかな聖天魔法をかけていく。子供たちの亡霊は、静かに順々に上の方に昇って、消えていく。
「虐げられた者がどれほど苦しんでいるのか、恐怖にのたうち回っているのか、力でもって虐げる側にある者はわかっているのか。
私は知っている、虐げられ、死んでいったものを、その気持ちを。
だからだから、憎い、ただ憎い。自分勝手に人を苦しみの中に弄び、それを正しい、何が悪いのかと居直る輩(やから)を。」
床に座り込んでしまい、涙ながらに訴える私を見て、フィオレンツィ師は憐れむように語り始める。
「憎んではいけない、憤怒にとらわれてはいけない。
あなたがまちがっているからそういっているのではないのですよ。
憎しみをひとたび心の中に持つと、もう心は憎しみに捕らわれ、引きずられ、冷静な心を失ってしまう。
だから、憎んではならない。
でもあなたは、これは正義の怒りだとは言わなかった。
ただ、怒りと悲しみを訴えるのみ。
だから、あなたを責めるつもりはありません。あなたは優しい心を持っている、この惨状を見て苦しんでいる、わたしは苦しむあなたをただ慰めるよりほかない。」
そう言って、へたり込んでいる私の頭をなでるように手をのせ、ただただ、慰めてくれる。15分ほどもそうしていただろうか、ようやく落ち着いた私を起こしながら、
「祓魔師をしていると、亡霊たちの生前の恨み・怒り・恐れ・哀しみ・欲望、様々な執念を見せつけられることは度々なのですよ。
ですから、あなたの気持ちはよくわかります、決して私にとっても他人事ではないのです。
でも、亡霊に完全な魂が残っていることは稀です、ほとんどは生前の妄執が残っているだけです。そして、彼らの抱いている妄執を理解し、それを解きほぐすことが、聖天を成功させる決め手になります。
逆に彼らの妄執に飲み込まれて己を失ったとき、こちらの負けになってしまいます。
あなたのように、感受性が強いと両刃の刃(やいば)になってしまうのです。気をつけねばなりません。いいですね。」
あの時、飛んで行った糸はフィオレンツィ師には見えなかったようだ。
劫火のような強過ぎる聖天魔法と子供の亡霊にへたり込んでしまったのは、強い魔力と感受性のためと思われたようだ。
この糸は・・・?
新しい能力だ。
思い当たる事と言えば・・・、昨日の蜘蛛なのだろうか。
あの時、”色欲の蜘蛛が覚醒したぞ”と爺神が言っていた。その時に獲得した能力に違いない。
であるとすると、これは”蜘蛛の糸”と言う事になる。
蜘蛛の糸でつなぐと、たとえ幽霊であると言え相手の心が見えてしまう。
しかし、心が見えるということは、相手と心を繋いでしまう事でもあり、逆に強い影響も受けてしまう事になる。
蜘蛛の糸が両刃の刃として働いてしまうのは確かだ。扱う時は、よほどに心構えをしておかなければ。
幽霊屋敷の外に出ると村長以下村の主だったものが表で並んで待っていて、出迎えてくれた。
村長の家でお茶の接待を受けながら、世間話に盛り上がるが、その中で師が私を紹介してくれる。
「このエリーセさんは、修道院で修行なさり、なかなかの魔法の使い手なんですよ。信心深い方でもあり、巡礼に参られる途中なんです。たまたま会うことができ、祓魔に御一緒してもらって助かりました。魔術師の亡霊が魔法攻撃をしてきましたからね。」
「ええ、見てましたとも。屋敷の窓が弾けるのを見まして、近づくのが恐ろしくなって、離れて待っていたのです。正直、どうなるのか心配してました。」
「いや、ご心配かけて恐縮です。」
「エリーセさん、巡礼の途中だったんですか。じゃあ、今夜は村で、お休みいただけますかな。」
その晩は早々に床に就いたが、なかなか寝付かれない。当然だ、あんなものを見せられたのだから。いたいけな子供の虐待と殺戮、それで十分に残酷な事件であるが、それ以上に寒気がする。
あの魔術師は一体何をしようとしていたのか。
人と獣を融合させるだって!
そして、その技術が古代魔法文明の遺跡から見つかったということは、古代文明では人と獣を融合させてキメラを作っていたということになる。
一体どういう価値観を持っていたんだ。その文明では人とはどういう存在だったんだ!
お伽話で終われば気楽に聞けるが、実際にそういう技術が残されているとなると怖気に身震いする。
教会が異端の罪で死刑を要求したというのは、いかにも中世的で未開にも思えるが、地球の価値観でいうと人道に反する重大な犯罪とでも称すべき事件だ。
ここの古代魔法文明には人道主義というものがなかったんだろうか。人道無き高度な文明、そこはどんな世界であったのか。
それから、自分の事。
蜘蛛の糸についてである。他人の心を覗き込むという事の意味について。
これはどういった力なのだろう。私たちは常日頃、他者の気持ちや考えを表情や言葉にして伝えあっている。そうして互いの気持ちや考えを共有している。悲しそうにしている人を見れば自身の胸も痛くなってくる、新しい考えを聞けば自身の考え方も変わってくる。表情や言葉を介して感情・思考を共有しているのである。
それを、蜘蛛の糸はダイレクトに繋いでしまう。
多分、だから読み取った相手の心の影響力も強く、自身の感情が不安定になってしまうのだと思う。
もう一つ。表情や言葉では心の中の気持ちを騙すことができる、蜘蛛の糸をだますことができるのか?意識の中にある考えは読み取れるが、意識の中に入ってきてない考えは読み取れない。いや、そもそも意識とは何であろうか・・・。
興奮していたんだろう、いろんな考えが巡って寝付かれなかったが、そのまま夢うつつとなったらしく、気が付くと朝になっていた。
翌朝、村長の家で朝食。茶色のパンと暖かいミルク、そして塩漬けの豚肉。師と2人で食卓を囲んでいただく。
「エリーセさん、私は力を求めてきました。
もっと力があれば、もっとたくさんの病人を癒せる、もっと、もっと、人々のお役に立てる。
そう考えてきましたから。
それでね、昨日のあなたの聖天魔法を見たあと、寝床の中で考えていたのですが・・・。
聖天魔法というものは死してさまよえる魂を慰め、神様の下にやさしく導くものだと思っていましたし、そのようにしてきました。でもあなたの聖天魔法はまるで劫火でもって亡霊を焼滅させるようだった。
いえ、あなたを責めているわけではありません。ただ、力、強すぎる力というものは、災いにもなりうると申し上げたいのです。
善良な心でもって、善行を行おうとしても、強すぎる力は災いになるかもしれない。
力というものは、強力であることよりも、思い通りに使えることが大事ではないかと思うのです。
特に強力な力をもった時、その制御はとても大事なことだ。とても難しいかもしれないけど。」
「はい、心に刻んでおきます。」
フィオレンツィ師は満足そうにうなずき、
「まあ、そんな悩みを持てるのは贅沢なことなんですよ。
ほんとうに、私なんぞは力不足を嘆いてばかりですから。
シスターのフェルミ女史が言ってました、あなたのことを。
”野を駆ける虎のような方だ、誰も止められないだろう”、とね。
素敵なことです、世界を駆け巡り、森羅万象を見てきなさい。
でも、また帰ってきてくださいね、私たちの元に。
待っていますからね。」
出発時に、村長が”餞別です”と、銀貨の詰まった小さな革袋をくれる。どうしたものかと戸惑っていると、師が、”お志です、ありがたく、いただいておきなさい”と。
自分の方は、篤志は教会が既にいただいているはずだからと謝絶しながらも、私には、あなたは聖職者ではなく巡礼者なのだからと受け取るように勧めてくる。
こうして、フィオレンツィ師とは別れ、次の巡礼先に旅を進める。
次に向かうのは、ヌカイ河の川岸にあるベルッカ修道院だ。
聖ネンジャ・プの最後となった場所であり、そこに壮大な修道院が建てられているのだ。巡礼者にとっては、最も重要な(あるいは人気の)史跡となっている。
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