邪神斬舞

とくがわ

第壱話


 俺の両腕には、鎖で繋がれた冷たい鉄の輪がかかっている。


 夜風が冷たい。それもそもはず、服にぬめっとした粘液がかかっているからだ。半壊した赤煉瓦の建物の前には、ぬめぬめした粘液を垂れ流して転がっている怪物の死体が転がっている。どうして、こうなったのか……話は一時間ほど前にさかのぼる。


 ……悲鳴、というよりも絶叫が聞こえてきた。


「……行きたくねぇ……」

『何を言っている、せっかくの獲物だ。さぁ走るがいい』

「乗らねぇよその手には!行きたくねぇっつってんだろがハマグリ!」

『ハマグリ!!?』

「その手は桑名の焼き蛤つってんだろが!こんの桑名打ちがぁ!!」


 握りしめた刀に向かって怒鳴り声をあげる俺は、どうみても頭のかわいそうな人です。刀と会話とか、したくねぇ。


『く、桑名打ちだとぉ!流水に立てれば舞い落ちる木の葉を真二つにする我を!?』

「うっさい魔剣!普通の刀はな!そんな無駄に斬れないの!!わかる!?」

『刀が斬れなくて何が刀だ何が』


 巨大なため息の一つや二つもつきたくなる。こんな呪われた刀、さっさと捨てたほうがいい気もしてくる。お前のような奴は桑名打ち(註:主に明治以降に作られた村正の贋作のこと)扱いで十分だ。


 ……何かを叩き壊したような音とともに、硝子の割れる音が響く。


「やっぱり、行かなきゃダメ?」

『ダメに決まってるではないか。行かないと人を斬るぞ人を』

「行きたくねぇってんだよ畜生!」


 口ではそう言っているのに俺は走る。不気味なほど力が漲る。足まで操作されてやがるふざけんな。魔剣を振るうものは力の代償に体を壊すんだろうなぁ、などとふと思う。


『あ、言っておくが宿主は死ぬまで健康になるよう努めるから』

「心読むな。いっそ殺せ」

『殺したら誰が我を振るう?』


 寄生虫は宿主がいないと死ぬ理論か?いい加減にしろ。そして向かった先の建物から出てきやがった、目の前の巨大な触手の怪物、お前もいい加減にしろ。数メートル?っていうんだったか最近は。くらいの大きさの怪物だ。なんでこんなものが突然現れるようになったんだか。


「お前らのせいで俺の人生は無茶苦茶だ畜生おおおおお!!」


 壁や硝子をつき壊しながら、男に絡みついている触手の怪物に怒鳴りつけつつ斬撃を叩き込む。袈裟斬りに一撃、そのまま振上げて男に絡みつく触手を斬り落とす。


 怪物の目がこちらを睨むが、だから何だってんだと言いたくなる。


「誰が無明だそりゃ名前に入ってるけどよおおおお!」


 本当にやけくそである。絡みつこうとする触手を寸前で躱す。


 無明……何にもわかってないだと?わかってねぇよ何にも。わからなくてそれの何が悪いんだクソじじぃ……。魔剣を鞘に納める。複数の触手が再び俺に襲い来る。


 一閃。


 居合斬りの速度は秒にも満たない速度であるといわれるが、この魔剣は『真の達人は千分の一秒、いや、光をも超える速さで斬撃を繰り出す』と主張している。


 ……出来るかそんなこと。


 無論そこまでの速度の斬撃は繰り出せないが、それでも魔剣を持ったためか剣術など習ったことのない俺ですら、触手を五本ほど斬り飛ばせる程度のことはできる。魔剣怖い。怪物も、簡単に仕留められると思った人間にこうも抵抗されるとは思っていなかったのか、その攻撃を弱めている。


『いたぶってないで早く仕留めろ』

「いたぶるつもりなんてねぇよ!」


 単純にこの怪物が強い。斬った端から触手が再生する。おまけに触手がまた襲ってくる。体力持たねぇだろ!そう思ったら力がまた漲る。どこから湧いてるんだこの力。


『あとものの五分で動けなくなるぞ。体力もっとつけろ』

「おい!勝手に体動かすな!そして俺の体力勝手に使うな!!」

『その前に仕留めろ』


 仕留めないとよくて死ぬ、最悪あいつの餌だと思うと少しだけ殺す気がわいてくる。振り下ろす、横なぎの触手のそれぞれを躱す。


 ……再び居合の構えに戻る。


 調息。


 満月の光が建物の残骸を照らす。煉瓦造りの建物がこの状態になるとは。怪物もこちらを攻めあぐねているようだ。


 異音を発する怪物……だが、どこかで聞いたような言葉を発している気もする。


「おい、怪物」


 何か言っているが、おそらく外来の言葉だ。……わからん。


 怪物が声をかけてくる俺を、その目で見つめてくる。見つめられても困る。


「ここは日本だ。日本語しゃべれ」

『無茶ぶりではないのかそれは』


 さんざん無茶ぶりをする魔剣に言われる筋合いはない。


 月が雲に隠れようとしている。完全に月が隠れた、その時。


 闇に紛れるかのように怪物がその口を開き飛びかかった。ギリギリだ。限界まで引き付けて、後方に跳べ!


 金属とも石ともつかない衝撃音が奴の口から発せられる。……急いで食べようとすると時々あるよなそれ、痛そ……。


「って危ねぇだろもっと早く避けろ!」

『それでは触手の餌食ではないのか』

「……っつるせぇ!一気に決めろ!」


 体あちこち痛くなり始めたぞ、何の攻撃も食らってないというのに。足とか悲鳴を上げ始めてやがる。どれだけ酷使しているんだ身体を。


『剣禅一如』


 その魔剣の心の声とともに、俺に見える世界には俺と怪物だけになった。



 ……かつて俺が座禅を組んでいた際、怪物が俺の意識の中に入ってくる印象を受けたことがあった。座禅における『魔境』という状況だと思っていた俺は、心の中でその怪物を刀で斬り殺す想像をした。


 それがいけなかった。


 怪物はどうやら魔境の産物ではなく、実際に俺の意識に介入してきた存在だった。その際に俺と怪物、そして魔剣の意識がごちゃごちゃになった結果、寺に安置されていたとある刀の封印を俺が解いてしまった。


 この刀というのがとんでもない代物で、要は魔剣である。


 何でもいいからとにかく斬りたい、具体的には人とか、とか言い出した時には折りたくなった。人を斬ったら殺人だからやめろと言ったら、なら化け物ならどうだとかぬかし始める。斬れるもんなら斬ってみろといったら、ならつきあえと言い出しやがった。そしてその結果がこれだ。……今に意識を戻す。



「……星辰一刀流」


 刀の中に封じ込められた、対怪物の剣技の動きが俺の身体に流れ込んでくる。


 怪物の動きが止まった。いや、止まったのではない。俺の意識が加速している。


「虚空」


 斬りはらった居合とともに、空間が……斬れる音がした。


 静寂。


 次の瞬間、怪物ががれきの中に体を崩れ落としていくのが見えた。目からも光が消えてゆく。奴の生命が途切れるのを感じる。


「……ふぅ……」


 ひと段落ついたが、この赤い煉瓦の建物の被害はかなり大きい。維新後約六十年、横浜の街の赤煉瓦もすっかり定着したのにこの惨状だ。このあと直すの大変だろうな、などと思っていると、何人かの人間がこちらに近づいてくる。警官もいるようだ。


「おまわりさんこいつです!」

「えっ?」

「こいつが刀を振り回して暴れて!」


 通行人の知らせで、どうやら警官が駆けつけてきたようだ。よかった、このあとのことをいろいろと片付けてもらおう。


「あぁおまわりさん、ご苦労様でした。ここで暴れていた怪物を……ってあれ?」



 ……そうだ。そういうことだった。俺の両腕に、冷たい鉄の輪がはめられたのは。

 なぜ俺の両腕に輪が嵌められるのか。悪いのは怪物だろ!?俺じゃないだろ!?


「ちょ、な、なんで」

「帯刀禁止令違反だ。刀振り回して暴れてるんじゃない。さぁキリキリ歩け」


 ……どうしてこんなことになってしまったのだろう。俺は歩きながら声をあげて鼻水をたらしながら泣いた。

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